hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

皇室と記念切手(1)

2019-01-31 05:00:01 | 日記

『切手シリーズ』その74。今年は天皇の退位や元号の変更など皇室の行事が目白押しだが、『記念切手と皇室』というテーマで今回のブログを書くことにした。日本初の記念切手が発行されたのは1894年3月9日だが、そもそも明治天皇の銀婚式を記念した2銭と5銭の2種類の切手である。そのデザインには明治天皇の肖像などではなく、『つると唐草模様』である。

次の記念切手は日清戦争勝利の記念切手が続くが、3番目が1900年5月に発行された『大正天皇ご婚儀』の記念切手でデザインはお祝いの品である。

1915年11月には『大正大礼』で4種類の記念切手が発行された。デザインは『式典のかんむり』『たかみくら』『紫宸殿式場』の3種類であった。

1916年11月には『昭和立太子礼』の3種類の記念切手。うち、10銭の儀式の冠の切手は発行枚数がわずか86000枚しかなく、カタログ価格も25万円する最高額記念切手である。(同時に発行された1銭五厘の記念切手は672.2万枚である。)ちなみに皇太子に即位されたのちの昭和天皇は当時15歳、また、大正天皇は10歳、今上天皇は18歳、現在の皇太子浩宮様は31歳で皇太子となられている。


その後も昭和天皇御帰朝(1921年9月)、台湾行啓(1923年)など皇室のイベントの記念切手が多く、14回発行されたうち皇室関連が6回とかなりの頻度である。

切手マニアの中では有名な東宮ご婚儀の 不発行切手。発行予定は大正12年11月であったが、9月1日の関東大震災により関東にあった印刷工場が被災、版もろとも失われ、用意できないため、発行されなかったのである。それでは不発行記念切手がなぜ市中に出たのか、当時日本は南洋諸島パラオは信託統治領であり、既に発送済みのものがあった。これを送り返してもらって皇族専用にと配布されたものである。
さらに1925年5月には『大正天皇銀婚式』の4種類の記念切手が発行されたのである。

昭和に入り『昭和天皇大礼』が1928年11月に発行。しかし、デザインは『ほうおう』『大嘗宮』とやはり関連品にとどまった。

戦前は皇室関連の方々の顔の上に消印が押されること自体を問題視する傾向もあり、天皇や皇太子が記念切手のデザインとはならなかった。肖像が記念切手のデザインとなったのは天皇陛下(当時、皇太子)のご成婚(1959年)の際が最初であり、天皇陛下の写真が含まれた記念切手は発行されていない。これはイギリスのエリザベス女王の切手が大量に発行されているのとは一線を画しているのである。(以下、次回)

牛かつ もと村〜日本橋ランチグルメ

2019-01-30 05:00:57 | グルメ

『かつ』といえば『とんかつ』一本やりであったが、気まぐれに『牛かつ』にチャレンジしてみる。最近は牛かつブームで新橋の『おか田』や人形町の『そよいち』が有名だが、コスパを考えるとついついとんかつの方に流れてしまう。今回お邪魔したのはCOREDO室町の地下にある『かつ村』というお店である。


システムは入店前にメニューを決め、支払い後入店する。メインは130g、200g、260gの中から選択、これに5種類ある小鉢を選ぶ。私は『130g+小鉢1つ』にするが、これで1400円となる。

カウンター席を案内され、目の前に固形燃料で暖められた小さな鉄板がある。席に着くとすぐに御膳が運ばれ、衣の薄い牛かつは細めに切られている。

これを鉄板で炙り、2種類のツケダレで食べる。他にもおろしワサビ、塩、ソースなどもあり、これで食べても良い。


まずは一切れを取り、赤い部分を鉄板につける。しかし、あっという間に鉄板にくっつくので予断は許されない。裏に返して、最初は山ワサビソースを付けて食べるが、サクサクの衣と適度に脂が滲み出てきた肉、少し辛いソースがいいバランス。これはご飯が進む。

次の肉は醤油を付けてワサビと共に頂くが、肉の脂の甘さが引き立つ。次は塩とワサビ、甘さを楽しむならこれが一番。130gと聞いてやや少ないかなあと思ったが、ランチにはこれで十分。

何しろ『炙り』が大好きな私には癖になりそうな味である。ご飯はお代わり可能(キャベツ、味噌汁は100円)だが、ここは我慢。小鉢の明太子を使えば軽く2杯はいけそうであった。やはり、食わず嫌いは良くないことを実感したランチとなった。


