hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

特別展『はにわ』で埴輪を堪能する②

2024-11-04 05:00:00 | 日記
『特別展はにわ』はさらに精巧な埴輪画並ぶ。まずは家形埴輪だが、造りが複雑で高床式倉庫を左右に配し、真ん中に大きな母屋を持った豪邸とも言うべき埴輪が並ぶ。

さらに埋葬された王が海で勢力を高めたのだろうか、立派な船が幾つも展示されている。





両側に6本ずつの櫂を備えた船、さらに多くの設備を備え、高貴な人に差し掛けた蓋(きぬがさ)まで備えた大型船もある。



馬の埴輪も立派な鞍と立髪飾りを施した、祭の際に着飾った馬、旗を立てた馬など珍しい展示もあった。私が馬の埴輪というと旧65円普通切手の図案に使われた馬のみである。スタイルのよい挂甲の武人も展示されている。



埴輪は素焼き土器のみと考えていたが、実は石で作られた『石人』という埴輪もある。




これは主に九州の古墳から掘り出されたのであるが、大きさも大きく、どのようにして運んだのかすら疑問を持つサイズのものであった。





既に何体か武人が飾られていたが、今回の展覧会での目玉として『5体の挂甲の武人集合』がある。これはいずれも6世紀に作られた甲冑で身を固めた武人の埴輪のことで群馬県太田市飯塚で出土した。武人は太刀や弓をもち、矢を収めた靱(ゆき)を背中に背負っている。今はアメリカを含めた5か所で大切に保管されていて特に精巧に作られている1体が1974年に国宝にしていされている。(国立博物館蔵)



さらにこの国立博物館蔵の表面に塗られていた彩色を復元した蔵(模像)も展示してあったが、白と灰色、赤で鮮やかな姿であった。





色々なユーモラスな顔をした人物埴輪やひざまづく男子、色々な形をした家形埴輪などが並べられ、村落を表していたことがわかる。


さらに色々な動物〜牛、小馬、猪、鹿、犬、羽を広げた鳥、魚を咥えた鵜などもある。





6世紀後半に前方後円墳が作られなくなると埴輪も製造されなくなるのだが、一般の人の埴輪はない。儀式に出る人々が殆どである。



但し、古墳時代の最後期に関東のみで作られていたという『子供を背負う埴輪』『乳を子に与える母の埴輪』『親鳥に乗った雛』といった微笑ましく、珍しい展示も目を惹いた。

とにかく今回の展覧会を見て、自らが持っていた埴輪の知識がいかに貧しいものであったのかを実感。これだけのバリエーションがあり、さらにこれらを知ることにより文字がない時代の人々がどのような服装でいたのかということを知ることができる唯一の遺産であること実感。これから古墳を回る際にさらに埴輪に関しても調べることにしたい。






特別展『はにわ』で埴輪を堪能する①

2024-11-02 05:00:00 | 日記
上野にある東京国立博物館にて開催中の『特別展はにわ』に行く。12月8日まで平成館で開催中なのだが、これほどたくさんの埴輪を見たこともなかったが、これほど埴輪が人気があるとは知らなかった。まあ、国立博物館で開催するから埴輪を見にくる人も多い訳であろう。例えば2年前の夏休み期間にさきたま史跡の博物館(行田市)でもたくさんの埴輪が展示されていたが、我々のみしか埴輪を見る人はいなかったのだが。



(県立さいたま史跡の博物館)

ところで『埴輪とは何か』と聞かれると悩んでしまうのだが、すぐ頭に浮かぶのは素焼きでできた宮崎県のお土産などにある口を開いて右手を挙げ、左手を下げた土器と思ってしまうのだが、それは埴輪のほんの一部。



埴輪とは古墳時代に作られた素焼き土器で2つに分類される。一つが円筒型のもので墳丘を取り囲むように一列に並べられた。もう一つが形象埴輪で人物埴輪・動物埴輪・器材埴輪・家形埴輪などに分類され、先ほど申し上げたのは人物埴輪の一部である。

会場に入るとその『踊る人々』と名付けられた埴輪が2つお出迎え。熊谷の野原古墳で出土したもの。誰もが知る埴輪だが、これを見て普通は踊っているように見える。しかし、近年この埴輪の後ろに動物埴輪の馬が置かれていて、左の挙げた手はその喰みから繋がる縄を持っているのではないかという説が有力視されている。




次のコーナーには王の登場と題して東大寺古墳などで見つかった『金象嵌銘太刀(国宝)』『画文帯同向式神獣鏡(国宝)』などが並び、当時の王の権力を表すものの展示が続くが、埴輪でないため急いで鑑賞する。



大王の埴輪のコーナーには古墳の周りに埋めた円筒埴輪が並んでいる。円筒埴輪はせいぜい50cmくらいのものかと思っていたが、2mを超える大きさのものが展示されていてびっくり。どんな窯で焼いたのだろうか?



