真の敵は、今・目の前に。安保法案と重ね合わせよう

2015-08-08 16:08:55 | 日記

真の敵は、今・目の前に。安保法案と重ね合わせよう

 

  作家であり評論家でもある、日本近現代史研究者の保坂正康さんは私の好きな一人である。いつぞやのブログにも引用をさせて頂いた。安倍首相のヤジは「国家祖動員法」の審議と共通」(6月13日)

  今回もまた保坂さんは訴えている。8月8日の毎日新聞コラム<昭和史のかたち>特攻に反対した隊長・◇「真の敵は今も目の前に」の記事である。それを今国会における「安保法案」の論議と重ね合わせ、それらの事実を見聞きしてきた私たちの年代が、あらためて「語り継ぐこと」の必要性を肝に銘じたいと思った。

  さて、ISをはじめとするテロ集団による「自爆攻撃」がる。それはあたかも特異な、そして遠い異国の戦争行為と見ている人が多い。今「戦後70年」という言葉が至る所で語られているが、その僅か70年前に、実はこの日本で、しかも将来のある若者が自爆攻撃の組み込まれていったことを忘れてはならない。保坂さんは一人の飛行隊長の告白を通してそれを現代に語りかけている。

  以下、そのコラムの一部を次に貼りつける。

  <昭和史のかたち>特攻に反対した隊長

                ◇「真の敵」は今も目の前に

  【昭和20(45)年2月、連合艦隊主催の次期作戦会議が木更津の第3航空艦隊司令部で開かれた。幕僚、指揮官、飛行隊長など80人近くが出席したが、美濃部氏は最若輩の少佐で末席に連なっていた。配付された資料を見て「比島(フィリピン)戦で証明済(ずみ)の効果無き、非情の特攻戦。これで勝算があるというのだろうか?」と氏は考え込む。連合艦隊の参謀の「全機特攻」に、誰も異論を唱えない。…中略… 氏は自分の部下300人の搭乗員を考えると「一人位こんな愚劣な作戦に反対、それで海軍から抹殺されようとも甘んじて受けよう!!」と決意して発言を求める。連合艦隊参謀の作戦案に正面からの反対論をぶった。誰も死を恐れていない、しかし死をというなら確算ある手段をたてよとの内容に参謀は激高する。氏の反対論には重大な2点(「真の敵」への批判というべきか)が含まれている。第一に若い搭乗員に死を強要するならまずは自分たちが先頭に立って死んでいけ。第二にたとえ戦時下といえども他人に生の確率ゼロの作戦を強要する権利はない。…中略…本紙4日朝刊によれば、自民党の武藤貴也衆院議員(36)が、安保関連法案に反対する若者グループの「戦争に行きたくない」という考えを批判して「利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」とネットで発信したそうである。この倒錯した論理の主に、美濃部氏の二つの言をそのまま差し上げたいと思う。氏の説く「真の敵」は、今も私たちの目の前にいるのである】

  時を同じくして、地方紙福島民報の「あぶくま抄」の記事を読む。【昨年10月25日、南相馬市原町区の夜の森公園の胸像前に集まった喪服姿は20人ほどだった。胸像は昭和19(1944)年の同日、海軍の神風特別攻撃隊の第一陣「敷島隊」の一員として亡くなった原町出身の中野磐雄少尉。同級生も90歳となり慰霊祭は最後とすることが告げられた。同年11月にフィリピン沖で特攻死した現在の原町区石神出身、志賀敏美少尉の胸像も同じ場所にある。相馬農高の同窓生らが10年前に建立した。他にも原町区ゆかりの多くの若い命が特攻で散った。それは、この地に日本陸軍の原町飛行場があったからだ】と書いている。練習機まで繰り出した「片道切符」の特攻戦術。これらの事実を語りかけるとき、その語り手に「必要以上の無責任な煽り」と批判する政治家がいる。「つまり目の前の『真の敵』である」。

  まだまだ時間はある。その1か月余の時間を、自分が行うことができる抗議の行動を大きくすることができないか。折しも、来年は参議院の改選を迎える。半数の議員の選択権を国民が有する。ならば世論の勢いで是非とも参議院を揺さぶろうではないか。