hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

海南鶏飯〜日本橋ランチグルメ

2018-12-31 05:00:14 | グルメ

このところ連日の忘年会のせいか、和食の割合が増えてくる。そのため、いつもの日本橋で何か違う味と探したのがシンガポールチキンライス。ここにもそんな店があったんだと気付いたのは三越のお隣、日本橋三井タワーのB1である。

他にもうどん屋、ハンバーガー、ステーキなどいろいろな店が集まっている。シンガポール料理専門店だけあって、ちゃんと店内にはマーライオンがいて、タイガービールの生も飲めるのである。

カウンターに座り、当然『海南鶏飯(ハイナンチーファン)』(980円)をお願いする。鶏は「揚げ」か「蒸し」かどちらを選択するかで悩んだが、今回は揚げにしてみる。

注文後5分くらいでチキンライスは到着。この店はライスは茶碗によそってあるタイプ。まずは揚げ鶏をそのまま一口、カリカリでうまい。

ソースはブラック(醤油やたまりを濃くしたような味)、チリ(甘くないチリソース)、ジンジャー(生姜中心のソース)の3種類。いずれも旨いが難点はブラックとチリはソースがの量が少なすぎる。

大根サラダに移るが、これは普通の和風ドレ。次に揚げ鶏にソースを絡めてライスに乗せて食べるが、さすがに旨い。さらにジャスミンや鶏スープ、ニンニクなどの味がついたライスは単独で食べてもすごく旨い。生姜を乗せてブラックソースを絡めたり、チリソースにしたり、きゅうりやトマトも合間に食べ、スープを飲み、あっという間にご飯が減っていく。

ソースがこの量ならあっさりとした蒸しタイプよりこってりとした揚げタイプの方がいいかもしれない。シンガポール大使館御用達だけあって美味さが違い、日本人にも人気満点であった。ご馳走さまでした。まあ、今年も昼に夜に色々と食べ歩きましたが、来年はどうなるやら。


シンガポール海南鶏飯
中央区日本橋室町2ー1ー1日本橋三井タワーB1
05055714739

1丁目1番地1号〜丸の内・大手町編

2018-12-30 05:00:56 | 日記

『1丁目1番地1号』その6回目は皇居大手門前がスタートポイント。実は『千代田区丸の内1丁目1番地1号』は大手門の向かいにあたるパレスホテルのビルなのである。


私は立て直し後にたまの媒体のイベントに来るくらいだが、30年ほど前はホテル本館の前には古ぼけたビルがあり、中に同友クラブという経済同友会の懇親の場があった。その頃とは全く違う雰囲気となっている。

永代通りを向かい側に渡ると大手町タワーJXビルがそびえ立つが、このビルは残念ながら『千代田区大手町1丁目1番地2号』である。そう、大手町と丸の内の『1丁目1番地』は向かい合わせにはないのである。


このビルをお堀端に沿ってぐるっと回ると隣の大手町パークビルに到着、ここが『千代田区大手町1丁目1番地1号』なのである。(よく見るとビルディングの後ろの数文字が消されている)わずか1ブロックだが、区画も大きく、また表示板がないので番地を確認するのが結構難しい。


向かい側の建設中である三井物産の本社ビルは姿を現し初めてきているが、その中にポッカリと神社というか、祠があるので見に行く。実はこれが将門首塚である。


首塚の住所は『千代田区大手町1丁目2番地1』、将門が追討軍の藤原秀郷などに討ち取られたのが940年と言われているが、その後も付近の住民たちは将門の怨霊に苦しめられていた。そこで時宗の僧侶他阿が1307年に将門に法名を贈り、傍の寺を時宗に改宗することにより怨霊は収まったという。

しかし、大正時代に発生した関東大震災で首塚そのものが倒壊、跡地に大蔵省の仮庁舎を建設しようとしたところ関係者の怪死が相次ぎ、当時の大蔵大臣までも不慮の死を遂げたことから計画は中止された。そして神田明神が祭主となり、将門の鎮魂祭が行われ、現在も周辺企業が掃除・整備を繰り返している。新ビル建設後もここは変わらないだろう。

