hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

揚子江菜館〜元祖冷やし中華を頂く

2024-07-19 05:00:00 | グルメ
夏になると冷やし中華を食べる機会が増えるが、その元祖であるお店が神保町にある。すずらん通りは昔からグルメには嬉しいお店が並んでいる通りなのだが、『キッチン南海』『スヰートポーズ』『ろしあ亭』などはコロナ騒動の前後で廃業してしまい、新しい店が増えた。その中でこの揚子江菜館は今も盛業中である。

店に入ると1階は4人テーブルが8個くらい並んでいて、我々も奥の方の一席に座る。メニューを見ると『池波正太郎セット』とあり、お店の人に聞いて見ると『上海焼きそば、シウマイ、お酒』のセットだと言われる。お酒はいらないので私は上海式焼きそば(柔らかい麺、1380円)を注文。相方は昭和8年に考案された『元祖五色涼伴麺』(1580円)を注文した。



周りを見るとやはりこの店の冷やし中華は大人気、お隣のお姉さんも頼んでいた。

5、6分でまず冷やし中華到着、富士山型に綺麗に飾り付けられ、上に錦糸卵、周りにはキュウリ、チャーシュー、糸かんてん、筍、周りにウズラ卵、海老、椎茸が配されている豪華版。

私も少し頂くが、麺は細いちぢれ麺、タレによく絡む。具もそれぞれに旨さがあるが、特に椎茸と錦糸卵が美味い。

特筆すべきはタレ、一般的な冷やし中華のタレは酢の味がかつが、こちらのは柔らかい甘さが際立つ。かと言って甘すぎず、これぞ伝統の旨さであろう。

遅れて私の池波正太郎が愛した上海式焼きそば。硬い麺(揚げ麺)だと餡掛けになるため、柔らかい麺の選択は正しい。上には玉ねぎ、もやし、椎茸、細切りの豚肉が乗っているが、シャキシャキで美味い。味付けは薄めの醤油メイン。

量は多く見えるが、野菜のうまさでついつい食べてしまう。途中からは味変に辛子や辣油を使うが、私は辣油が好みである。

さらにシウマイ4つと酒を飲んでいたのだから池波正太郎という人はかなりの健啖家だったのだろう。



とにかく味付けが単なる中華ではなく、和式中華そのもの、これならば熱燗が合うのもわかる。もう少し多人数で春巻や餃子、おすすめの酢豚なども食べて見たくなる。相方も大満足でした。ご馳走さまでした。

ps.地下鉄の情報雑誌ALKU夏号の表紙を飾っていた。

揚子江菜館
千代田区神田神保町1ー11ー3
0332910218

TRIO展の気まぐれ観覧記

2024-07-18 05:00:00 | 日記
休みを取り、用事が午前中で終わったため、東京国立近代美術館で開催中の『TRIOパリ・東京・大阪モダンアート・コレクション』を見に行く。午前から降り続く雨も中々止まず、神保町駅から歩くとやはり結構遠い。竹橋を渡り、右側に美術館の建物を発見した。



東京国立近代美術館(略称、MOMAT)は元は京橋にあったものを1969年に当地に移し、開館したものだが、この建物はブリヂストンの創業者石橋正二郎の寄付により寄贈したことを初めて知る。

中に入ると趣旨が描かれているが、パリ・東京・大阪(パリ市立近代美術館、当館、大阪中之島美術館)の秀作を持ち寄り、色々なテーマで並べ展示するという企画である。入るとすぐに『椅子に座る人』というテーマでロベルトドーネーの『鏡台の前の裸婦』、佐伯祐三の『郵便配達夫』、安井曽太郎の『金蓉』という三作品が迎えて来れる。



なお、この展示会は各美術館の所蔵ということもあり、殆どの作品を写メに納めることができる。



続いて『川のある都市風景』ではノートルダム大聖堂、お茶の水の聖橋などが並ぶ。『都市の風景』ではユトリロの『セヴァスト通り』、長谷川利行の『新宿風景』、河合新蔵の『道頓堀風景』といずれも味のある絵が並ぶ。



『都市のスナップショット』ではブレッソン、ドアノーなどのパリ、奈良原一高、冨山治夫などの東京、天野隆一などの大阪の写真が展示されている。続く『近代化する都市』のコーナーには三越銀座店の開業のポスターや大阪あべの近鉄の秋の秀彩会のポスターなども飾られている。



