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hokutoのきまぐれ散歩

ブログも13年目。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。はてなブログにも投稿を始めました。

一茎庵〜『大人の遠足』の最終目的地で蕎麦と酒を頂く

2025-06-01 05:00:00 | 旅行
大人遠足の最終目的地は本厚木駅から歩いて10分の全く住宅地の真ん中にあるお店『一茎庵』にお邪魔する。普段はお蕎麦屋さんだが、とにかくこだわりの塊のようなご主人と奥様が心尽くしのもてなしをしていただける。

夜の部は1日1組限定の会席料理。まだ、雨が降っていたため、タクシーでお邪魔するが、番地を伝えてカーナビ頼りに行くと道が狭くなり、この辺りですよと運転手さんに言われて降りる。少し戻ると確かに奥にお店を発見。路地を行くと木の看板が出ていて右サイドにお店の入口があり、中に入る。こじんまりしたお庭を見ながら8人ほど座れる椅子に3人。まずはご主人からお品書きの説明がある。

『まずは何を飲まれますか?』と聞かれて『10年寝かせたビール』と言われてこれを頼む。一般に販売しているビールを常温で寝かすと味が変わると言われて小瓶を飲むが、何となくまろやかな感じがする。このようなビールが和多くストックされているらしい。

次に20種類の至高の逸品が大きめのお皿にまあるく並べられたもの。だし巻き卵、名古屋コーチンの照焼、マンガリッツァ(ハンガリーの国宝豚)モモの味噌漬、同 チャーシュー、鴨ロースト、短角牛ローストビーフ、同 スネ旨煮,鯨サエズリ旨煮、煮穴子、ニシン旨煮到着。

さすがにこれだけの前菜を頂くのも初めて。鯨のサエズリなど何年振りに食べただろう。

お酒に移るが、まず出されたのは『白鷹』、伊勢神宮の神様が飲む酒、常温で頂く。これも5年古酒、10年古酒が出されて飲み比べ。古酒はあまり好まない私もこれは美味かった。

(フキノトウ炒め)

(この海苔がうまい)

さらに他にも『フキノトウ炒め』『コシアブラ』『ふきみそ』『天然キノコのスープ』と立て続けに出された。フキノトウ炒めは雪の下に出たばかりのフキノトウを塩炒めして海苔をちぎってかけたもの。この海苔が香るのである。蘊蓄をよく覚えていないが最高の海苔らしい。

(天然キノコのスープ)

あと驚いたのは天然キノコのスープ、よく土瓶蒸しは頂くが、色々なキノコの香りが複雑に絡み合って松茸より遥かに美味かった。

お酒は先ほどの笠原商店で見た『残草蓬莱』(神奈川県)の古酒、常温で保存したものと温度管理した冷蔵庫で保存したものの飲み比べ。なかなか面白い趣向の店である。

お刺身はマグロ赤身、中トロ、ヒラマサ、鮭(時知らず)、白いか、キンメ。いずれもそれぞれの蘊蓄があったが、さすがに美味い。



『甘鯛の塩焼』、味が甘い。『コシアブラの天抜き』、さすがにお蕎麦屋さん、蕎麦だしが実に美味い。


メインはマンガリッツァ豚のトンカツ、モモとロースである。ハンガリーの国宝豚は今は羊のように毛で覆われた豚で日本の業者も少量ながら扱ったり、北海道十勝地方や神奈川県しまざき牧場が生産を始めている。ソースもあったが、日本酒に合わないと思い、粗塩で頂く。脂が甘くロースが美味いが、モモも歯応えと食べているうちに口に広がる旨みが素晴らしい。

他にも数種類酒を出して頂き、大満足。また和らぎ水の代わりに頂いた鉄瓶の白湯が美味かった。




最後に2種類のお蕎麦、いずれもかなりのこだわりで仕入れた玄そばを挽いて打った田舎そば。カツオを乗せて頂くが、喉越しで食べる蕎麦と違い、口の中でよく噛んで旨みを感じながら食べた。

他にもサイドメニューはあったが、とても食べられるほどに腹に余裕がなく、まずは濃いめの蕎麦湯、そしてお茶で締める。スタートが16時だったが終わったのが19時半、色々とタメになる話は伺ったが、酒もあり、美味かった記憶のみ残った。ご馳走さまでした。もちろん必ず予約して行ってくださいね。



