広島・長崎「原爆式典」での違和感はどうしたことだろう

2015-08-11 13:53:21 | 日記

広島・長崎「原爆式典」での違和感はどうしたことだろう

 

  69年目を迎えた広島・長崎の「原爆の日・記念式典」が開催された。その中で、両市の市長が訴えた「平和宣言」に一つの乖離を感じたのは私だけであろうか。そしてそのことを一番強く受け止めとめたのが安倍首相であったと思う。映像はうそをつかない。式典会場における広島と長崎のその時の首相の表情は明らかに異なっていた。

 もちろん、記念式典は政治的式場でないことは確かである。全市民が共有できるものであることも当然である。よって平和宣言にしても読み上げる市長の意思はもちろんのこと、同時に、しかるべき場で慎重な討論が積み重ねられることも確かである。しかし、広島・長崎による二つの宣言に微妙な違和感を持ったのは何故だろうか。それが私だけの独善的なものであるとするなら鉾を納めることはやぶさかではない。しかし、この想いはどうしても表現しなければならなかった。

 さてその違いである。それは長崎の場合安保関連法に触れた事である。田上市長は次のように発言している。「現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます」と。

 「原子爆弾」による殺傷はもちろんのこと、使ってはならない原子爆弾の使用が戦争と結び付いたことを誰よりも知っているのが「被爆者と被爆地の市民」であるとする確信である。よって、長崎の宣言は、次の言葉でそのことを明らかにしている。「『原子爆弾』は戦争の中で生まれました。そして戦争の中で使われました。原子爆弾の凄(すさ)しい破壊力を、身をもって知った被爆者が核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です」と。

 しかも、敗戦色濃く追い詰められていた当時の日本に対し、しかも民間人の皆殺し兵器として原子爆弾は投下された。それが戦争というものであり「正義の戦争は絶対に無い」とする市民の意識・感覚が、安保法制関連法を「戦争に巻き込まれる危険性」と敏感に受けとめたのは当然であろう。それが「生き証人」の一人として訴えた被爆者代表・谷口稜曄さん(86)の「誓いの言葉」となった。生死の境をさまよった谷口さんが「集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を許すことはできない」と訴える言葉となったのは当然である。まさに圧巻の瞬間であった。

 そして、「非核三原則」の式典における扱いがある。広島については首相の判断で取り上げなかったと言う。理由は「国是として明確にしていることであり、あらためて述べる必要が無い」であった。当然にして官邸は両市の「宣言文」をあらかじめ取り寄せているだろう。広島では省略し、長崎では取り入れた。批判があったからという単純なものではないことは明らかである。国民(市民)の総意が時の政治を動かし、「誤魔化しの政治は許さない」ということを、2015年、69年目の原爆記念式典が証明したということではなかろうか。