hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

老李〜日本橋ランチグルメ

2023-01-31 05:00:00 | グルメ
日本橋を歩いていたらまた坦々麺の店を発見した。この店は本店が長崎市にあるようで水餃子は『長崎水餃子』とネーミングをしている。お店の名前は『老李(ラオリ)』という。看板メニューは坦々麺と麻婆豆腐、珍しいところでは焼きチャンポンなどもある。



まだ、早かったためかカウンターに1人、ボックスに3人が先客、サービスメニューである『坦々麺+水餃子』(1320円)を頼む人が多いようである。カウンター内にはフロア担当兼雑用の若い人と調理人が2人、中華街のような店作りである。目の前には大きな紹興酒の白い壺、中身は飲めるようである。



店の奥では麺を茹でたり、スープを作ったりしている。このタイプの店で券売機がないのも最近では珍しい。私も坦々麺+水餃子にしたが、サービスで杏仁豆腐かライスが付くというので杏仁豆腐をチョイスした。

少し待ってやってきた口が広い大きな丼、辛そうなスープの上には叩いた豚肉と炒めた味噌。さらに糸唐辛子、青梗菜が乗っている。

まずはスープを一口、複雑にスパイスがはいり、辛味も強い。ただ、味噌の部分は甘く、全体でバランスが取れている。
麺は極めて細い、干した麺なのかもしれない。素麺を彷彿させる細い麺はスープによく絡み、熱い。食べていくうちだんだんスープの旨みにハマりだす。

水餃子はネーミングの割には普通。味が付いていてラー油のみで頂く。
杏仁豆腐は上にきな粉かきび砂糖かが振ってあったが、これに咽せて味がよく分からなかった。

日本橋・人形町は坦々麺の激戦地ではあるが、流石に10年以上ここに店を構えているだけのことはある。ご馳走さまでした。





老李
中央区日本橋室町1ー11ー5
05054570581


天文台構内古墳に行ってみた

2023-01-30 05:00:00 | 古墳
『古墳と遺跡を巡る』東京編①。
『東京天文台』と『上円下方墳』の関係と言われても中々ピンと来ない。しかし、三鷹市大沢にある東京天文台の敷地の中に古墳があると聞いて行ってみた。

東京天文台は東八道路を走り、天文台通りを左に曲がり、少し行くと右手に現れる。天文台裏というバス停の手前に有料駐車場があるのでそこに車を入れた。

構内を歩いているとお隣の図書館の係員らしき人がいたので天文台の警備室をまず教えてもらい、次に『古墳の場所はご存じですか?』と聞くと不思議そうな顔をされ、『古墳なんかないよ。』とあっさり言い切られた。

やむなく警備室に行き、担当の人に話をすると『確かにあるにはあるが、もう発掘調査をして埋め戻したよ。』と言いながら、調査報告書をくれた。

それによると国立天文台三鷹キャンパスのほぼ全域から旧石器時代〜奈良時代の複合遺跡があり、特に全国で4例しかない上円下方墳があるとのこと。警備の人に場所を聞くと最も古い『第一赤道儀室』の奥にあるとのこと。

歩いてすぐのため、天文台見学の前に古墳のところに行く。確かに第一赤道儀室のクラシカルな建物の横に2mほどの小山がある。

その前には古墳を示すプレートがあったが、周りに縄が張り巡らされていて上に乗ることは叶わなかった。

報告書を読むと1970年、71年の2回にわたり発掘調査が行われたが、詳しいことがわからないままであった。そこで三鷹市は土地管理者の国立天文台と東京大学の協力を得て2004〜2009年の5年間に渡り再調査を実施、結果全国的にも珍しい上円下方墳ということがわかった。



古墳の築成年代は玄室から発掘されたフラスコ型須恵器と2点の坏形土師器から7世紀後半と推定されている。同じ型の古墳としては府中市の武蔵府中熊野神社古墳もあり、次回はこちらも見に行くつもりである。


あんかけ蕎麦を頼んだ事ありますか?

