大会録

ホノマラの人々の大会の感想など

秋田100キロ 2014 (おおはら)

2014-10-18 00:13:36 | 100キロチャレンジマラソン秋田
完走者ばかり書いてるので、ここでリタイア者の記事を(笑)。

初ウルトラ走ってきて、洗礼を浴びてきました。

【練習距離】
7月:116キロ
8月:251キロ
9月:207キロ

秋田があることはわかっていたので、それに向けてそこそこ練習。40キロ練を合宿含めて3回行い、長い距離にも少しずつ慣れていこうとした。

【前日】
新幹線で角館へ向かい、買いだし、会場での引き換え、前夜祭での食事を終え、宿に向かう。夕飯を軽く食べ、9時には寝た。応援メールをもらい、完走しようと決意する。

【当日】
2時30分に起床し、朝食のパンやヨーグルトを食べつつ、会場へ向かい、準備をする。寒かったので、ビニールをはおって出走しようと決める。M川氏からの応援電話に感謝しつつ、気合を入れる。

【レース中】
ラップごとのタイムは正確には覚えていません笑。

 4時半に、完走を目指して後方からスタート。最初はキロ6強で行こうと決める。走り始めてすぐ、S氏が後方集団から抜け出した。ここで、S氏のペースが自分の足に合っていればついていこうかなと思ったが、わずか2キロで断念。再び後方集団に吸収される。F木氏、I栗氏、H坂氏と並走を始める。5キロの通過が34分くらいだったような。
 7キロくらいから18キロくらいまで、ずっとH坂氏らと並走。まあトイレに行ったりとかはあったけど。10キロの通過が65分であり、いいペースだと感じていた。10キロ地点で初めてのエイドがあった。十分休もうか迷ったが、関門で切られること、まだ寒かったので、体が冷えて低体温症になること、ペースが乱れることを恐れ、、水を少し飲むだけにとどめた。14キロ、18キロのエイドでもそんな感じだった。この判断が後になって重大なミスだったことに気付かされようとは…。
 18キロ付近から、並走していたF木氏、I栗氏、H坂氏との距離が徐々に開き始める。ペースが落ちてるわけではなかったので、このままのペースを維持していこうと思い、追いかけることはしなかった。20キロ通過は2時間12分くらいだったか。
 ここから、上り坂にシフトしていくと、一気に走りがきつくなってきた。まあ気のせいだろうと思ったいたが、H谷川氏、SSP氏に抜かれ、明らかにペースが落ちていると感じた。そして、36キロのエイドから足を前に出すのがきつくなってくる。やばいと思いながらも、あともう少しで上りが終わりだと思い、必死に前に足を運ぶ。上りの途中で、I藤氏、K池氏、Y口氏に抜かれる。この時点で、歩いたり走ったりを繰り返していた。そして40キロ付近でA倍氏に追いつかれる。ここで2人で話し、励ましあうことで、厳しい状況だが、完走を目指そうともう1度決意した。42キロ付近で上りが終わり、自分としてもやりやすい下りに入ったので、気合でスピードアップし、49キロの中間エイドに到着。5時間47分くらいだったかな。ここで、M氏、ささみ氏からの応援を受ける。元気をもらい、しっかりと給水、給食を取り、残り7時間というところで再スタート。全員完走の文字を見て気合を入れた。ここからキロ8くらいで走れば、完走できると思っていた。しかし、俺の足がもう限界を迎えていたことに気付いてはいなかった。
 55キロ通過が6時間40分くらい。この時点から、いよいよ足を前に運べなくなってくる。エイドで俺より後に出たK池氏、S藤氏、Y口氏にも颯爽と抜かれて行った。58キロ付近で、休んだ方がいいよと後ろのランナーから言われ、少し休んでから先へ進むが、もうフラフラ。なお、この休憩中にA倍氏に抜かれ、再スタートしても追いかけることは不可能だった。60キロのエイドで10分ぐらい休む。この時点で、完走は厳しいかなと思っていた。しかし、エイドの人に、まだ完走はいけると言われ、少しでも前に進もうと決意。全員完走の目標を自分で達成不可能にしてはならないと思い、フラフラになりながらも走り始める。しかし、歩くことしかできなくなり、近くのランナーからも心配されるというすごい危険な状況に。そして62キロあたりで、次のエイドでリタイア宣告しようと決めた(多分エイドまで行ってたら励まされて頑張ろうって思ってまた走り出していたかもしれないけど笑)。64キロまでは頑張ろうと決意。
しかし、64キロのエイドの300メートルほど前(だったらしい)で、足が固まってしまい、動けなくなってしまった。近くの運営係の人に、通りがかった運営車に乗せられた。いわゆるドクターストップである。車に乗せられ、気付いたら病院にいた。車いすに乗せられ、ベッドに運ばれ、点滴まで受ける羽目になった。診断結果は、脱水と熱中症だった。64キロ地点でのタイムは8時間27分くらいだったかな。本当に応援してくれた人に申し訳ない結末となってしまった。

