hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

高輪・三田周辺の坂道(2)

2016-02-29 05:00:51 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その69。前回に続き高輪・三田の坂道を歩く。天神坂から元の伊皿子交差点まで戻り、左に曲がる。交差点が最も高い位置にあり、ここからは下り坂となるが、これが『魚藍坂』(ぎょらんざか)である。広くて長い坂だが、この由来は坂の途中にある魚藍寺に祀られている魚藍観音からきている。


因みに魚藍観音は魚の入った魚藍、つまり魚用の籠(びく)をさげている観音様で、早川駅周辺を散歩した際に大きな魚藍観音を見つけた。

坂をしばらく降り、右に曲がるととても高輪とは思えない静かな細道に出る。上り坂ではあるが、名前はない。その先には御田(みた)小学校がある。同じ三田でもこう書くのもあるようだ。



まっすぐ行くと坂の途中にぶつかるが、この細長い坂道が『幽霊坂』である。この坂は両側の塀が高いため見通しが悪い。やはり名前の由来も寺社が両側に並び寂しい場所のために付けられたようである。


坂を下りると国道1号線にでるが、これを右折する。この辺りにもお寺が並び、ケイヨーデーツーを右に普連土学園に向かう坂道が『蛇坂』となる。

この坂は途中で左に曲がるのでグネグネしているからかと思ったが、案内板によると藪から蛇が出ることがあったために名前がついたらしい。


その先は道が狭くなるがそのまま行くと『安全寺坂』となる。これは坂の西側に『安全寺』があったため。

周辺には寺とともに墓地も多く、今も静かな場所である。


一旦、少し戻り普連土学園の前を通り先に行くと前方に下り坂。これが『潮見坂』である。富士見坂と潮見坂は江戸の坂には多く付けられた名前だが、今は目の前にはマンションも立ち、さらに埋立もされているので残念ながら海は見えない。(以下、次回)

日本橋玉ゐ COREDO室町店~日本橋ランチグルメ

2016-02-28 05:00:30 | グルメ

日本橋も再開発が進み、日本橋交差点周辺は新たなビルが林立し始めている。そんな中で高島屋東京店の裏に穴子の箱めしで有名な『玉ゐ』が昔ながらの店を何とか維持している。何とかというのはすぐそばまで再開発の波がやってきており、うなぎの美国屋や山本海苔店本店などは仮店舗で営業中だからだ。

穴子の箱めしは箱に穴子をびっしり敷き詰め、甘いタレを掛けたうな重のような仕様だが、穴子の場合は焼いたものと蒸したものがある。しかし、2980円とサラリーマンのランチには高過ぎるのが『玉にきず』である。

ところが、新たにCOREDO室町2のB1に玉ゐの店が入り、お得なランチがあることを知って、今日はこちらにお邪魔した。ランチは1000円で箱めしに錦糸卵とメソ(少し小さめの穴子)の蒸したものが乗ってタレがかかっている。これを迷わず注文するが、大盛にして(無料)、さらにお茶漬け用の出汁(200円)を追加する。

待つこと5分、箱めしが到着。確かに箱の中にはタレのついた穴子が1本、周りには錦糸卵。さらにお茶漬け用の薬味と漬物、味噌汁が付いたセットである。

まずはそのまま頂く。フワッとした穴子にゴマや大葉などが混ぜられたご飯がよく合う。あっさりはしているが、穴子の風味があり、かなり美味い。あっと言う間に3分の2くらい食べたあと、出汁をお願いする。


出汁は熱々が鉄瓶で登場。ネギと山葵、ゴマを掛け、出汁を注ぎ食べるが、サラサラと幾らでも食べられる。これもあっという間に完食、江戸前の味、ご馳走様でした。さすが日本橋だけに隣の老婦人は2980円の箱めし、御飯少なめとのオーダー、いや羨ましい限りでした。


日本橋玉ゐ COREDO室町2店
中央区日本橋室町2ー3ー1
0362623125

高輪、三田周辺の坂道(1)

