hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

◯◯南蛮そばを探究する①

2020-12-31 05:00:00 | グルメ
『日本そばにこだわる』4杯目。大晦日なので年越しそばのことを書けばよいのだが、年越しそばには特に決まりはないようで、そばの種類もかけそばなのか、ざるそばなのか、また、食べる時間さえも夕食なのか、除夜の鐘が鳴り終わるまでに食べ終わるのか、などと多種多様で説は多すぎる。


ただ、よく言われている『香川県の人は年越し蕎麦でなくうどん』説を調べると香川県人であっても79.8%の人はやはり年越し蕎麦というほど、日本人に根付いた風習である。店ばかりでなく家庭で食べるケースがかなりあることから、このブログでは扱いを断念した。

前置きは長くなったが、今回取り上げるのは『◯◯南蛮』という蕎麦である。南蛮とは四夷の一つで東夷・北狄・西戒・南蛮と中国人が周りに住む異民族を蔑視した言い方である。日本でも同様の使い方をしていたが、室町時代にヨーロッパ人との貿易が始まって以降はヨーロッパ人を南蛮と呼ぶようになった。

このため、オランダ人がネギを好んだことから南蛮という説、大阪のなんばでネギが多く栽培され、これを鴨そばにいれたので『かもなんば』が転じて『かもなんばん』となったという説に分かれる。ともかく、ネギを入れた蕎麦を南蛮と呼ぶのは間違いない。

そこで色々な◯◯南蛮を食べてみる。最初は鴨南蛮、日本橋小舟町には『浹(あまね)』という京風鴨そば専門店がある。値段は1100円とリーズナブルで私はこれにかやくごはん(一口200円)を付ける。

鴨南蛮を運んできてくれる店の人が『粉山椒がよく合いますよ。』と教えてくれる。指示通り粉山椒を振って食べ始めるが鮮やかな緑色の九条ネギがたっぷり乗っているのが京風で、これが美味い。蕎麦も量がしっかりあり、鴨で取った出汁との相性も抜群。鴨も肉の部分はもちろん、皮もやや固いが噛めば噛むほど味が出て、いつまでも噛んでいたくなる。

また、かやくごはんは本当に少量だが、味が変わり、さらに添えてある柴漬けもいい仕事をしている。普通の蕎麦よりはかなり高いが、一冬に何回かは食べてしまう。

次は『天南そば』である。東京メトロ銀座線浅草駅の出口を出て、雷門と反対側に歩いたところにある『尾張屋支店』、天ぷらそばや天丼で有名な老舗だが、ここには『天南そば』(1150円)がある。暮れになるとこの店は常連のお年寄りたちがやってくる。話を聞いていると『尾張屋さんは支店と本店で微妙に蕎麦の味が違うんだよ。』とざるそばを啜るご老人、店の人は『おんなじ粉を使っているんですがね。やっぱり、分かる人には分かるんですね。』なんと『かえし』がうまいんだろう。(やはり蕎麦屋さんだからか)
などと考えているうちに天南そばが登場。


丼から3分の1くらい海老天が飛び出している。蕎麦からいただくが、揚げたて天ぷらの胡麻油の匂いが溶け出して蕎麦もうまい。天ぷらの上には縦切りにしたネギ、少し煮てあり、甘い。海老天を齧るが熱くてなかなか噛みちぎれない。

出汁も濃い目、やや甘めで剥がれた天ぷらの衣が美味い。ただ、半端なく熱く、ふーふー言いながら平らげた。老舗の人気メニューだけあって大満足である。一気に身体は暖かくなった。



浹   中央区日本橋小舟町4ー10
05058728065
尾張屋支店
    台東区浅草1ー1ー3
0338418780
実はまだ◯◯南蛮はあるので来年に続く。

花まきそばを食べた事はありますか?