【このレースから得た教訓】
 練習はそこそこしてきたし、コンディションも悪くなかったので、1番早い段階でのリタイアという結果には全く満足していない。結果的には、早い段階での給水不足が、後々に響いてきてしまったのだろう。早い時間帯において、寒かったにもかかわらず、汗を予想以上にかいていたようだ。自分のように体が大きく、かつ汗をかきやすい体質の場合は、給水を人一倍取らねばならなかったようだ。
 ただ、このリタイアは悔しかったが、ホノマラに入ったとき体重83キロだった自分がウルトラに全く向いていないとは思いたくなかった。機会があれば、リベンジしたいかもしれない。次に100キロの大会に出るときは、しっかり練習して、しっかりと給水を取って、完走をしたいと思った。

ではこのレースにおける教訓
①練習はちゃんとしましょう。練習不足はどのレースにおいても、記録が出ないだけでなく、怪我の原因になります

②給水、給食、休息は全エイドで十分に取りましょう。脱水になるととにかく体が動かなくなります。

③コンディションは万全にしましょう。

④どうしてもリタイアしたくなったら、リタイアできる体調で、体が動かなくなる前にリタイア宣告しましょう。フラフラの状態でドクターストップというのは、とても申し訳ないですし、金もかかります。下手すると命にも関わります。まあリタイアしないのが1番ですが。

まあ皆さんの参考に少しでもなればうれしいです。リベンジしたいけど、親の許可が出るかどうか…。

2014・北緯40°秋田内陸リゾートカップ第24回100キロチャレンジマラソン大会(たぬき)

2014-10-16 20:59:11 | 100キロチャレンジマラソン秋田
↑正式名称を入力してみました!秋田の大会録投稿です!ざっくり短くまとめます(-_-)

<ラップ>
30:38-29:17-26:38-26:47-27:55-26:19-26:39-30:54-26:29-32:51(中間点休憩こみ)
27:22-30:41-34:14-28:40-31:09-31:13-33:56-30:26-63:42(10km)

合計で9時間54分くらいだった。

<練習>
7月:160km
8月:184km
9月:ぼちぼち
とりあえずサブテン目標。9月はテストやら実験やらで忙しくてあまり走れなかったが、筋トレとかで凌いだ。
去年走った道が今年どう見えるのかが楽しみだった。


<大会前>
前日は盛岡でわんこそばを128杯食べた。おいしかった。
また、かわたさんと一緒に去年も行った日本酒のお店に行って日本酒を試飲した。さすが秋田、おいしい。
お店のおばちゃんがかわたさんと自分のことを覚えていた。これにはびっくりした。
2時半前に起床しておにぎり4個と近所のイオンで買った激安アミノバイタルを飲んだ。500mLで93円だった。

~10km
かわたさん、たまる、うみと一緒にスタート。開始直後、前の日に行った日本酒のお店のおばちゃんと挨拶をした。
おばちゃんの応援を受けつつかわたさんとずっと並走。体感5分45秒くらいだったのに、5km地点では30分近くかかっていて驚いた。
変な恰好しててやけに速い人たちと併走したりした。
10kmで少しペースを上げてかわたさんと離れた。

~20km
ペースを上げて進むと、15kmでとーふに遭遇した。合宿の時みたいに引っ張ってもらおうと思って並走した。
20kmくらいでにしさんがエイドにいておばさま方と話していた。楽しそうだったのでとーふと2人でスルーした。
森ちゃん&ささみカーの応援をもらった。元気が出た。

~30km
22kmあたりのエイドでトイレに入ると、後ろから走ってきたにしさんに追いつかれた。スルーしたことがばれていた。
3人で並走した。ペースはえーと思いつつ、前半で突っ込んでいっても後半は何とかなる気がしていたので2人についていった。
前の方にクロさんが見えていた。

~40km
36kmの山の手前のエイドでキノコ汁やらパンやらをたくさん食べた。クロさん、とーふ、僕、にしさんの順でエイドをスタート。
とーふはえーと思いつつ、ゆっくり後ろから坂を上った。去年絶壁に見えた坂が、今年見たらそうでもなかった。
こんなにゆるかったっけ…?と若干拍子抜けしつつ頂上で巫女さんにコーラをもらって飲んだ。シュワシュワした。

~50km
フル地点をぎりぎり4時間切るくらいで通過。下りばっかりだったので飛ばしていった…つもりだったが速いペースに慣れてなさすぎて飛ばせてなかった。
中間地点にとーふ、クロさんがいた。後からにしさんも合流。森ちゃんとささみ氏がポンタ団扇で扇いでくれた。テンションあがった。
ミカンゼリーを食べてスタートした。

~60km
一瞬でとーふとクロさんに抜かれた。ここからはキロ6くらいで走ってサブテンを手堅く狙っていこうと思った。
50kmでもう体力の大部分を使い果たしていたが、あと50kmかと考えるといけそうな気がした。合宿の時の方がつらかったし…。
普段はこのへんでどっと疲れが出てくるので、様子を見つつキロ6くらいで走った。

