hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ハワイアンズスパリゾート

2013-06-30 07:00:26 | 旅行

土曜日の10時のバスで東京駅を出発。渋滞もなく、1時少し前には現地に到着。昼飯にはなかなかありつくことができなかったが、特に予定もなく、ノンビリ午後を過ごす。
5時からは恒例の宴会。飲めないなんていいつつ、麦焼酎を四人で二本空けてしまう。
8時半からはあの有名なタヒチアンショー。ものすごい人で何とか席を見つける。隣は長岡からきたおばあちゃんの団体でよもやま話をしながら、待機。

ショーはなかなかのもので火の付いた棒を回す男性ダンサーやお約束のフラダンスなど1時間楽しく過ごした。今日は肝心のゴルフ。さてスコアは?

行列

2013-06-29 09:00:20 | 日記

人形町に勤務場所を移して約1ヶ月。町を歩いているとよく行列を見かける。自らは列に並んで待つことがあまり好きではないので並ばないが。
まず、出勤時には老舗魚京粕漬け専門店『魚久』。廉価な切り落としの整理券を待つ列が8時前から。券の配布が9時40分だから約1時間待待ち。お年寄りが多いが、お互いに飲み物を融通したりしている。
次に午前の外出から戻ろうとすると必ず目にするのが写真にある『玉ひで』。老舗の鶏料理店というより、今はランチの親子丼が有名。11時半の開店時にはこの列、親子丼1500円はこのあたりのランチではかなり高い部類だが…。
さらにオフィスのすぐそばの『シュークリー』。名前のとおりシュークリームが有名な洋菓子みせ。一日三回の焼き上がりにはまた行列。これはさすがに若い女性が多いが、最近は男性も。ひとつ¥220はまあリーズナブルかなあ。これだけは食べました。なかなか面白い街である。

スモークツリー

2013-06-28 06:23:08 | 日記

近所に面白い植物を植えているお宅がある。例えば白い星のような花が溢れんばかりに咲くカルミアや赤くまるで学校時代に使った試験管を洗う器具のような花をつけるブラシノキ。今はスモークツリーが満開?
スモークツリーは和名をハグマノキといい、白熊(はぐま、ヤクのしっぽ)で作った仏具の払子にその由来するとのこと。
毎年このくらいになると煙というか、泡というか、モコモコ、もふもふして来て、さわると気持ちのよさげな植物。これが風に飛ばされて種を撒き散らすみたいです。

いけふくろう

2013-06-27 06:41:42 | 日記

待ち合わせ場所というものは意外に多い。渋谷では『ハチ公』『モヤイ像』、新宿では『アルタ前』『アルプス広場』、東京駅は『銀の鈴』、上野は『西郷隆盛像』、新橋は『SL』。この中でもアルプス広場のように若者にはその語源さえわからなくなったものもあるが。(以前、新宿発の中央線急行アルプスがあったころ、山に向かう若者たちがこの広場で急行に乗る列をつくった待ち合わせ場所が語源らしい)
前置きが長くなったが、池袋では古いのは西口の『マルチビジョン』、そしてこの『いけふくろう』。駄洒落のようなネーミングだが、昭和62年に国鉄民営化の際作られたもので、縁起のよいフクロウを置くことで、安全祈願の意味があり、池袋の語源も分かるようにとの思いらしい。ただ、意外に分かりにくい場所にある。
いけふくろうから少し西口に向かうとヤマザキのランチパック専門店が。剛力彩芽のパネルがあり、かなりの種類のランチパックが並んでいる。こちらのほうが明るくて待ち合わせ場所には良さそうな気もした。