かつ村COREDO室町店
中央区日本橋室町2ー3ー1COREDO室町2B1
0332735121

白河小峰城址を歩く

2019-01-29 05:00:30 | 日記

JR白河駅から右手を見ると白河小峰城跡が見える。少し時間もあったので散策してみることにした。駅を降りて宇都宮寄りに歩くと東北本線の下をくぐるトンネルがある。

このトンネルは中々の優れもので白河市の観光案内が並んでいる。白河の関、奥羽街道、南湖公園、そして小峰城についてパネルで丁寧な説明がされている。小峰城は南北朝時代に結城親朝が築城したのが始まりで白河結城氏が小田原評定に加わらなかったため、秀吉に改易されてしまう。

その後、1627年に丹羽長重(長秀子息)が移封されて1632年に完成した。その後は親藩大名や譜代大名が6代に渡り城主交代をして最後は阿部氏が入るが、1867年に棚倉藩に移ると城主がいなくなった。そして1868年戊辰戦争で新政府軍と奥羽越列藩同盟軍が激しく戦いの舞台となり、大半が焼失してしまう。その後、1991年に本丸跡に三重櫓を再建されていて、その姿を見ることができる。

入口の門を入ると広大な二の丸跡があり、さらに道を進めると三重櫓を見ることができる。ただ、東日本大震災で石垣・曲輪が被災し、修復中である。階段を登ると前御門があり、三重櫓の横に出る。


中に入り、急な階段を上っていくと最上階まで行くことができる。雪をかぶった那須連山がダイナミックに見え、素晴らしい眺望を楽しむことができる。

実質的には天守閣である三重櫓には無料で登れるため、観光客も結構いる。


また、三重櫓の横には人柱にされたおとめという女性をしのび、桜が植えられていて『おとめ桜』と呼ばれている。(ただし、初代は戊辰戦争の時に焼けてしまい、現在の桜は2代目である。)


第一藤駒〜白河ランチグルメ

2019-01-28 05:00:31 | グルメ

白河市に来たからには『白河ラーメン』を食べようと色々と探すが、残念ながら駅からの徒歩圏内にはない。やむなく、もう一つの名物である手打ち蕎麦を食べに行くことにした。というのは日本三大蕎麦と言えば信州、出雲、盛岡を指すが、白河市ではこれに白河を加えて〝日本四大そば処〟と呼んでいるからである。

白河駅を降りると確かに駅前には蕎麦屋が数軒並んでいる。今回は老舗の『第一藤駒』という店に入る。この店は1879年創業の『藤田屋』が元祖でその三代目が1929年に現在の地に店を移したもの。

店に入るとおばあさんがおしぼりとあったかいそば茶を持って来てくれる。この店は平打ちの手打ち蕎麦にこだわるとのことで『ひやあつ』の鴨せいろ(1100円)をお願いする。

もちろん打ち立て・茹でたてのため、多少時間はかかる。鴨せいろは7〜8分待つと運ばれてきた。熱いつけには鴨肉・焼いたネギ・ゴボウ・ナスなどが入っている。薬味は三つ葉、ワサビ、ネギが別盛りで登場。

まずはつけだれに蕎麦をつけ、蕎麦だけを頂く。味付けは程よく、平打ちの麺がよく絡み、また、コシもあって中々美味い。薬味を全て投下、鴨の脂が浮いているが、ワサビがよく効く。鴨と焼きねぎ、蕎麦を一緒に食べると旨味と薬味の香りが調和していく。

熱いつけ汁と冷たい蕎麦がいいようだ。軽く蕎麦を一枚平らげると別の蕎麦猪口にもりそばのつけ汁を入れて来てくれる。これに蕎麦湯を入れて頂くが、手打ち蕎麦をやっているから、蕎麦湯が美味いのである。なるほどさすが日本四大そば処を名乗るだけある。ご馳走さまでした。


第一藤駒
白河市大手町12ー2
0248232026

麹町駅

2019-01-27 05:00:23 | 日記

『メトロに乗って』その104。今回は東京メトロ有楽町線麹町駅で降りて半蔵門線半蔵門駅を目指す。

麹町駅を降りると前に旧町名由来の看板があるが室町時代の古文書に江戸氏の一門に『江戸/こう方殿』という一族の苗字があり、この『国府方』が麹町の古名ではないかと言われている。また、麹町から四谷駅近くにあった江戸時代の蔵屋敷跡から味噌や麹を製造した室のあとが発見されていて麹の産地でもあったと考えられている。

その先の交差点には小便小僧のような子供の銅像、夏の思い出という題が付いていて通った時にはアロハを着て日の丸を掲げていた。

麹町駅を降りて新宿通りを皇居に向かって右に折れ、5分ほど歩き、右に曲がると平河天満宮がある。1476年太田道灌が江戸平河城内に創建したもので紀州・尾張の徳川家、彦根藩の井伊家などの祈願所にもなっていた。


正面の銅鳥居を入ると撫で牛・石牛が左右に5頭、うち最も手前の嘉永5年に奉納されたものが最も古い。(千代田区指定有形文化財)他にも筆塚や力石などもあり、小振りな神社に所狭しと色々なものが置かれていた。