~70km
64kmの北緯40度手前のエイドでにしさんに遭遇した。エイドにとても可愛い子がいた。女子大生というよりは女子高生っぽかった。ここで念願のシソジュース的な何かを飲んだ気がする。
北緯40度ゲートでにしさんと一緒に写真を撮った後ににしさんと別れた。ちょっと後ろからついていった。少し脚がつらかった。
ただ、経験上アミノバイタルとか果物を摂取した後に10km我慢すればもう15kmは楽に行けることが分かっていたので我慢した。

~80km
70kmくらいのエイドで辛そうにしているにしさんに再び遭遇した。体は大分楽になっていたが、ペースを上げずにゆっくり走る。
75km過ぎた地点くらいで森ちゃん&ささみカーに再び応援される。うれしかった。
と思ったらその先でまっつんさんがとぼとぼ歩いていた。やる気を喪失した、とおっしゃっていたので一緒に走ることに。
3kmくらい走ると元気が戻ってきたようで、ペースが上がってきたので別れた。後ろからまっつんさんすげーと思いながらゆっくり走った。

~90km
81km手前でエネルギー切れを起こしたが、「わんこそばわんこそば」と唱えながら走ったところなんとか次のエイドまで持った。
たんぼ道に入る直前にめっちゃきれいな人がいた。秋田美人、あきたこまち。サブテンするための貯金を頭で計算しつつ、運よく日が陰ったたんぼ道を孤独走した。
大きい蜘蛛がたくさんいた。貯金をふやそうと思ったが、油断は禁物だと思って我慢して走った。ほんとにだれもいない。

~100km
ラスト10kmは単調な道でつらかった。ただ、40km手前の山と同じく、去年とてもつらいと思っていたトンネル前の坂があんまりきつくなくて拍子抜けした。
最後だからこそエネルギー切れに気を付けなければ、と思ってエイドでちゃんとパンなどを食べた。
なつかしの商店街に戻ってきたところでペースを上げた。森ちゃんとささみ氏に出迎えられつつ、ゴール前はダッシュした。
ゴールしたところでどこかから走ってきた(←はやい)USGさんに声をかけられた。サブテン達成。


レースについて。去年走った時よりもだいぶ楽だった。一度走ったことのあるコースだったためにどこがきついか分かる上に、エイドの位置も把握できていたというのが大きいと思う。
それに、今までのレースは(フル・ウルトラ問わず)ほとんど孤独走だったのに対して、今回は途中40kmくらいは誰かと一緒もしくは誰かの姿が見えていたので、やる気がなくならなかった。
コースについても、坂などで去年ものすごくきついと感じたところが全然きつくなかったりした。これは(たまるも言っていたけど)今までのレースの経験のおかげだと思う。

まとめ。今回の秋田は(レースに限らず)とてもとても楽しいものでした。完走に向けてみんなで練習するのも、秋田の話で盛り上がるのも楽しかったです。わんこそばもおいしかったです。
また、今まで僕がウルトラに出る度に応援してくれていた人たちと一緒に走れたのが嬉しかったです。今回の秋田の前に距離練をいくつか企画してみようかなと思った動機がそれでした。
そういう意味で、特別な大会だったと思います。

とりまとめをしてくださったUSGさん、新幹線やら何やらもう色々とお世話になったすっさん、応援に来てくれたり団扇作ってくれたりした森ちゃん&ささみ氏、応援メッセージをくださった方々、本当にありがとうございました。


なんか内容薄くてすみません、失礼しました(-_-)/
たぶん後の人がすごく面白くて内容の濃い大会録を書いてくれると思います(^^)/

秋田100km 2014 (たまる)

2014-10-16 10:49:57 | 100キロチャレンジマラソン秋田
完走録、もとい感想録。
昨年の途中リタイアの悔しさを晴らすべく出場。

~0km 12秒
~10km 64:30
~20km 59:48
~30km 60:20
~40km 59:26
~50km 61:54
~60km 65:10
~70km 80:37
~80km 76:41
~87km 71:19 (9:59:59 以降タイムなし)
finish 11:51:37

練習
合宿頃から走る距離を長くする意識をし始めた。とはいっても距離練を何度もするモチベーションは起きなかったので、距離練は8月中旬の川越練一回のみ。浦佐があったので、スピード練もするようにはしていた。
一週間前から疲労抜き。9月は大会直前までで210km。

前日
朝の新幹線の中で駅弁。二年連続で食べている弁当だったので今年も食べられてよかった。
昼は盛岡行って、わんこそば食べてる人を応援しながら天ぷらそば。
角館で受け付け後は、前夜祭でいろいろ食べつつ、宿で鶏そぼろ弁当とヨーグルトも食べた。
準備をダラダラしていたら、就寝は10時30分頃。