2023-01-29 05:00:00 | グルメ
『蕎麦にこだわる』その20杯目。今回は『あんかけそば』にスポットを当ててみたい。蕎麦屋ては色々とメニューがあるが、同じトロリとした餡が掛かる蕎麦でもカレー南蛮やきのこ蕎麦、かき玉蕎麦などと違い注目されることの少ない、しかし、ほぼ全ての蕎麦屋のメニューに載っているのである。

その不思議を解明すべく、2軒のお馴染みの蕎麦屋をたずねた。1軒目は私が1番昼飯を食べている(小諸そばとほぼ同じくらい)の『おそば高松』、とにかくカツ丼が人気の関東風な味付けの蕎麦屋さん。メニューを見ると冬に人気のトロリ系蕎麦があんかけ(900円)、かき玉(900円)、カレー南蛮(1000円)、おかめとじ(1050円)と揃っている。

注文を受けると結構時間がかかる。そして出された蕎麦は濃い茶系の餡の下に具や蕎麦が沈んでいてしかも餡は熱い。このままでは食べにくいので振りネギと七味をかけてから底の方から麺に箸を入れ、粗くかき混ぜてから食べ始める。しかし、熱い、寒い時にはちょうどいい。



中に入る具はかまぼこ3枚(内1枚は切り方が違う)、椎茸、麩、水菜が入っている。食べていると確かにかまぼこは美味いが3枚は多すぎる。餡は優しい味だが、やはり味が私には少し濃すぎる。とにかく早くは食べられないそばでゆっくりと餡を楽しみながら食べ進める。全体的に私にはやや濃いめの味だが、寒い日にはちょうど良いメニューであった。

次にお邪魔したのが人形町の甘酒横丁にある『東嶋屋』。明治初期創業の老舗である。こちらにもトロリ系のメニューは先程の高松同様にたくさんある。『あんかけそば』(900円)はおかめそばと並んで表記されている。

お願いするとこちらは高松よりは早く出された。見た目は高松とほぼ同じ、ただ、ツユの味は少し薄めである。

こちらもそこに沈んだ麺を引っ張り上げ、混ぜて頂く。具はかまぼこ2.5枚、ナルト、椎茸、麩、水菜、さらに卵焼きが入っていた。ここで私は気がついた。

そうだ、蕎麦屋の定番おかめそばと具は同じ、ただ、ツユがサラッとしたのがおかめそば、トロリとしたのがあんかけそばということである。これならばあんかけそばがあまり注文されなくても問題ない。もちろん仮説ではあるが。



ところで味の方は卵焼きが美味かったこともあり、東嶋屋の方に軍配をあげたい。もちろんどちらも大変美味かったが。ご馳走さまでした。

おそばの高松
中央区日本橋堀留町1ー4ー16
0336611484
東嶋屋
中央区日本橋人形町2ー4ー9
0336666964

『江東区海辺』を知っていますか?②

2023-01-28 05:00:00 | 日記
前回に引き続き『江東区海辺』を歩く。大横川親水公園には海辺という船着場があり、3〜11月は船が通っている。



先にある海砂橋(海辺と南砂町にかかった橋のためにこの名前になったのだろう。)のところで上を走る道路に出て歩く。



埋立地のため、道路は碁盤の目のように通っている。海辺にあるのは企業の小規模な流通センターが多く、大きいものはヤマト運輸江東ロジセンターである。


また、地番も順番に付いていて『海辺1番地』は川南海辺公園であった。



公園を抜けると隣は『千田』になる。千田は1723年に近江屋庄兵衛と井籠屋万蔵らが2年かけて開発した新田で近江屋の苗字を取って千田新田という名前が付いた。一旦は隣の石島に吸収されたが、1936年に深川千田町として独立、1968年の住居表示実施により今の姿になった。
(海辺の地名の由来が公園内のトイレの壁に書かれていた)


小規模なマンションや福祉会館、団地が立ち並ぶが、四つ目通りには『千田』というバス停もある。



大通りを越えると商店街となるが、歯抜け部分はあるものの、渋いお店が並ぶ。焼き鳥屋、鰻屋、魚屋、和菓子屋などが並ぶ。『千田1番地』は安彦水産というお魚屋さんであった。



小松橋通りを越えると『石島』になる。右手に扇橋小学校、かなり規模が大きい。石島は江戸時代より開け、芝居などでも知られていた繁華街であった。

石島に入ると商店街がなくなり、また普通の住宅地となる。亥堀橋で大横川と接するが、ここまでが石島となる。『石島1番地』は大横川の岸にあたる場所で、災害用の倉庫があるのみで人家はない。