2016-02-27 05:00:44 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その68。今回は高輪~三田にかけて坂を巡りたい。

起点は都営浅草線泉岳寺駅、下車して第一京浜と反対側、泉岳寺の方に坂を上って行くと道が左右に分かれるが、泉岳寺ではなく、右に曲がっていく。


幸福の科学の東京正心舘という大きな建物の前を通ると今度は坂が左に曲がっていくが、この坂道が『伊皿子坂』。


これは『いさらご』通ると読むが、日本語とは思えない。それもそのはずで坂の名前の由来は明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたからと伝わる。(他にも諸説あり。)

頂上のマンションの前には東京歯科大学が設置した『歯科医学教育発祥の地』の石碑がある。これは1890年高山紀斎が東京歯科大学の元となった高山歯科医学院をこの地に設立したのを記念したものである。

この伊皿子坂交差点を左に曲がると右手に鬱蒼とした森のようなものが見えてくるが、これが高松宮邸である。

その先の都営住宅の入口には大石良雄自刃の碑、確かに泉岳寺から近い。


その先に東海大学高輪台高校が見えてくるが、これを右に曲がると『天神坂』となる。これは昔、坂の南側に菅原道眞の祠があったからと言われている。坂を下りると国道1号線にぶつかる。
この辺りには古くからの餅菓子屋や医院など懐かしい建物と新しく建築されたマンションが入り混じった新旧同居の街並みが面白い。

(以下、次回)

神田須田町1丁目

2016-02-26 05:00:32 | 日記

『神田をぶらり』その5。今回は神田須田町1丁目界隈を歩いてみる。神田須田町は今でこそ秋葉原と神田の間ある交差点くらいにしか認識されていないが、昭和30~40年代の都電の交通網が全盛だった時期は始発の系統が5系統(10~渋谷駅、20~江戸川橋、24~福神橋、29~葛西橋、30~寺島町1丁目)、通過する路線が4系統合計9系統(都電全体では41系統あった)の路線が走っており、今で言えば『地下鉄の大手町』のような存在であった。当時の落語の枕に『おまえぐれいの馬鹿は少しばかりの馬鹿じゃないな。慢性(万世)の馬鹿だね』『あはぁ、その先は須田町だ。』なんていうのもあった位である。

特に須田町1丁目にはかつて万世橋駅のがあり、一部には太平洋戦争では焼け残り、昔ながらの老舗が軒を連ねている。靖国通り沿いの『まつや』(蕎麦)は知る人ぞ知る老舗で、今も必ず大晦日の年越し蕎麦で賑わう風景がテレビ中継される。



一本中に入ると『いせ源』(あんこう鍋)と『ぼたん』(イノシシ鍋)が軒を連ねているが、その看板は若い人には読みづらいだろう。

いせ源の前には本物のあんこうですと氷に冷やされたあんこうが置いてある。


その向かい側には『竹邑』(甘味処)がある。中に入るとふつうの店だが、名物の揚げまんじゅうは美味い。

更に路地を行くと『藪蕎麦』(蕎麦)、この店も老舗でかつては風格のある建物であり、戦火や大震災は耐えたが、残念ながら失火で数年前に全焼し、新たに建てられたもの。これだけ明治村のように残されている場所も珍しく、一番神田らしい場所なのかもしれない。

その先には古い煉瓦造りのガードがあり、万世橋駅→交通博物館→再開発ビルとなったあたりである。

須田町交差点にも古いビルがある。靖国通りの反対側にある(ここは神田多町になるが、)栄屋ミルクホールもノスタルジックな風景を残している。

この店はミルクホールというが、昔ながらの中華そばの人気があるとか、一度訪れてみたいもんだ。

板蕎麦 香り家~恵比寿ランチグルメ

2016-02-25 05:00:50 | グルメ

山種美術館へ若冲を見に行く前に腹ごしらえと恵比寿の『板蕎麦 香り家』にランチを食べに行く。恵比寿駅は駅ビルが出来てからわかりにくい。迷いながらも東口で降りてみずほの支店を右に曲がるとすぐ右側に店はある。

