hokutoのきまぐれ散歩

ブログも11年目、遂に3900日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

雛人形を改めて調べてみたら

2021-02-28 05:00:00 | 日記
3月3日はひな祭りだが、現在、私の周りは女性ばかりのためなのか、端午の節句よりこちらが盛り上がる。しかし、ふとひな祭りに飾るお雛様のことをあまりよく知らないことに気づき、調べみた。



まずはトップにならぶ2人、男雛と女雛に
いてである。この2人の正しい名称は何?と聞かれるとかなりの人が間違えて覚えている。つまり、男雛=御内裏様、女雛=お雛様、と思い込んでいる点、これは『うれしいひなまつり』という童謡の歌い出しに『御内裏様とお雛様、2人並んですまし顔〜』とあるから間違えているのである。

実はこの2人ともがいずれも御内裏様(内裏雛)、そして区別するのならば男雛と女雛なのだ。
よく分からなくなるのが並べ方だが、向かって左が男雛、右が女雛が一般的、しかし、京都など一部では逆もある。

続いて『三人官女』、この3人の並べ方は持っているもので区別する。向かって左から『銚子』『三方』『長銚子』で両側が立ち姿、真ん中の人が座っている。ちなみに真ん中の人だけがお歯黒をしているので既婚(または歳が上)なのだそうだ。それにしても両側の人が酒を持ち、真ん中の人が盃を持つということは酒宴なのであろうか。(天皇と皇后の結婚式とも言われる。)

『五人囃子』、この5人は簡単に言えば楽隊なのだが、この順番は難しい。向かって左から『太鼓』『大鼓(おおかわ)』『小鼓』『笛』『謡』となる。

普通のお家の雛人形はここで終わりだが、この下にいるのが『五楽人』、これは『横笛』『縦笛』『火焔太鼓』『笙』『鞨鼓』の5人である。分かりにくいが、五人囃子は能楽、五楽人は雅楽を奏でるところが違う。


最後は随身だが、黒い服を着ているのが右大臣、赤い服を着ているのが左大臣である。それではどちらが偉いのか、これは左大臣の方である。

とは言うものの、中々5段飾りなど見かけることは滅多になく、2人きりと言う御内裏様が多いのでこの知識はあまり役に立たないかもしれない。

とんQ〜渋谷グルメ

2021-02-27 05:00:00 | グルメ
かつて東急プラザと言ったショッピングビルが昨年『フクラス』という名前でオープン。

旧東急プラザはロシア料理のロゴスキーなどが出店していた食堂街があり、ハチ公があまりに混んでいたため、よく待ち合わせに使っていた。今は東京メトロ銀座線渋谷駅からペデストリアンデッキで2階が直接結ばれていて便利である。

6、7階がレストランエリアになっているが、茨城県つくば市に本社がある『とんQ』が東京初出店をしたことを知り、お邪魔した。

時間が悪いのか広い店内も空いていて、1人で4人掛けの広いボックスに案内される。豚肉もやまと豚に加え、高級な白金豚も用意され、また、通常のトンカツに加えて厚切りロースもあるが、今日はやまと豚ロース150g(2068円)にしてみる。とんかつでも2千円越えは久しぶり。

この店はご飯が白米と炊き込みご飯、味噌汁も豚汁と鯖の味噌汁(こちらは季節もの)から選べるが、やはり白米と豚汁とオーソドックスな選択。2千円以上はソフトドリンクサービスと言われ、600円もする黒烏龍茶にした。

すぐに黒烏龍茶、大きなボールに入った千切りキャベツ、さらにドレッシングが2種類(生姜味、ニンジンドレッシング)が運ばれてきた。



早速、小鉢に取り分け、生姜味、ついでニンジンドレッシングを試すが、何も美味い。生姜味の方は生姜の香りが強いがニンジンドレッシングはニンジンの甘さと酸味、さらに色々なスパイスが入っていて複雑な旨味。あっという間にボール1杯食べ終わり、お代わりをもらう始末。

とんかつ登場まで10分弱あったがキャベツが素晴らしいアペタイザーである。とんかつは小さい摺鉢に胡麻が入っていて、これを摺った上に甘めのトンカツソースを投入。とんかつには辛子をつけた上でソースの摺鉢に入れて一口。