さらに大王と思われる古墳の副葬品として『盾型埴輪』『水鳥型埴輪』『犬型埴輪』『馬型埴輪』など死者の日常にあったものを埴輪にして周りに置いたと思われるものが次々と並んでいる。



特に『埴輪女子』『水鳥型埴輪』『犬型埴輪』『馬型埴輪』などは堺市の大仙陵(仁徳天皇陵)から出土したもので興味深く鑑賞した。

大王と共に埋葬されていたのは人物埴輪もある。その中で『挂甲の武人』と呼ばれる甲冑を纏った武人の姿をした埴輪や二層建の家形埴輪、『天冠を付けた男子』と名付けられた埴輪など高度な細工をされた埴輪が多く出品されていた。

天冠を付けた男子に至っては冠だけでなく、顔に施された入墨(化粧)、胡座をかいた足の様子など素晴らしい造作力に目を奪われた。因みにこれらは継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳からの出土である。(以下、次回)


第18回人形市をひやかす

2024-11-01 05:00:00 | 日記
人形町の恒例行事である第18回人形市が始まった(10月30日〜11月2日)。朝、水天宮前駅で地上に出ると青いシートがかかった露店が水天宮前交差点から人形町交差点までの間に所狭しと店を開く準備をしている。



人形町は江戸時代に歌舞伎の中村座・市村座、薩摩浄瑠璃の薩摩座、人形芝居の結城座など芝居小屋が多く並び、人形細工の職人や人形使いが多くいたために人形町と名付けられたとされている。



商店街では街の由来である人形とよりかかわりたいと平成16年より毎年人形市を開催している。



露店の数は47、出店しているのは様々な団体で趣味が高じた人形作りが好きなサークルの人から東玉・吉徳大光・久月と言った老舗人形店までバラバラ。


また、販売しているものも、雛人形・五月人形の片割れや道具、ジュモーの人形のような大きな物、繭玉人形や小さな動物人形、指人形、材質もガラス、縮緬、土、布、毛糸など様々である。



来年の干支である蛇を模ったものがあるが、うさぎや虎などに比べると可愛く作るのが難しいか少なく、昨年はたつの起き上がり小法師を買ったのだが、適当なものがなかった。

人気があるのは手作りの小型の人形で人集りするところは決まっている。ただ、やる気のない店主は声を掛けても中々こちらに来ない。この辺りは普段から露天商をやっているせともの市とは訳が違う。



人形町周辺はべったら市が終わると人形市、そして12月の歳の市と続き、今年も暮れ、寒くなって行くのである。







浜松町のポートデッキを歩く

2024-10-31 05:00:00 | 日記
浜松町駅を降りて竹芝駅方向に歩くと新しくできた歩行者デッキに気づく。これは周辺の再開発に合わせて作られた空中デッキで『ポートデッキ』の名付けられ、約15mの高さがある。階段はもちろん、エスカレーターやエレベーターも備えられていてもちろん無料で通行できる。


浜松町駅近くから登ると2階で汐留方向に、また3階で竹芝方向に行くことができる。3階で降りて駅の方向を見るとついこの間まであった貿易センタービル跡やモノレールの浜松町駅が目の前にある。さらにその先にはかなり大きな東京タワー、夕陽が後ろを通る。

竹芝方向に歩き出すが、単なる歩道橋ではなく、屋根も完備していてその途中にはデジタルサイネージが何列にも備えられている。今は伊豆七島のCMが流れていた。

右手には旧芝離宮恩賜庭園の全景を眺めることができる。旧芝離宮恩賜庭園は小田原藩大久保忠朝上屋敷の庭園寿楽園が始まり。清水家、紀伊藩を経て1871年に有栖川宮の屋敷となり、1875年以降は宮内省に収められた。