ビルの1階だが店内は古民家風、しかし流れる曲はジャズとミスマッチなところがいい。従業員は皆若いが中々気がきくし、愛想も良い。まあ、この辺りの店はそうでないと生き残れないのかも。

注文は小生は『鴨南蛮』(1080円)、妻は『おためし蕎麦切り』(850円)を注文。すると冷たい蕎麦は太いのと細いのどちらにするかと聞かれ、さらに太いのはかなり太いといわれ、細い方にする。

5分ほどで鴨南蛮が到着。大ぶりの丼に焼きねぎが3切れ、鴨が4切れ乗っている。薬味も七味と山椒があるのが嬉しい。もちろん、小生は山椒をかけていただく。蕎麦は色の濃い田舎蕎麦風だが、太さも丁度よく、噛み応えがある。汁も鴨の出汁がよく効いて、また、特に焼きねぎも鴨肉もジューシーで美味い。

その後、板に乗った妻の冷たい蕎麦が到着。これも田舎蕎麦、お試しなので胡桃だれとふつうのつけダレが付いてくる。小生も胡桃だれを一口食べさせてもらうが、麺はシコシコ、しかし硬すぎず、また胡桃だれが美味い。同じ胡桃だれでもうちにある瓶のやつとは大違いだ。

ランチに無料で付いてくる柚子風味の鶏めしも焦げが入っていて香ばしく美味い。12時になるとみるみる混みだすが、蕎麦屋だから回転はいい。もちろん、昼から日本酒をガンガン飲んでいる女性2人連れもいるが。傍目で羨ましがっているが。

メニューにはつまみも卵焼きや蕎麦味噌、日本酒も九平次や澤乃井など中々のラインナップ。次は夕方にきたいものである。旨し、旨し。


板蕎麦 香り家
渋谷区恵比寿4ー3ー10
0334498498

神田紺屋町、神田北乗物町、神田東紺屋町

2016-02-24 05:00:23 | 日記

『神田をぶらり』その4。前回の神田西福田町のお隣にある紺屋町から歩く。実はこの町は珍しく北と南の2つに町が分けられ、間に神田北乗物町が位置する珍しいサンドイッチ構造となっている。


昭和通り側から歩き始めるとすぐに『紺屋町整骨院』が見え、この辺りからが紺屋町(南部)となる。最初の頃の紺屋町は南側だけだったが、江戸時代初期に周辺で火事が多く発生していたため、紺屋町の南側が火除け地に指定され、住民を北乗物町の北側に移住させたので南北分断されたもの。


町内会も紺屋町南部・北部と2つに分かれている。紺屋町は慶長年間に家康から軍功により関東地方の藍の買付を許された紺屋頭土屋五郎左衛門が支配し、五郎左衛門配下の染物職人が多数住んでいたため、この名前になった。


その北側にあるのが神田北乗物町。町名にある『乗物』に関しては、駕籠を作る職人が住んでいたとか、祭りの神輿を作る職人が住んでいた、駕籠を担ぐ人が住んでいた、馬具を作る職人がいたなど諸説あるが、いずれも江戸時代の庶民の生活に密着した名前である。因みに案内板には戦前までは南乗物町もあったとの記述があった。

周辺には化学薬品や医療品の問屋、小さな工房など並んでいるが、その中の小さな工場に昔ながらのホーローの町名案内板を発見、しかもその案内板に旧字の『乘』の字があった。

北乗物町の隣にはまた紺屋町(北部)があり、興産信用金庫の本所などがある。


その向かい側に三角の形をした小さな町があるが、これが神田東紺屋町。昭和通りに面する方にはメナードの支社、反対側にはホテルがあるが、あとは中小ビルばかり。小さな面積だが、昭和通りの歩道橋にもその名前がある。

その中に一軒だけ『野村利雄商店』という看板作りの昭和初期に造られたであろう建物。今もネジ屋さんをやられているようだが、看板には大きく『神田東紺屋町27番地』と書かれていたのが印象的であった。


