保険証が「空手形」とするなら、それは「保険」ではない

2015-03-07 15:10:58 | 日記

  保険証が「空手形」とするなら、それは「保険」ではない

 

  毎月定期発行の高齢者ニュースを手配りしている。高齢者が対象であることからいろいろなことを見聞ききすることになる。

  その一人に87歳の男性がいる。奥様の介護を10余年にわたって続けられた。そして昨年の秋に亡くなられた。自宅から近い病院の療養施設に運よく入院できた。食事は病院食であるが、その都度出かけて行っては食事の世話をしていた。また新聞の読み聞かせなど、とても真似のできるものではなかった。「貴方の妻への愛は地球より重い」などといっては冷やかしたものであったが、奥様を亡くした後の立ち直りは早かった。それだけ精一杯の介護をしたということだろう。

  ニュースを配布先では、必ず「一声を掛ける」ことにしている。今日もそうだが玄関まで出てきてくれた。そして足元を見て驚く。実は「ゴム長靴」を履いている。「それどうしたの」との問いに、「これだと滑らないし、安定しているから」という答えが返ってきた。なるほど。考えて見ると私も子供にはゴム長靴を履かせていたことを覚えている。「滑らない、ほどほどの重さがある、足首を保護する」。そのような知恵が、お天気がよかろうがもっぱら長靴を履かせていた。

  その男性の玄関と階段には手すりがあるが、家の中の廊下、台所、部屋の壁にはロープが張られている。ロープからロープへと伝え歩きができるようになっている。そのロープの位置も腰の高さである。一時は、そのロープに危険を感じたが、見ているときわめて安定していることがわかる。

  ゴム長靴と言い、ロープと言い「知恵と経験」が生かされていることを痛感した。

  また、奥様に新聞の読み聞かせをしていただけに、今でも中央紙と地方紙を隅から隅まで読んでいる。まず詳しい。それだけに世の中の動きには敏感である。ときおり電話で意見を述べてくる。質問をしてくる。その言葉一つ一つが厳しい。受ける私もタジタジになることが多い。

  そして今日もそうであった。「保険証をもって病院に行く。そのとき行った先の病院では必ず診察をしてくれる。必要な治療をしてくれる。もちろん保険が効かない治療はあるが。診察も治療も拒否はしない。しかし、介護保険証を持っていても介護が受けられないということは詐欺だ。保険を掛けていて、その保険を使えないというのであれば保険じゃない」と。当然である。

  独居生活であるその男性もいずれは介護が必要になるだろう。その時、男性が手にしている保険証は、何の保障もない「空手形」となるのだろうか。

  今の政治は、その時どのような回答をするのだろうか。「孤独死」が増えている。その孤独死を、受容しなければならない社会が到来するなら、それは「近代の姥捨て」というものであろう。