素材そのものの甘みもあり、美味い。豚肉が一番進化していると思うが、やまと豚は一味違う。塩とレモンも良さそうだが、やはり王道方式で食べる。



千切りキャベツは2杯食べて、流石に遠慮気味にボール半分を貰う。これにはトンカツソース。この食い方も堪らない。

豚汁は大きな器、甘めの味噌にニンジン、大根、こんにゃく、豚バラがゴロゴロ入っている。漬物も山芋の醤油漬、沢庵、白菜と3種類もある。

ネットで調べるとつくばの店に比べて200円ほど高いが、サービスもよく、ゆっくり食べられるのが嬉しい。この日はヒレカツは売り切れと昼は人気があるみたい。いや、満腹、しかもキャベツ2杯半でご飯は軽く1杯。少しは気にしながらのとんかつディナーでした。ご馳走さまでした。
とんQ 渋谷東急プラザ店
渋谷東急プラザ6F
0354223565

日暮里から根岸の里を歩く②

2021-02-26 05:00:00 | 日記
根岸薬師の先にはいかにも『根岸の里』そのもののような日本建築があり、一瞬タイムスリップをしたかのような錯覚を覚える。

木戸には『古澤や 家居の中にも 水鶏なく』という子規の俳句が貼られていて雰囲気を盛り上げる。


『根岸三平堂』はすぐのところ。昭和の爆笑王と呼ばれた林家三平(初代)の記念館で息子の三平が館長を務める。しかし、残念ながらコロナ禍もあり、休館中である。



向かい側にはこじんまりとした洋館、これが書道博物館・中村不折旧居である。中村不折は1866年生まれの洋画家で書家としても名が知られている。その縁で1936年に書道博物館を開館、不折は1943年に亡くなるまでこの地に住んでいた。ただ、こちらもやはり休館であった。



向かい側には『子規庵』となっているが、子規は若い頃に結核を患い、東大を退学した翌年1894年にこの場所に転居、母と妹を呼び寄せて暮らした。翌年から腰痛に苦しみ、1896年には歩けなくなってしまう。この庵で暮らし、庭に見えるものなどを俳句に読むが、病気が悪化、1902年35歳で亡くなった。

その後、関東大震災で傾き、1926年に建て直したが、戦災で焼失。1950年に弟子たちの努力で再建されたものである。庭の風景などの写真は飾られていたが、ここも中には入ることはできなかった。

子規庵の先は鶯谷駅横のラブホテル街、かなりギャップがある。ただ、こちらも殆ど車の出入りもなく静かであった。
表通りに出て東京メトロ日比谷線下谷駅方向に歩く。表通りにも古い建物はまだ残っていてみるだけでも楽しい。

ウロウロしていると急に目の前に『御行の松不動尊』が現れた。御行の松は広重の錦絵にも書かれたほどの名所で高さは13.6mもあり、明治になってからは天然記念物にも指定された。



しかし1928年に枯死、樹齢は350年という記録が残されている。この初代の松の根を掘り起こし、不動明王像を彫り、この不動堂の本尊となっている。因みに今植えられているのは4代目である。

お参りした後、御行の松通りを歩く。不動尊の本院である西蔵院をはじめ、永称寺など立派なお寺が続く。



有名な手古奈せんべいの前を通り、小野照崎神社へ。ここには百人一首でも有名な歌人、小野篁が祀られている。また、境内には富士塚があり、その前には狛犬ならぬ、狛申がいる。



他にも境内に立派な庚申塚や稲荷神社、また、本殿正面のベンチには猫がゆったりと座っていて、人に慣れているのか、触られても全く逃げなかった。



神社から入谷駅まではすぐ、もう少し歩き、地下鉄で帰途に着きました。日暮里駅から大体2km、見所は多かったが、コロナのおかげか、寄り道もする事も叶わず、ひたすら歩くことができた。






人形町双庵(再訪)〜人形町ランチグルメ

2021-02-25 05:00:00 | グルメ
人形町駅近くにある十割蕎麦の『双庵』、かなり以前からある店だが、二度目の緊急事態宣言以来、暖簾がかかっていることがなかった。しかし、本日近くを通ると暖簾が出ていたため、早速入店。