一茎庵
厚木市東町6ー12
09047161118

『5年ぶりの大人の遠足』③〜本厚木の望月商店

2025-05-31 05:00:00 | 旅行
ラーメンを頂いたあと、時間を合わせて大山ケーブルからは再び神奈中バスに乗り、伊勢原駅まで戻る。晩餐までに時間があるので取り敢えず待ち合わせの本厚木駅に向かう。

本厚木駅の次は厚木駅だが、こちらはJR相模線との乗換駅、しかし、各駅停車しか停まらない。一方で本厚木駅はロマンスカーも停まる大きな駅である。なぜこのようなネーミングとなったのかは駅ができた時に遡る。

厚木駅は1926年に神中鉄道(現在の相鉄本線)が開設した。しかし、資金不足から相模川の架橋を断念、相模橋の袂に作った。その際、駅は海老名村にあったにも拘らず、厚木駅と名付けた。



その後、小田急が開通、厚木町中心部に相模厚木駅(現、本厚木駅)を開業、相模線の厚木駅近くには河原口駅を開設した。

厚木市にあるという意味で本厚木駅と改称、厚木駅には駅名標に神奈川県海老名市と併記するようになった。同じように『本』が付く駅は本川越駅(西武新宿線)、本駒込駅(東京メトロ南北線)、本千葉駅(JR外房線)、本八戸(JR八戸線)、本塩釜駅(JR仙石線)、本竜野駅(山陽本線)など意外に多い。



本厚木駅で時間を潰していた時に近くにすごい酒屋さんがあるという情報を聞く。有限会社望月商店、本厚木駅から徒歩12分、車で4分のところにあるとのこと。本厚木駅の地理をまるで知らない私はほぼ雨は止みかけていたが、タクシーで向かう。

確かに駅からは4分ほど、立派な酒店である。有名どころはほぼ揃うことに加えて1つの銘柄の種類が多い。残草蓬莱だけでも3種類、流石に地元だけある。

ただ、この後に飲みに行くのと酒瓶を抱えて歩くのが億劫となり、オリジナルの猪口を2つ購入して店を出た。帰りは歩き、確かに12分で駅までは戻った。




(望月商店、厚木市旭町3ー17ー27、電話0462282567)


『5年ぶりの大人の遠足』②〜阿夫利神社に参拝

2025-05-29 05:00:00 | 旅行
大山寺の参拝を済ませて1215に大山寺駅に戻る。さらに上にある阿夫利神社駅行きのケーブルカーを先ほど降りたプラットフォームで待つ。



大山寺駅はケーブルカーの中間駅のため、上りと下りがすれ違うようにできていてすぐに電車の接近を示すランプが点灯する。しかし、驚いたのはこの後である。

(下りケーブルカー)

わたしの立っているホームには下りの車両、構内跨線橋を渡ったホームに上りの車両が停車したのである。それを見て慌てて反対側のホームに急ぐ。何しろここで乗り遅れると雨粒がかかる狭い屋根の下であと20分待たされることになる。

(上りケーブルカー)

何とか上りの車両に乗り込み、無事登ることができた。後で調べると大山ケーブルカーは車両によりホームが変わる(1号車は大山寺側1番ホーム、2号車は跨線橋を介する2番ホームに必ず停車する)しくみなのである。



雨はますます強くなり4分後には阿夫利神社のに到着したが、駅のアナウンスで『降水量が1時間300mmを超えると運転見合わせとなる』と流されていた。



しかし、こちらは大山阿夫利神社にお詣りする予定でここまで来たため、雨の中参拝を強行した。駅から普段ならば5分程度なのだが、水たまりもでき、階段からは水が川のように流れていて歩きにくい。



ようやく鳥居の前まで来て本殿を見ると参拝客は女性2人のみ、がらんとした本殿の前は大きな水たまりとなっていた。





本殿右の社務所で御朱印をもらっていると再びケーブルカーの駅から警告のアナウンス、次の下りを逃すとまずいと早足で駅まで戻った。





ケーブルカーもガラガラ、6人連れの女性客と夫婦1組、あとは私だけ、そのまま山を降りて、再びコマ参道を降り、元のバス停付近まで戻った。



阿夫利神社横のレストハウスで何か食べる予定も狂い、駐車場横にある大黒食堂に入る。もちろん私1人、全身ずぶ濡れで寒くなってきたこともあり、ラーメン(800円)をいただく。