2020-12-30 05:00:00 | グルメ
『日本そばにこだわる』3杯目。今回のネタは『花巻そばを食べたことはありますか。』である。前回の『しっぽくそば』の段でも書いたが、落語・時そばの蕎麦屋のメニューの一つにも『花巻』はある。

一流どころの蕎麦屋のお品書きには必ずある『花巻そば』、かけそばに焼き海苔を乗せたメニューである。単にそれだけだが、江戸時代は板海苔は高価な食材であり、カツオや昆布で取った出汁にかえしを加えて作ったつゆのかけそばに海苔を乗せて香りを楽しみながら食べる。

そのため、香りの強い七味唐辛子やネギは基本入れずに海苔と出汁を楽しむのが江戸風と言われてきた。ただ、かけそばに4枚板海苔が乗っただけで100円以上高いのは納得いかない向きには是非一度ご賞味して頂きたい。

そこでまず、お邪魔したのは『浜町薮』、甘酒横丁を浜町方向に5分ほど歩いたところにある。店は新しいビルの1階、コロナ禍もあってかそれほど混雑はしていない。

花まきそば(860円)を注文、お品書きの温かいそばにはたぬきやきつね、かけそばはなく、一番先にあるのが花まきそば、次いで卵とじ、月見、かきたまうどん、釜揚げうどん、おかめそばと続く。5分ほどで出されたそばには海苔が4枚、ちゃんと生ワサビが乗せられている。まずはワサビの乗った海苔と蕎麦を頂く。

口の中で海苔とワサビ、さらにうまい出汁と蕎麦が渾然一体となり、香りも素晴らしい。出汁を一口、甘くはないが、鰹だしの香りがふーとする。海苔と蕎麦を一緒に食べ、出汁を飲む。単純ではあるが、じっくりと楽しめる。




番外編として事務所の近くの『高松』で季節限定の生のりそば(800円)を食べに行く。こちらはかけそばの上にたっぷりの生海苔と蒲鉾2枚、ほうれん草が乗せてある。

板海苔と違い、はじめからほぐれているから蕎麦によく絡む。海苔の香りも高く、出汁もいい味になり、中々美味い。いつでも食べられる訳ではないが、蕎麦の具としては生海苔もありだなあと認識した。




歳の市2020

2020-12-29 06:00:00 | 日記
人形町の年末恒例行事である歳の市は中止とはならず、本年も開催されている。夏の陶器市、秋の人形市、さらにべったら市も中止となったが、歳の市だけはやや規模を縮小気味に開かれている。



例年は25日からほぼ一斉に露天が水天宮前〜人形町交差点の歩道に出るのだが、まだ2.3軒しか店は開いていなかった。
また、理由は分からないが、人形町交差点に向かって右側にはお飾りや裏白、ゆずり葉、お供えを商う店が並ぶ。こちらは例年より数軒少ないくらいで法被をきた威勢の良いお爺さんらがいつものように店を開き、お客に声を掛けている。



しかし、反対側だが、人形町〜甘酒横丁は地下鉄出口の工事の関係で店が出せないのかも知れない。そのため、甘酒横丁の信号から水天宮交差点に向かって7、8軒が店開きしている。その数は昨年の半分以下だろう。



売っているものはいつもと同じように落花生、干し芋、焼き栗、紳士靴、植木などさまざま。ただ、いつもはあるたこ焼きや綿菓子のような飲食を伴なう露天は全くない。



まあ、歳の市が開催されただけいいのかもしれないが、やや寂しい年の瀬である。この後、私は大観音様にお参りして事務所に戻った。






牛嶋神社

2020-12-28 05:00:00 | 日記
干支に因んだ『牛』の神社の2つ目は『牛嶋神社』である。

都営浅草線本所吾妻橋駅を降りて三ツ目通りを左折、この辺りは古い建物が多く、『みがきや』という棒鋼の研磨の店や『汽罐と煙突 吉田工業』というクラシカルな建物の前を通る。


北十間川が下を流れる源森橋を渡ると東武スカイツリー線の下を通り、しばらく歩く。牛嶋神社前の信号を左に曲がると神社まではすぐ、駅を出てから5分もかからずに到着した。正面の鳥居から境内に入る。するとすぐ左側に牛の像、ただこれは包丁塚の牛の慰霊碑である。