メニューに迷ったが、ランチ(並、1300円)をお願いする。もちろん、そばは冷たい方にする。

すぐに奥で天ぷらを揚げ始める音、揚げたては昔ながらだが、蕎麦1枚おかわり無料はなくなってしまったようである。というのは当時は蕎麦が2種類あり、更科か田舎で最初に更科を頼むと2種類食べられたのだが、今は挽きぐるみ1種類だからである。 

待つこと7、8分。蕎麦と揚げたて天ぷら、天汁は別でこちらは温かい。まずは蕎麦出汁にネギとワサビを入れて蕎麦を一箸、冷たい水でよく締められた喉越しがよい。正直言って十割蕎麦とは思えない。つゆははっきり言って甘め、これだけの蕎麦ならもう少し責めて欲しいところである。



天ぷらは豪華、ししとう、大根、茄子、蓮根、さつま芋、椎茸と6種類の野菜、さらに海老天が乗る豪華版。野菜は根菜中心で大根の食感(おでんに似ている)、さつま芋ほ甘さ、れんこんサクサク感は素晴らしい。ただ、海老天はパナメイエビで味がいまひとつであった。





さらにちゃんと天汁と蕎麦ツユが別々で蕎麦ツユはキリッと冷え、天汁は温かいあたりの気遣いが嬉しい。12時を過ぎるとお客さんもちらほら、頑張って貰いたいお店である。ご馳走さまでした。
人形町双庵
中央区日本橋人形町2ー6ー11
05055947036

日暮里から根岸の里を歩く①

2021-02-24 05:00:00 | 日記
今回は日暮里駅を降りて『根岸の里』と言われていた辺りから歩いてみる。久しぶりに日暮里駅を降りると以前とは大きく変わってしまった。駄菓子や花火、衣料、服地などの中小の問屋が軒を並べたあたりは新交通システムの始発駅となり、高層化が進み、さらにバスターミナルも整備されている。

駅前には太田道灌の有名な山吹の歌を元にした像、これは迫力がある。『七重八重 花はさけども山吹の 蓑ひとつだになきぞ悲しき』

線路沿いに上野方向に歩くと商店街となっている。ただ、この商店街はかなり庶民的で古くからの看板造りの商店もまだまだ現役で、この時代の建物好きには答えられない。



右手に大きく『羽二重』の暖簾がかかっているのは羽二重団子さんである。かつては山手線の線路から下る芋坂下にあった藤の木茶屋と名乗っていたが、今は代表する商品を店の名前としている。



通りの反対には善性寺、日蓮宗の古刹で徳川6代将軍家宣の生母長昌院を葬っていらい将軍ゆかりの寺となり、家宣の弟、松平清武がここに隠棲したため、家宣の御成もあったのである。お隣には隼人稲荷神社もある。



芋坂だった辺りを歩いたが、かつての急であった部分が跨線橋となっており、緩くて短い坂道が残されている。



羽二重団子を右手に曲がり、広い道にぶつかるあたりに『御隠殿橋』の説明版がある。御院殿とは上野寛永寺貫主輪王寺宮の隠居所のことを言い、今は暗渠となった音無川にかかる橋を読んだ。さらに山手線などが作られる前には谷中墓地まで行く急な上り坂があったが、これも御隠殿坂とよんでいた。しかし、芋坂同様、今は跨線橋に姿を変えてしまっている。



先程歩いてきた道から跨線橋に向かう途中を左に折れるとすぐのところに『根岸薬師寺』という看板が建てられている。曲がると奥に根岸薬師を示す白い柱、この辺りに輪王寺宮別邸の御隠殿があったらしく、そばにはその復元図がある。3000坪を超える庭園でかなりの規模のようである。(以下、次回)

庭の福寿草が咲きました

2021-02-23 05:00:00 | 日記
2月になると我が家の庭では福寿草が花をつける。この時期は椿と水仙くらいしか花はないが、その寂しい庭を黄色の花で明るくしてくれる福寿草はありがたい。




この福寿草は義父の庭に生えていたものを移植したものだが、毎年1月頃より芽を出して2月頃には黄色い花を楽しませてくれる。しかし、夏前頃には姿を見なくなってしまい、地上部分は枯れてしまう。しかし、その分、地下には太く長い根を這わせていて毎年忘れることなく芽を出してくれる。


ただ、庭の一角に植えてあるため、掘り返したり、異なる植物を植えないようには気を遣わなければならない。

芽を出して葉に包まれたまま、その大きさに比して大きな花を咲かせる。この花が優れもの、というのは花弁を使い日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引する。また、太陽光に応じて花が開閉するのである。

