hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

早慶戦観戦記

2015-05-31 05:00:57 | 日記

春の早慶戦も初めて行ったのが1978年5月でから37年も前の話になる。その時も確か早稲田が勝てば優勝だったような気がする。今シーズンの慶応は最初に法政に連敗し、その後3大学には勝ち点をあげた。そのため、勝ち点4の早稲田を優勝決定戦に持ち込むにはあと1つも落とせない一戦である。


大学の同級生2人と久々に神宮球場に集まる。今日は37年前と違い、良い天気。今日はゆったり見ようと5人定員のファミリーシートで見る。初めて座ったが、投手の球筋もよく見え、また、テーブルもあるのでピクニック気分。


ただし、天気が良すぎて暑くてかなわない状態で近所のボックスは男5人が上半身裸で異様な雰囲気。

試合は1時にプレイボール。慶応が加藤、早稲田が大竹の両エースが先発。加藤君はストレートで押すのに対し、大竹君は多彩な変化球とコントロールが信条。


3回まで投げ合いが続いたが、4回に早稲田がヒットと四球で満塁と攻めて犠飛で先行。7回には河原のタイムリー2塁打で2点目。球は来ていたし、加藤君が打たれたヒットは3本でも6四球では勝てない。また、打撃は慶応は投手の加藤がようやく6回に初ヒット。トータルのヒット3本では勝てない。加藤君の後の三宮投手が打たれ、4対0の完敗。投打に早稲田の勢いが遥かに上回る試合であった。


それにしても早稲田の2年生投手大竹にはこれからも苦しめられそう。ただし、グラウンドは負けたが、応援席は3塁側が上回る状況で、野球部には秋に雪辱を期待したい。それにしても暑かった。


そば処 為治郎~東京駅ランチグルメ

2015-05-30 05:00:30 | グルメ

東京駅八重洲中央口改札を出てすぐのところに『そば処 為治郎』がある。前から気になっていた京風の麵処でいつも混んでいる。

2012年に出来たこのお店は京都清水寺近くの産寧坂や祇園などに支店がある甘味+そば処で周囲の立食いそばとは一線を画す。(この店は立食いではない)

それでも店に入るとすぐ右手に食券の販売機。ただ、席を案内する人もいて席に着くとお手拭きと水が出される。ただ、メニューが多い割には外にもショーケースはなく、自販機の前で渋滞するのは困りもの。

今回は鶏そばあっさり(950円)を注文、ラーメンはあとは『鶏そばこってり』。そばうどんはニシンそばや鴨南蛮うどん、牛肉そばなどが名物のようだ。

5分ほどで鶏そばは到着、あっさりだけに澄んだスープにとりチャーシュー3枚、味玉2つ切りが2つ、あとは白髪ネギが天もりになっている。スープは本当に優しい味で二日酔いでもいけそう。しかし、出汁がよく効いて味の薄さを感じさせない。また、横には西尾八つ橋が1包2枚が付いている。そう、実は銘菓八つ橋では老舗の『本家西尾八つ橋』がやっている店なのである。麵は中細麺ストレート、喉ごしがよい。味玉と鶏肉チャーシューもあっさりはしているが、いずれも美味い。食べ始めるとするすると入り、すぐになくなる感じで、完食後もやや物足りなさを感じる。こってりは鶏の水炊きのような白濁スープでこれなら満腹するかもしれない。

因みに隣の人は牛肉そばを食べていたが、牛肉が多く乗っており、多量の青ネギがアクセント。美味そう、かつ、ボリュームもありそうである。ただ、思いの外、鶏そば目当ての客が多い様子、また、旅行客よりサラリーマンの方が目立つ。

スイーツも喫茶タイムやモーニングタイムもあり、違う楽しみ方もある店のようである。東京駅内なのに駅そばではなく、京都を感じさせてくれる落ち着いた麵どころと言えるだろう。

そば処 為治郎
千代田区丸の内1ー9ー1東京駅1番街1階
0332166717

森下駅(都営新宿線、大江戸線)

2015-05-29 05:00:09 | 日記

『metroに乗って』その19。今回は森下駅で降りる。この駅は元々1978年12月に都営新宿線の開通と共に開業、その後2000年に都営大江戸線の駅も開業、乗換駅となり、都営新宿線の快速停車駅となった。


駅を降りると新大橋通りと清澄通りの交差点辺りに出る。そこから清澄通りを南に行くと『カトレア』というパン屋があるが、この店こそがカレーパンの産みの親である。もちろん、今も看板はカレーパンだが、他にも美味そうな焼き立てパンが並んでいる。


