『改めて日本語を考える』その24。突然ではあるが、『迷惑』という言葉を日本人は多用する。迷惑という言葉自体は大変古い言葉で、元は仏典や外典の用語であるが、万葉集や平家物語などでは『戸惑う』『どうして良いかわからない』という意味で使われていた。
しかし、これが現代では『公衆マナーを守らない』ことをするという意味に変化している。民俗学者の岩本通弥教授の研究から引用すると修身の教科書で1892年のものは単に被害を受けるものたして迷惑が使われているが、1904年の教科書には『道路で遊んだり、塀や垣にいたずらをすることは世間の人の迷惑になる』と使われ方が変化している。
実はこのような迷惑ということは日本独自の文化と思われるのである。
と言った前置きはともかく、これぞ迷惑という場面に今週は2回も遭遇してしまった。一つ目はオフィスに朝向かう通勤路。私は7時半頃にもう7年以上歩き慣れた日本橋小学校前の道を歩いていた。この道は人形町→水天宮の一方通行(表通りの人形町通りが逆の一方通行のため)である。人形町方向に歩いていて小学校の前の横断歩道を渡った。その際に車は右からしか来ないはずで左側はよく見ていなかったが、そこに逆走する軽自動車がやってきた。
しかもクラクションを鳴らし、一旦停止もせず、私の横をギリギリで走り抜ける。危なく接触事故になりそうだったため、私は危ないと叫んだが、知らぬふりで先に行く。この1日は不快な日となってしまった。
そして2つ目、これは今朝の井の頭線久我山駅で渋谷行き急行に乗った直後に撮った写メである。顔は写らないようにはしたが、こんな男がシートの半分を占領して、土足のまま寝ている。しかも通路の真ん中には彼の鞄とその中身が散乱。永福町駅で一旦目を覚ましたが、また、寝入る始末。
渋谷駅で中年のおばさんが病気かと思い、揺り動かしたが、起きないため駅員を呼びに行った。その後はどうなったかは知らないが、まわりは私も含め、見て見ぬ始末。まあ、声を掛けるのもリスクが多すぎるが、終電間際ではなく、朝の6時台の話である。いったいどうなっちゃっているのか。まさにこれこそ迷惑である。
ところで今日はハロウィン、まさに『迷惑』の塊のような渋谷駅になるのであろうか?コロナが怖くてそうはならないだろうか?いずれにしても私は近寄らない予定ではあるが。