とにかくこの辺りはザ・下町という街並み、中華料理店の看板を見ても『揚げ豆腐とニラ豚炒め定食』が680円と下町価格であった。






生駒軒〜住吉ランチグルメ

2023-01-27 05:00:00 | グルメ
東京メトロ半蔵門線住吉駅を歩いて猿江恩賜公園近くを歩いていた時に偶然『生駒軒』を発見した。一昨年に茅場町で生駒軒を発見した際に人形町近辺に2軒(うち1軒はトンカツ屋)あったことを思い出し、調べてみたら大正6年に児玉彦治さんが児玉製麺所を作り、そこの麺を使った生駒軒というラーメン屋が東京に100軒近くあった。

しかし、製麺所が廃業、店主の代替わりの際に後継がいないなど店舗数は30軒程度になったことを知った。その後、三ノ輪橋で生駒軒を発見したのだが、私にとっては5軒目の生駒軒である。

入口に『開化楼特注品を使用』と麺には拘った店のようである。入口を入ると1階はカウンターと厨房、席はボックスが1つのみ。2階に案内されるが中二階のような場所、ただ、ここは広々としていて漫画の本やら民芸品やら色んなものが整理されて飾られている。



メニューには麺やご飯系、定食などもあるが、一品料理も揃っている。古式ゆかしき町中華で注文はオーソドクスに『半ちゃんラーメン』(850円)をお願いする。



一階に設置された大きなTVは2階からもよく見える。ワイドショーを見ているうちに注文品が到着。

まずはラーメンから、オーソドクスな醤油ラーメン、麺とスープ以外にはチャーシュー1枚、ワカメ、メンマ多数、ネギが入っている。

比較的澄んだスープは優しい味、縮れ麺は量もしっかりとあり、お腹に溜まる。チャーシューも手作りの煮豚、中々美味い。

チャーハンももちろん作り立て、ネギと卵、チャーシューのみの地味な色ながらいい味。パラパラというよりしっとり系である。私はコショウを振ってから頂くことにしている。特にチャーハンを食べながらラーメンスープを飲むのがいい。

本来ならば餃子も食べたいところだが、歩くのが辛くなるのでここでご馳走さま。勘定を払うと店員さんに大きな声でありがとうございましたと言われたのが気持ちいい。もう1人厨房にいたのは親父さんなのかも、男3人の店でした。



生駒軒
江東区住吉2ー25ー11
0336331784

江東区『海辺』を知っていますか?①

2023-01-26 05:00:00 | 日記
昨年11月にNHKのEテレを見ていたら『魔女の宅急便』の作者である角野栄子さんが出演されていて、彼女の生まれた場所を訪ねる件で『江東区海辺』という地名が出てきた。

江東区には丁目のない住所が『高橋』『冬木』『石島』『千田』そして『海辺』と5つあることを知った。知るとどんなところか訪ねたくなるのが私の悪い癖、冬の昼下がり、何もないかもしれない『海辺』散歩を決行した。



最寄駅は東京メトロ半蔵門線住吉駅、下車してまずは猿江恩賜公園に行く。大正13年昭和天皇御成婚を記念して南側が政府より東京市に下賜され、昭和7年に旧猿江恩賜公園として開園。さらに昭和21年に北側も計画決定し、昭和58年に全面開園したもの。



入口を入ると石などで作られた日本庭園、その一角には『猿江村木蔵跡』や『公園の経緯』などの碑がある。しかし、工事中のためら一度外に出て、真っ直ぐ行く。



税務署を左に曲がると先に上り坂が見えるが、0メートル地帯では橋は上にあるもの、大島橋であった。下を流れている運河が横十間川ですぐ先にクローバー橋が見えてくる。



自然では不思議なことだが、あくまで人の手で作られた川、小名木川て交差しても不思議はない。それにしてもネーミングが素晴らしい。



そのまままっすぐ親水公園を歩くと水門橋、よく見るとマイクロ発電と名付けられた水車がある。その先にはプールや池もあるが、寒寒するこの時期に遊ぶ子供もいない。



次の三島橋を越え、次の岩井橋を越えると海辺なのだが、岩井橋が掛け替えのため、やむなく通りに出る。 



向かいに渡ると『扇島3丁目』、次の通りの先からが『海辺』となる。もちろん周囲を見渡しても川はあれども海はない。海辺は隣の千田・石島と並んでいるが、これは江戸時代に干拓して、当時は『十万坪』と呼ばれていた。これを分割して生まれたのが『海辺』『千田』『石島』の3つの土地なのである。