マッカーサー道路

2013-06-26 06:44:53 | 日記

新橋から国道15号線を南に下ると日比谷神社があるが、そのあたりに来ると急に左右に視界が開ける。いわゆるマッカーサー道路とよく報道されている環状2号線(新虎道路)である。長い間建設が凍結されていたが、オリンピック招致もあり、もうじき虎ノ門・新橋間は開通するらしい。もう虎ノ門ヒルズも外観はほぼ出来上がりつつある。それにしても、マッカーサーは道路建設には反対したのが真実らしく、この建設を推進したのは関東大震災後の首都道路整備の一環で当時復興院総裁の後藤新平が提唱したものらしい。都市伝説は恐ろしい。

福沢・近藤両翁学塾跡史跡

2013-06-25 06:02:32 | 日記
本文
仕事で東新橋に行った帰り、浜松町駅に向かい歩いていたところ、この史跡の前を偶然通る。石碑には、安政5年築地鉄砲洲に開かれた蘭学塾を慶応4年にこの地にあった江川太郎左衛門の長屋に移し、当時の元号を取り、慶応義塾と名付けたとのこと。その後、学生が多くなったので、明治2年に三田の地に移したため、わずか3年ではあるが、ここに慶応義塾があった。
その後を近藤真琴が譲り受け、海軍将校を養成する攻玉社をこの地に移し、大正14年に大崎に移転するまでここにあった。町を歩いているとふとこうした史跡に出くわすのも楽しい。

興銀本店

2013-06-24 06:41:09 | 日記

今はみずほコーポレート銀行の本店だが、元は日本興業銀行本店。設計はあの日生劇場も手掛けた村野藤吾で、1974年完成だから、かれこれ築後約40年になる。この建物の特徴は永代通り側の窓がない流線的なホォルム。その重厚感は周りの新しいビルに決して引けをとらない。
初めて観てから30年以上になるが、皇居側からの側面を先日初めてみて、その複雑な構造に驚いた。正直、あぁこうなっていたのか、というのが感想。これも隣のS銀行の建て替えのためで、見てない人はいまだけなので行った方がいいかも。

本むら庵

2013-06-23 08:16:54 | 日記

前から気になっていたお蕎麦屋さん。家を出て約30分歩く。荻窪天祖神社と中央線のガードを超えて荻窪方向に少し歩くと店の看板が見える。そばちょこが染め抜かれた暖簾をくぐったのは午後5時半、もう先客で結構な賑わい。まずはビールで乾杯、あては『生湯葉の刺身』『磯揚』『玉子厚焼』。『生湯葉』は大豆の香りと自然な甘さがワサビと良く合う。『磯揚』は海老を芯に巻いた蕎麦巻を油で揚げたもの。定番の『玉子厚焼』は甘さがいい。剣菱の枡酒にかえて、『蕎麦豆腐』『鳥団子』『ツブ貝の時雨煮』を注文。『鳥団子』は味がしっかりついていてうまし。『ツブ貝の時雨煮』は山椒の香りが酒に合う。ついつい枡酒もお代わり。蕎麦は相方がざるそば、小生は鴨南蛮、さすがに2000円を超える天ぷらそばは回避。ざるそばは蕎麦つゆがやや辛く、キレがある。ただ、海苔はなくてもいいかも。鴨南蛮はコクのあるつゆがうまし。ふつう白ネギだが、細ネギを散らしたのもなかなか。甘味も数種あり、そそられましたが、西荻窪の喜田屋の水まんじゅうを買って自宅で食べました。帰りも歩き、健康にもよい散歩でした。



日本橋小学校

2013-06-21 06:37:12 | 日記

職場が変わって一ヶ月、ようやく人形町界隈の佇まいも分かってきたが、初めて訪れた際に目じるしにしたのが、日本橋小学校。ただ、そばにくると9階建ての鉄筋コンクリートの立派な建物で中庭がなければ、オフィスビル。日本橋小学校として発足したのは1990年らしく、大伝馬町の十思小学校と当地にあった東華小学校が統合したもの。もとは西郷隆盛の屋敷跡で明治四年から六年まで住んでいたとかかれた説明板があった。当時は西郷は好きだった犬と住んでいたらしいが、その面影はない。