当日~スタート
2時過ぎ起床。ぶどうパンとカステラを食べて3時前に出発。3時30分頃会場着。ヴァーム(ゼリー)を摂取。中間点には、帽子、アミノバイタル(ゼリー)、OS‐1を送った。服装は一昨年と同じく、半袖、半ズボン、靴はウェーブエアロ。ポケットには一口サイズの塩羊羹をいれておいた。
予定としては、キロ6で進めるとこまで進む、という大雑把なもの。中間地点を5時間切れたらいいなと考えていた。



スタート~15km
K田さん、ぽんた、うみのおっさんトリオと一緒にスタート。が、みんな速すぎ。ついていく気にもなれず、いきなり孤独走。周りの人も速いが、自分のペースを守るように心がけた。そんなわけで、どんどん人に抜かされる。
7km付近で女神に颯爽と抜かれた。タイム的にはキロ6を切っていなかったが、エイドの休憩とかあるので、走っている部分はキロ6弱だったと思う。なのであわてずにそのまま進んだ。

15km~35km
ひたすら孤独走。向かい風で萎える。脚の様子をみつつ少しずつペースを上げる。
後ろから誰か来ないかなと思いつつ走るが誰も来ない。こんなところ走ったっけみたいな場所ばっかり。

35km~中間地点
いよいよ始まった本格的な上り。とはいっても平坦になったり下りがあったりするので、高低図ほどのインパクトはないのかも。ただ過去二回歩いているので、今回は歩かないことが目標。楽なフォームを意識して走ったためか走りきれた。頂上の私設エイドでコーラを飲んで、下りへ。下りのほうが単調すぎてつまんなかった。
中間地点のエイドでちょうど5時間。応援の二人が出迎えてくれた。前後のホノマラーの情報を聞き、初めて位置関係を把握。アミノバイタルとOS-1を摂取して、帽子をかぶってサクッと出発した。

50km~60km
ここまで予定通りすぎて怖いなあ、とか思いながら走り始めると、右脚のハムが張っていることに気づく。ところどころで止まってストレッチしながら進んだ。55km~は異様につらい記憶しかなかったのでおそるおそる進んだらそんなにつらくはなかった。ラップタイムは落ちてるけど。

60km~80km
60kmすぎのエイドは昨年のリタイア地点。少し感慨深い。昨年はクッキーがあったけど、今年は置いてなかった。脚の張りが気になるので止まって走ってを繰り返した。65km地点のエイドにマッサージコーナーがあったので、マッサージをしてもらうもあまり効果は出ず。目標ゴールタイムが下方修正されていく。
エイド間が4kmくらいあって、毎回絶望していた。

80km~90km
このあたりから、脚の張りよりも内臓の不快感を気にするようになった。走れなくはないが走ると気持ち悪くなりそうな感じ。歩きも交えるもゆっくりとしか進めない。89km地点のエイドで、お湯をもらって塩を溶かして飲んで10分くらい休憩した。お湯に塩を溶かすというのは、奥熊野で脱水になって歩いていたときに、他のランナーに教えてもらった技。
残りのエイドでもお湯をもらって飲んだ。

90km~
90kmの坂は短くて急なイメージしかなかったけど、思いのほか長くてとぼとぼ歩いてた。そしたら、ほーりーに抜かれた。ずっと孤独走だっただけに嬉しかった。のと、負けるのは嫌だったのでついていった。次のエイドで取材を受けてる彼女を置いて先に出発。ほのまらーに会えて元気が出てきたので、12時間切りを目標に設定しなおした。あとはほーりーに追いつかれないかどうか確認しながら走って、ラストスパートしてゴール。 



まとめ
秋田の13時間という制限時間は決して楽ではないし、全体の完走率も60%を切っていて高いとは言えません。完走しやすい大会ならほかにもっとあると思います。でも、素晴らしい大会であることは間違いないです。秋田に毎年出てるという人がいるのも理由がわかります。

個人的な反省点は自分がどのくらいのタイムで走れるのかわからなかったために前半の設定しかしていなかったという点。絶対に目標を達成するぞ、という気持ちがないとつらくなったときに弱いですね。前半と後半で別々に目標を設定すると、気分が変わっていいのかも。まあ、目標の立て方とか精神的な部分は人それぞれだから、必ずしもこれがいいという方法はなさそうですね。

100kmは、普段走らないような距離だからこそ走ってみないとわからない部分が多く、他の距離にもまして経験が重要になるのだと思います。その分、今回秋田を走った人は何かを得たと思うのでそれを次につなげてほしいなと。また走るもう走らないは個々人が決めることではあるけれども。
それと、これから走ってみたいという人は、この大会録のようなもので少しでもイメージが持てるといいんじゃないですかね。このページがつくられたそもそもの発端も二年前の秋田なので。経験の共有という場としても、大会録がもっと活性化されるといいな、と勝手に思っています。

思いつくままに書いたので役立つ情報は少ないかもしれませんが、えちごくびき野の大会録もかこうと思っているので、秋田はこんなところでおしまいにします。
面白い大会録はまだ書いてない人に期待しましょう

100キロチャレンジマラソン秋田2014(りゅーの)