マグリット、ダリ、シャガールなどの名作を見ながら歩くが、どれも名画ばかり、ついつい時間がかかる。



メインのように扱われている『モデルたちのパワー』のコーナーにはアンリ・マティスの『椅子にもたれるオダリスク』、萬鉄五郎の『裸体美人』、モジリアニの『髪を解いて横たわる裸婦』の3作品が並んでいた。この周りにはあまり人はいなかったが、それぞれの力強さ、特に萬鉄五郎の絵の迫力と構図の面白さ、モジリアニの瞳が描かれた表情はしっかりと目に焼き付けた。

もう一つ眼に止まったのが、『こどもの肖像』、藤田嗣治の『少女』、岸田劉生の『麗子肖像』、原勝四郎の『少女像』であった。



さらに『響きあう色とフォルム』と題して岡本太郎、ダリ、草間弥生などの作品が並べられていた。また、並べてある萬鉄五郎の作品も決して見劣りしない。





ほぼ最後の『ポップとキッチュ』と題したコーナーに私の好きな奈良美智の『In the Box』を見つけ、勝手に喜んでいた。

それにしても『3つの対比』というテーマに沿い、これだけのアートが並べられた展覧会の意図、面白みなど感心させられた展覧会であった。なお、萬鉄五郎の『裸体美人』は7月21日までで一旦展示替えになり、8月9日から再度展示されるので気をつけて頂きたい。


EUREKA(ユリイカ)〜下北沢グルメ

2024-07-17 05:00:00 | グルメ
下北沢の『1966 DOMANI』が閉店して1年半くらいになる。その後、下北沢で洋食を食べる店がなく、探し当てたのが『EUREKA(ユリイカ)』である。かつては池ノ上駅近くにあったお店が下北沢駅西口から5分ほどのところに移転したとネットにはあった。

下北沢駅西口でおり、下北沢の通りとしては広めの通りを行くとスマホの地図には近くまで来たと出ているが、お店がない。ウロウロ探すと路地の奥まったところに赤いカーテン、18時ちょうどにopenのため、まだ開いていなかった。

店に入り、右手奥の席に案内される。メニューはブリフィクスとアラカルトの2つあり、取り敢えず両方もらい検討する。一皿の量も分からないため、取り敢えずブリフィクス5500円をお願いする。中身はアミューズの後、前菜、メイン、デザートまで含んでいて、前菜1つ追加で1000円増しとなる。


まずはビールで乾杯、暑い日には堪らない。すぐにアミューズ、『玉ねぎの冷製ムースコンソメゼリー』から。しっかりとした味付けとなっていてなかなか美味い。


前菜は2人で3皿、『海老と帆立のサラダ仕立て』『イワシのリエットと鶏レバーペースト盛り合わせ』『田舎風パテ』をお願いした。



いずれもオーソドクスな料理だが、サラダは帆立が美味いし、ソースもちょうどいい。レバーペーストにしても田舎風パテにしてもワインのつまみとしてよくできている。
メインは私が『NZ産仔羊のロースト』、相方が『牛頰肉の赤ワイン煮込み』を注文。まず、羊のローストはランチョップをシンプルに塩胡椒で焼いた一品。2本も乗ってきたが、脂の部分が多いこともあり、もう少しよく焼いて脂を出すか、ソースがあった方がありがたい。ただ、肉自体はかなり美味い。

牛頰肉の煮込みは味付けがやや物足りず、しかも量がたっぷり。私が煮込みにも箸を付けたが、老夫婦にはやや多かった。
普段ビストロでは前菜を何皿も食べ、メインは滅多に食べることがないことを思い出し、アラカルトで行く方が良かったように思えた。

ドルチェは私が『クレームドブリュレ』、相方がメニューにない『プリン』をお願いした。

2つは似た味付けかと思ったが、クレームドブリュレは席まで焼いたコテを持ってきて作ってくれる。プリンはカラメルが大人の味、美味い。最後にコーヒーを戴いたが2人とももう満腹。

次回はアラカルトで行くことを決意。味はなかなかいいし、待たされることもない。雰囲気も良かったが、やや椅子が固かった。ご馳走さまでした。もし行かれるのであればお店を通り過ぎないように注意、嬉しいことにネット予約も可です。

EUREKA
世田谷区北沢2ー28ー7
05054572732


6月の旅⑦〜道の駅八ッ場ふるさと館へ

2024-07-16 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑦、旧太子駅を出て国道292号を走るとJR吾妻線長野原駅横に出てそこから県道376号線を右に曲がり、しばらく行くと道の駅八ッ場ふるさと館に出る。この道の駅は八ッ場ダム(吾妻湖)に掛けられた不動大橋の近くに作られている。