墨之栄〜日本橋ランチグルメ

2018-12-29 05:00:39 | グルメ

今年もはや仕事納め。ただ、飲み過ぎで胃が元気がないため、今日のランチはさっぱりとと思った。しかし、大晦日には蕎麦だし、毎日うどんじゃつまらないしと結局コレド室町の2階にある墨之栄さんにお邪魔した。

かなり以前に飲みにきたことがある店だが、天狗舞で有名な車多酒造直営のお店。入口には炉端にニシンなどの魚が立てられていていい具合に焼けている。ランチメニューは1000円台が多い。

今日は焼き魚ができるのを待つ時間もないのでニシンや鯵干物、鯖などは諦めて漬け丼(税込1000円)にする。刺身定食や漬け丼はすぐできるので5分ほど丼が到着。

漬け丼のほか、小鉢がひじきの煮物、温泉たまご、味噌汁はアラは入っていないが漁師汁。まずは漬け丼から。やや甘めのタレに漬け込まれたべっ甲色の刺身は美味い。さらにトロロとイクラも載せてある。

漁師汁は大ぶりの大根、人参が入っていて魚のいい出汁と相まって美味い。少しワサビ醤油で味を補完しながら食べ進めていく。

結構たくさん刺身が乗っていて、ボリュームもあるが、醤油とタレの染みたご飯はやはり進んでしまう。温泉たまごはどのタイミングで食べるべきかはわからないが、取り敢えず食べる。

工夫したければポットのお茶をかけても旨いかもしれないが、それまでたどり着けずに完食。擦った生ワサビも美味かった。ご馳走さまでした。


墨之栄
中央区日本橋室町2ー2ー1コレド室町2階
05058683515

赤羽橋駅(2)

2018-12-28 05:00:06 | 日記

『メトロに乗って』その100。ついにこの企画も100回目、前回に続き、赤羽橋駅から歩く。テニスコートの先には首都高速芝公園出口、さらに歩くと右手に新たな橋が見えてくるがこれが将監橋(しょうげんばし)である。

面白い名前の橋だが、由来は近くに金森将監という旗本がいて、彼の名前をつけてのか、彼が橋を渡したのかわからないがここから来ているようだ。この橋は1968年に竣工、幅員17.8m、長さが23.4mある。

橋の下をよく見ると増上寺に向かってトンネルのような穴が開いている。また、橋の横には鳥居、その前にはお寺の入口のような石柱、通現院と書いてはあるが、お寺はない。


祠は『元禄七年銘納経石塔』と書いた説明板、さらに観音菩薩と不動明王の二体が彫られた石塔がある。説明板には増上寺への納経に関わって造立された石造物ということが書かれていた。やはり、この辺りは増上寺と東京タワーがメインなのであろう。

さらに下流に向けて歩く。国道15号線に架かる橋が金杉橋、江戸時代の東海道にあたるが、ここから日本橋までは1里あった。


この辺りでは古川が金杉川と呼ばれたために付いた名前で、赤羽橋と同様である。川には沢山の船が係留されている。

江戸時代の錦絵を見ると海岸近くにあり、この先は埋立地であることがよくわかる。この橋を渡ってすぐ南側には勝海舟と西郷隆盛が江戸無血開城を決めた薩摩藩蔵屋敷がある。

ここまで来ると大門駅や浜松町駅はすぐ、ちょうど一駅分歩いたことになる。

一楽〜新橋グルメ

2018-12-27 05:00:44 | グルメ

今年は忘年会の回数が多い気がする。ただ、それも終盤戦に来てゆっくりできるOさんと2人の忘年会の場所は新橋の『一楽』にしてみた。昨年は確か赤鬼だったが、割烹のカウンターでお任せ料理に舌鼓を打つのもいいかなというのが今回の店選択の理由。

私が店に入ったのは6時25分、1番乗りであった。しかし、Oさんも含めてバタバタとお客さんが来店、10分も経たないうちに満員となる。カウンターで板さんの所作を見るのもいい。