2014-10-06 01:12:47 | 100キロチャレンジマラソン秋田
100キロチャレンジマラソン秋田 2013/09/28

5km   ×××
10km  ××× (0:56:22)
15km  30:10 (1:26:33)
20km  26:47 (1:53:30)
25km  27:55 (2:21:15)
30km  26:19 (2:47:35)
35km  26:39 (3:14:14)
40km  29:29 (3:43:43)
45km  25:56 (4:09:19)
50km  34:07 (4:43:37) (4:42:16) 中間地点エイド到達 3:34くらい
55km  22:10 (505:47)
60km  25:27 (5:31:15)
65km  26:00 (5:57:16)
70km  25:08 (6:22:24)
75km  26:30 (6:48:36)
80km  29:48 (7:18:44)
85km  30:22 (7:49:06)
90km  31:37 (8:20:44)
91km  6:42
92km  5:40
93km  6:28
94km  6:38
95km  ×××
96km  11:03
97km  4:49
98km  6:23
99km  7:24
100km  4:04 後半 4:37:21
計9:20:58 (@5:14/km)



<出場経緯>

(へωへ)さんとたぬきに拉致られ, 乗せられ, 気づいたらスタートにいた。(半分くらいホント)

合宿明けくらいにA松の足の調子があまり良くなく秋田は難しそうなので, 代走しないかと声をかけられる。始めは冗談半分だったけど, 同期に「行こうよ!」と誘われて少しずつ出場に傾く。

乗せられたのは確かだけど, 出ることを決意できたのは小谷練に参加したり, 距離練の話を聞いたりして100キロ完走を目指す人たちに感化されたってのと, このみんなと一緒に走れたら嬉しいなと思うようになったから。



<練習>
7月:100kmくらい
8月:379.4km
9月(大会前まで):100kmちょい


夏休み前までは, 実験やテストが忙しくて「走る」という概念自体が通常練習と大会以外はない感じ。

合宿で70kmコースに拉致されるとの話だったので, 8月の頭から走りまくって, 合宿は(へωへ)さんとたぬきに拉致られた。意外と楽にほぼ完走できたので結果オーライ。怪我もすることなく, 8月は小谷練に参加したり, 自主練で距離を稼いだ。北海道マラソンで歩くことなくサブスリーも達成。合宿70キロと北海道サブスリーが「行けんじゃね?」という大きな心のよりどころになった。

9月はフルマラソンで膝を少し痛めたのと海外旅行などで前半はほぼ練習皆無。海外旅行からの帰国後の一週間で一気に100キロくらい距離を積んだ。ただ, 休養しすぎたり飛行機に長時間乗ったりしたことで心肺は落ちてるし, 脚は動かないしで絶望した。秋田の一週間前くらいにやっと普通くらいには戻ったかな?って感じ。

直前の一週間は木曜日まで毎日5:30/kmくらいで10キロ。


<準備>
よく膝を痛めるので, とりあえずサポート用にロンタイを購入しに行った。ウルトラ経験者の店員さんと話が進んだ結果, 気づいたらCW-X ジェネレーターモデルを購入。諭吉と英世が飛んでいった…。店員さんにアミノ酸を少し前から摂ることを勧められたので, 月曜から寝る直前にアミノバイタルを飲むようにした。食べ物はお母さんに頼んでご飯を多めに炊いてもらうようにしたくらい。

心の準備としては, 木曜日に自宅で大会録や経験者のブログを読みあさった。ウォーターローディングや休養不足に気づいたり, あの(へωへ)さんたちが絶望しているのを知ったりしてさらにゼツヴォウした。とりあえず水を飲みまくった結果, トイレが近くなり悲しくなった。緊張のピークは金曜日。夕飯を食べるのが久しぶりに大変だった。



<前日>
東京駅に集合してみんなを見たときに後戻りできない感じが感じられて, かなり吹っ切れた。緊張はしているけど普段のレース程度。みんなに軽くいじられつつ楽しんでた。それより, 御嶽山にビビってたw

夜は夕飯を食べまくり2キロ太った。ゼッケンには「豆腐」と書き込み, おっさんとお風呂で浮き輪で遊んだあと21過ぎには就寝。



<当日>
1:30に起床、睡眠時間は少なかったが思ったより寝れたという感じ。
朝食は、おにぎり2つ・アミノバリューの謎のドリンク・ゼリー飲料1本を宿で食べた。思ったよりすんなり食べれた。会場についてからは, 自販機で買ったホットコーヒーとカステラを食べた。頭が重かったので頭痛薬を服用。
服装はいつもの勝負服(Tシャツ, 半パン, アンダーシャツ)+ロンタイ。靴はライトレーサーRS。中間点にはオレンジジュース・ブラックサンダー・ipod・制汗シートを送り, 胃腸薬とアミノバイタル, 頭痛薬をポケットに入れた。