その先を左に曲がると深川神明宮の前に出る。境内には神輿をいれる倉庫が並び、下町風情、隣には幼稚園。また。日本画家の伊東深水生誕地の碑がある。



この辺りには小規模な紙問屋や印刷工場が立ち並び、フォークリフトや印刷機の音がする。


清澄通りに戻ると目の前が高くなっているが、これが高橋(たかばし)。小名木川に掛かる橋で左手には水門がある。かつてはどぜうの名店『いせ喜』があった辺りだが、今はマンションになっているのは少し寂しい。




この辺りは高橋という地名だが、丁(目)のない、地番だけの小さなエリアである。

橋の袂には二代目中村芝翫の邸宅跡があり、川を渡らず、小名木川沿いに7分ほど歩くと隅田川にぶつかる。


その手前には芭蕉稲荷、かつての芭蕉の草庵の跡、つまり『奥の細道』の最初の段に出てくる『杉風が別所』である。その先の階段を上ると芭蕉像が隅田川を見渡している。あまり知られてはいないが、この像は時間によって機械仕掛けでその向きが変わる。(普段は隅田川方向に向いているが、午後5時になると左側の清洲橋方向に動き、さらに午後10時に元に戻る。)こんなトリビアも街散歩にはいい。



また、さらに少し隅田川の上流に行くと資料館もある。この辺りは川も広く、川を渡る風が心地よい。


少し来た道を戻り、芭蕉そばという立食い蕎麦屋や渋い酒屋の前を通って、高橋まで戻り、右に折れて小名木川を渡るともうすぐに清澄白河駅。


意外に近く駅間(出口から出口)は500mくらいしか離れていない。ただ、この辺りの下町散歩は中々楽しいが、暑い季節は日陰がなく、汗塗れになりくたびれる。もうそんな季節なのかと実感した。

長崎飯店高田馬場駅前店~高田馬場ランチグルメ

2015-05-28 05:00:05 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その9。前回も書いたがそろそろチャンポンや皿うどんを食べるには暑くなってきた。だいたいチャンポンを食わせる店は狭くこじんまりしている。しかも厨房では鍋が振られており、涼しいはずもない。

しかし、その中で有名店の1つ、長崎飯店高田馬場駅前店にお邪魔した。箸袋からは渋谷店と経営は同一のようである。

高田馬場駅を早稲田側に出て横断歩道を渡り、立ち食いそばの横をまっすぐ路地に入ると赤い幟が出ているビルの半地下。

店は古そうで中に入るとおばあさんが水を運んでくれる。中には調理人が2人だが、いずれも高齢者。今回は皿うどん太麺(820円)を注文。あい盛りも考えたが、今日は太麺にする。先客は2人、いずれもサラリーマン風である。
注文を伝えるとすぐ鍋を振る音、麺を炒めているようで期待が持てる。

5分ほどで皿うどん到着。一口食べると薄味ながら海鮮の味がする。野菜はキャベツともやし、キクラゲ。たっぷりの豚肉とさつま揚げ、赤白カマボコ。一方、海鮮はエビ、あさり、ゲソだが、あまり多くはない。

餡はたっぷりかかり、麺も炒めてあり、当たり前に美味い。最初は胡椒と辛子で食べ、途中からソースをかけながら頂くが、この味の変化はやはりいい。5分ほどで完食。

量は小生にはちょうど良かった。さすがに40年ここで営業していることはある。次は是非チャンポンも食べに行きたい。


長崎飯店高田馬場駅前店
新宿区高田馬場1ー18ー6柳屋ビルB1
0332080915

市ヶ谷見附周辺の坂道(1)

2015-05-27 05:00:06 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その42。今回は市ヶ谷見附付近の坂道を歩く。市ヶ谷駅からお堀を渡って向かいに渡った辺りにある坂だが、市ヶ谷見付が底にあたり、台地に向かって坂道が並んでいる。

外堀通りを飯田橋方面に歩き、牛込中央通りを納戸町方面に曲がる。坂道を少し上り、法政大学市ヶ谷田町キャンパスの横にあるのが、『歌坂』。この名前は台地が鳥の善知鳥の嘴に形状が似ているため、善知鳥坂と言ったものがなまって『うたさか』、漢字を当てて『歌坂』になったという説がある。



歌坂の一つ目の角を左に曲がる。すると払方町教会が出てくるが、そこを左に曲がると『鰻坂』。これはその名前の通り2回曲がっており、そのくねくねしたところから名付けられたのが容易に分かる。鰻坂は細長く、広い車道を跨ぎ、最初下りだったのに途中から緩い上り坂となる。