部屋の周りには福士佳代子さんをはじめ女子長距離ランナーのサインがずらり、これは大山登山マラソン(伊勢原駅〜大山阿夫利神社、24年11月開催)に参加した際のものだとのこと。



出されたラーメンは懐かしい東京ラーメン、醤油味に細麺ストレートでナルト、ワカメ、メンマ、チャーシュー入り、実に美味かった。次のバスの時間を気にしながら頂いた。

『5年ぶりの大人の遠足』①〜大山参りを雨天決行

2025-05-26 05:00:00 | 旅行
5月17日は低気圧の接近により朝から強めに雨が降っていた。しかし、2018年12月以来5年ぶりの『大人の遠足第二弾』ということもあり、朝9時過ぎに我が家を出発、まずは目的地『大山』を目指す。



今回は出席者が少なく、さらに諸事情もあり、通しで参加するのは私ひとり、これでは普段の寺社巡りと変わらないのだが、行くと決めたら決行した。下北沢駅で乗り換えて小田原行快速急行に乗車する。伊勢原駅着は1055、僅か45分乗るだけだが、外の風景は一変、特に海老名駅を越えたあたりから緑と空き地が増える。

伊勢原駅に定時に到着、バスは20分おきに出ていて次は1105である。駅構内から出ただけでかなり激しく降っている。



大山ケーブル行バス(神奈中バス)は乗車率30%程度、殆どが地元の人で駅前まで買い物に来て、帰るのだろう。



定刻にバスは出発、バスはだんだん乗客が減り,1132に終点で降りたのは4名のみだった。バス停は大山ケーブルというが、ケーブルカーの駅はまだ先。



こま参道を362段、徒歩15分ほど登ったところにある。しかし、道には上の方から水が流れていてすぐにびっしり濡れる悪コンディションである。コマ階段とは大山名物のコマを参道に埋め込み、踊り場ごとに一つずつ増えて行く。この踊り場が27まで行くとケーブルカーの駅である。



歩く人もまばらで途中の屋根がある売店を見ても人は殆どいない。豆腐料理を食べさせる店もたくさんあるが、これでは開店休業である。




途中、佃煮屋さんで足を止めた。大山では現地で取れるフキと葉唐辛子を醤油で煮詰めて佃煮を作っているのである。コロナ禍以降あまり経験のなかった試食をさせてもらう。

甘口と普通、また、新物などがあり、微妙に味が違う。新物はこの春取れたばかりのフキを使っているが、山菜独特の苦味がまた美味い。葉唐辛子の佃煮も購入、お土産とした。



この辺りでちょうど半分、傘をさしながら面倒だが、気温がまだそれほど高くもなく、汗は掻かないので助かる。





11時50分頃にはケーブルカーの駅に到着、次の1200に乗ることができた。ケーブルカーは20分おきに出ていて団体客がいるため、混んでいた。何年振りに乗るのかは忘れたが、車両も新造のものになり(と言っても2015年)、緑のカッコいい車両である。



大山ケーブルカーは途中駅大山寺駅を挟んで阿夫利神社駅まで高低差278m、距離0.8kmを6分で結ぶ。作られたのは1927年と約100年の歴史があるが、戦時中には不用路線として一時廃止したこともある。

私は阿夫利神社までの往復券を買い、まずは大山寺駅で途中下車し、大山寺にお参りをすることにした。(以下、次回)

春の房総ドライブ⑤終〜劇場型鉄板焼と道の駅三昧

2025-05-18 05:00:00 | 旅行
千倉に2泊目の宿を取る。夕食は『Baknos』という付属のレストランにて劇場型の鉄板焼き。あまり聞き慣れない旅館飯だが、お客さんは舞台のように全員厨房の方を向いてあの懐かしいテーマ曲、『料理の鉄人』で始まる。





テレビ番組を見るようなワクワク感が新鮮である。まずは食材の紹介、大きな牛肉の塊、伊勢海老やアワビ、帆立貝、野菜などの新鮮な食材が紹介される。かなり大仰であったが、味もよく、特に伊勢海老の冷製と極上肉の鉄板焼きは素晴らしかった。





