『東京の坂、日本の坂』その252。谷中付近の坂道⑤、『夕やけだんだん』を前回訪れたのは2015年10月、その時は今回のような酷暑もなく、ちゃんとだんだんの下には三毛猫が寝ていたのであるが、その風景の変わりようには驚かされる。

(当時の写メ)

階段の下からが『谷中ぎんざ』、商店街は風情を楽しむ人で混んでいるかと思えば、暑すぎて人はまばら。過ぎたるはなお及ばざるというが、幾らいい天気でも暑すぎると人出は激減する。

私は階段下まで戻り、通称・六阿弥陀通りを右に曲がる。曲がるところには大正11年創業の老舗の飴屋さん『後藤の飴』という店もある。

さらに大きな山門のある長命寺の向かいに人が並んでいるが、これがかき氷で有名な『ひみつ堂』。

(長命寺山門)

(ひみつ堂)
若い人に限らず、老若男女が暑くて日陰もない中、長い列を作って入場を待っていた。(列はこの左側に伸びていた)


少し先の左側には『岡倉天心邸跡、前期日本美術院跡』が小さな公園となっている。岡倉天心は明治初期に活躍した美術史家である。東京開成所(東京大学の前身)に入所、英語が堪能であったことからフェノロサの弟子となり、美術品の収集を手伝った。廃仏毀釈の嵐の中、数々の仏像を守ったことでも知られている。その後、日本美術学校、日本美術院の設立に尽力、1913年に50歳で亡くなった。


この場所には彼の私邸があり、1967年に岡倉天心記念公園を開設した。奥の六角堂には彼の像も保管されている。

彼は六角堂には中国、インド、日本といったアジアの伝統思想が建物全体で表現されていると考え、1905年に茨城県の五浦海岸に建築(その後、東日本大震災で崩壊、2012年に再興)された。この公園内の六角堂は1967年に公園開設の際に作られたもの。


他に天心終焉の地である新潟県赤倉温泉の山荘跡にも1959年に有志により建設された六角堂がある。


因みに入口のコンクリート製の六角堂はトイレである。(以下、次回)