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hokutoのきまぐれ散歩

ブログも13年目。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。はてなブログにも投稿を始めました。

『関東三十六不動尊巡り』㉝〜第19番最勝寺

2025-06-29 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉝、今回は第19番最勝寺にお邪魔した。五色不動の目黄不動尊としても有名なお寺である。



JR平井駅で下車、南口(みずほ銀行がある方)に行く。駅前からまっすぐ伸びる道を歩き、三叉路を左に行く。見事なリュウキュウアサガオの花が咲く横を通る。



都立小松川高の横を歩き、左に行くと中川の土手に突き当たるのでこれを右、次を右に曲がるとようやくお寺の正面に出る。歩くこと約13分、気温も湿度も高いので汗が滴る。



最勝寺は元は本所表町にあったが、1913年に当地に移転した。正式な名前は牛宝山(ごぼうざん)明王院最勝寺と言い、寺伝によると860年に慈覚大師円仁により隅田川端に草創され、877年円仁の弟子である良本阿闍梨により開山されたという。





境内の入口にはガラスケースに入った仁王像が左右に安置されていて中に入ると左側は墓地、右側には不動堂、納経所、客殿が並び最も奥に本堂がある。ご本尊は大日如来である。



墓地の入口には多くの石仏をピラミッド状に積み上げた供養塔がある。



不動明王坐像は不動堂に安置されているが、享保年間(1720年)に作られた高さ1.2mの大きな尊像でニ童子を従えた三尊形式である。ただ、不動堂には鍵がかけられていてガラス越しに頭を垂れた。

次いで納経所に行き、御朱印を頂く。境内は掃除が行き届いており、周りに高い建物もあまりないので広々としたお寺であった。



奥には本堂、蓮根が植えてあるが、はやくも蕾が大きくなりかけていた。





『関東三十六不動尊巡り』㉜〜第33番高塚不動尊

2025-06-13 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉜、三十六不動巡りも佳境を迎えてあと5か所となった。ここで改めて御朱印(納経帳)とブログの記事を比較して見ると数が合わない。

まだ行っていないのは8番高尾山、19番目黄不動尊、29番苔不動尊、31番岩槻大師の4か所だが、記事は31、つまり5か所。もう一度見直して見ると房総旅行の際に最後に回った33番妙高山大聖院(高塚不動尊)を飛ばしていた。

33番にお参りしたのは旅行2日目の3時頃、ようやく千倉の街に入り、海沿いの道と並行して走る国道410号線を少し山の方に行った所にある。道はどんどん狭くなり、ようやくお寺の門の手前に車を停める。

お寺の門の前に前不動がコンクリート製の覆いの中に鎮座する。風がつよいのでこのようにしてあるのだろう。

目の前にある山が高塚山で標高は206m。天平年間(729〜766年)に東大寺別当良弁が生き別れになり、再会後すぐに亡くなった母親の菩提を弔うため旅に出た。その途中にこの地の山に登り、須弥山と名付けて堂宇を建てた。これが高塚不動尊の始まりで良弁は自ら彫った不動明王像を安置した。



元は高塚山山頂に不動堂はあったが、江戸時代に山の中腹に不動堂を建てここに参詣するようになった。昭和初期に山頂の不動堂は焼失、本堂裏に建て直した。


しばらく歩くと本堂が見えてきて、ここで御朱印を頂く。さらに階段を上がると無人の不動堂があるが、鍵がかけられていて中を見ることは出来なかった。

降りてくる途中に眼下には太平洋を臨むことができる。地元の漁師たちの信仰も集めていて山頂に不動堂があった頃は海上からの目印にもなっていたようである。








『関東三十六不動尊巡り』㉛〜第18番札所瀧泉寺

2025-06-11 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉛、第18番札所瀧泉寺(りゅうせんじ)にお参りする。瀧泉寺の正式名称は泰叡山瀧泉寺。

目黒不動を本尊とすることから『目黒不動尊』と呼ばれ、信仰を集めてきた。江戸五色不動の一つ。



仁王門をくぐり、境内に入ると本堂に向かう石段の下に池があり、奥に滝がある。これは寺伝によると慈覚大師円仁が下野国から比叡山にいく折にこの地で夢を見た。青黒い顔をし、右手に降魔の剣、左手に羂索をもつ恐ろしい形相の神人が枕上に現れて『我この地に迹を垂れ魔をふし国を鎮めんと思うなり。来つて我を渇仰せんものの願いを成就させん』と告げた。