翌朝は雨、もう少し降り始めが遅いつもりだったが、9時に宿を出る時もしっかりと雨が降っている。この日は帰りということもあり、新鮮な野菜や果物を期待して『道の駅』巡りにした。



最初に行ったのは『道の駅グリーンファーム』、名前の通り農産物の扱いの多い新しい道の駅である。中に入ると大きな棚にイチゴがずらり、種類も多く『おいCベリー』『やよい姫』など珍しい銘柄もある。



野菜の棚には山ウド、こごみ、ワラビ、ゼンマイ、コシアブラ、タラの芽などたくさんの山菜、もちろん掘り立ての筍もあった。この時期としてはまだ早い(4月中旬)が、そら豆もたくさん出ている。もちろん、きゅうり、トマト、玉ねぎ、レタスなどもかなりやすい値段で出されていた。



次いで『道の駅とみうら』、可愛らしい六角屋根が特徴の建物。売りは何と言ってもビワである。2つの棟に分かれていて片方はお土産、海産物、農産物など。





海産物を売る店には可愛らしい白猫が飼われていておとなしく魚を並べた台の下にちんまり。魚を取らないのか心配したが、満腹なのだろうか寝ていた。





もう一つの棟はビワづくし、果実は時期がずれているため高い物が僅かにあるだけだったが、ビワゼリー、ビワジャム、ビワを入れたスイーツ、グミなどたくさんの商品が並んでおり、お土産とビワジャムを購入した。





『道の駅きょなん』に伺う。鋸南町にあり、国道沿いにある小さめの道の駅、案内所の隣には小さな物産館がある程度。併設しているのは菱川師宣記念館、江戸時代の浮世絵師で『見返り美人図』は切手収集をした人で知らない人がいないほど有名。



彼は1618年に安房国平郡保田本郷(今の鋸南町)生まれ、草子の挿絵を描きながら学び、役者絵が売れだす。代表作見返り美人の他にも歌舞伎図屏風などを世に出している。





『道の駅保田小学校』は名前の通り、旧保田小学校跡に2015年に設けられた道の駅。小学校の校舎を改造して1階にはレストラン、特に懐かしの学校給食を提供する『里山食堂』のほかイタリアン、中華料理、パンの店などが並んでいる。





2階の教室は『学びの宿』として教室を改造した宿泊施設となっていて一泊素泊まり4000円で利用できる。



また、体育館は改造して『里山市場きょなん楽市』がオープン、特産品のアイテム数が地域一を誇り、オリジナルの土産物も多数揃っているため、雨にも拘らず校庭に作られた駐車場も昼前にはほぼ満車と人気がある。私も娘家族にお土産を買ってしまった。





11時20分に道の駅を出て東京アクアラインの海ほたるを目指す。道路はそれほど混雑していないが、海ほたる(PA)の混雑が高速道路の案内板にも出ている。海ほたる到着は12時5分前、駐車場の列はできていたが10分も待たずに車を停めることができた。

中は昔とそれほど変わってはいないが、とにかく人が多い。5階のフードコートで少し高めのお蕎麦を啜り、ひと段落。外に出て写メを写した後、4階のお土産コーナーではたくさんある塩辛からひと瓶を購入、帰路についた。1泊2日ではあったが買ったばかりのアクアを乗り回し、札所も4ヶ所、道の駅を6カ所巡ることができ大満足である。

『春の房総ドライブ』④〜誕生寺にお参り

2025-05-14 05:00:00 | 旅行
関東三十六不動尊の33番、34番の札所にお参りして車を南に走らせる。御宿の月の砂漠像など見たい物も多いが、時間もないことから次の見学地、誕生寺に急ぐ。



御宿、勝浦、鵜原、上総興津を過ぎると右手に『行川アイランド駅』が現れた。私も子供が小さかった頃に訪れたことがあるが、2001年に閉園、今は動物園もホテルも営業していない。私が訪れた頃もホテルの部屋はボロボロ、夕食は夜の動物園の獣たちの異様な声を聞きながらレストランで食べたが、子供が怖がったことと、孔雀を飛ばそうと崖から落とす残酷なショーがあったことのみ覚えている。行川アイランド駅は今はメインの施設もないが、1日16本、ほぼ1時間に1本電車が止まるので秘境駅とは言えないだろう。