春告げ花であり、日本各地に自生することから親しみのある植物だが、根には強い毒性があり、フキノトウと誤って食べ、食中毒を起こすこともある。

1982年7月に発行された新動植物シリーズの10円普通切手の図案にも採用されていてなじみがある。我が家の狭い庭に可憐に咲く福寿草は見ていて飽きることがない。別名ガンタンバナやショウガツバナという位に正月に合わせて開花させるように園芸家は作るが、路地物は今の季節に花を付けるのである。




室町砂場本店〜日本橋ランチグルメ

2021-02-22 05:00:00 | グルメ
『日本そばにこだわる』15杯目。今回も天ぷらそばについて。前回は立食い蕎麦のおか田さんについて書いたが、天ぷら蕎麦乗る元祖とでも言うべき店にお邪魔した。蕎麦の老舗には『やぶ(薮)』『さらしな(更科)』『砂場』などがあるが、このうち砂場の中でも老舗の『室町砂場』にお邪魔した。

室町砂場本店はその名前の通り日本橋室町にある。創業が明治2年だからもう150年の歴史があり、天ぷらそばと天もりの発祥の店である。

前回立食い蕎麦と普通の蕎麦屋の違いを述べたが、発祥の店であるこの店には『種込天ぷらそば』(2800円)と『天ぷらそば』(1600円)の2種類があり、種込にはさいまき海老の天ぷらとかき揚げ、普通の天ぷらそばにはかき揚げが乗ってくるのである。



注文して待つこと7分、出された美味いお茶を飲んで待っていると天ぷらそばが振りネギに山葵が添えられて出てくる。

狐色に揚げられたかき揚げには小海老と小柱のみが入っていてごま油の香りが素晴らしい。この店の蕎麦は2種類あるが、使われているのは挽きぐるみ。細く、上品な喉越しを楽しめる。ただ、難点はそばの量がいかんせん少ない。



ツユはキリッと辛め、七味も入れるので結構刺激的。そのため、ちゃんとかけそばであっても蕎麦湯が付いてくる。もう5〜6年はきていなかったが、何も変わらない。

親父に連れて来られた50年前からも何も変わっていない。飲食業は進化が必要などというが、フロアの真ん中に炭が赤く燃えている大きな火鉢がある風景、今も季節毎にオリジナルマッチを作ることなどに変化はいらないような気がする。



とはいえ、元祖の天ぷら蕎麦はかき揚げなのである。ご馳走さまでした。

室町砂場本店
中央区日本橋室町4ー1ー13
0332414038


『大正・昭和の建築物を訪ねて』〜新富町編②

2021-02-21 05:00:00 | 日記
『大正、昭和の建築物を訪ねて』その13。新富1丁目あたりを歩いている。新富町駅のすぐ近くに『井筒屋』という建物を発見。以前、築地の床屋さんにもあった『マンサール屋根』の三階建という珍しいもの。


昔は和菓子屋兼甘味喫茶店だったらしい。かつては右側の建物も看板建築だったが、今はビルになってしまっている。


新富稲荷神社の鳥居の前を通り、少し行くと立派な黒塀の料亭風の建物。看板等はなく、今は営業されていないようだが、由緒のある建物のようである。

少し歩くと宮川商店(新富2ー15)の建物の裏に出る。正面に回ると鶏卵や鶏肉の加工などをする会社らしい。看板建築は側面や背後から見るとはっきりわかるお手本のような建物である。(銅板貼りで有名な築地の宮川食鳥鶏卵とは別の建物)

次の道を左に曲がったところにもレトロな建物。今も現役の会社のようだが、看板等がないため詳細は分からなかった。

同じ筋を少し戻ると『躍金楼(てっきんろう)』という現役の割烹料理屋さん。調べてみると明治6年創業とのこと。

建てられたのは1949年で旧花街にある店舗兼住宅。昔の料亭の姿を偲ばせる。当時はいくつもこのようなあったのであろう。
この周辺にはもっと歩けばまだまだありそうだが、今回は時間も無くなったのでここまでとしたい。