まず見えるのが御輿蔵、そして正面が本殿。牛嶋神社は関東大震災以前は隣町(現在の向島5丁目)にあったが、帝都復興計画に基づき遷座した。その際に作られたのが御輿蔵と本殿、いずれも区の登録有形文化財に指定されている。



さらに鳥居を潜り、本殿の前に立ち、柏手を打つ。立派な本殿である。さらに本殿の左右には狛犬ならぬ狛牛、かなり古いもので、その奥には狛犬もいる。



牛嶋神社の由来は860年に慈覚大師が須佐之命を郷土守護神として勧請創祀したもの。後に天の穂日命を祀り、さらにこの地で亡くなった貞辰親王を祀ったため、三柱の神々が御祭神である。その後、1180年に源頼朝が下総国から武蔵国に渡ろうとした際に洪水で渡れなかったが、平常胤が祈祷し、渡れたため、源頼朝が社殿を造営したとされる。5年に一度大祭が行われているが、黒雄和牛が神牛となり、牛車を引き、氏子五十町を練り歩く。

お参りして社務所に向かうと来年の丑年を記念して牛のお守りが販売されている。撫で牛のミニチュア版であり、せっかくなので1つ購入。黒い牛が金の玉を持っているが、中々可愛らしい。



もう一つの狛牛を見ようと社務所の奥に写真を取りに行く。さらに手前の狛犬を見てびっくり、よく見ると狛犬の左足には蝉が羽化する際に残した蝉の抜け殻がしっかりと身を固くしていた。少なくとも3ヶ月以上くっついていたのに驚く。

現在は隅田公園の一角となっており、改良工事も終わったため、緑の多い静かな神社であった。

落語『時そば』にもあるしっぽくそばは何処へ?

2020-12-27 05:00:00 | グルメ
『日本そばにこだわる』2杯目。今回のネタは『しっぽくそばはどこに行ってしまったのか。』である。時そばという落語があるが、その中の蕎麦屋に主人公が『蕎麦屋なにができる』と聞くと蕎麦屋は『花巻にしっぽく』と答える。ちなみに花巻そばは『かけそばのツユに海苔を浮かべたもの』である。

(江戸そばのしっぽくそば)

一方、しっぽくであるが、長崎由来の『卓袱』の中にある大盤に盛った麺の上に色々な具を載せた料理をまねて蕎麦の上に色々な具を載せ、しっぽくそばとして売ったと言われる。

1775年の『そば手引き書』には松茸、椎茸、ヤマイモ、クワイ、麩、セリと書かれている。通常はかけ蕎麦を食べていた当時、具を載せることは贅沢であった。

しかし、蕎麦屋の品書きに『しっぽくそば』を見つけることはほとんどない。ネットで調べてようやく見つけたのが、高円寺駅から少し歩く『信濃』というお蕎麦屋さん。高円寺駅南口からパルという商店街を歩き、右に曲がったところにある。

ご夫婦で経営されているようで、店は広い。手打ちそばに拘ったメニューはもりそばなど冷たい蕎麦がメインで十割そばもある。しかし、私は予定通り、席に着くなり『しっぽくそば』(1050円)をお願いした。メニューの中では高い方である。

すぐに天ぷらを揚げる音がして5分ほどでご主人が持って来てくれる。丼を見ると具は海老天、鴨ロース、卵焼き、蒲鉾、さやいんげん、椎茸と色とりどり、しかもかなり豪華版。

振りネギ、七味をかけて蕎麦から頂く。手打のためコシがあり、やや太めの麺はしっかりつゆをまとい、食感がいい。具はそれぞれに美味いが甘く味付けをされた椎茸、揚げたての海老天、しっかりと味付けされた鴨ロースあたりは特に美味い。メニューを見るとほかに海老天も鴨ロースも使う蕎麦はなく、しっぽく蕎麦のために用意されているようである。