当たり前だが、周囲の風景も海辺に入っても全く変わらない。ただ、大横川親水公園の中にある方向板には『海辺』としっかり書かれていた。(以下、次回)




PASTAVOLA〜日本橋ランチグルメ

2023-01-25 05:00:00 | グルメ
珍しく強く雨が降るお昼、寒いからあんかけ蕎麦でもと思っていたが、方向を誤り、室町の方に来てしまった。あまり新しい店もない一帯だが、ガラス張りのカウンターの広い店ががらんとしているので入店した。

手打ちパスタの店らしく、『もちもち麺』が強調してある。メニューには色々なパスタがあり、『青唐辛子としらすのパスタ』『アラビアータ』あたりは食べるとポカポカしそうである。

『帆立、おくら、フレッシュトマト』『ウニ、ヤリイカ、明太子』などはオイリーなパスタ、しかし今日は週に3回しか食べられない『アマトリチャーナ』(1100円)に自家製パン(100円)を付けた。

カウンターの中はフロアが1人、彼女は先程からパセリをむしっている。他に若い調理人が男女1人ずつ。店内は先客が女性1人、私の後に1人、雨のためか出足がわるいようである。



茹でたてのパスタをトマトソースで調理して5、6分で到着。合わせて温めてくれたパンも皿に乗せてある。パスタは手打ちだけあって太めもちもち、食感がいい。

加えて茹でたてでとにかく熱いのである。ソースにはキューブ状に炒めた厚切りベーコンが多数入っていてボリュームもある。



食べていくうちにやや単調かなと思い唐辛子オイルをおねがいする。オリーブオイルに唐辛子を付けた黄色っぽい液体は思った以上に辛口でピリッと味を絞める。

たっぷりのソースにパンをつけながら頂く。このパスタにはパンをお願いした方がいい。食べ終わり、コーヒー(200円)でも飲みたい気分だが、急ぐため諦めた。ご馳走さまでした。







PASTAVOLA
中央区日本橋室町1ー12ー6日本橋ムロホンビル1階
05055976030

東京メトロ全駅スタンプラリー〜東西線①

2023-01-24 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その187。『東京メトロ全駅スタンプラリー』東西線①、スタンプラリーも半蔵門線、日比谷線、銀座線、千代田線に次ぎ5路線目。東西線は唯一都外まで伸びている東京メトロの路線(都営地下鉄は新宿線の本八幡駅が千葉県)である。スタートに選んだのは西船橋駅、快速を使うと茅場町駅から22分で到着。

西船橋駅にはスタンプのポスター掲示はない。というのはJR管轄の駅のためである。すぐに折り返しの各駅停車に乗車、一日券のためキセルとはならない。

原木中山駅は『バラギナカヤマ』と読む。ポスターは改札外、駅事務室の横に西船橋駅と原木中山駅が並べて貼ってある。西船橋駅は『東京メトロ15000系と東葉高速鉄道2000系』の車両が並んだ意匠。



原木中山駅のスタンプは『原木山妙行寺』の本堂が描かれている。まだ、このお寺には行ったことがなく、ブログでもこの駅は訪問していないので近々行きたいと思う。

妙典駅は東西線開業(西船橋駅〜東陽町駅)の1969年3月から遅れること31年、2000年1月に開業した東西線内で最も新しい駅である。2線4ホームを備える立派な駅で朝夕には快速の追い抜きを行うことがある。



スタンプは『旧江戸川と常夜灯』のデザインとなっている。

行徳駅は改札内にポスターが掲示されていてわかりやすい。

東西線は西葛西駅〜西船橋駅は地上を走るため、普通の私鉄の駅と変わらない。スタンプのデザインは『あいねすと(行徳野鳥観察舎)』と空を飛ぶカモの姿である。

あいねすとは市川市が三番瀬の前に設置した鳥類観察施設でサギ類やウミウなどを室内からも見ることができるらしい。



南行徳駅も東西線開通後1981年に開業した駅であり、2012年にリニューアル工事がなされている。周辺は住宅地で宮内庁新鴨場がある他はあまり特徴のあるものはない。

スタンプも高架駅の風景に車両を描いた図案である。(以下次回)