おか田(再訪)〜小伝馬町ランチグルメ

2021-02-20 05:00:00 | グルメ
『日本そばにこだわる』14杯目、今回は天ぷら蕎麦のお話。蕎麦の種ものというと鴨、山かけ、きつね(油揚げ)、卵とじ、花巻、しっぽくなど色々あるが、やはり値段も高く、王者と言えるのは『天ぷら』であろう。

本題に入る前に最近はレベルの高い店もあるが、立食いそばと一般の蕎麦屋の違いはと聞かれた時、何と答えますか?椅子の有る無し、これは今は違ってきていてちゃんと椅子のある立食いは増えてきているから×。生蕎麦から茹でるのが蕎麦屋、茹で麺を温めるのが立食いそばなんて答は正解かもしれないが、私が明確に違うと思うのは『かき揚げそば』があるのが、立食いそば、ないのが一般の蕎麦屋という区別。
そこで今回は小伝馬町にある『おか田』という立食い蕎麦にお邪魔した。

おか田はカレーライスも美味いが私の一押しは『かき揚げそば』(460円)、今日はこれに稲荷寿司(2個で160円)を付けてみた。

食券をカウンターに出して待つことしばし、おばさんが『かき揚げそばのかた?』と呼んでくれる。カウンターで丼を受け取り、席にすわる。七味かと思ったが一味、やや振りすぎる。

ここのかき揚げは大きく、さっくりと揚がっているのが特徴。丼を覆い尽くすように置かれていて、一味を僅かな隙間にかける。かき揚げを崩して一口、まだ汁を吸う前のため、カリッとした食感がいい。

麺は茹で麺だが、小諸そばよりさらに細く、喉越しがいい。かなりレベルが高く美味い。少しずつかき揚げを壊して少しツユに浸してから食べると柔らかくなった衣が美味い。かき揚げの材料はニンジン、玉ねぎ、春菊、その中でも玉ねぎがメインで甘さを感じる。

ツユはやや甘めだが、甘すぎることはない。キリッとしていて飽きない。食べながら聞いているとやはりかき揚げが1番人気、次がカレーライスセットのかけそばがこれに次ぐようである。

稲荷寿司も頂くが、こちらはちゃんと油抜きされていて優しい甘さ、ちょうど満腹になる。追加の天ぷらでは春菊が一番人気である。

他にもかき揚げの美味い立食い蕎麦はあるが、実は『天ぷら蕎麦』発祥の店はかき揚げだったという話は次回のお楽しみ。

おか田
中央区日本橋本町4ー15ー10

世田谷城址を歩く

2021-02-19 05:00:00 | 城と城址
『関東の城址めぐり』その2。中々進まないこの企画。ようやく2回目は『世田谷城址』を訪ねてみた。

世田谷城は関東管領足利基氏から戦いの手柄で武蔵国世田谷領を貰い受けた吉良氏が応永年間(1394〜1426年)頃に作った平山城で、天正18年(1590年)に小田原征伐の際、北条氏と姻戚関係にあった吉良氏は滅ぼされ、城と領地は豊臣家に接収された。

場所は小田急線豪徳寺駅近くではっきりはしていないが豪徳寺付近に本丸があり、世田谷城址公園あたりまで広がっていたものと推測されている。

世田谷城址公園へは東急世田谷線(昔の言い方では玉電)上町駅を降りて城山通りを歩く。しばらく行くと烏山緑道の城向橋跡があるが、その先の信号の所に入口がある。


見るからにかつての城郭跡で前方に向かって緩く登っている。その先に土塁跡と思われるように少し高くなっており、手前側は広場になり、ベンチも置いてある。



その奥は低くなっていてまさに堀の跡、枯れた堀を橋を渡ると、再び高くなり、土塁が作られ、もう一段高くなっている。



先はまた崖になっているが、公園はここまでである。廃城になったのが戦国時代末期で世田谷城の城郭に使われた石垣が江戸城の補修に使われたという記録もあるため、現在残されたものが当時と同じとは思いにくいがここに城が作られたいたことを思うと感慨深い。 



ただ、一般の人にはほぼ土むき出しの段差がある公園は犬の散歩くらいしか価値はないのかもしれない。



また、吉良氏と豪徳寺が深い関係にあり、ここから世田谷線宮の坂駅に向かう途中に豪徳寺の参道入口がある。

ようやく2つ目の城跡に行くことが叶ったのだが、次は八王子城址でも行ければよいのだろうか。