回遊式潮入林泉で大きな石組みはないものの、見事な配置により作られた江戸時代の名園の一つであったが、関東大震災で主な建物は焼失した。その後、庭園は再興され1924年に東京市に下賜され、一般公開されている。



次に左手を見るとゆりかもめの高架の線路、さらに首都高速道路環状線の上を跨ぐ。浜崎橋JTのすぐ手前あたりだが、下を通る車の列を見ることができる。



海岸通りを越えると東京都立産業貿易センターが右手に現れる。ソフトバンクなども入っている再開発ビルで展示会が開催されている。向かい側は都立芝商業高校、さらにその向こうには劇団四季の劇場春・秋が見える。東京ポートシティを経由してゆりかもめの竹芝駅までを結んでいた。



とにかく、渡っている人の中でサラリーマンは多いが、周りの風景を写メに、また写真に納める外国人の姿が目につく。美しい庭園、東京タワー、モノレール、ゆりかもめ、高速道路などを無料でまた、それほど歩くことなく見ることができるのだから、東京観光の際に寄るにはちょうど良い。駅近くでずっーと新幹線と東京タワーの写真を撮っている若い外国人女性の姿が目に残った。






『久我山歳時記』(51)〜霜降、まだまだ暦に比べて暖かい

2024-10-24 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』(51)。秋分から約1ヶ月、今年は暑さが抜けず、10月19日は最高気温30.1℃と真夏日となった。人間は暦に従い、衣服を決め、クールビスなども行なっている。しかし、これを嘲笑うような今年の陽気だったが、ついに20日は最高気温22.7℃と大幅に下がった。



10月24日は霜降、字の通り朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降り始めるという時期で、次はもう立冬となる。

さらに細かい七十二侯では霜始降(しもはじめてふる、〜10月27日)、霎時施(こさめorしぐれときどきふる、〜11月1日)、楓蔦黄(もみじつたきばむ、〜10月6日)となる。北国からは初冠雪の話題をテレビで見ていると既に福島県まで記録しており、霜も降り始める。また、強い雨は降らないが、朝出掛ける時に急に降り始めることもある。

久我山を歩いていると季節の変わりを感じるのがキンモクセイとギンモクセイ。キンモクセイ(金木犀)はたくさんのオレンジ色の花を付け、遠くからでも香りを感じる。雨が降るとオレンジ色の細かい十字型の花びらが絨毯のように落ちている。


モクセイ(ギンモクセイ/銀木犀)も香りや花の数は控えめながら白い花を付けていて、香りも穏やかながらよい。



他にはずっーと咲き続けるオミナエシ(女郎花)が黄色い花を付け、サザンカの白い花も咲いているのを見つけた。


春には美しいピンクの花を咲かせていたハナミズキもまだ散ってはいないが、葉は赤くなり、赤い実も美しい。いよいよ秋らしさが出てきた。



但し、暑さが残っているからか、まだまだゴーヤは白い実を付けているが、少し小さくなってきた気もする。

昨年はこの時期に真っ赤に色づいていた壁に沿って生えている蔦の葉もまだ緑色。





さらにリュウキュゥアサガオも紫色の花を競っている。ただ、この季節のズレももうすぐ追いついてくるのだろう。


今週末はべったら市です〜今年はさらに!流鏑馬も

2024-10-18 05:00:00 | 日記
秋も深まり、祭りが各地で行われている。勤務している日本橋小舟町(正確には隣町)では毎年恒例のべったら市が10月19・20日の両日に行われる。しかも毎年同じ日に開催されるのだが、今年は偶然週末と重なったのである。その開催前の風景を見てきた。

べったら市は元々は10月20日の恵比寿講の前に道具や供物の鯛、恵比寿大黒の像などを売る市であった。そのうちに大根の浅漬けを売るようになったのだが、若い衆が女性をからかいながら大根の漬物を振りながら売り、漬物に付いた麹が服にベッタリつくが転じて『べったら市』となったともいわれている。



神社は地下鉄小伝馬町駅からすぐの所にある寳田恵比寿神社という普段はこじんまりしている神主もいない無人の社である。





ただ、べったら市の時は御朱印も出るし、神社入口には大きな赤い提灯も吊るされる。





(昨年の様子)