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【start~10km】(56:22)
Mつんさん, O谷さん, Nしさん, (へωへ)さん, K川さんとクリスタルゾーンに並ぶ。O谷さんに「結局後半はつらくなるのだから抑えすぎることはなくても良いんじゃない?」と言われたので5:30切るくらいで走ることを決意してた。あと序盤はK川さんに「一緒に走ってください」とお願いした。

4:30。スタート。まっくらなのに見送ってくれる商店街の方々。出来る限り挨拶を返しつつ走った。体感的には少し速いかなくらいで, K川さんと話しながら走る。周りの人は誰もしゃべっていなかったので, エネルギー使っちゃったらどうしようとか思ってた。5キロくらいでUmiに抜かれた。寒かったので7キロくらいでトイレ(小)に猛烈に行きたくなり, 10キロまではトイレが恋しすぎて死ぬかと思った。エイド1でK川さんとトイレに並んだら, Umiが出てきた。結局, トイレ(大)に切り替えて3分くらいロス。10キロ通過が思ったより遅くてサブテンとか無理だなって思った。



【10km~20km】(56:57)
トイレでK川さんと別れて孤独走。明るくもなり, 調子が乗ってくる。あっという間にエイド2。ただアミノバイタルの摂取に手間取っていたら, たぬきに抜かれた。急いで追いついて並走。そのままエイド3へ, Nしさんがおばちゃんにコミュ力爆発させてたので, コミュ障2人は見なかったことに。
ここら辺から空腹感を感じはじめたので, ご飯2つ, リンゴ2つくらいとドリンクを摂りながら走った

確かここら辺で応援組に出会った気がする。

【20km~30km】(54:14)
エイド4でたぬきと共にトイレ(小)へ。Nしさんが「無視すんな!」って怒りながら追いついてきた。そのまま先に行ってしまったので, 再びたぬきと豆腐の珍道中。

エイド5に先を走っていたK川さん, Nしさんとほぼ同時に到着。アミノバイタル。K川さんはトイレに行ったようなので, 豆腐・たぬきにNしさんを加えた3人で並走を開始。だいたいキロ5:30切るくらい。ぶっちゃけ脚が疲れてきててつらかった。

【30km~40km】(56:08)
2人と話しながらも脚の疲れが気になっていた。あと, 右足首がなぜかかなり痛かった。(ゴール後のマッサージで捻挫と判明。)そのままキツい上りの手前のエイド7に到着。お味噌汁飲んだり, 水をかぶったりしてちょっと長めに3分くらい休んだ。そうしていたら後ろから来たK川さんに抜かれた。

たぬきと一緒に登り始めるも, ペースが合わなそうだったので先行した。登り始めたらフォームが変わったせいか絶好調に。むちゃむちゃ気持ちよくて笑いながら走ってた。登りの真ん中くらいでK川さんを抜いた。

気づいたら登りが終わっていしまって悲しかった。

【40km~50km】(60:03, 中間地点で休憩10:00)
エイド8に到着。初めてゼッケンの豆腐に突っ込まれる。
「なに?豆腐屋さんの息子?」
「いや, 豆腐のように心が弱くて…」
「何言ってんのよw」
このくだりをこのエイドで2回くらいやってよく休んだ。アミノバイタル。その後の下りは右足首に負担が多く結構つらかったもののタイム稼ぎのために無理を押して, キロ5分切るくらいで下った。中間点手前でUmiに出会い, そのまま中間点まで並走。

中間点に到着。応援組の団扇に感動し, 元気が出た。ブラックサンダーが溶けてなくてよかったと思いつつ糖分摂取。胃薬をオレンジジュースで流し込んだ。追いついてきたK川さんにテーピングを借りて, 足首を固定。(今思うと, これが無けりゃ完走できてない気がする。ありがとうございました。)うだうだしていたら, たぬき・Nしさんも到着。トイレ(小)にも行き, 10分くらい休息してしまった。

Umi, たぬきは先にスタートしていた。

【50km~60km】(47:37)
たぬきを早々に抜き, 下りまくる。足首の固定のおかげで格段に走りやすくなって感動した。4:30/kmくらいで走っていた。ちょっと飛ばし過ぎだと思い, 55km過ぎで減速。ここらへんからは日差しが強く, 脱水が怖かったのでエイドの間にある水も飲んだ。60キロ手前でUmiにあった。結構疲れているようだったので, 並走せずに抜いてしまった。

【60km~70km】(53:10)
孤独走が長くなりそうだったので, 秘密兵器ipodを投入。気持ちが軽くなって正解だった。エイド11でも豆腐のくだり。というか, ここらへんからはあれが定番化。そんなこともあり, ここからはエイドでは3分くらい休むようになった。アミノバイタル。

音楽を口ずさみながら走っていたらエイド12に到着。同タイミングでエイドを出るMつんさんが見えた。このエイドはおばちゃんのタマネギ攻撃を断るのに時間がかかった。65キロすぎにMつんさんに追いついた。申し訳ないような気持ちを抱きつつ声をかけた。並走も考えたが, 自分が結構順調であったので抜かせていただいた。この頃は脚がかなり楽だった。俺って凄くね?とかちょっと思った笑