もちろん、これだけの具が醸し出す味はつゆに溶け出し、鍋焼きうどんの出汁のように複雑で味わい深い。

ふと壁を見ると先日甲子園に出た飯山高校のペナントが貼られていて、勘定の時に奥様に聞くとご主人が卒業生(飯山北高)とのこと。なんと友人のOくんと同窓生であった。
『そばの手引き』に残されたレシピと同じ具は椎茸しかなかったが、江戸時代から具がふんだんと乗り、見た目も豪華なそばをしっぽく蕎麦と呼んだのだから十分と感じた。愛想のいい奥様に送られて店を後にした。

蛇足だが、しっぽくといえば香川県の郷土料理の『しっぽくうどん』も有名。こちらは大根、ニンジン、里芋などの根菜類、鶏肉、油揚げなどを予め煮干しだしで煮てけんちん汁に似た汁を作り、これを熱いうどんにかけて食べる。しっぽくうどんとしっぽくそばはかなり違うようだ。

信濃 
杉並区高円寺南3ー44ー15
0333140248

牛に因んだ坂道②

2020-12-26 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その126。牛に因んだ坂道の2つ目。赤坂見附駅を降りて青山通りを渋谷方向に歩く。右手には鹿島建設本社や豊川稲荷が見えてくるが、このあたりから右手に道が分かれてゆく。この上り坂が『牛啼き坂』である。

実はこの道は国道246号の旧道で赤坂〜青山〜三軒茶屋〜厚木〜大山と通じている厚木道(大山道)という古道のスタートなのである。案内板には『路面が悪く、車を引く牛が苦しんだから名付けられた。さいかち坂ともいう』と書かれていた。

『皀莢(さいかち)』はマメ科の高木で坂の脇に生えていたのであろう。同じ名前の坂道は水道橋から駿河台に登る中央線沿いの坂や品川区旗の台などにもある。



牛啼き坂の頂上にある女子高まで行ったところで引き返したが、下校時なのか、たくさんの女学生の中をかき分けて赤坂見附駅まで戻る。

3つ目の坂は『牛坂』(西麻布)である。東京メトロ日比谷線広尾駅で降りて西麻布方向に上がる。そのまままっすぐ行く。ランボルギーニなど外車ディーラーが立ち並び、笄橋(こうがいばし)の次の交差点を左に曲がると次の道を越えたあたりから上り坂になるが、この坂が『牛坂』である。



かなり先まで見通せ、勾配のきつい坂で霞町教会や幼稚園、高級マンションの間を通っている。



坂の下な案内板には『源経基や白金長者の伝説がある笄橋に続く古代の交通路、牛車が往来したと想像される』とあるが、今はセレブが犬の散歩に往来する道へと変わっていた。

舞香〜恵比寿グルメ(久しぶりの町中華)

2020-12-25 05:00:00 | グルメ
ランチは蕎麦屋と決めてから町中華シリーズも4回目がなかなかなかったが、今回は夕ご飯で町中華と恵比寿駅から歩いて10分程度の場所にあるお店にお邪魔した。

西口を出て恵比寿像の前をひたすらまっすぐ。駒沢通りを越え、さらにもう一本先の通りも越えて寂しくなりかけたあたりにあるのが『舞香』。ちょっとスナックのような名前で今時珍しい赤いネオン管で店名が書かれているから夜はすぐわかる。

カウンターと狭いテーブル席が2つの小さなお店だが、厨房内に2人、フロア1人とそれなりの布陣。昼は混んでいるらしいが流石に6時過ぎは空いていて先客は1グループのみ。カウンターに座り、チャーハン(700円)を注文する。しかし、先客が頼んだ餃子(450円)を見て、美味そうなので追加。

すぐに鍋を振る音がしてチャーハンは3分ほどで到着。大盛にしたわけではないのに盛りがいい。具はチャーシュー、卵、細かく刻んだナルト、ネギなど。一口食べるとパラパラだが、水分もいい具合に残っていて食欲が出てくる。まずは胡椒をかけて掻き込む。