社の前の恵比寿通りにはべったら漬を売る露店が並び、『皮あり』『皮なし』以外に葉っぱの部分も売っている。パッケージは匂わないようにパック詰のものもあれば、大根漬けをそのまま紙にくるんで渡される店もある。また、面白いくらい店により味が違い、甘いのもあればあまり甘くないのもある。コロナも癒えたので味見の上買うことができるので好みの物を買うことが可能。



(昨年の様子)

他にもお好み焼やたこ焼き、綿菓子などたくさんの露店が出るが、周辺の商店も趣向を凝らした出店をしていて、昨年私はは佃煮と靴下を購入した。出店準備を早々始める人もいる。たくさんの提灯が並び賑やかである。





実はもう一つ恵比寿様を祀る神社、椙森神社付近にも露店が多く出る。椙森神社(すぎのもり)は1466年に太田道灌が雨乞いの霊験があると山城国稲荷山五山を勧進して祀ったもの。江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)と呼ばれ、庶民だけでなく、松平信綱など大名からの崇敬も集めた。また、富籤でも知られていた。





こちらの神社は境内も広く、周囲には人形町の老舗である魚久や人形町今半、芳味亭なども出店、これを目当ての客も多く、特に魚久の切り落としには100m以上の列ができることもある。露店を出すエリアには屋根も設けられ、準備万端である。

でも今年はこれだけではない。江戸街道プロジェクト実行委員会が中心となり、べったら市会場近くの堀留児童公園(中央区日本橋堀留町)で将軍家の指南役を務めた小笠原流の継承者が19、20日に特設の会場で流鏑馬を披露してくれることになったのである。それぞれ12時40分、14時40分から2回ずつ開催される。

その会場を下見してきたのだが、公園の真ん中に砂を敷き詰め、的を立てる台も置かれていた。



それぞれ先着200名ずつなので早く行かないと見れないかもしれないが。ちなみに当社事務所からはよく見えるのである。

人形町はわくわくする週末を待っているようである。もし、お時間が許せばぜひべったら市&流鏑馬を見に足を運んで下さい。私も行きたいと思います。


てん作〜人形町ランチグルメ

2024-10-11 05:00:00 | 日記
物価高騰、人手不足もあり、毎日昼飯を外食しているとかなり値段が高くなったことに驚く。特に新規から開店の店はラーメンは1000円当たり前、1500円くらいの店でも人が並んでいる。とはいえ人形町で11年も働いていると安い店はある程度知っている。

今回お邪魔した『てん作』さんもそんな中の一軒。地下鉄半蔵門線水天宮前駅から下車2分の立地にあって揚げたての天ぷら定食や天丼が780円(税込)で食べることができる。

店は横断歩道を渡った前にあるが、天丼・天ぷらご飯とも入口に表があり、例えば『天丼、冷奴、おしんこ』であれば『天丼の2番』とオーダーするとご主人が天ぷらを揚げ始めるというスタイル。カウンターに8席のみだが、皆食べたらすぐに出るため、回転が早い。

私が店に着いたのが11時50分、先客は2組4人だったが、すでに食べ始めていた。私がおばさんに『天丼の1番』と頼むとすぐに作り始めてくれる。



ご夫婦だろうか、息がぴったりである。まずはお茶とおしんこが到着。天ぷらの揚がる状況を見ながら、殆ど具のない味噌汁が登場。ただ、お碗の半分しか汁がないのは寂しい。

そんなことはお構いなしに奥さんは丼にご飯をよそい、丼つゆをかけてご主人の横に置く。すると揚がった天ぷらを一つずつタレを潜らせ、丼に乗せていく。最後に海老を乗せると丼を布巾で拭いて私の前に出される。この時間が5分程度、とにかく早い。


出された天丼は丼つゆは見た目ほど味が濃いわけではなく、甘ったるくもない。乗っているのはピーマン、さつまいも、かぼちゃ、イカ、海老の5種類。以前は海苔とキスが乗っていたが、かぼちゃとピーマンに代わった。

しかし、揚げたての天ぷらで作った天丼は美味い。かきこむように頂き、食べるのも5分程度、満腹になりました。ご馳走さまです。



てん作
中央区日本橋蛎殻町2ー5ー6
0336688301

松月庵〜小伝馬町ランチグルメ

2024-10-09 05:00:00 | 日記
秋はもっと涼しいと思っていたが、まだ昼時は30℃を越える日も珍しくない。かと言ってざるそばや冷やし中華は飽きてきたのでランチにかけそばを食べる機会が増えた。