ダムも気になるが、その前に昼食。道の駅に併設されている蕎麦屋『やまと屋』に入る。この店のメニューはカレーと蕎麦が中心。注文は相方がせいろそば、私がかけそば、さらに舞茸の天ぷらを注文する。



お店は地元のシニアの方で営まれている。店は11時半というのにほぼ満席。土曜日は東京などを朝に出発するとこの辺りに今くらいに到着するのだろう。





出てきた蕎麦は北海道産の蕎麦粉とこの辺りの水で作られていて蕎麦の香り高く、こしがあって美味しい。舞茸の方も香り高く、かなり楽しめた。



早速、不動大橋を渡る。不動大橋は八ッ場ダム建設にあたり、林地区と河原湯地区を結ぶ橋として建設、鋼・コンクリート複合トラス・エクストラドースド橋という難しい構造で作られた長さ590mにも渡る長大な橋である。



橋の真ん中あたりからは途中にある橋や遥か遠くに八ッ場ダムが見渡すことができる。ただ、よく見ると岸に近い土肌が結構見えて、水の水位が低いように感じた。また、前に広がる青緑色に光る吾妻湖の湖面が美しい。橋の右手、上流の方には大きく突き出した『丸岩』の岩峰も眺めることができる。



丸岩は標高1124m、三方は100m余りの岩壁で南の方だけが道に接している。戦国時代に地元の豪族である羽根尾城主羽尾幸全が丸岩城を築き、北に向かう北条氏に対抗するため、真田昌幸が兵を駐留させていた。

道の駅に戻り、インフォメーションで写メを見せてダムカードをもらう。(ダムカードを貰うにはダムを写した写メが必要)道の駅の直売所でネギやブルーベリーなど地元の野菜や果物を購入、テイクアウトの食べ物を食べる人も多く、大変な混雑である。いよいよ八ッ場ダムに向かった。(以下、次回)





みのがさ岩本町本店〜岩本町ランチグルメ

2024-07-15 05:00:00 | グルメ
三回目のチャレンジでようやく『みのがさ』の岩本町店に行き着くことができた。やはり11時半オープンというのは立喰そばにしては遅すぎあのか、私が短気なのか。
店の左半分ではお弁当販売をしていてこちらも人気がある。



私はすぐに店に入るが、目の前にはお客さんの列、というのは厨房にいるおじさんとおばさんに注文し、すぐに作ってくれ、お金と引き換えに商品をもらう昔ながらの方式だからである。

入口近くの壁には写真付きのメニューが並んでいるが、実はもう少し対応できるメニューがある。並んでいるうちに注文を考えるのだが、初訪問ということもあり、いつもの『かき揚げそば』(510円)をお願いする。

前に並ぶ人の注文を聞くと『イカ天そば、冷やしに唐揚げ一つ、半カレー』などいろんな組み合わせがあり、常連は組み合わせを楽しんでいるようだ。

私のシンプルな注文はすぐに出来上がり、お金と引き換えに丼を受け取る。七味唐辛子や箸などもあるのでこれを取って壁側のカウンター席に座る。これが意外に高く、椅子の横に渡した棒に足を乗せて安定させる。



まずは自慢のお汁から頂く。壁には『こだわりの蕎麦つゆ、返し・ヒゲタ醤油、三河本味醂、出汁・日高昆布、鰹節』とあるが、確かに香り高い色の薄めのツユは美味い。関東にありがちな醤油辛いツユではない。



麺も『こだわりの蕎麦粉・最高銘柄、戸隠(信濃町)』とあるが、細めのそばは喉越しがよく、これならばもりそばも美味いだろうと思う。

上に乗るかき揚げには主に玉ねぎが入っているが、さくら海老の姿もちらほら。汁を吸って柔らかくなりがちなのが玉に瑕だが、こちらもいい味に仕上がっている。
店にはひっきりなしにお客さんが入ってきて待ち時間を無駄にせず、待つ間に本を読む人が多いのは神田に近いこともあるかも。

汁にも麺にも強いこだわりを持つロマンチストのご主人としっかり者でよく気がつく奥様、2人が協力することで最大の力を出すことが出せそうである。ご馳走さまでした。

みのがさ本店
千代田区岩本町3ー10-5
0338669969


中目黒駅〜目黒駅周辺の坂道②

2024-07-14 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その215。中目黒〜目黒駅の坂道巡り②。新道坂と並行する旧道を歩く。この道は坂の塀に色々とカラフルなペイントがなされていて面白い。