その先は道が細くなり、DNPの社宅を左に曲がると『浄瑠璃坂の仇討ち』跡を示す看板が出てくる。

1672年に宇都宮藩を脱藩した奥平源八が父の仇である同藩の奥平隼人を討った事件で当時伊賀越の仇討ちと共に大変世間で有名になり、歌舞伎や講談の題材にも取り上げられ、また、火事装束で徒党を組み火事を装って討ち入る方法は赤穂浪士が参考にしたとも言われている。


その先の細くて長い坂が『鼠坂』である。ただし、周囲には鋼矢板が置かれ、DNPの建物が建築中であり、場合によっては坂道が変わってしまうかもしれない気がした。


その先にT字路があるが、丁度底の位置になり、左右に上り坂がある。まず、右に行くと『中根坂』、これはこの坂の西側に旗本中根家の屋敷があったのが、その名前の起源である。


また、反対に登ると『安藤坂』となる。これも坂の北側に安藤杢之助の屋敷があったからと言われるが、とにかく周りすべてがDNPの建物や社宅、安藤坂の上には奨学金の日本学生支援機構と防衛省がある。(この先は次回に続く)

日本新聞博物館

2015-05-26 05:00:49 | 日記

横浜情報文化センターに行った際に日本新聞博物館が中にあることを知る。新聞には広告で飯を食っているという職業柄日頃よりお世話になっていることもあり、510円の入場料金を払って見ることにした。


入口は2階にあり、今は企画展で一枚漫画でクールジャパンを描き下ろした展覧会をやっている。あまり、時間もないので足早に見るが、中々面白い。また、久里洋二氏のように懐かしい先生もいて今も元気なんだと喜んだりして。

続いて3階に上がり、常設展示を見るが、その中身は凄い。江戸時代から明治にかけてのかわら版が新聞に変わっていく様子や徳川幕府が海外の新聞を訳して新聞を作っていたことなど当時の貴重な資料もあり、興味深い。

さらに日露戦争で国民に情報を伝えようと新聞各紙が競争した様子、輪転機導入で発行部数が増加、そのころ新聞広告も始まったことなど歴史と新聞という観点から詳しく学べる。



そして関東大震災、太平洋戦争などで言論統制と反発、さらに1937年に1208社あった新聞社が1942年には55社まで統合され、完全に報道統制が敷かれたこと、そして占領下で自由も増えたが、一方では左翼への統制がGHQが行なったことなどもジャーナリストらしく統制への反発ははっきり残されている。

現代に近づくとテレビやインターネットなど色々なメディアが出てくる中で新聞がどのように模索しているのかなども最後に展示されていた。


また、二ニ六事件やスポーツ新聞事始め、沖縄返還、東京オリンピックなどの号外記事も多数あり、そのら中身や当時の扱いなども面白かった。


今回は5階の現代ゾーンは時間がなく行けなかったが、次回は是非ゆっくり訪れたい。最後に日本人でピューリッツァ賞を取った作品が3つ並んでいたが、浅沼稲次郎刺殺などその迫力には驚かされた。横浜には名所は多いが、時間があるときは是非一度行かれることをお勧めしたい。

Lunchan Avenue~横浜ランチグルメ

2015-05-25 05:00:09 | グルメ


1年ぶりに横浜スタジアムで野球観戦。毎年1回程度だが、いつもその際に伺うカフェが日本大通り駅の出口すぐのところにある『Lunchan Avenue』である。この店は新聞博物館なども入る横浜情報文化センター1階にある。

このビル自体が元は横浜商工振興館という1929年に建てられた古い洋館であり、外からみても風格がある。外にもテーブルが2つあり、結構利用者も多い。

中に入るとその天井の高さと落ち着いた白い壁にゆったりすることができる。比較的年齢層は高めで老婦人が一人でランチを楽しむ姿もある。ランチメニューの内、1240円はパスタとサンドイッチ、サラダの3種類、さらにスペシャルランチは2160円である。本日は明太子と水菜のパスタ、ツナサンド、野菜たっぷりサラダから選択する。ちなみにスペシャルランチはハンバーグかチキンソテーから選ぶようだ。小生はサンドイッチ、連れ合いはパスタを選択。もちろん飲み物つきである。


まずは明太子と水菜のパスタが到着、小生は先に出てきたサラダとスープから手をつける。サラダはゴマドレッシングがかかっているが、甘くないドレッシングは中々いい。


そのうちにサンドイッチも到着、揚げたてのフレンチフライも付いている。滅多にサンドイッチを食べることはないが、少しトーストしてあるサンドイッチはパンが香がよく美味い。ケチャップを頼むと逆さに立てるハインツのケチャップが登場。

