hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

神田須田町1丁目

2016-02-26 05:00:32 | 日記

『神田をぶらり』その5。今回は神田須田町1丁目界隈を歩いてみる。神田須田町は今でこそ秋葉原と神田の間ある交差点くらいにしか認識されていないが、昭和30~40年代の都電の交通網が全盛だった時期は始発の系統が5系統(10~渋谷駅、20~江戸川橋、24~福神橋、29~葛西橋、30~寺島町1丁目)、通過する路線が4系統合計9系統(都電全体では41系統あった)の路線が走っており、今で言えば『地下鉄の大手町』のような存在であった。当時の落語の枕に『おまえぐれいの馬鹿は少しばかりの馬鹿じゃないな。慢性(万世)の馬鹿だね』『あはぁ、その先は須田町だ。』なんていうのもあった位である。

特に須田町1丁目にはかつて万世橋駅のがあり、一部には太平洋戦争では焼け残り、昔ながらの老舗が軒を連ねている。靖国通り沿いの『まつや』(蕎麦)は知る人ぞ知る老舗で、今も必ず大晦日の年越し蕎麦で賑わう風景がテレビ中継される。



一本中に入ると『いせ源』(あんこう鍋)と『ぼたん』(イノシシ鍋)が軒を連ねているが、その看板は若い人には読みづらいだろう。

いせ源の前には本物のあんこうですと氷に冷やされたあんこうが置いてある。


その向かい側には『竹邑』(甘味処)がある。中に入るとふつうの店だが、名物の揚げまんじゅうは美味い。

更に路地を行くと『藪蕎麦』(蕎麦)、この店も老舗でかつては風格のある建物であり、戦火や大震災は耐えたが、残念ながら失火で数年前に全焼し、新たに建てられたもの。これだけ明治村のように残されている場所も珍しく、一番神田らしい場所なのかもしれない。

その先には古い煉瓦造りのガードがあり、万世橋駅→交通博物館→再開発ビルとなったあたりである。

須田町交差点にも古いビルがある。靖国通りの反対側にある(ここは神田多町になるが、)栄屋ミルクホールもノスタルジックな風景を残している。

この店はミルクホールというが、昔ながらの中華そばの人気があるとか、一度訪れてみたいもんだ。