【70km~80km】(56:18)
エイド14までは順調だったのに, その先で一気に苦しくなる。ラジオの電波を探すも, さすが山奥, 見つからない。とりあえずアーティスト変更で気を紛らわせる。アミノバイタル。

なんとかエイド15に到着。トイレ(小)から出てくるとまさかのK川さんに遭遇。自分がそこそこのペースだっただけにちょっと凹む。でも, ここから気を取り直して6時間ぶりくらいのK川さんとの並走を開始。ちょっと気が楽になる。

【80km~90km】(60:10)
エイド16にK川さんとなんとか到着。まるで車の洗車のように四方八方からエアサロをかけてもらっていたら, まさかのUmi登場。K川さんとの逃走劇が始まる。

81キロすぎ, 沿道の女の子がかわいくてK川さんと盛り上がる。途中の水でアミノバイタル。エイド17, 色々食べていたらK川さんに「Umiが来る前に行くぞ!」と急かされる。ここからがかなりキツかった。道もかなり単調で並走してなければ歩いていたと思う。右手に「上杉」の地名を発見したが話題にする元気も起きなかった。後ろを時々振りかえりながら走った。

エイド18, 豆腐メンタル本領発揮。K川さんに先に行ってもらい, Umiとこんにちは。Umiは軽めにエイドを済まして先に行ってしまった。自分はキリンレモン, コーヒーを堪能してから出発。Umiが辛うじて見えるくらい。追いつこうと力を入れた瞬間, 左足がつった。


【90km~100km】(59:46?)
ラスト10kmを切って, 登りも多く辛かった。目標のサブテンは歩いても余裕であったので, 歩いて走っての繰り返し。94キロ過ぎでUmiを一度抜くが, 歩いていたら再び抜かれてついていく元気はなく, 歩きと走りの繰り返し。

99キロ手前でやる気が湧いたので, もう止まらないことを決意。頭の中で数をゆっくり数えながらひたすら脚を動かした。商店街を爆走し, 角を曲がるとささみちゃんが沿道で走ってくれているのが見えて歓喜。コリノリモちゃんの写真にピースをしてからもう一回ギアチェンジ。ラストスパートの瞬間, 沿道から「おぉっ!」って声が聞こえて嬉しかった。そのままゴール。サブスリーと違って涙は出なかった。

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<感想>
とりあえず市民ランナーグランドスラムのひとつであるサブテンという目標を達成できたので安堵した。正直, 走った直後は思ったよりも感動もなく, レース自体は楽しかったがタイムを追い求めて何度も出るというのはしなくて良いかなという感じ。辛さも雨の佐倉のほうが上だった笑。

時間が経ってからの感想としては, とりあえずK川さんとUmiに負けたのが悔しい。フルで雪辱を晴らします。100キロのレースに関しては, 進んで出ることはしなくとももっと時間が経過してから機会があれば出ても良いかなという感じ。

自分自身のレースに関する感想はこれくらい。

今回の100キロ, 直前のノリで参加したと行っても過言でないように人がこのようなことを言っても軽い言葉に聞こえるかもしれないが, 参加した全員が全員思うような結果にならなかったことが一番悔しい。

結果が出なくても努力は何かにつながるということを考えてしまいがちな人間であったが, 「そうじゃない」と言われたときに自分はそれに対して何も声をかけることが出来ないような気がして非常に考えさせられた。

たしかに「そうじゃない」かもしれないけれど, 目標に向かって努力を重ねていた姿, そしてそのことをとっても楽しんでいた姿を僕は心の底から尊敬しております。そして, その姿が僕の勇気になりました。ありがとうございました。

最後にくだらないことを書いてしまいましたが, 出走にあたり弱腰の僕を引っ張りだし相談にも乗っていただいた先輩方や同期, わざわざ早起きして走る元気をくれた応援組の二人, そして一緒に走った方々に心から感謝しておりますす。



秋田100キロとっても良い大会でした。

スパルタスロン 2014

2014-10-03 11:47:23 | スパルタスロン
これから走る人のために簡単なレース記録。

歴史あふれるウルトラマラソンワールドクラシックのひとつ。その暑さと前半の関門の厳しさで有名なレース。
紀元前のアテネからスパルタに送られた伝令と同じ道を辿り、36時間以内246,8kmを走る。
出場資格はそれほど厳しくはない一方で、世界中から有名ランナーが集まるという類稀なイベント。

いままで走ったレースのなかでコストパフォーマンス最高、間違いなく5つ星。出場資格のある人なら、少しくらい無理をしても挑戦してみることをオススメする。でもリタイヤしてもいいやという出場の仕方は僕は好きではありませんが。


3ヶ月前ーギリシャ
大抵いつものトレーニング距離は月200kmくらい。ほぼスロージョグ。ペースは4:45くらい。
8月から焦りを覚えはじめ距離走開始。ここからレースまで週末のどちらか片方は50km, 75km, 50km, 45km, 40km, 30kmと走った。