まあ、休日の午後を横浜の古いカフェで過ごすことなど珍しいが、外を歩く人を見るだけでも楽しい。わずかな間に外を人力車、変わった自転車タクシー、レトロバスと珍しい乗り物が代わる代わる通る。歩道は修学旅行の中学生が道を探しているかと思えば、阪神ファンが法被を着て球場に向かったり、とにかくあまり飽きることもなくランチを楽しんだ。こんな休日もたまにはいい。

そういえば、5月23日は2年前にブログを始めた日である。気がつけばよく2年間、730日も書いたものだなあ。まあ、これからどこまで続くか、意外にネタは無くならないものである。


Lunchan Avenue
横浜市中区日本大通11
0456412666

阪神横浜戦観戦記(頑張るぞタイガース)

2015-05-24 05:00:59 | 日記

約1年ぶりに横浜スタジアムに阪神vs横浜dena戦を観に行く。実は切符を購入したのは4月4日、開幕3連勝で始まったペナントレースの直後でまさか横浜が首位で阪神がビリ争いするとは思ってもいなかった。とにかく横浜スタジアムでの勝率は悪く、前日も惜しい試合を落としただけに応援にも熱が入る。


家を出て約1時間でみなとみらい線日本大通り駅に到着、昼食後に横浜スタジアムに向かう。天気は曇りの中にも日が差して観戦日和。昨年と違い左半分は真っ黄色、阪神ファンが陣取るが、右半分はそれ以上の数の横浜ブルーの横浜ファン。やはりチームの勢いがあるチームは違う。

試合は2時にプレイボール。阪神打線が立ち上がりの井納に襲いかかる。トップの鳥谷がヒット、俊介が送り、3番マートンが2ベースで返す素晴らしいスタート。能見はランナーは出すものの、きちっと決めるべくは決めるピッチング。それでも横浜4番の筒香は1回こそ正面を突くレフトフライだったが、タイミングはあっていた。

3回裏は2アウト3塁で筒香、逆方向にタイムリーヒット。さらに6回裏にはまた筒香に1アウトから3塁打を打たれ、ロペス・バルディリスは抑え、なんとか同点のまま終盤に。

今日の井納は良かったが、投球数が130球になり。9回表は田中に繋ぐ。しかし、ゴメスが四球で0アウト1塁。代走荒木が盗塁するが、黒羽根が悪送球で3塁まで行く。さらに福留が犠牲フライでノーヒットで逆転。しかし、次の上本の3塁打でまた1アウト3塁になるが、関本の凡打なので点は入らない。
9回裏はまた能見がマウンドにいく。(まだ、100球程度)だが、筒香から。嫌な予感が的中し、2塁打を打たれ、0アウト2塁。ロペスは抑えたが、バルディリスにヒットを打たれ、2ー2同点に。正直なんで変えないのと疑問が湧く。しかし、既にマートンもゴメスも新井も守備強化のために引っ込めた後でどうするのか、小生の中に不安がのこる。

10回表は相手のピッチャーが安部にスイッチ。先頭の伊藤は打ち取るが、鳥谷四球、俊介が凡退、しかし、また暴投で1アウト3塁に。早すぎた守備固めを続悔するも、大和・荒木が四球を選び(何れもストレートの四球)2アウトから満塁に。ここで勝負強い福留が初球をタイムリー2点安打。
勝ち越した阪神は最終回は呉投手と思っていたが、クローザーは福原。前日の負け投手だが、さすがベテラン。切り替えてストレートとスライダーがよくきれており、3者凡退で抑え切る。

まあ、まとめるとが阪神にツキがあり、相手のピッチャーの制球難から打てない可能性の高い大和、荒木が四球で繋げ、当たっている福留に回せたことが勝因。だけど、それにしても今の筒香は右に引っ張れば長打、左に引っ張ってもヒットと押さえられなかったが、その後を打つロペスを押さえたのが勝因?かもしれない。

それにしても崎陽軒の『鳥から+シュウマイ+生ビール』1100円はお買得です。(写真には生ビールが抜けてます。)

王子駅付近の坂道

2015-05-23 05:00:09 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その41。今回は王子駅周辺の坂道を歩く。


王子駅前から飛鳥山に向かって歩くと道が左手に大きく曲がっており、都電荒川線も通る坂道があるが、これが『飛鳥大坂』。その名前の由来はもちろん飛鳥山である。この坂道は都内でも有数の難所であり、戦前までは荷車の後を押して手間賃を稼ぐ人もいた。また、将軍家の日光御社参りの行列もここを通っていた。