小湊に入ると『誕生寺』という交差点を右に入る。少し狭くなるが、海に面したところに誕生寺は立つ。この寺は1276年に日蓮上人誕生の地に建立、その後2度の大地震とそれに伴う津波で失われたが、1706年に現在の地に移して再興した。




諸堂は1758年の火事で焼失したが、仁王門(最初の写メ)は焼失を免れ、当時の有様のままである。
お寺の駐車場はないため、松孝という土産物屋の駐車場に停める。600円以上お土産を買ってくれればいいとのこと。






総門に回り、境内に入る。左側の少し高いところに誕生堂、日蓮が誕生した場所である。大きな仁王門を抜けると参道の左右に多くの灯篭が立ち並ぶ。

右手に鐘楼を眺めながら歩くと左手に日蓮上人の御幼少の姿を模った銅像が現れた。



目の前に大きな建物が現れたが、これが祖師堂である。赤い大提灯の下を通ると広々とした内部に驚く。とにかく何でも規模が大きいお寺であり、祖師堂の瓦が地面に置かれていたが、『高さ4m、重さ2.8t、畳21畳敷き』という規模には圧倒された。





しっかりとお参りして戻る途中に『鯛塚』がある。これによると『日蓮上人が誕生された時に山が崩れたかと思う轟音の中、海の中から5尺もある雌雄の鯛が飛び跳ねて上人の誕生を祝った。そのため、妙の浦を鯛の浦と呼ばれ、鯛は上人の使者と考えるようになった』とある。



門前まで戻り、お土産屋さんに入る。あまり買う物もないが、有名な鯛せんべいを購入した。

お土産屋さんも3軒分スペースはあるが、今は1軒のみ、参拝者が減っているのかも知れない。この日は風が強くて鯛の浦観光の船が出ていなかったからかもしれないが。


春の房総ドライブ④〜九十九里浜を走る

2025-04-27 05:00:00 | 旅行
房総の旅の1泊目は『絶景の宿 犬吠埼ホテル』に宿泊。かなり年季の入った建物ではあるが、内装は手が入れてあり、部屋も広く綺麗であった。




食事は汐彩という部屋で頂いたが、刺身はさすがの4点盛り(シイラ、鰹、キンメダイ、マグロ)、特にキンメダイの身は甘く、カららツオの鮮度には驚いた。鮭メインの鍋は魚というより、地場産の野菜の甘みで汁は絶品。





アワビの蒸し焼きはその身の柔かさと旨さに鮑とはこんなに美味かったのかと再認識させられた。
酒は色々な種類が置いてあったが、気に入ったのは山武郡で造られた『梅一輪』、辛くスッキリした味は魚との相性が良かった。



翌朝はお約束通り『温泉宿の楽しみ』である朝風呂に浸かることからスタート。幸い雨は昨晩のうちに止み、曇りながら露天風呂を楽しむこともできた。風呂の後、屋上から外を眺めると目の前に犬吠埼灯台が見える。昨日訪れた『地球が丸く見える丘展望台』とは一味違う風景を見ることができた。

宿は8時にスタート、この日は九十九里浜をひたすら走る予定。屏風ヶ浦から旭市までは前日も走った銚子ドーバーラインを走り、国道126号線に入り、『道の駅季楽里あさひ』のところを海に向かい、海岸沿いの道を走る。蓮沼海水浴場などの横を走り、九十九里ビーチラインに入る手前に『海の駅九十九里』を発見した。





道の駅ブームが高じて『森の駅』『酒の駅』など〇〇の駅が色々とできてきたが、こちらの海の駅は地元九十九里町が運営する施設。イワシの群れが泳ぐ水槽や昔の漁船・漁具の展示、海産物やお土産の販売、レストランなどを行なっている。

駐車場に戻ろうとすると青いポストを発見。丸型の懐かしいポストだが、平成28年に設置されたもので郵便物を投函すると集配してくれる。何とも珍しいポストだが、背景の海によく似合っていた。

九十九里ビーチライン(有料道路)を使い、上総一ノ宮まで行く。さらに国道128号線(房総横断道路)を走り、いすみ市(大原)まで行く。そこからは海を目指し、午前11時に関東三十六不動35番札所の波切不動尊に到着した。(以下次回)


春の房総ドライブ③〜犬吠埼からは地球が丸く見える?