目が覚めた円仁がその姿を彫ったのが本尊目黒不動である。堂宇建設を決め、法具の独鈷を投じたところ泉が湧き、泉は『独鈷の瀧』、寺院はこの古事に因み『瀧泉寺』となった。



二筋の清水が龍口から注ぎ、また池には不動明王立像があり、これに水をかける。



石段を登ると立派な本殿があり、お参りする。本殿の入り口には大きな赤い提灯、厳かな雰囲気である。



本堂の裏に当たるところには銅造大日如来像、高さが3.85m、頭の長さが1.2mと堂々たる仏像である。1683年に鋳物師横山半右衛門により作られた像と伝わる。



正面に戻り、左側の階段を降りると石段をくり抜いたような場所に銅造の役行者像が安置されている。この像は1796年太田駿河守藤原正義作と銘がある。木の葉の肩衣を掛け、右手に錫杖、左手に巻子を持った坐像である。



階段を下まで降りて観音堂や阿弥陀堂の横にある寺務所に向かう。こちらで御朱印を頂き、境内を少し歩く。





ちょうど季節なのか、タチアオイがピンクや白、赤など色々な色の花を付けて美しく咲き乱れていた。再び仁王門の方に行く。右側にバス停もあり、渋谷駅〜五反田駅(東急・渋72系統)に乗ると殆ど歩かずにお参りできる。門前には鰻屋さんが多かった。


『関東三十六不動尊巡り』㉚〜第1番札所大山寺

2025-05-28 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉚、第1番札所大山不動尊をお参りする。大山ケーブルカーの途中駅大山寺駅で下車、進行方向に向かって左側に降りる。目の前にお寺の方向を示す矢印が出てきたのでそれに沿って参道を歩く。山沿いの細い道は左右に曲がりながら続く。





途中、右側の階段がでてきて、これを上ると十一面観音が祀られているとあるが、雨が強く、階段が怖いので断念。

橋を渡ると左右に道が分かれていて左が階段に続く道、右が坂道となるが、これを右に行く。途中まで行くと左に緩やかな道があるのでこちらを歩くと大師堂のすぐ脇に出る。

左側には先ほどの道の先にある階段、女坂とあるが急階段で激しい雨のため、ほぼ滝のように水が落ちている。

(大師堂)

(本堂)

大師堂の裏には本堂、明治初年の廃仏毀釈で破壊されたが、1885年に全国の信者からの寄進で再興された建物である。



中に入ると奥にご本尊の鉄製不動明王坐像が安置されている。1264年願行上人が鋳造したと伝わる。毎月8の付く日に開帳される。



本堂にて御朱印と絵馬を頂いた。ここでお寺の方に『山号が雨降山という位だから雨が多いのですか?』と聞いたが、『別にそんなことはないですよ。霧はよく出ますからね。』と言われた。



雨が強い中、本堂の隣にある宝篋印塔を見る。実に細かい細工がなされている。1795年に旧大山寺境内に作られ、大正3年にこの地に移された。香花を備えて右回りに3度回ると願が叶うという。



鐘楼の梵鐘は徳川家光により奉納された物だったが、明治初年に廃仏毀釈の中、破壊されてしまった。銘文『大壇那従一位左大臣源家光公』の部分のみが阿夫利神社に保管されている。今の鐘は1949年に信徒により寄贈されたものである。

雨は強くなる中、あまりゆっくりもしておられず20分後に来るケーブルカー駅に早足で戻ることにした。 






『関東三十六不動尊巡り』㉙〜第30番札所總願寺

2025-05-24 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉙、第30番札所總願寺(不動ヶ岡不動尊)にお参りした。埼玉県加須市にある古刹であり、由来は886年光孝天皇が自らの重病を治すため、智証大師に対して不動明王に祈願するように命じた。その後、この像は歴代天皇の守護仏となる。ある時、殿上人が不動明王像の剣を盗もうとしたが、不動明王が堂守の夢枕に立ちお告げをする。これを受けて堂守は自らの故郷である武州吉見領に逃れ、仮堂を建てる。しかし、1039年の大水で像は流失、これを村人が拾い上げるが地震が起きて不動明王の怒りと感じた村人は川に戻す。数日後に武州羽生領岡村に流れ付き、不動堂を建てて安置した。そして岡村を不動岡村に改めた。