第39回せたがや梅まつり

2016-02-23 05:00:43 | 日記

ようやく暖かい日も出てきて通勤途上でも白梅や紅梅が鮮やかに咲いているのをみて、思い切ってというほどでもないが羽根木公園を訪ねてみる。

羽根木公園には一般的には小田急線梅ケ丘駅から行くのだろうが、井の頭線東松原駅からもそれほど遠くない。駅を降りてだらだらと坂を下るが、周辺の商店街には梅まつりの幟がはためいている。

その先を左に行くと羽根木公園の北側の入口に辿り着くが、そこには第39回せたがや梅まつりの看板と案内図が出ている。催し物まである大規模な祭りとは、意外に大きなイベントらしい。公園内の少年野球場を越えて梅園に向かう。途中フリマなどには人だかり、その先には紅白の梅が見え始める。

梅園部分は少し法面となっていて加賀白や南高梅など色々な種類の梅が咲いており、一部に3~4分咲きのものもあるが、日当たりの良い場所のものはほぼ満開と見頃である。


また、紅白以外にも黄色い蝋梅やピンクの梅もあり、桜と異なり枝ぶりを楽しんだり、匂いを嗅いだりとゆっくり見て回ることができる。特に美しいのは白い梅の後ろに紅梅やピンクの梅が咲く場面で皆写真撮影をしている。


若い人から老人まで、ベンチに座るもの、写真を撮るもの、梅見で呑んでいるもの、色々な人がいるが、皆少し暖かくなったことを愉しんでいる。

賑わっているのは出店をしている園芸業者、3つ200円のパンジーから1鉢8万円の盆栽まで手広く商売しているが、梅を見るとついつい自宅にも欲しくなるのかレジに列ができるほど。また、綿あめや焼き鳥を売るのも周辺の商店会でリーズナブル、小生もついつい『梅かりんとう』を試食した上で買ってしまった。


少し酸っぱく、少し塩味がして、パリパリのザラメのついたかりんとうは美味い。なお、この祭りは3月6日までやっているとのこと、天気に恵まれたら是非味を伸ばしてもらいたい。

地下鉄線間の乗換えかた指南

2016-02-22 05:00:01 | 日記

鉄道シリーズ128。前回の地下鉄の話では、いかに東京の地下鉄網と私鉄・JRがうまく連携が取れているかを述べたが、逆に今回は地下鉄線同士の連絡が組み合わせの悪いものが結構多いという話。また、それに加えて駅名が違うため、駅が近くても気がつかない駅同士もあるとの話もしてみたい。
その例として、東京メトロの半蔵門線と日比谷線を考える。確かに北千住駅では乗り換えられる(但し、半蔵門線は乗り入れている東武線)が、他に乗り換えるようとしても他の路線を介した乗り換えしかない。(日比谷線霞ヶ関→千代田線→半蔵門線大手町)しかし、実は半蔵門線水天宮前駅と日比谷線人形町駅は出口の近いところは100mもない距離字がなく、同じ東京メトロなのになんであと少し掘り進まなかったのだろうと思うくらい近い。

同様に有楽町線と丸ノ内線は池袋では乗り換えできるが、他に乗り換えるには『南北線の後楽園~飯田橋』を使わないと乗り換えが利かない。しかし、先ほどと同様に有楽町駅と銀座駅はすぐそばにある。

ほかにも都営新宿線岩本町駅と日比谷線秋葉原駅、都営新宿線馬喰横山駅と日比谷線東日本橋駅、都営三田線白山駅と南北線東大前駅・丸ノ内線本郷三丁目駅、丸ノ内線後楽園駅と都営三田線春日駅、有楽町線永田町駅と丸ノ内線赤坂見附駅など結構駅名は違うがそばにある駅の組み合わせは多い。

また、地下鉄とJRの駅名が違う例としてはJR田町駅と都営三田線の三田駅、JR浜松町駅と都営浅草線や大江戸線の大門駅、JR原宿駅と千代田線・副都心線明治神宮前駅などあり、知らないと不便をする。