2025-04-25 05:00:00 | 旅行
成田山新勝寺にお参りの後は銚子に向かう。途中、高速道路がないため、主に国道126号線を走り、旭市にある道の駅『季楽里あさひ』で一休み。のんびりした農業系の道の駅でコーヒーを飲み、屏風ヶ浦を目指す。





屏風ヶ浦は約10kmにわたり断崖絶壁が続く異様な風景からイギリスとフランスの間にあるドーバー海峡に似ていることから『東洋のドーバー』と名付けられている。銚子マリーナの駐車場に駐め、海岸線を草に足を取られながら歩いて行く。 





この日は風がないため、海は静かで助かったが、断崖には横縞があり、途中大きく侵食された箇所もあった。しかし、変化が少なく、歩いただけで車に戻る。





『地球が丸く見える丘』に向かう。駐車場の隣に旧銚子市立高神小学校旧校舎跡が公園となっていて桜やリナリア(ヒメキンギョソウ)など数々の花が咲き乱れて美しい。





さらに登り、資料館に入る。愛宕山(73.6m)に位置し、ほぼ周囲全てに海があるという風景が臨める展望台がある。





資料館に入った時は信じていなかったが、いざ最上階から眺めると360度のパノラマはもちろん、突き出た岬にあるため全ての方角が確かに海、地球が丸いことを感じることができる。

一階には『ヒゲタ』『ヤマサ』『タカラ』という大手醤油メーカーの商品を紹介するコーナーもあり、なかなか面白かった。
ここまでくればと銚子電鉄外川駅に行く。





外川駅は岬の最南端に近い漁港の入口にある。2度ほど行ったが、駅は私が到着した時は無人駅となっていた。しかも以前お邪魔した際に乗ったはずのデハ801という車両が留置してある。中に入るのが危険となったため、中には入れなかったが、見ることができた。



外川駅は1923年に銚子電鉄開業とともに開設され、修復は行われてはいるが、外装は開業時から変わらない何とも懐かしい駅舎。久しぶりに再会し、嬉しくなった。





1625に外川行が偶然に到着。車両は昨年3月よりやってきた旧南海電車2200系(銚子電鉄22000系)であった。中を見ると吊り革が魚だったり、シートの模様が魚群だったりと楽しめる車両に改装してあった。(以下、次回)

『秋の甲斐路へ』⑩終〜富士山と別れて勝沼のワイナリーへ

2024-12-06 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』⑩、最終日の11月3日は晴天に恵まれ、目の前に驚くほど大きな富士山が現れた。前々日に博物館で言われた通り、初冠雪が遅れ、いつもの雪を被った富士山ではなく、真っ黒な夏山のままである。

しかし、夜明けの富士山は私のような者には宿泊しないと見ることができない。朝日を浴びて微妙な色の中にある姿はどれだけ見ても見飽きることはなかった。



前日が雨だったこともあり、朝食後、外に出てようやくホテルの外観を見ることができたが、なかなかおしゃれな南欧風、見下ろすと河口湖も良く見え、カメラスポットも沢山ある。いわゆる映えるホテルである。

湯船のあるバルコニーもよくできていて真ん中あたりが窓のように開く。湯船な座ったまま富士山を眺めることができる。自分で挽いたコーヒーを湯船でゆっくり頂く、こんな贅沢もすることができる。

朝、9時に出発して下道を走る。気がつくと左右とも桃や葡萄の畑の中を通る道となっていて40分ほどで勝沼に到着。まずは老舗の勝沼醸造に向かう。1937年創業の老舗ワイナリーで駐車場のサインまでおしゃれ。



有料試飲を始めたのも最も古く、もちろんアルガブランカを始めとするワインも素晴らしい。





数年ぶりの訪問でワイン試飲スペースも広くなり、さらに葡萄畑を一望できる展望テラスが2階に設置されていた。





前々回に購入したカードを有料試飲の機械に差し込んで新酒やアルガブランカ、アルガブラン、アルガーノなどを試飲したいところだが、車のため、相方に飲んでもらい、3本購入した。