そのうちに餃子も到着、6個が皿から溢れそうに盛り付けられ、大きな器から特製ラー油を取り、醤油・酢を加えて一つ目を頂く。皮は薄く、適度にニンニクが入っている。ラー油は食べるラー油発祥の店だけあって見た目ほど辛くないがたっぷり入れると胡麻油の香りがいい。熱いが一口で頂く、これは絶品、昼に列ができるのがよく分かる。

見た目の量は多いがペロッと頂いてしまいました。お客さんは常連が多く、店に入るとすぐに注文する。大将もなごやかな人で感じも良かった。ご馳走さまでした。

舞香
渋谷区恵比寿西2ー3ー9
0357845845

おかめそばはなぜ『おかめ』なのか?

2020-12-24 05:00:00 | グルメ
『日本そばにこだわる』1杯目。毎日、蕎麦屋で昼飯を食べていると今まで気にしていなかった事に気がつく。この企画ではそんなよもやま話を徒然としたためてみたい。今回は『なぜおかめそばはおかめなのか?』がテーマである。

日本の料理、特に蕎麦屋のメニューのネーミングを改めて考えると不思議なものが多い。例えば『きつねも入ってもいないのにきつねそば』『たぬきも入っていないのにたぬきそば』といった類のことである。まあ、これは油揚げがきつねに色が似ていて、揚げ玉がたぬきの色に似ている、くらいのことであるが。(たぬきそばは関西ではタネも全く違う。)


ではおかめも入っていないのにおかめそばなのだろうか。ネットで調べればすぐに出てくる。幕末頃に江戸・下谷七軒町(現在の根津あたり)にあった太田庵という蕎麦屋の店主が考案したものと伝わる。

名前の由来は具の並べ方がおかめの面を連想させることから来ており、遊廓が近くにあった太田庵では大人気メニューとなった。

具の配置は、まず湯葉を蝶の形に結んで丼の上部におき、眼を表す。鼻はマツタケか結んだ三つ葉、蒲鉾を2枚向かい合わせにならべて膨らんだ頬、椎茸は口と並べていく。まあ、今で言うキャラ弁のような蕎麦であったらしい。

となれば早速実際のおかめそばを食べに行く。まずは私が事務所の近くの『高松』という蕎麦屋でおかめそば(770円)を頼む。タネは小松菜、椎茸、蒲鉾3枚、麩が入っていて確かにおかめそばのタネに近い。ただ、残念ながら、並べ方からは全くおかめが連想できない。もちろん、滋味深いつゆにタネが良くあっていて味は良かったが。



続いて行ったのが『東嶋屋』、甘酒横丁にある明治20年創業の老舗である。おかめそばはあんかけそば、力そばと同じ850円である。やってきたおかめそばの具は卵焼き、蒲鉾2.5枚、なると、麩、海苔、椎茸、青みは三つ葉である。蕎麦はやや細め、出汁が甘からずかと言って塩辛くも無いいいバランス、気がつくと出汁を飲み干してしまいました。見た目がおかめににているか?と言われるとかなり離れた気もするが、椎茸と海苔で髪、三つ葉でカンザシ、一つしかないがナルトで目、卵焼きで鼻、蒲鉾で頬というと左斜め下から見ればおかめとも言えなくない。

もう1軒は浅草の並木藪蕎麦、これは行く時間がないのでHPで確認。こちらの藪のおかめそばは正統派、つまり湯葉を蝶の形に結び目を作り、油揚げで鼻、蒲鉾2枚で膨らんだ頬を表している。

具は色々だが、やはり、蒲鉾と椎茸は必須、青物を添えてあとは主人のセンスといったところか。食べ比べてみるのもなかなか面白い。

冬至と日の出〜初日の出は何時かな?