坂を下ると目黒川日の出橋に出る。少し戻り、右に曲がり、駒沢通りの歩道橋を渡る。



左に少し行き、右に曲がると目黒学院の前に出る。この道をそのまま真っ直ぐ歩くと『この先階段あり、車の通り抜けはできません』という標識が現れる。この道をひたすら行くと最後は右に石段が出てくる。これが『別所坂』である。



別所坂の標識によると『この近くに別所という地名があったので別所坂と呼ばれるようになった。「別所」は新しく開いた土地のことを意味するが、目黒では突き当たりの場所、行き止まりのことを「べっしょ」といっていたことが地名になったともいう』と由来に関して書かれていた。





階段の下には庚申塔が6柱あるが、これは庚申講を信仰する人が建てたもので、豊作や長寿、家内安全を祈ると共に交流の場として集ったもので3年18回の集まりを終えると塔を建てた。この庚申塔は1665年〜1764年までに建てられたものである。



階段を登るとようやく一息つく。ここも眺めの良い場所であったため、江戸後期に千島探検をした近藤重蔵がミニ富士(築山)を作り、目切坂の元富士に対し、新富士と呼ばれて多くの見物人を集めたと言われる。



その遺構が平成3年に発掘され、新富士遺跡と言われている。なお、この新富士に関しては山を作った町人塚原半之助と近藤重蔵・富蔵(息子)とが諍いを起こし、殺傷事件(槍が崎事件)を起こしたという後日談もある。


この辺りは高台となっていて坂の上から真っ直ぐに歩くが、道がわかりづらく、近道と思い曲がるとさらにあらぬ方向に向かい、気がつくと元のところに戻るという体験をしてしまった。(以下、次回)


神田樽平〜コノ字酒場で日本酒を呑む

2024-07-13 05:00:00 | グルメ
日本酒の蔵元直営店のはしりといえば『樽平』であろう。銀座と神田に直営店を持ち、新宿にもこれに準じる店を持っていた。銀座の店は何しろ太田和彦氏の名著『精選東京の居酒屋』(1993年草思社)の一軒めに載っている店である。ただ、2017年に区画整理に引っかかって閉店、今は神田店のみとなった。



樽平酒造は山形県東置賜郡川西町にある300年以上の歴史を持つ酒造メーカーで『樽平』『住吉』のブランドに加え、山田錦を使った大吟醸『雪むかえ』など新たな商品開発にも余念がない。

樽平神田店は神田駅西口から徒歩1分のところにあり、戸を開けるとコの字カウンターが広がり、その周囲に2〜4人席、2階にも部屋がある模様である。


予約して18時半に入るとカウンターは7分の入り、私の席はカウンターから近い2人席、銀行時代の同僚Yさんと久しぶりの一献である。まずはビールで乾杯、お通しは切り昆布となかなか渋い。



頼んだ『芋煮』と『カツオの刺身』が来たところで金の『樽平』を2合冷でもらう。確か、以前は常温だったはずだが、冷たく冷えていて美味い。



独特の日本酒らしさがいい。芋煮は肉が少ないのがやや不満だが、芋も他の野菜も美味しく、山形らしい味(?)がする。

2人で呑んでいるとあっという間に徳利が空になる。大阪時代によく呑んだ店の話などで盛り上がる。



再び2合と併せて『串カツ』『さつま揚げ』『だし巻き』を注文する。山形の郷土料理に来たはずが、単なる居酒屋と同じような注文になる。

まあ、熱々の串カツに辛子とソースを掛けて頂くが、しっかりした樽平は負けることなく美味い。さつま揚げ然り、だし巻き然りである。



3回目の注文の際に同じ酒ばかりでは芸がないと『生吟醸・雪むかえ』をお願いする。ついでに『ししゃも』『〆さば・トリガイ刺身』も注文。

雪むかえは上品で今流行りの酒に近い。樽平の後だと少し物足りないが、呑めば美味い。また、〆さばは酒に合うことを今更ながら実感する。



もう1本の思ったが、2人とも酒は十分ということで『漬物盛り合わせ』を頼むが、赤かぶの甘酸っぱさ、ナスの旨さなど流石に漬物大国山形県だけある。これだけ頂き、2人とも大満足。



ただ、山形県らしい料理は芋煮と漬物だけだったが。ご馳走さまでした。

樽平神田店
千代田区内神田3ー13ー2
0332514140


6月の旅⑥〜旧太子駅跡という産業遺産

2024-07-12 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑥、草津温泉を離れ、国道292号線を走る。途中まではホテルの横を通る道であったが、国立療養所を越えたあたりから山道になり、ジグザグ道を下って行く。