蕎麦切り 山茂登〜京橋ランチグルメ

2023-01-23 05:00:00 | グルメ
京橋でお昼時、かつては一本通りを入ると老舗も多くあったが、近年再開発が進んでこうした店も少なくなった。エドグランもそんな再開発の一つで今日お邪魔した『山茂登』もかつてはスタンドアローンのお店であった。

グルメサイトによると元は麻布で創業、昭和26年に京橋に移転した老舗とのこと、エドグランの再開発で地下一階に入居、お昼時はいつも混雑している。

エドグランの地下には明太子のやまやが経営する和食店、明治屋が経営する洋食店のほか、担々麺専門店、立ち食い寿司、ビアホールなどある。その中のお蕎麦屋さんはあっさりしたものが食べたい人が集まるためか、混んでいる。ただ、1時近いため5分ほど待って入店する。

メニューは多彩、中には昼からビールで喉を湿らす人もいるが、殆どは忙しい人。私もたぬき蕎麦(900円)にいなり寿司(100円)を付ける。

それでも混んでいて注文の品が出てこないお客さんが多いように見える。メニューで最も高いのが穴子天蕎麦の1650円、見ている東京寒いからかカレー南蛮が人気なようだ。

ようやく私の蕎麦も到着、かけそばの上にはたっぷりの天かすとワカメ、ほうれん草も添えてある。振りネギと七味唐辛子をかけていただく。



まず一口ツユを飲むが、江戸前の辛口、しっかりした味付けである。蕎麦はいわゆる二八蕎麦、ツルッとして喉越しがいい。麺の量は比較的たっぷりあり、腹も膨れる。

いなり寿司のご飯にはレンコンやひじきなどが入っていてふんわり煮た油揚げに包まれ、優しい味わい、添えてある紅生姜が嬉しい。
伝統の味とはいえ、私にはツユはやや味が濃く、少し残させてもらう。まあ、東京では蕎麦のツユを全て飲む人はあまり多くないようなきもするが。ご馳走さまでした。
蕎麦切り 山茂登
中央区京橋2ー2ー1京橋エドグランB1
0332810009

小金井の坂⑤

2023-01-22 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その168。小金井の坂道⑤、以前に武蔵小金井駅を降りて南側の坂道を歩いたが、今回は北口側の坂道を歩いてみることにした。

駅北口からまっすぐ伸びる小金井街道と北大通りが交差する本町2丁目交差点から北に行く緩い坂道が『赤い鳥居坂』である。
(赤い鳥居の坂)
向かって右側には『大松木下の稲荷』が祀られていて赤稲荷とも呼ばれていたため、この坂の名前が付けられた。



北大通りを左に曲がる。左側に郵便局が出てくる。この郵便局に沿った上り坂が『虎さんの坂』。入口には大久保虎吉さんが住んでいたためらしい。




(虎さんの坂)

北大通りを渡り、仙川を越えたあたりから坂になっているが、これが『三五郎さんの坂』、こちらは明治中期頃に坂の東側にあった中川三五郎氏の名前をとった名前。ただ、今は中川さんは住んではおられないようだ。



(三五郎さんの坂)

この坂道に並行するようにあるのが『島崎の坂』。築樋跡の説明板から仙川を渡った北側の坂道でかつては島崎家の東側をまわるように通った坂だった。

(島崎の坂)



ほぼ並行するように奥にあるのが、『権寅さんの坂』、明治の初め頃に権さんとその息子寅さんの家があった事に由来する。

(権寅さんの坂)

もう一本並行してあるのが、『弥五ちゃんの坂』。この坂は昔は急な坂道で西側に通称弥五ちゃんと呼ばれた家が一軒だけあったことからついた名前らしいが、いまは本当に緩い坂である。



(弥五ちゃんの坂)

武蔵小金井駅の南側は国分寺崖線の影響か急坂ばかりだったが、北側は緩い坂ばかり。人の名前や通称がついた坂道が並んでいた。(以下次回)