それにしても値上げの勢いは凄く、立ち食いそばでも500円玉では不足することも多くなった、もちろん、人形町の六文そばのようにまだ280円でゴボ天そばが食べられる店もあるのだが。そんなこともあり、普段行かない近くの蕎麦屋さんに顔を出してみた。



まず、お邪魔したのは松月庵。同じ名前の店が日本橋界隈には3店舗あるのだが、ここは小伝馬町駅から近いお店。メニューはセットが充実、前回同様に『たぬきそばセット』(850円)を注文。これは暖かいたぬきそばにいなり寿司が2つ付いてくる。
前回お邪魔したのが21年1月だから3年半前だが、その時は800円。50円だけ値上げしていた。

店内は4人席と2人席があり、殆どが2人ずれか1人の客のため、2人席から埋まっていく。私が入った時には4人席しかないのでこちらに座る。メニューを見ているとセットが多いこともあるが、種類は多く、少ないながら蕎麦前もある。

僅か1分くらいでたぬきそばセット到着。この速さは驚異的、厨房には男性2名。早いことは嬉しい。まずは七味唐辛子を振って食べ始めるが、ツユはカツオだしなのか、魚系の出汁がよく効いている。

青味はほうれん草、ナルトが1枚。揚げ玉は天ぷらを厨房で揚げているだけあり、新鮮で美味い。麺の量は意外に多い。

いなり寿司だが、油揚げはあまり濃い味がついておらず、またシャリも普通の酢飯であっさりしていた。

麺が特に凄いわけでもないが、普通に美味い。お客さんは12時が近づくとかなり混んできたが、やはりセットメニューが人気。

珍しいメニューも『カツカレーそば』や立喰そば以外はあまりお目にかかれない『かき揚げそば』、合わせ技の『かき揚げカレーそば』などがある。ご主人がお元気ならまだまだ店は安泰だろう。ご馳走さまでした。
松月庵
中央区日本橋大伝馬町3ー7
0336664623

『久我山歳時記』㊿〜秋は露、春は雪

2024-10-08 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊿、秋分の日を越すと暑さの度合いが変わる。それ以前は酷暑日(最高気温35℃以上)が続いていたが、最近は最低気温20℃、最高気温28℃くらいとかなり過ごしやすくなってきた。

10月8日は『寒露』、夜が長くなり、露が冷たく感じられる頃という意味。まだ、朝夕の冷え込みといっても精々20℃ぐらいだが、半袖ワイシャツではふと寒いと思うことも。



(蜜を吸うイチモンジセセリ)

さらに細かく分けた七十二侯では『鴻雁来』(こうがんきたる)〜10月12日』『菊花開(きくのはなひらく)〜10月17日』『蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)〜10日22日』となる。なお、蟋蟀とあるのはコオロギのこと、昔はキリギリスと呼ばれていたからである。まあ、菊は咲き始め、コオロギの鳴き声は聞かない日はないので強ち間違ってもいない。

気になったのは二十四節気の2つ前は『白露』、そして今回が『寒露』と2つも『露』の字が使われている。実は百人一首にも『露(つゆ)』を詠んだ句は多く、全て秋の句。『秋の田のかりほの庵の笘をあらみわが衣手らは露に濡れつつ』(天智天皇)をはじめ『白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける』『契りおきしさせもが露をいのちにてあわれ今年の秋もいぬめり』『村雨の露もまだ干ぬまきの葉に霧たち登る秋の夕暮れ』の4首もある。

蛇足だが、蟋蟀が入った句ならば『きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む』がある。実は百人一首には『ホトトギス』『白鷺』『鹿』『かささぎ』など動物が何首にも登場する。

(ホトトギス)

久我山界隈を歩くと確かに季節は移ろい、秋は深くなってきている。例えば街路樹の葉の色は黄色くなってきたり、壁一面を覆っていた葉も葉柄が伸びて落ち始めている。


ただ、紅葉が進んだのかというほどもみじもイチョウも色づく気配はなく、また香りで秋を実感させてくれる銀木犀も金木犀も花はまだついていない。柿畑もまだ実は青いものが大宗、実りの秋にはまだ時間がかかりそうだ。