道の駅六合(くに)に立ち寄るが、こちらの野菜の販売所では驚くほど大きな野菜(ブロッコリー、白菜、キャベツ、リーフレタス)が売られていて都会人はびっくりする。



この辺りには石で作られた道祖神がいくつも置かれていて、こちらの道祖神はバス停横に鎮座していた。



その少し先に『旧太子(おおし)駅跡』がある。国鉄吾妻線(当時は長野原線)は1945年に渋川〜長野原が開業、さらに日本鋼管群馬鉄山のある太子まで会社の専用線を作り、ここで採掘される鉄鉱石を京浜地方まで運搬する目的で開業した。



1952年に専用線は国鉄に移管、1954年からは旅客輸送も開始した。しかし、群馬鉄山は1963年に閉山、この影響を受けて1970年11月1日に休止、さらに長野原〜大前延伸に伴い、1971年5月に廃止された。



その跡には鉱石積み出しのホッパーなどが遺構として遺されていて、2014年に地元自治体(中之条町)が駅舍やレール、ホームなどを復興する事を決め、駅舍も2018年に再建した。この駅舍は当時の写真などを参考に実物大に再建したものである。

とにかく広い駐車場に車を止め、階段を降りると駅舍の前に着く。中に入り、入場料200円を支払い、中に入る。当時の写真がたくさん貼られ、また、ビデオも上映されている。



外に出ると鉄鉱石を落としたホッパー設備がかなり朽ちながらも凡その姿を残している。


また、ホームには懐かしい駅名表示板、さらにホームには大井川鐵道や茨城交通などの無蓋車が6両、国鉄の車掌車が1両、計7両止められていた。


まさに『夏草や兵どもが夢の後』と言った雰囲気であった。(以下、次回)








『強い虎?』『弱い虎?』〜阪神ファンのたわごと

2024-07-11 05:00:00 | 阪神タイガース
今の阪神タイガースはついているだけなのか、粘り強いのか、強いのか、弱いのか、今年ほど評価が難しい年も滅多にない。

今回は6月30日からの9日間の阪神の戦いを振り返る。対ヤクルト戦(神宮球場)から。この当時は貧打に苦しみ、先取点もままならない試合が続いたが、4回に大山のソロで1点先制、さらに二死2塁で8番梅野がタイムリーでさらに1点を加える。4回裏の攻撃で先発西勇輝はオスナにソロを浴びるが、丁寧な投球を続ける。6回梅野のタイムリー、7回大山のタイムリー、8回は相手エラーで各1点ずつ計5点を取り、珍しく5対1でリード。これはいけるというムード。

しかし、8回裏に登板した3番手の桐敷がつかまり、村上のタイムリー、さらに4番手漆原に替えるが満塁で長岡の走者一掃の2塁打で同点、代打山田にタイムリーと逆転された。この時に前日投げた漆原や岩崎ではなく、ゲラを岡田監督は想定したが、投手コーチとの意思疎通が欠いて、準備できていないというトラブル。

ただ、このままでは終われない阪神は9回表にクローザーのヤクルト田口を攻め、前川四球、ここで佐藤2塁打、代走植田が本塁をつくが本塁手前でタッチアウト、ゲームセット。結局、4点差を逆転されてしまう。この負けには①投手交代の難しさ、②前進守備の中でのホーム突入の無理など沢山の問題が残った。

このような負けの後は負けが続くものだが、次の試合は才木の好投で広島に完封勝ち、さらに3日は佐藤輝明の久しぶりのソロホーマー2本で競り勝ち、連勝する。

ただ、4日の広島の3戦目は村上が打たれて接戦はしたものの結果は敗戦、5日のDeNAとの初戦もジャクソンが打てず、結局連敗してしまった。

ただ、6日DeNAとの2戦目は伊藤将が粘りの投球で接戦を制した。
7日のヤクルトとの3戦目は先発西勇輝は5回までに4点取られてしまう。続く5回の攻撃、1アウトから8番小幡がヒット。代打野口が一軍初ヒットを打ち、ライトの渡会がこれを後逸、1点を返すと共に3塁まで達した。すかさず1番の近本がタイムリーを放ち、2点差に追いつく。