まずは生ビールで乾杯、すぐにあん肝を使ったムースが出され、これをちびちびやりながらビールを飲む。

ここからは日本酒、おススメを聞くと『あらたま』(山形県)が出てきた。今回は1合ずつでは面倒なため、2合にしてもらう。あらたまはすっきり系、ただ、最後に旨味が残る。お通し盛り合わせは上から時計回りに梅水晶、かまぼこ、車えびの塩煮、ハタハタの一夜干し、たらこ昆布巻、つくね、真ん中がアメーラトマトというラインナップである。車えびは活けのものらしく甘くてうまい、ただ頭からと言われたがやはり殻は剥いていただく。

そこでもう2合空いたので次は金鶴(新潟県)佐渡の酒は美味い、薄濁りの香りを楽しむ。ここで左側でガタっという音、ご主人が天然ヒラメを見せてくれるがこれが元気なこと。

少し待つとヒラメの刺身、コリコリしていて塩とワサビでいただく。酒が進みすぎるつまみばかりである。

さらにカツオ、マグロかと思うほど脂がのっていて、添えられた辛子を付けていただく。これには農口(石川県)を合わせるが、濃醇で受け止めてくれる。


次は酒肴3品(こんにゃくと牛蒡の煮付、鰆の西京漬、出汁巻き)、ここで美和桜(広島県)備前雄町の原酒。しっかりした旨口だが、最後に甘みもある。


これには鯵の刺身が良くあっていた。締めは土鍋で炊いた炊きたての白飯、さらにちりめん山椒と味噌汁。


これを食べるからカロリーオーバーだが、まあ、今日は気にしないことにして。いや、それにしてもいい肴、いい酒で楽しかった。ご馳走さま。

一楽
港区新橋4ー6ー5
0334334848

◯助 の話

2018-12-26 05:00:56 | 日記

『改めて日本語を考える』その17。ふとしたことから気がついたこと、「◯助」という言葉は意外に多いが、その由来が気になりはじめた。

最初に気づいたの『半助』、これは東京の人にはあまり馴染みがないのかも知れないが、うなぎの頭を焼いたものである。関東はうなぎをさばくときに頭は落としてしまい、串うち、蒸し、焼きとなるが、関西は蒸さず、腹開きしたうなぎに金串を刺して背鰭や尾鰭、頭を付けたまま焼いていく、いわゆる地焼きと呼ばれる調理法である。

このため、頭の部分もこんがりと焼けていて、最後に頭を落とす。これを鰻屋では10〜15匹分を纏めて売っている。これを半助と呼び、出汁を取るのに使ったり、少ない身を食べたりする。家庭料理だが、半助鍋にして豆腐や野菜と煮込んだり、うどんにしたりするといい出汁が出る。ではなぜ半助というのだろうか?

あまり明確な答えではないかも知れないが、①明治時代は1円のものをよく円助と呼んだが、50銭で売っていたので半助、②半助という男がうなぎの頭を売っていたなどの説がある。

また、食べ物のことだが、『久助』という言葉を聞いたことがあるだろうか。よく煎餅屋にいくと割れたり、焦げたりした煎餅を纏めて安い価格で売っているが、これを久助と呼ぶ。実は久助と呼ぶものの一つに葛粉がある。

今も続いているのだが、福岡県秋月に広久葛本舗があるが、ここの主人は高木久助を名乗り(現在は10代目)、一子相伝で葛粉の製造を行なっている。この葛粉の品質が良かったので業界では葛粉=久助と呼ばれた。ここから転じて「割れて商品とならなくなった煎餅→屑→葛粉→久助」という説がある。

最後の一つが『三助』である。最近はあまり見かけなくなったが、公衆浴場で背中を流してくれる職人のことをこう呼んで金を払って洗ってもらった。江戸時代初期には湯女という女性がいて同様のサービスをしていたのだが、性的なサービスにエスカレートしたため、お上がこれを禁止した。

これに変わり男が勤めるようになったのが三助だが、その名前の由来は①江戸時代の銭湯で働いた人気がある流しの三兄弟が皆助が付いていたから、②奈良時代に光明皇后が浴室を建設して天然痘の患者を治療したが、その際に光明皇后を助けた3人の典侍が三典(さんすけ)と呼ばれたからなどの説がある。

