祈りの日・私は「録画番組」にチャンネルを切り替えた

2015-03-12 14:07:34 | 日記

祈りの日・私は「録画番組」にチャンネルを切り替えた

 

  東日本大震災は、地震と津波をもたらし未曾有の犠牲者を生んだ。そして原発立地県である福島県は、第一原発の破壊というトリプル被害を受け4年を過ぎようとしている。

  そして迎えた2015年3月11日、被災地においては至る所で「祈りの場」がもたれ、その光景は各社によって報じられていた。

  その番組に関心が無かったわけではない。しかし、私の選択は以前に録画をしていたNHKスペシャル(2014年4月20日)の再生となった。この時期「原発をつくってしまったこと・破壊させてしまったこと・その原発の廃炉をどうするのか、その道筋さえも見えないこと」という、人類が未だ体験していない事実をあらためて考えたいと思ったからである。

  まず、映し出された画面は厚さ1.2メートルの特殊なガラス窓の奥で、溶け落ち、固まった物体「燃料デブリ」をロボットを使って取り出す作業の場面である。もちろん模擬の映像である。実際の燃料デブリは、数万年にわたっても人を寄せ付けない強い放射線を発し続ける代物であることを解説している。

  この手に負えないデブリは、米国のスリーマイル原発事故で明らかになっている。スリーマイルでメルトダーンをしたのは1基である。その瞬間、炉内の核燃料はむき出しになったが、すぐに冠水が可能となったため燃料は溶けなかったと判断をしていた。そのデブリを取り出す映像に生々しい作業員の声が残されている。取り出し機具を炉内におろしていく。「5フィート、10フィート。何かあったぞ、デブリだらけだ、何てことだ」。溶けていないと判断していた作業員にとっては驚きであった。それでも燃料は炉内にとどまっていた。

  福島原発は3基である。これを同時に廃炉にするということは人類史上初めての経験である。しかも福島の場合は、溶けた燃料は炉を突き破り下まで落ちているだろうと推定されている。さらにスリーマイルが取り出したデブリは80トン、しかし、福島のそれは270トンを超えると言う。

  画面に登場した東京電力廃炉最高責任者・増田氏は述べている。「30年・40年、いや、もっとかかるかもしれない」と。ちなみに増田氏は57歳である。

  さて米国である。この炉内にとどまったデブリの取り出すため準備に6年間を要した。さらに取り出し作業には5年の年月を費やしている。そしてこの高い放射線を発するデブリは、スリーマイルから3.500キロ離れた広大な砂漠に、「厚さ1メートルのコンクリート」の格納庫がつくられ保管されている。しかし、そこから持ち出す目途はたっていない。しかも、廃炉1基の解体は今もって終了していないのである。

  当時、現地で燃料デプリ取り出しを指揮した責任者は福島の状況を次のように見ている。「私たちと比較にならないほど厳しいだろう。日本に立ちはだかる困難は想像もできません」と。

  ともあれ、福島原発から出た使用済み燃料は、再処理工場でウランやプルトニウムを取り出した後、その廃液をガラス固化体にする。そして地下300メートルより深い地層に埋め数万年以上管理する。候補地を決めるためには、文献調査・概要調査・精密調査の3段階の手順を踏むが、この文献調査を受け入れる自治体には最大20億円、概要調査だと70億円の交付金が用意されていると聞く。あるいは「最終処分方針」の閣議決定が日程の中に組み込まれているとか。さらには地層が安定している地域として北上山地海岸地域(岩手県など)・阿武隈高原北部海岸地域(福島県)・根釧海岸地域(北海道)など3地区をあげている。大阪城攻略の掘り埋め立てではないが、策略を講じた「家康流」の政治方式を垣間見る。しかし、これとて「どうしようもない『鬼子・デプリ』」には触れていない。

  「祈りの日」であったその夜、冒頭述べように、私はチャンネルを「廃炉への道」という録画番組に切り替えた。これも「破壊された原発の廃炉をあらためて考えるひと時にしたい」という祈りにも似た気持ちがそうさせたことを報告しておきたい。