ギリシャーレース
前日朝5km程度ジョグ。その後はごろごろ。
9時就寝、5時半起床。ご飯は特に気にせず、あるものを少し多めに食べる程度。ワセリン、足クリームを塗ってスーパーヴァームを飲んでホテル出発。
水ペットボトル、小雨が降っていたのでカッパを持って行った。

装備
靴はソーティートレーナー。薄いのが好みです。5本指ソックス。
白いTシャツにCWXプロのロングタイツ、半ズボン、頭にはタオル。いつものスタイル。ゼッケンは着替えを考えてタスキに固定。
腰回りはノースフェースのウェストポーチ、500mlのボトルが入るもの。
サプリはウィグライプロ、アミノダイレクトを1時間ごとに交互に摂取。40kmごと4袋づつおいておいた。
ドリンクは序盤は水、40km過ぎあたりから日が沈むまではヴァームウォーター粉を少し薄めに溶かして飲んでいた。これも40kmごとに数袋ずつおいた。
あとはワセリン、塩錠、胃薬、痛止も40kmごと。
食べ物は40kmごとにおかゆとお茶漬けを用意。

0-40km
小雨はすぐにあがったものの、雲が多く、気温はそれほど高くない。おそらく20度中盤くらい。5:00/km弱で走る。途中でIvanを見つけイタリア勢としばらく並走。バナナは食べる気にならず、代わりにリンゴを取りながら走る。フルマラソン地点のスイカが美味しかった。

40-80km
通り雨の後、気温上昇。擦れ、豆などができなかったのは何よりの救い。街で見た掲示板は31℃。とにかく過剰摂取気味に水分をとるとともに頭のタオルに水を含ませながら走る。60kmくらいから少しずつペースが落ちはじめ5:30/km程度に。このあたりでイタリア勢に置いて行かれた。とともに少しずつお腹が不調に。人生で初めてレース中に胃薬を使う。薬を使うことに少し罪悪感。80kmのCP, コリントスを出発したのが大体7h30mくらい。

80ー120km
我慢の時間。お腹が気持ち悪く、数kmごとにトイレに駆け込む。気温も高くまだ水分摂取も必要な上、腐ったぶどうの匂いでさらに気持ち悪さに拍車がかかる。走るペースは6:00/km以下を維持しているものの、トイレが多く、タイムが縮まらない。一番苦しかった区間。結構きつい上りもあったが100kmは9h30m, 120kmは11h45m程度だったと思う。
エイドではコーラ、蜂蜜ブレッド、クラッカーあたりをここから最後までずっと食べ続けた。意外に全て美味しいし、それほど食べづらくもない。120kmではおかゆに加えてピラフも食べた。ライト、ウィンドブレーカー受け取り。着替え。股擦れが来はじめたので、ここから定期的にワセリンを塗布。

120ー150km
日が暮れると、水分摂取が減り、お腹の調子も徐々に回復。序盤にダート道があるが、もう20m早く走っていれば明るいうちに通過できたのに残念。150kmくらいのCPエイドまでは6:00/km以下のペースを維持。15h程度で到着。ライト使用。

150ー170km
サンガス山登り。それほど急ではないが、ずっと上り。このあたりが眠さのピーク。山のふもとに来たところで、ついに歩きが入ってしまうようになった。山頂前の2kmは普通の登山、走れません。山頂ではコーヒーをもらった。山頂を抜けたところで、風が強くなり、体温が低下。加えて岩のごろごろした下り道。スピードも出せない。ここが寒さ、足裏的に一番辛かった。

170-190km
平地に戻ったものの、下りで足が持って行かれており、ときどき歩きが入ってしまうようになった。星がきれいだった。寒かった気がする。スパルタの表示が出始めるものの、峠超えのため後半はずっと坂。ずっと歩き。ウィンドブレーカー使用。

190ー220km
半分くらい歩いてしまった。24hで207km程度。30h切りを意識する。夜明け後、しばらくは気温も低い。ずっと後ろにおいて来たはずのギリシャ人を見て、さくら道のこれだから若いもんはおじさんを思い出す。その後は、ペースは遅いものの基本的にきつい上り以外は走り続ける。ライト、ウィンドブレーカー返却。

220ー240km
次で最後の坂と思うこと3回、ついにスパルタの街が眼下に見えた。坂の上りは全部歩いた。気温も大分上がって来たが、お腹の締めつけが怖かったためボトルには水を入れず、エイドだけの補給。29h切りも見えたが、既に自分の心は30h切りで満足してしまっていた。足の筋肉は当たり前だがパンパン、そろそろつりそうだったので、塩錠をラスト20kmで摂取。


240ー250km
ゴールを想像しながら、レースの楽しさを噛み締めながら走った。最後のストレートに来たときには高揚感で自然とペースがあがり、全力疾走してしまった。角を曲がってゴールにたどり着くまでのあの30秒程度、本当に幸せだった。


小川直哉