他にも『ポン助』『助六(寿司)』などもあるが、今回はこの辺で。


伊勢 小伝馬町店〜小伝馬町ランチグルメ

2018-12-25 05:00:38 | グルメ

このところ小伝馬町ランチがマイブーム化してきたが、今日のお店は『伊勢 小伝馬町店』。本店は神田駅の高架下にあり、ランチの親子丼が有名。

しかし、昼時は混雑するのと1階は立食いのため、行ったことがないのだが、小伝馬町店はちゃんと席があるので安心して入店。

入口には『ランチタイムサービス 伊勢の親子丼 950円→680円吸い物付き』と大書きした看板が出ている。入ると腰が低い店員さんが『申し訳ないがカウンターで』と声を掛けてくる。もちろん従うが、カウンターばかりが繁盛している。注文は親子丼(税込730円)、すると『一丁』とのみ調理場に通す。


そこから親子丼を作り始めるのだが、まずは漬物と吸い物が登場、吸い物は蕎麦猪口くらいの器に入っていてやはり熱い。

蓋のついた木製の丼に入った親子丼が登場、美しい黄色の卵の中に所々鶏肉が盛り上がっていて、上には三つ葉があしらわれている。

まずは一口、アツアツというのが第一印象、ここで吸い物に行くとさらに熱い。味付けは比較的薄め、やげんぼりを掛けるとよく効く。お客さんはどんどん、それも1人客ばかり入店。鶏肉もしっかりした身でコリコリ、柔らかい卵もちょうど良い火加減である。

残念なのはスプーンが使い捨てのプラスチックであることくらいか。量もちょうどよく、女性の1人客が多いのもそのためか。ランチは親子丼、そぼろ親子丼、モツ入り親子丼しかメニューはない。丁寧な仕事が好感が持てる店であった。ご馳走さまでした。

伊勢小伝馬町店
中央区日本橋小伝馬町3ー9
05055717766

『猪』にちなんだ地名

2018-12-24 05:00:56 | 日記

暮れになると翌年の干支、『猪』が付くものをさがしてみる。前回に猪の付く駅は5つ(猪苗代湖畔駅は休止のため、実質4駅)、坂はないという話題を書いたが、地名も少ない。それでもあるサイトによると千葉県には11箇所あるが、埼玉県は2箇所、神奈川県はトンネルの名前のみ。肝心な東京は2箇所、しかし1箇所は小笠原諸島(母島猪熊谷)のため、行けるのは1箇所しかない。

その1箇所とは狛江市猪方(いのかた)である。狛江市は都内ではもっとも狭い市、全国的にも埼玉県蕨市に次いで2番目である。猪方は市南部にあり、鉄道駅は小田急線和泉多摩川駅が最寄駅、成城学園前から多摩川を渡ってすぐの左側に見えるあたり。

猪駒通りにバスが走っていてこの道はほぼ多摩川と平行している。小田急バスのバス停には『猪方』『猪方4丁目』の2つがあり、いずれからも多摩川の堤防まではごく近い。

私も猪方で降りて堤防まで行くが、ちょうど堰が設けられていて、沢山の水鳥が羽を休めていた。また、付近は大きく開けていて小田急線の陸橋がよく見える。


猪方の地名は古く、1889年に町村制が敷かれた際に駒井村・和泉村・猪方村・岩戸村・小足立村・覚東村の6つの村が合併して狛江村となったとのことで江戸時代からあった地名のようである。さらに現在も『猪方』の名称は残されている。


付近を歩いてみると比較的古くからの住宅街と新たに作られたマンションが混在していることが分かる。今は平穏な場所だが、テレビドラマ『岸辺のアルバム』にも描かれた1974年の多摩川水害の被害が出たのもこの猪方4丁目付近である。杉浦直樹、八千草薫などが出ていたショッキングなドラマとは違うかもしれないが、子供の頃に家が水害で川に流されていく風景は忘れられない。

そのため、川岸からは3段階の高さで堤防が作られていて、川を見るために登るのも階段を20段くらい登らなくてはならないのだ。『猪』の付く地名を探していて、ふと昔の記憶が戻ってきた。

兆楽〜渋谷グルメ

2018-12-23 05:00:49 | グルメ

渋谷で食べるB級グルメ、大衆中華にはまりつつある。『長崎飯店』の皿うどんや『カニチャーハンの店』のカニチャーハンで味をしめ、新たに店にやってきた。今回の店は『兆楽本店』、ルース系の料理が名物なのである。

