岩屋城に建つ石碑
四王寺山登山の後、下山は岩屋城に立ち寄りました。全く予備知識無しに岩屋城へ着き、その展望の良さに感動しました。それ以上に感動したのが嗚呼壮烈、岩屋城の戦いです。
岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として豊後大友氏の武将高橋鑑種(あきたね)によって築かれました。
同12年彼は主家大友宗麟(そうりん)に叛き城を追われ、代わって吉弘鎮理(後の名将高橋紹運)が城主となりました。
紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大群を迎え撃ち、激戦十余日、秀吉の援軍到着を待たず、城兵763名と共に玉砕し落城しました。まさに壮烈ですね。
四王寺山登山の鏡ヶ池から水城の案内に従います
馬責めから坂を下ります
自然歩道は道路を横切ります
石段を登れば
岩屋城です
三郡山と宝満山
大根地山・砥上岳
九千部山
玄界灘
太宰府政庁跡
紅葉
高橋紹運公並びに勇士の墓
秋の森の紅葉
政庁跡から四王寺山
詳細な登山記はHP法師崎のやまある記でお楽しみ下さい
年末に登りすぎてただいま登山記の編集に追われています。
そんな中でもこの岩屋城の戦いは特筆すべきものでした。
高橋氏の奮戦のおかげで、島津氏の九州統一の夢が絶たれ、その代わりに秀吉の九州制覇が早まったと言われているようです。
岩屋城址にはまだ行っていませんが、高橋氏がはじめに住んでいたのは今は久留米市になりましたが。三井郡に上高橋がありそこに城址があります。名前は住んでいた地名からが多いです。結局は大友氏の家臣が名前を継承したわけですね。柳川の立花氏も大友氏の家臣の人だったようです。この人は立花山の立花氏をついでいます。