『東京の坂、日本の坂』その199。泉岳寺駅付近の坂③。三田台公園の並びにあるのが亀塚公園、名前からして古墳の匂いがする。
この土地は江戸時代は上野沼田藩の下屋敷で明治維新後は皇族である華頂宮邸があった。しかし、1924年に華頂宮が断絶、太平洋戦争で庭園も破壊され、戦後1953年に区立亀塚公園として開園した。
円墳状の盛土は古くより古墳ではないかと言われ、昭和と平成の2回に渡り調査が行われたが副葬品や埋葬施設、周溝などが発見されなかった。それゆえに古墳であったとは言えない。
ただ、実際に19段の階段を登ってみると盛り土の上には亀山碑と名付けられた石碑があり、これは1750年に当時下屋敷があった沼田藩主土岐頼熈が建立した。
これはこのあたりが更級日記の竹芝寺伝説地で塚の頂部にある酒壺のもとに出入りすることで神として崇められていた亀が石になったという土地の由来を伝えるために建立した。
ただ、私見であるが、形が野毛大塚古墳によく似ており、古代の謎が解き明かされることに期待したいところである。
再び二本榎通りを三田方向に歩く。平坦な道が下り坂となるが、この坂道が『聖坂』。
説明板によると『この通りは古代中世の通行路で商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、宿所もあったため』この名前となったとある。(以下、次回)