通勤路に生えている葡萄はようやく色がつき始め、紫色になって来ているが、柿や郁子などはまだまだ緑色のまま。やはり酷暑のせいか紅葉も遅れ気味で間違いなく楽しめるのは12月らしい。

よく言われることだが、四季のある国から二季の国に変わりつつある、もっと言うと五季(春、夏、酷暑、秋、冬)になってしまったのかも知れない、








Jリーグを見にAJINOMOTOスタジアムへ

2024-10-07 05:00:00 | 日記
久しぶりにJリーグを見に行く。前回は昨年4月だから1年5ヶ月ぶり。既に33節、FC東京は13勝11敗9分で6位、結構頑張っているが、優勝争いにはなかなか絡めない。一方で相手のサガン鳥栖は7勝21敗7分で残念ながら降格圏内の20位とかなり厳しい状況にある。

午後3時試合開始であり、家を14時前に出発、あいにくの小雨がずっーと降っている。明大前で乗り換えた特急にもあまりユニフォーム姿の人がいないのでやや心配になる。飛田給駅には14時35分に到着、AJINOMOTOスタジアムまで真っ直ぐの道を傘をさして歩く。幸いなことに暑くも寒くもない、あとは雨に濡れる席でないことを祈るのみ。

スタジアム前までつくと流石に人が増えて盛り上がっているが、途中の売店はガラガラ。我々は反対側のバックスタンドまで歩くが、途中のサガン鳥栖の応援席はやはり人が少ない。



席に到着すると前から17番目。実は15番目まではカッパを着ないと見れないほど雨が降りかかる。16番目は我慢しながら待っているが、やはり洋服は濡れている。しかし、ラッキーなことに17番目は屋根がギリギリかかり、たまに風でも吹かない限り何とかなる。私のような軟弱なファンにとってはここはラッキーな席である。



両チームの先発の選手が発表されたが、FC東京もかなり新旧の交代が進み、知っているのはDFでは森重、世界の長友。MFは東慶悟、鹿島にいた荒木、FWはディエゴオリベーラ、前回観戦時に活躍した若い俵積田(たわらつみだ)くらいしかいない。その後に入団した早稲田大学の安斎や明治大学の岡などフレッシュな選手が多くなった。

一方でサガン鳥栖のメンバーは殆ど知らないが、練習風景を見ているとリトアニア出身FWのヴィキンタス、ブラジル出身FWマルセロ・ビアンはガタイも大きいし、いい動きをしている。応援席を見るとやはりサガン鳥栖はサポーターは少ないが、懸命の声援が聞こえる。



試合開始のホイッスルがなって、初めはFC東京が攻め込んでいたが、シュートには至らない。それどころかカウンターをくらい、9分にマルセロ・ビアンのヘディングでゴールネットを揺らしてしまう。幸いなことにVARでオフサイド判定となり、得点は取り消され、ホッとする。その後も鳥栖の時間が続き、キーパー野沢の好セーブばかりが目立つ。



20分過ぎにはFC東京は3トップ(ディエゴ、安斎、俵積田)を中心に攻めるが、得点にまでは至らない。特に安斎と俵積田の速い攻撃は結構有効であった。前半はスコアレスで終わる。



後半はスタート早々オリベーラがいいシュートを放つが枠の外。後半もスタート直後はFC東京が優勢に進める。しかし、点が入らず、サガン鳥栖の3選手交代も効いて徐々に優勢に。長友もいい動きをしている。

FC東京もゴール正面からFKを得るが相手DFにあたり、点にならず。いやな予感がし始めた後半28分にサガン鳥栖が分厚い攻撃をしてDF森重が度々クリアをするが、最後はスリヴカに正面から決められてしまう。



負けられないFC東京は怒涛の攻撃、変わって入った小柏、原川、遠藤などがシュートを撃つが決めきれない。しかし、37分に密集から高がこぼれ球を後ろからゴール右上に決めて同点となる。しかし、もう時間もなく、決勝ゴールとは行かず、引き分けた。



実は昨年に観にきた湘南戦も2対2のドロー、たまにはFC東京の快勝が観てみたいものである。今年の夏はサッカー観戦には暑すぎたが、今は気候も良く、選手の動きも最後までいい。優勝とは行かないが、機会を見てFC東京の応援に来たいものだ。