坂の頂上あたりを右に鋭角に曲がると音無橋、下には清流が流れている。さらに次を右に曲がると王子神社の前に出る。この神社がこの地名『王子』の由来であり、明治以前は王子権現社と言った。創建は分からないが、1322年に領主豊島氏が熊野新宮の浜王子より若一王子宮を勧請したものとのこと。


王子神社は江戸時代には王子権現社と言ったため、鳥居から右に下る坂を『権現坂』と名付けられた。



権現坂を下り、次の信号を左手に行くと『王子大坂』になる。この道は岩槻街道、或いは将軍家が日光社参の道で日光御成街道と呼ばれた。昔は登り口に子育て地蔵があったため、地蔵坂の別名もある。



王子大坂を上りきり、右手に行くと小学校の前に出るが、校門前を右に行く細い急坂がある。この中腹に王子稲荷神社があるのでこの坂道は『王子稲荷の坂』と言われる。ちなみに稲荷社のお使いは狐がすると言われるが、落語に『王子の狐』という話があり、王子に実際にあった料亭の扇屋の話が出てくる。

この話はこの辺りの狐がよく人を騙すと聞いた男が王子で美女に出会うが、これはきっと狐だろうと思うも、大胆にも声を掛ける。一方、カモを見つけたと思った狐のお玉は騙そうとこれに合わせてきた。そして、扇屋の2階に上がり、天ぷらなどを頼み、差しつ差されつしているうちに隙があったのか、女に化けた狐は眠り込む。その隙に男は店には土産に卵焼きを包ませて、勘定は女が払うと言って逃げ出してしまう。お玉ちゃんは店の者に起こされ、男が帰ったことを聞かされて驚いた。そのあまり。耳はピンと立ち、尻尾が出てしまい、狐であることがばれてしまう。そのため、お玉ちゃんは店の者に追い掛け回され、危ないところを何とか逃げおうせた。一方、男はこの話を自慢したところ、周りから『狐は執念深いから謝ったほうが良い。』と言われ、翌日に手土産を持って王子に謝りに行く。巣穴と思しきあたりで子狐に土産を言付けるが、それを聞いた親ぎつね、土産のぼた餅を食べたいと子狐が言うと一言。『食べちゃいけないよ。馬糞かもしれない。』という話である。


ではその扇屋だが、料亭は現在はやっていないが、王子駅前で今も卵焼きを売っている。小生はもちろん求めたが、甘くて美味しい卵焼きである。王子に行かれた節には是非お買い求めをお勧めする。ただ、店が小さく、見過ごししまいそうだが。

飛鳥山公園

2015-05-22 05:00:53 | 日記

飛鳥山は今でこそ単なる都営の公園であるが、元は8代将軍吉宗が享保の改革の一環として庶民が安心して花見ができる場所を、ということで整備した由緒ある公園である。


今は桜の季節も終わっており、人もまばらである。まずはJR王子駅前からすぐのところにあるスロープカー『アスカルゴ』(飛鳥山公園モノレール・無料)に乗ると距離48m、高低差17.4mを2分で登ることができる。同乗者は3人、エレベーターのように無人操作をすると自動的に倍賞千恵子さんのナレーションが始まる。その話で少し前に来ればもう一つの名物のサツキが楽しめたことも知る。わずかな時間だが、階段を上がるよりはかなり楽しめた。

もちろん、スロープカーを降りると眺めがいい。公園の中には葉の繁ったソメイヨシノの樹とライトアップ用の照明がならぶ。さらにしばらく行くと聖観音菩薩像や幾つもの石碑が並んでいる。



その先には小生が子供の頃からある児童遊園。大きな滑り台は昔のまま、また、都電荒川線の車両とSL(D51)が並び、その辺りでは小さな子供を連れたグループが昼食を食べている。


その隣には紙の博物館、北区飛鳥山博物館、 渋沢資料館が並んでおり、いずれも都電荒川線1日乗車券を見せると割引になる。せっかくなので紙の博物館にはいるが、王子製紙のお膝元ということもあり、紙の製法からリサイクル、歴史など細かく分かる仕組みになっている。展示はレベルが高く面白いが、もう1つ見ると博物館に堪能し、申し訳ないが他は遠慮した。


さらに奥にも公園は続き、回ってみる。そして来た入口と反対側に降りると飛鳥山の電停のそばに出るが、それほど長い階段もなく、かなり王子駅あたりが谷になっていることが分かる。飛鳥山公園を小生が訪れるのは中学以来だが、児童遊園が殆ど変わっておらず、やはり懐かしい公園であった。