といういわれがあり、1616年に總願上人が開基、火災に遭い、本堂や庫裡、不動堂などは江戸時代に立て直されたものである。



東武鉄道日光線に揺られて『加須』駅に降り立つが、構内には鯉のぼりの絵が描かれている。

しかし、駅前スーパーに閉店予告のポスターが貼られているほど寂れている。加須市は読みが難しい市の一つで『かぞ』と読める人は少ない。歩いて行くことも考えたが、小雨が降る中を2km歩く元気もなくタクシーに乗車。

タクシー運転手の受け売りだが、手書きの鯉のぼり生産で有名な町。ただ、マンションの台頭もあり、需要は減り、地元では大手の店も閉店が相次いでいる。鯉のぼりと並んで盛んなのは『うどん』、地粉で作ったコシの強いうどんが有名らしい。

バスは使われないため撤退が相次いでいるとのこと。道は何度も左右に曲がりながら進むのでタクシーに5分ほどしか乗らないが、道に迷わないためにもタクシーにした方がいい。





お寺の正面に着く。まずは立派な山門から入る。中の仁王像も立派である。



境内は広々としており、正面に本堂が見ることができる。立派な堂々とした入母屋造りで節分会が盛大に行われた。

年男,年女として有名人が並ぶが、豊昇龍、竹内力、西岡徳馬などと並んでマスコミとトラブルになったデビ夫人の姿を見つけることができた。



本堂の入り口にはおびんづる様、参拝者が身体中をなでたためか、白い頭巾が被せられていた。



お隣には小ぶりな大日堂、さらに納経所のある庫裡に続く。納経所で御朱印をいただきながら、本堂の由来を伺うと江戸時代に焼けてしまい、作り直されたもので、さらに山門は明治になり再興されたとのことであった。



大日堂の前には散蓮華模様青石塔婆が立っているが、この様式の塔婆は高貴な人の慰霊塔で珍しいものである。




左側の門は黒門と呼ばれている。元は忍城の北谷門だったが、明治6年に解体される際に加須市の業者がここに移築したもので『のぼうの城』として有名な忍城の唯一現存する門となっている。



広い境内に色々と建物が立つ立派な寺院。ただ、参詣したのは私1人、やや寂しいところである。

『関東三十六不動尊巡り』㉘〜第9番札所高幡不動尊

2025-05-22 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉘、第9番札所高幡不動にお参りする。正式名称は高幡山明王院金剛寺という。草創は寺伝によると平安時代初期に慈覚大師円仁が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場として不動堂を建立、不動明王を安置したものと寺伝とある。関東三大不動(他の2つは成田山新勝寺、大山不動尊)の一つに数えられている。

京王線高幡不動駅南口側に下車するとすぐ右の方に行く参道となる。参道と言ってもお土産などを売る店、食事処が約半分、残りは普通の商店街である。



100mも歩くと室町時代の作と言われる不動門(重要文化財)が見えてくる。ここからが金剛寺の境内となるが、かなり広く立派なお寺である。





門をくぐると新撰組副長土方歳三の銅像がある。土方歳三は現在の日野市石田生まれで明治2年に函館五稜郭で戦死したのだが、遺体は荼毘に付され、生家近くの石田寺に葬られた。石田寺は金剛寺の末寺であり、また、5月第二日曜日には『ひの新撰組祭』が開催される。



境内には五重塔や上杉堂など見どころも多い。上杉堂は上杉憲顕が1455年に足利軍と立川の戦ったが、敗れてここまで敗走、深傷を負いここで自刃した。









不動堂は重要文化財に指定されており、元は山上にあったものを1335年大風で倒壊、1342年に現在の位置に移されたものである。



奥の院に向かう。奥の院というと通常は階段を登り、ようやく行き着く感じがするのだが、すぐお隣の鉄筋でできた建物で数段の階段を登り、自動ドアの奥で300円を支払い中に入る。他の寺宝とともにご本尊である高さ2.8mもある不動明王坐像、さらに矜羯羅童子は奥の院に安置されている。不動明王坐像の根幹部は平安時代後期の作品である。

いざ像の前に進むとその迫力に圧倒される。お前たちの全てを見透かすような怖い目をしている。しかし、長くお顔を見ていると私に降りかかる災厄を払っていただけるような強さも感じることができた。