平河天満宮を出て、半蔵門駅に向かう。駅の入口向かいあたりには太田姫稲荷神社。

小さな神社ではあるが、由緒は古く、太田道灌の娘が疱瘡に罹患した際にこの神社を作り、祈祷をしたところ平癒したという話が残されている。

その先の道を左に曲がると隼町に入る。これを進むと国立劇場などがある。行く途中に左側には豪邸、大使館かと思うと個人宅、そしてその向かい側には国立劇場や国立演芸場。


さらに反対側には首都高速道路の千代田トンネルの入口がある。びっくりするくらいの静かな場所である。それでも隼町にはマンションや一戸建もあり、どういう人々が住んでいるのかが気になった散歩であった。



新橋を探す

2019-01-26 05:00:14 | 日記

『ぶらり橋めぐり』その76。今回は新橋という橋の跡を探しに行くことにした。私自身は11年も新橋に勤めながらも新橋がどこにあるのかも知らなかった。うろ覚えの知識は新橋という橋は外堀に架かっていたが、埋め戻されたのではという程度である。

調べてみると昔の錦絵に博品館の工場(現在の博品館、銀座8丁目)の前に橋が描かれていてこれが新橋らしい。


それならばと国道15号と東京高速道路線の交差点まで行く。高速道路の橋には『銀座新橋』とかかれ、高速道路の下の肉のハナマサやドンキホーテがあるすぐ横に新橋の親柱が残されているのである。

つまり、高速道路は埋め立てられた汐留川の上に作られているのであり、元々の橋は国道15号にかかっていたのである。


川跡の高速道路に沿って歩くと次の交差点が難波橋とある。いくら周りを見ても橋らしきものは何もないが、明治の地図をみると確かに難波橋と書かれている。


さらにその先には土橋、高速道路のランプもあるのだが、この先で高速道路は右に弧を描く。ただ、汐留川もここは曲がってはおらず、その先は東京電力本社方向、つまり新幸橋や幸橋、さらに虎ノ門の方に続いていたようである。今では全く橋の気配はないが、地名にはちゃんと残されているのである。

笠置そば〜神田ランチグルメ

2019-01-25 05:00:49 | グルメ

午後2時の神田付近、昼飯を食いそびれて歩いていると神田駅北口からまっすぐ伸びる道で立食そばの店を発見。本当はもう少し先の小諸そば鎌倉橋店に向かっていたのだが、腹も限界に達し、さらに次の予定も迫ってきたのでこの店に変更することにする。

入口の券売機で食券を買おうとするが、とにかく種類が豊富。さらに小丼も10種類もあるため、ほぼ全てのボタンを使っていて目移りするが、今回はシンプルにかき揚げ蕎麦(430円)を選択、暖簾をくぐる。

店には元気なおばさんたちが働いていて、『蕎麦かうどんか』を聞かれ、一旦は席に座る。この店は立ち食いの店ながら結構席は多い。

すぐに呼ばれて、丼を受け取り、まずは蕎麦から頂く。麺は典型的茹で麺だが、立食い特有のぬるさではなく、温度は結構熱い。ツユを飲むが、見た目と違い、出汁がわりに効いていてあまり味も濃くない。かき揚げはやや大きめに切った人参、玉ねぎ、長ネギ、わずかに干しエビも入っているようで、揚げたてとまではいかないが、いわゆるポテッという感じはない。また、一緒に添えてあるワカメも嬉しい。店には私以外にお客があと3人、みんな昼飯を食いそびれたサラリーマン風。こういう独立系で駅から離れた立食い蕎麦の店も最近はだんだん見なくなってきており、貴重な存在である。

食べ終えて食器を返すと元気な声で『ありがとうございます、またよろしくお願いします』と言われる。これで私も元気をもらえる、この雰囲気が何となく懐かしい店であった。ご馳走さまでした。


笠置そば
千代田区内神田1ー4ー9
0332916051

『1丁目1番地1号』〜八丁堀・京橋・銀座編

2019-01-24 05:00:50 | 日記

『1丁目1番地1号』その8回目はまずは八丁堀から。以前の経験からも1丁目1番地1号は必ずしも中心に近いところにはない。八丁堀も同様で八丁堀交差点からは随分と離れている。


『八丁堀1丁目1番地1号』は高速道路の宝町ランプから久安橋を渡り、すぐに左に曲がったあたりのビルである。

久安橋は元は楓川にかかっていた橋であるが、現在、川は暗渠となり、その上に高速道路が走る、つまり高速道路に架かる橋なのである。


今度は『京橋1丁目1番地1号』を目指す。鍛冶橋通りを渡り、久安橋を越えて、東京駅方向に歩く。中央通も越えて、少し行ったあたりにあるダイビルが京橋1丁目1番地にあたる。