一方、同じ名前の地下鉄の駅でも地下で乗換えが利かない駅は都営大江戸線に多く、本郷三丁目駅での丸ノ内線との乗換え、蔵前駅での都営浅草線との乗換えなどは一旦地上に出て、外を歩き、さらに地下に戻らないと乗り換えられない。

東京メトロや都営地下鉄は便利な乗り換え方をもっとPRし、また副駅名を使うなどして、外国人や地方から来た人にももっと優しい東京を目指してもらいたいものだ。

つけそば周庵~神田ランチグルメ

2016-02-21 05:00:05 | グルメ

今日は虎ノ門のそばの名店『港や』をインスパイアしたつけそばを神田駅近くまで食べに行く。『港や』は弘兼憲史作の漫画『社長島耕作』でも有名な蕎麦屋であるが、その部類の店を発見。

場所は神田駅南口から少し歩いた所にあり、店名は『つけそば 周庵』。店は黒を基調とした大きなテーブルが3つあり、少し高めの椅子が各テーブルに6つ程度、夜は居酒屋として営業しているようである。券売機で食券を買うところは立ち食いそば風だがちゃんと女性店員がいて運んでくれる。

肉つけそば(冷)と鳥つけそば(温)、ざるそばの3種類がメニュー。少し寒いので鳥つけそば(温・780円)を大盛(無料)お願いする。まだ、早く小生のみだったので5分くらいで蕎麦は運ばれてくる。

蕎麦は丼に盛られ、多めに刻み海苔、胡麻が振られている。つけ汁は少しラー油が浮いていて中には鳥とネギが入っている。また、テーブルには七味、マヨネーズなどの調味料、ネギ、生卵、揚げ玉が置いてあり、かけ放題である。

まずは何も加えずそばをほぐし、つけ汁に入れて食べる。蕎麦はやや太めの田舎蕎麦だが、コシがあって中々美味い。

ただ、すするとラー油でむせてしまうが。鳥も中に5片くらい入っている。これを食べながら蕎麦をたぐるが、量も多め。途中で生卵を落として食べると良いだろうが、小生は生卵が苦手のため、ネギと揚げ玉を入れて食べ進め、最後は少しつけ汁が薄くなったが、美味かった。本家の港やには行ったことはないが、いやこれは食べ応えあり。

最後につけ汁をそば湯で割って飲み、ご馳走様でした。

つけそば周庵
千代田区神田富山町24ー11
0366707381

シュークリー

2016-02-20 05:00:23 | グルメ

人形町を歩いていると店の前に列ができている光景に出くわす。それが毎日見ることができるのは『玉ひで』の親子丼(~これは11時頃から)、『魚久』の粕漬の切り落とし(~これは8時頃から)、『清壽軒』のどら焼き(~9時頃から)。これとともに1日9時半、12時、17時の3回列ができるのが『シュークリー』という洋菓子店である。

場所は日本橋小学校の近く、名物はその名前の通りシュークリームである。この店の前を通ると列が出来ているか、『本日のシュークリームは完売致しました』の看板が出ているかいずれかである。しかし、昨日17時20分頃に店の前を通ると『シュークリームあります』の看板がある。思わず2個(1個260円、税込)を購入した。

家に帰って包みを開けると黒と白の胡麻がシューにかかっており、硬いサクサクとした食感。食べると胡麻が香ばしい。中身のクリームは生クリームとカスタードクリームが混ぜたもので軽く、やや甘口である。

結構サイズも大きく、中のクリームもたっぷり、これはお値打ちである。たっぷり入っているから裏返して食べないと穴からクリームが出てきて不始末を起こしてしまいそうな位。

この店はシュークリームのランキングでは必ず上位に入るが、食べると実感できる。佐藤均シェフが2008年に開業した店だが、大繁盛しており、神田にも支店があるらしい。人形町にお見えの節に時間があれば是非ご賞味いただきたい。その場合は売り出し10分程度前に並ばれることを推奨したい。列がなく、次の看板がある時は残念ということになる。


シュークリー
中央区日本橋人形町1ー5ー5
0356513123