他にも寺宝も今ではほぼお顔がわからなくなってしまっている平安時代の歓喜仏や同じ時期の大日如来などたくさん飾られていた。
外に出て少し登ると周りにはたくさんの紫陽花が植えられていて、6月頃にはかなり華やかになる。

大日堂に江戸時代の豪華な大日如来像、その先には高さ45mもある五重塔。平安時代前期の様式を模したものと説明にあった。



平日にも関わらずたくさんの露店が出ていてお好み焼きや綿菓子もあったが、唐辛子や漬物など懐かしいお店もあった。都心から1時間程度で時間がゆったり流れるお寺であった。


『関東三十六不動尊巡り』㉗〜第34番宝勝院

2025-05-12 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉗、第34番宝勝院に向かう。第35番大聖寺からは近い札所で大原漁港前交差点から国道126号を少し戻り、外房線の陸橋を渡る。いすみ鉄道沿いに走る国道465号を行くが、いすみ鉄道は昨年10月4日に発生した車両の脱線から不通となっていて路線は残っているが、気動車は来ない。

いすみ鉄道の始発大原駅から4つ目の国吉駅手前に宝勝院の入口がある。入口近くにある駐車場に車を停めて参道を歩く。参道横は墓地となっているが、参道の左手に交通祈祷殿、お隣は不動堂と納経所がある。



まずはその先の本堂に向かい、本尊釈迦如来に手を合わせる。ここには西国33ヶ所の観音様も収められ、わざわざ赴かなくとも、ありがたい功徳を受けることができるとされている。



刈谷不動尊は天正年間(1573〜91)にいすみ市にあった万木城の病魔門の方角にあったたむや、作られたと伝わり、祀られた不動尊がその地刈谷から刈谷不動尊と呼ばれるようになった。刈谷不動尊はその後荒廃するが、什俊和尚が不動尊を安置するため、宝勝院を興し、1630年に開山したものである。天台宗のお寺として近在の参詣を集めている。


再び、不動堂に向かい、立派な不動尊像を拝む。第二次世界大戦では2人の息子を兵隊に取られた母親が毎日陰膳を行い、不動堂に参拝して無事を祈ったところ、僅かの差で機銃掃射の弾丸が外れるなどして2人とも無事に帰ることができたなどという逸話も残る。



隣には人形供養殿、供養された人形が多数並べられていた。

とにかく静かなお寺で参拝も我々だけ、ゆっくりと仏像のお顔を拝むことができた。




関東三十六不動尊巡り㉖〜第35番大聖寺波切不動尊

2025-05-10 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉖、第35番大聖寺に伺う。地元ではご本尊は阿弥陀如来であるが、地元では波切不動尊として有名である。というのは鎌倉時代に道猷という漁師の妻(海女)が海中で見つけた不動尊を祀り、それ以来漁師の海難からの守護として篤く信仰されてきたもの。

九十九里浜を経由して国道128号線を行き、大原を過ぎた大原漁港の交差点を左折、その先を右に曲がる。すると急に道が狭くなり、さらに車一台がギリギリの道を行くと目の前に階段が現れた。

実はもう堤沿いをもう少し走ると広い駐車場があったのだが、取り敢えず手前の階段下にあるスペースに車を停めた。



階段下には小さなお堂が2つ、地蔵菩薩と青面金剛像が祀られている。まずはこちらに手を合わせる。美しい花が飾られているのが印象的。





階段を登ると目の前には古いお堂が出てくるが、これが不動堂。建立年代はよく分からないが様式から室町時代頃の建築と推定される。江戸時代寛永年代に坂東三十三観音の第32番札所清水観音から移設されたと伝えられている。

大正15年には国宝(旧国宝)に指定され、1937年に解体修理された。戦後は国重要文化財に指定されている。

お堂の中央には須弥壇があり、中央と左右に時代の異なる不動明王像が3体安置されていた。

奥にはコンクリート製の再建された本堂、こちらにはご本尊の阿弥陀如来像が安置されているとのこと。



隣の納経所で御朱印を頂き、境内を歩く。こじんまりとしているお寺ではあるが、階段の上からは太平洋を眺めることができる古刹であった。




『関東三十六不動尊巡り』㉕〜第36番札所成田山新勝寺

2025-04-23 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉕、第36番札所成田山新勝寺にお参りする。本来であれば一番最後の結願の時にお参りしたかったのだが、多少遠いこともあり、今回の旅行で訪れた。