その前には尾台榕堂という江戸時代の漢方医の銅像がある。銅像は医師が子供達を診察している様子だが、徳川家茂にも御目通りが叶い、この地で開業した名医であった、と案内板には書かれている。

次に『銀座1丁目1番地』を探すべく中央通を歩く。高速道路を越えたあたりには京橋の親柱が残されている。交番の前にある地図を見るとここが銀座1丁目2番地、それならば1番地はこの地番に隣接しているはずと高速道路に沿って歩く。

しかし、茨城県のアンテナショップがある外堀通りまで行き、ぐるっ回って元の場所まで帰っても1番地はない。おかしいなと思いつつネットで調べると何と銀座1丁目〜3丁目、6丁目〜8丁目には1番地がないのである。

というのは東京高速道路(株)になっている場所は元は汐留川で長年にわたり、埋め立てたこの土地が中央区と千代田区のいずれの所在になるかが確定できていない。このため、銀座1丁目は2番地から振り始めた。というのも、区境が決定した際に1番地を降る予定なのだが、その状態が変わらないので1番地がないのである。そんなことも知らずにぐるぐると高速道路の下を回るとは思わなかった。

こうして1丁目1番地1号を探してみると新たな発見があってそれなりに楽しいものである。

田乃休〜虎ノ門ランチグルメ

2019-01-23 05:00:54 | グルメ

虎ノ門付近をウロウロとしていたら駅近くにチャンポンの看板を発見、確か以前に『長崎飯店』という店で食べたことを思い出した。虎ノ門はチャンポンが名物なのかはわからないが、とりあえず入店。

虎ノ門駅から直結するビルの地下一階にある『田乃休』というお店。最近改装したのかこの手の店では綺麗で、また、広いのである。

メニューをよく見て何にするかを検討、皿うどん・チャンポンは800円、上は1100円、特上は1300円だが、よく見ると田乃休セット880円とある。店の人に聞くと小チャンポンと小皿うどんのセットとのこと。両方を味わいたいのでこれにする。皿うどんは揚げ麺か茹で麺かと聞かれ、太麺は茹で麺と言われたのでこちらにする。

それから5分と経たずに到着。まずは皿うどんから食べるが、味はやや甘め、餡は予想通り熱く、ピンクのかまぼこやさつま揚げ、もやしやキャベツはあるが、魚介はエビくらいとやや寂しい。

麺も焼いて無いのが残念、これなら揚げ麺にしておけばと後悔。ただ、辛子やソースで味を変えながら食べると美味い。

次にチャンポン、こちらはスープを一口、トンコツと海鮮がマッチしていて深く、味わいがある。麺もスープをよく吸っていてこちらは大変美味しい。

この両方味わえるセットは随分チャンポン専門店に行っているが、夢のコラボである。また、これなら上や特上も食べたくなるチャンポン・皿うどんであった。(但し、セットならば揚げ麺の方が味が変わって美味いと思われる)

ご馳走さま。夜のメニューもなかなか魅力的である。


田乃休
港区虎ノ門1ー1ー21
0335950503

文京区役所〜23区の区役所に行こう

2019-01-22 05:00:39 | 区役所

『区役所に行こう』その1。東京に23ある区役所に行ってみて、色々と調べてみたら、という企画。まずは仕事で行った文京区役所、場所は東京メトロ丸ノ内線・南北線後楽園駅、都営大江戸線・三田線春日駅からすぐと交通至便な場所にある。

向かい側の礫川公園から見るとその高さが際立っているのがよくわかるが、平成6年に建て替えられたもので高さは121mある。

区役所の他にも保健所、都税事務所、公証人役場、防災センターなども入居していて、それ以外にホールやシルバーセンターなどもあることから建物はシビックセンターと名付けられている。


まずは2階の戸籍係で証明書の交付を受けるが、区役所もサービスが向上していてロビーマネージャーが親切に用紙を出してくれ、また記入方法も教えてくれる。窓口は混雑はしているがそれでもちゃんと流れていて理不尽さは全く感じない。

無事に交付を受けた後、25階にある展望フロアに向かう。エレベーターは早く、105mのところまであっと言う間に到着。展望室から見ることができるのは北、西、南の三方向。


新宿新都心や池袋サンシャイン、スカイツリーなどはよく見えるが都庁の向こう側に見えるはずの富士山は残念ながらよく見えない。それでも秩父連山などは見ることができた。また、後楽園ゆうえんちの観覧車も下に見ることができ、不思議な風景。

そして、東方向は展望レストランからみることができる。レストランは椿山荘が委託を受けており、値段はやや高めながらレベルは高いだろう。
一周回り、帰ろうとエレベーターを呼んだが、乗るのは私だけ。しかもノンストップで25階から降りたものだから、大迫力であった。

最近は豊島区や目黒区、練馬区のように高層化が進んでいる区役所を1つずつ巡ることにしたい。