2020-12-23 05:00:00 | 日記
2020年もだんだん終わりが近づき、紅白歌合戦の話題もちらほら。今年も松田聖子が出るとは聞いていたが、楽曲は『瑠璃色の地球』とか。歌い出しはなぜか覚えていて『夜明けの来ない夜はないと あなたがポツリ言う』、今年にぴったりの歌い出し。松本隆の作詞である。ここでふと思い出した、昨日(21日)が冬至であったことを。
毎朝ほぼ同じ時間に家を出ているが、晩秋から冬にかけては6時はまだ真っ暗である。


冬至だから仕方ないと思っていたが、冬至を境に夜明けが早くなる訳ではない。分単位だが、東京の12月21日の夜明けは6時47分、しかし今日(22日)は6時48分とさらに遅くなっている。
冬至はあくまで日中の時間(日の出〜日の入)時間が最も短い日なのである。日の出は6時47分、日の入りは16時32分、日中の時間は9時間45分である。

では最も夜明けが遅いのはというと1月1日〜13日の6時51分である。一方、日の入りの時間が早いのは11月28日〜12月12日の16時28分である。つまり、冬至は日の出も日の入りもMaxではない。
因みに東西に長い日本では初日の出の時間もかなり違う。最東端の南鳥島では5時27分、北海道ノサップ岬では6時49分、最西端の与那国島では7時31分なのである。

初日の出を見るのは大変と思いがちだが、東京では6時47分、少し早起きをすれば見られる時間である。ただ、ステイホームのこの時期、マンションの高層階ならばいいが、一戸建ての自宅から初日の出の太陽が望めるのは少し時間が経過してからもしれない。

ところで冒頭の写メに戻って頂きたいのだが、これは22日6時12分頃の久我山駅。左手に見える高いところにあるのが明けの明星と言われる金星、その下にやや小さいのが土星らしい。西の空を見れば木星も見えたようだが、見損なった。それでもやはり早起きは三文の徳なのである。

牛込城跡を探して

2020-12-22 05:00:00 | 城と城址
『関東の城址巡り』その1。こと東京に限ると現存する城は皇居などがある江戸城のみである。しかし、来年の干支に因む名所を探るうちに『牛込城』が存在していたことを知った。

まだ、都内には他にも城址らしきものがあるのでこれらを巡ってみることにしたい。まずは牛込城、その遺構というか、存在していた場所は新宿区袋町、区登録史跡となっている。説明板には『牛込氏は上野国勢多郡大胡(現在の群馬県前橋市大胡)の領主大胡氏を祖とする。大胡氏は天文年間(1532〜1555年)に南下し、北条氏(後北条氏)の家臣となり、姓を牛込に改めて現在の赤坂・桜田門・日比谷付近を所領とした。後北条氏が滅亡した後は徳川氏に仕え、江戸時代は旗本として存在した』とある。

牛込城は天文年間に築城されたが、徳川氏配下になったのち、1590年に廃城となってしまう。そして城址は現在は光照寺というお寺(1645年に神田から移転)となっている。


光照寺は神楽坂駅から歩き、大久保通りを越えて少し言ったところを右折。すぐに地蔵坂となるが弓なりに曲がったあたりに大きな保存樹の銀杏が見えるその手前に参道の入口がある。



境内に入ると大きく開け、正面には小規模な墓地と梵鐘、右手に本堂がある。本堂は太平洋戦争で焼けてしまい、供出していた梵鐘のみが江戸時代のものである。
寺自体が小高い丘の上にあり、牛込城があったと言われている。ただ、城を彷彿させるものはなにもないが。

光照寺から500mの場所に筑土八幡神社があるが、このあたりに後北条氏と敵対していた関東管領・上杉時氏が筑土城という砦を築いていたことがわかっている。



神社には50段ほどの石段があり、途中児童公園となっているスペースがある。さらに階段を登ると周囲が見渡せる小高い地点となるが、ここに八幡社の本殿がある。



ここから熊谷組本社をはじめ、ビルも見下せるが、建物が無いとするとかなり遠くまで見ることができたであろう。



こうしたことからも今は城の遺構と言えるものは何もないが、城(砦)を築いた理由がよくわかる。地形を見て神楽坂を挟んで上杉氏と後北条氏が敵対していたと考えるだけで面白い。