お参りに行く前にまずは腹ごしらえ、参道の駿河屋さんで美味い鰻重を頂き、すぐそばにある総門をくぐり、境内に入る。新勝寺に初めて来たわけではないので多少知って入るが、とにかく全てのサイズが大きいのが特色。



総門の隣には大きな石で『成田山金剛王院新勝寺』という石碑もある。



中に入ると右手に鐘楼や参籠堂など多くの建物がある。石段を登ると仁王門、『魚がし』の大きな提灯が印象的である。

橋を渡るが、真ん中に置かれている石はどう見ても亀に見える。これはガイドブックにはなかった。



登り終えると広々としたところに出て,右手に江戸時代に造られた三重塔が見えてくる。案内所もあるため、ここで『三十六不動尊』の朱印の場所を聞くが、一番奥まで行き聞いてほしいと言われた。



その前にまずは大本堂にお参りをして、ここでも御朱印を頂く。その納経所を聞くだけでかなりの距離を歩かねばならず、やはり人の少ない平日にお参りに来るべきである。



西翼殿の前を通り、お隣の釈迦堂(重文)にお参りする。これは1968年に大本堂が造られるより前の本堂の建物で1858年に建てられたもの。



周囲には『五百羅漢』『二十四孝』の彫刻が施され、よく見ると面白い。中には釈迦三尊像が祀られていた。



階段を上がると額堂、これは歌舞伎の市川団十郎が江戸時代に寄進したもので重文に指定されている。見事な枝垂れ桜が満開、皆写メを撮っていた。





愛染明王が祀られている光明堂、薬師如来が祀られている醫王堂にもお参りしてだんだん賽銭用の小銭が減っていく。

階段を登り、大きな建物があるが、これが平和大塔。新しいが、立派な建物でどこから入るか悩む。2階にあがり、大きな不動明王と脇侍に手を合わせる。



しかし、中にはは入れず階段を降りて1階から中に入る。受付に人がいて御朱印受付とあるが、ここではなさそうと勝手に考えて建物の階段を登る。ぐるぐると螺旋階段を登るが、檀家が納めた小さな仏像が並ぶエリアになってしまう。これ以上行っても無理と引き返し、入口の人に聞くと御朱印はここだった。



お参りを終えて釈迦堂の横を通り、おみくじの自販機の横にあるエレベーターで1階に行く。すると総門の横に出て参道までは意外に近かった。とにかく広く、お参りするところの多い成田山新勝寺、時間はゆっくり取ってお参りすることが必須です。


『関東三十六不動尊巡り』㉔〜第3番札所野毛山不動尊

2025-04-11 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉔、第3番札所野毛山不動尊に向かった。野毛山不動尊は正式名称を成田山延命院、JR桜木町駅から歩いて10分ほどのところにある。

午後休暇をもらい、京急線で横浜に出て、JRに乗り換えるルートを考えていたが、つい睡魔に襲われ、気がつけば横浜駅は過ぎていた。やむなく次の上大岡駅で降りたのだが、再び横浜駅まで戻り、乗り換えるのが面倒になり、横浜市地下鉄で桜木町駅まで行く。

地下鉄桜木町駅は野毛方面出口があるのでそこから上がると目印のコンビニをすぐ発見、お寺の地図を頼りに歩くと電柱に『成田山』と大きく書いてある。


それを頼りに歩くと目の前に見えてきた。ただ、聳え立つ階段の上に本堂はあり、てくてく登る。

60段登ると、エスカレーターを発見、さらに2フロア上の本堂に到着した。駅からは5分ほど、お寺の地図(HPに掲載)を見れば分かりやすい。

成田山延命院は横浜が幕末に開港し、小さな漁村が大都市となったことから1870年に成田山新勝寺の観音院の不動明王像を遷座、成田山横浜別院として開創されたもの。さらに信徒の増加により手狭になった遥拝所を今の位置に移し、1893年に成田山延命院とした。

とにかく高台からの眺めは素晴らしく、振り返るとランドマークタワーが聳えている。本堂奥には不動明王像が鎮座しており、まずはお参りをした。



お守りや絵馬など多くの参拝者向けグッズが豊富で、子供向けのアニメキャラクターのお守りなども揃えられている。私はその絵に感動して納経所で絵馬を購入した。


本堂は新しく、あまり伝統は感じられないが、中も綺麗にしてあり、本尊の不動明王像は徳川家の秘仏で霊験あらたかと私がお邪魔した時も激しい雨だったが、お参りをする人は多かった。