場所は井の頭通りを東急ハンズに向かう途中、角海老のビルの隣、黄色い看板がよく目立つ。先程のルース系と言ってもピンと来ないかもしれないが、正しくはロース系なのかも、というのは青椒肉絲の肉と筍のみを炒めた餡をラーメン、焼きそば、丼めし、チャーハンなどにたっぷりと掛けたものである。

今回はルースチャーハン(780円)、これは姉妹店の道玄坂店にはないメニューである。店は厨房の周りにカウンターがあり、1人〜2人はこちらに座るように指示される。目の前にはそれほど広くない店で調理人が4名、1人は追い回し、後もいるかもしれないが、把握するのが難しい。

すぐに中華スープがまず登場。2分ほどして同時に入店した隣のおじさんの生姜焼き定食が登場、しかし、私のチャーハンは制作途中である。さらに5分、ようやくルースチャーハンが運ばれてきた。

まず驚いたのは掛けてあるルースの量の多さ、一口食べると甘辛で万人が好む味付け、作りたてで熱いが、ついつい口に運んでしまう。筍はもちろん、豚肉の細切りもたっぷり、ルースを食べ、卵チャーハンを食べ、一緒に食べ、またルースをいただく。これを無限に続け始める。少しラー油を足して辛味を足したりはするが、とにかく美味い。

すると100円高い大盛りが横を通るがこれが量が多い。若い人からの支持はもちろん、中高年も多い。厨房にはコックが4人、とにかく手際よくどんどん注文をさばいていく。卵とキクラゲの炒め物、酢豚などうまそうなメニュー、シュウマイや餃子、天津飯とにかく色んなメニューを作るが、やはりルース系の注文が多いようであった。満腹いたしました、ご馳走様。

兆楽
渋谷区宇田川町31ー5
0334616400

『猪』にちなんだ坂道と駅

2018-12-22 05:00:24 | 鉄道

12月になると来年の年賀状を考えるタイミングとなる。毎年、干支にちなんだ坂や駅などを図案にしているが、来年の亥(猪)年はなかなか悩ましい干支である。このブログで4年ほど前に未(羊)年は困るということを書いたような気がするが、確か『羊』のつく駅名は皆無であり、坂道もわざわざ横浜まで行って『山羊坂』の写真を撮りに行った。しかし、猪(亥)これとあまり変わらない。

坂道はというと猪・亥の字が入った坂道は調べる限りない。猿坂や蛇坂、たぬき坂、きつね坂などはあるのだが、猪系の名前が入った坂道はない。

駅はというと北は福島県、西は兵庫県まで計5駅がある。まずは福島県にあるのが、猪苗代駅(磐越西線)と猪苗代湖畔駅(同)である。猪苗代駅は会津若松駅から6つ目、猪苗代町の中心駅となる。

猪苗代湖畔駅はさらに3つ先にあるが、元々は猪苗代湖への湖水浴客のために夏のみ開業する臨時駅であった。ただ、2007年以降は休止している状態である。(なお、『猪苗代』の由来ははっきりしないが、神様が野猪に稲の耕作を命じたため、猪+苗代となった説やアイヌ語という説があるが、はっきりは分からない。)

岐阜県にあるのが猪谷駅(高山本線)である。この駅はかつて国鉄神岡線への分岐駅で、主に神岡鉱山で採掘される亜鉛鉱石の運搬のために作られた。神岡線はその後、民営化して神岡鉄道に引き継がれたが、鉱山廃坑もあり、2006年に廃止されてしまった。

私鉄では伊賀鉄道の猪田道駅(三重県)がある。もっとも西にあるのが福知山線猪名寺駅である。猪名寺駅は福知山線電化(1981年)のタイミングで塚口駅〜伊丹駅間に作られた比較的新しい駅である。その駅名の由来となった『猪名寺』という寺院は飛鳥時代に作られた歴史のある寺であったが、天正時代に織田信長と荒木村重の戦で焼失し、廃寺となって、地名はあるが、寺院跡のみ残る。
十二支の中でも犬や猿、馬、鳥などに比べて圧倒的に猪のつく駅は少ない。さらに『亥』のつく駅は全くないのである。