続いて距離はすぐだが、甲州市のお隣、笛吹市一宮町にあるルミエールに向かう。創業130年の歴史のあるワイナリーで石蔵発酵槽は国登録有形文化財に指定されている。初めてお邪魔してから20年以上経過、昔は事務所横にある小さな試飲室で飲ませてもらっていた。





今は新たにワインの展示スペース、試飲コーナー、ゼルゴバというレストランなどが作られ、当時からはまるで規模も変わっている。白ワインも地元南野呂で取れるデラウェアを使った一升瓶ワインから1万円を超えるシャトールミエール、また、スパークリングやオレンジワインなど種類も多く、楽しめる。

こちらではオレンジワインと新酒の計2本を購入。私の持っていた有料試飲カードはかなり古いもので今はやり方が変わっていた。しかし、古くからの顧客を大切にしてくれ、お勘定の際にこのカードを見せるとさらに5%引きにして頂いた。

最後に地元の農協がやっている『JAフルーツ山梨の店』でお土産を購入、帰途についた。ワインもいいが、そのツマミとして巨峰のレーズンは素晴らしい。我が家に戻ったのが、昼過ぎ。タイミングを外すと渋滞なしで帰れた。僅か2泊2日半の甲州路だったが、富士山にワイン、河口湖、さらに古墳色々楽しむことができた。
ご愛読ありがとうございました。




『秋の甲斐路へ』⑧〜甲斐善光寺と武田神社

2024-11-30 05:00:00 | 旅行
『秋の甲斐路へ』⑧、銚子塚古墳を堪能した後、ファミレスでランチ。雨も完全に止まないので昇仙峡を諦め、甲斐善光寺へ。
甲斐善光寺は元は武田信玄が川中島の戦いを考え際に信濃善光寺に戦火が及ぶことを恐れて創建した寺院。

1555年第三次川中島の戦いを和睦するとこの寺を建て、その3年後に信濃善光寺の本尊の善光寺如来を移した。



しかし、信玄の死後、1582年武田勝頼は織田・徳川連合軍に敗れ、善光寺如来は織田信雄により岐阜に移され、さらに清洲城、徳川家康により吉田、浜松を経て甲斐善光寺に戻される。しかし、豊臣秀吉が方広寺大仏損壊を受けて善光寺如来を京都に移されるが、秀吉が病となり、善光寺如来の祟りと噂されたこどあり、1598年に信濃善光寺に戻された。



甲斐善光寺の伽藍はほぼ信濃善光寺と同じ大きさがあった。しかし、1754年の火災で焼失、1766年から30年かけて1796年に完成した物が残されている。



本堂の内陣に入ると天井の鳴き龍2頭が手を叩くと反射が起こり、共鳴して大きな音が出る。

また、本尊の裏に行くと信濃善光寺同様に『お戒壇巡り』があり、真っ暗な中で鍵(錠前)を触れることにより本尊と縁が結ばれるとされる。もちろんチャレンジしたが、降りていく階段の高さが異なり、怖い。さらに壁に沿い、腰の高さを探るが、一度突き当たり、右に曲がったのち、ようやく見つかるもので結構時間がかかる。

今の本尊は銅造阿弥陀三尊像で写真も飾られていた。この像はかつては御前立で、秘仏ではあるが、7年毎に開帳されている。



次は武田神社に向かう。この土地に武田信虎、信玄、勝頼の3代がこの地を治めた時の躑躅ヶ崎館(武田館)の跡地であり、明治・日露戦争後信玄祭祀神社創設の機運が盛り上がり、1919年に完成した。

甲府城もあるが、これは武田氏滅亡後に秀吉・家康が築城、江戸時代は当初は幕府直轄、その後、徳川義直(家康の9男)が初代城主となり、その後も親藩系大名が続いた。

武田神社は坂を登った突き当たりにあり、以前来た時は左の第二駐車場に向かって停めたが、あまりに遠く、辟易した。今回も左に一旦は曲がったが、雨が強くなってきたこともあり、近い駐車場に再チャレンジ。停めることができた。

すぐ階段下まで行き、橋を渡って境内に入る。激しい雨にも関わらずちょこちょこ歩く七五三の女の子が大変そう。我々も本殿に参り、御朱印をもらったのち、急いで車に戻った。
最後は降りしきる雨の中、本日宿泊する富士吉田へ一気に走り出した。(以下、次回)