その後両軍が1点ずつ加えて最終回、DeNAのクローザー森原を投入する。しかし森原は投球が定まらず先頭の大山が四球、1死後前川がヒットで続き、梅野死球で満塁。小幡はピッチャーゴロで2死となるが、代打原口が初球をライト前にタイムリー。前進していた度会がライトゴロを狙って思い切り一塁に投げるが暴投となり、阪神がサヨナラ勝ちを拾う。

7日のヤクルト戦は投手戦、阪神才木、ヤクルト吉村が好投。しかし、4回表に2死3塁で宮本に渋いライト前タイムリーを打たれて先取点を取られる。その後、阪神は毎回のようにチャンスを作るが大山がノーアウトから三振ゲッツーを取られるなど点にはならず最終回を迎えた。ヤクルトのクローザー田口投手もやや制球力を欠き、先頭の佐藤輝明はレフトフライで討ち取ったが、ここから阪神は右の代打攻勢をかける。まず野口が四球、渡辺はライトフライとなるが、原口がヒット、坂本のサードゴロを守備固めで入ったヤクルト・北村がファンブルで2死満塁を作る。ここで近本がライト前タイムリー、返球もそれてランナー2人が帰り、サヨナラ勝ちとなった。

確かに岡田監督が日頃からコメントしている通り、①最後まで1点差ならばわからない、逆転は可能である、②四球、エラーを呼び込むことが大切、そう簡単には連打はできない、③審判の判定は絶対で、ボール・ストライクの判定は選手自身が勝手にしてはならない、そのためにファールがある。例えば7日の8回裏1死3塁で打席に立った前川は10球も粘りに粘り、惜しくも三振とはなったのだが、これは岡田監督が見逃すわけがない。

この9日間で一旦は勝率5割となったが、結果としては5勝3敗、6月の平均得点が2.3に対して7月は3.0まで増えてきた。まだまだ、近本、大山、佐藤輝明の好不調の波はあるが、少しずつは回復しつつある。一方で失点は6月2.4に対して7月も2.4と好調を維持している。打率は.224とセリーグ最下位だが、防御率は広島につぐ2.21。暑い中、相変わらず中継ぎ投手への負担は減らないが、その中で運も味方に付けて勝ちを拾って行って欲しいものである。ちなみにエラーは12球団1位の53である。(脱稿、7月10日午後5時)

関東三十六不動尊巡り⑬〜第11番札所亀頂山三寳寺

2024-07-10 05:00:00 | 霊場巡り
関東三十六不動尊巡り⑬、今回は第11番札所亀頂山三宝寺にお邪魔した。この一つ前に第10番札所田無不動尊からは西武新宿線で上石神井駅まで行き、そこから大泉学園駅行きのバスに乗ると付近に到着できる。





表の通りから少し入るのでウロウロしながら行くとお寺の参道の途中というか、ほぼ本堂の前に出てしまった。一度参道を戻り、御成門から参拝する。徳川家ゆかりの門であり、1827年(文政10年)に作られたもの。三代将軍家光が狩猟の際に訪れたので御成門と呼ばれている。





参道を行くと右手に鐘楼、左には出世大黒天堂。



よく見ると地下に地蔵堂があり、檀信徒自らが彫刻奉祀されている地蔵尊が1000体お祀りされている。地下の部屋に入り、スイッチを入れると現れた壮観に正直驚いた。



地上に出て真っ直ぐいくと本堂があり、その前には大きな枝垂れ桜。三宝寺は1394年に鎌倉大楽寺大僧都幸尊法印の開山で真言密教の道場として作られた。



その後、豊島氏の帰依を受け、勅願寺となり、1477年に太田道灌が石神井城を攻め、落城させた後に豊島氏の菩提を弔うため、現在の地に移した。その後、北条氏や徳川家の祈願所となり、発展した。しかし、2度の火災で当時の建物は御成門のみが残る。



本堂の左側には奥之院大師堂。さらに根本大塔がある。大塔は三宝寺開創600年記念して発願建立されたもので伽藍は金剛界大日如来を標幟しており、さらに前にある大きな十一面観世音像は平和観音と名付けられ、墓地を見守っている。


根本大塔の裏にある観音堂には如意輪観音さまが祀られていて西国、坂東、秩父、武蔵野の霊場百三十三観音が祀られている。
広大な敷地にたくさんのお堂を配し、また、新たに多くの像を祀り、周囲からの信仰を集めた古刹である。

また、関東三十六不動尊以外に御府内八十八ヶ所、武蔵野三十三観音霊場などにもなっているありがたい札所である。生憎の天候だったが、全ての建物を回ることができた。