hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

井のなか〜錦糸町グルメ

2021-10-31 05:00:00 | グルメ
ようやく緊急事態宣言も解除され、いつもの飲み友と少しずつ飲み会を再開した。とはいえ、大人数でワイワイやっている店にはいくら感染対策が成されていると言っても中々足が向かず、こじんまりとやっている店に行くことになりがち。

今日は錦糸町駅近くの『井のなか』というお店。この店を知ったのはBS東京のドラマ『今夜もコの字』というドラマで紹介されたからである。主演の中村ゆりさんも魅力的であったが、毎回出てくる『コの字』の店を楽しみに見ていた。因みに第一回は清澄白河の『だるま』、最終回がこの店である。

錦糸町駅北口から歩いて5分もかからないが、途中にいい店が何軒もあり、それを見ながら店に到着。風情のある店づくり、並んでいる漫画も『夏子の酒』『蔵人』など尾瀬あきら先生のものが多い。

まずは1年4ヶ月ぶりの再会にビールで乾杯。やはり外飲みは楽しい。お通しはひじきである。



つまみはあまり全体感もなく注文。最初にレバーペーストとポテトサラダ。いずれも薄くスライスして、焼いたフランスパンが付いてくる。

ビールにはとにかくよく合う。酒をお願いするが、種類がとにかく多い。穏当なところで『伯楽星』(宮城県)純米吟醸を徳利で頂く。出てきた1合徳利が可愛い。ただ、軽い酒なのであっという間に空いてしまう。

そこで存在感があり、辛口の『開春』(島根県)を注文。これは辛口でピンと背が伸びるような味である。

ここで店員さんに勧められた『牛タンの柔らか煮』が登場。大きめの鍋によく煮えた牛タン、大ぶりにカットしたジャガイモ、ニンジン、玉ねぎなどが入っている。名前の通りよく煮えていて特に牛タンはホロホロと崩れる。味が単調になりがちのため、山葵や胡麻油を添えて味変させて食べるのもいい。ちょうどポトフのようでスパイスも効いている。これに合わせたのが『竹鶴』(広島県)の雄町、濁りながらしっかりしていて甘みも少なく、よく合う。

実は還暦越えの2人にはこの牛タンはやや多すぎた。次に『桜海老入りのオムレツ』、これは三軒茶屋の名店赤鬼名物のホタテ入りオムレツで実証済みだが、なぜかオムレツは日本酒によく合う。これを『扶桑鶴』(島根県)のややひねた香りのある味に合わせるが、中々のマッチング。

ただ、お腹も一杯になり、エイヒレをつまみながら粕取り焼酎(吟香露〜繁桝、福岡県)を飲み、お開き。よく食べ、よく飲んだ宴会でした。ご馳走さま。



なお、このお店には高安や稀勢の里などお相撲さんもよく来店されるようである。もちろん店名は『井の中かわず、大海を知らず』から来ているのである。

井のなか
墨田区錦糸5ー7ー2
05055700593

ガラケーを卒業する〜携帯電話の自分史を振り返る

2021-10-30 05:00:00 | 日記
いよいよガラケーをやめることにした。それを記念してではないが、今までの携帯電話の自分史を探って見た。最初に外で通話をしたのはPHS。あたかも屋外でトランシーバーのように使ったのは1995年秋ではなかったかと思う。

当時は携帯電話の料金が高く、とても個人で持つ気はしなかった。そこで営業斡旋で依頼されたDDIポケットのPHS、これですら4万円以上したものを購入した。しかし、まだサービスレベルが低く、驚いたことに喜び勇んで帰った我が家ではアンテナが立たず、通信できなかったという笑い話のようなことが起きた。一度PHSを買い替えたが、やはり、仕事でよく乗った常磐線特急車内で通話できないという問題は相変わらずであった。

1997年に大阪に転勤し、どうしても携帯電話が必要となったため、1998年に初めて購入。買った機種がP501という棒形のもの。今では信じられないかもしれないが、効果のない小さなアンテナが付いていた。

それからSH20-1というシャープの二つ折りの携帯、これは使いやすかった。さらに薄型のP01に替えたが、携帯で『ワンセグ』というテレビが観れるようになり感動したことは覚えている。
2017年にP01のマイクが壊れたため、現在のSH06G(販売開始2015年)に機種変更して現在に至っている。

一方で2011年からiPhoneも並行して使用、こちらは5台目のiPhone12miniに先日替えたばかりなのである。ここでようやくプライベートの携帯電話をiPhoneに統一しようと考えた。というのは通信専用とガラケーを使っていたが、そのガラケーも殆ど使っていないことに気づいたのである。ただ、色々な連絡先やパスワードとして届けているのがガラケーのアドレスであること、しばらく会っていない友人はこの電話番号しか知らないことがガラケーを廃止することを逡巡させた。しかし、最近はLINEやメッセージのほうが常に使えて便利であり、会話をしていない。これが決断させたのである。(また、仕事は会社の携帯電話を使っている。)

考えてみれば携帯の契約は23年、iPhoneとの併用も10年になる。しかもガラケーは後継機種がない(ガラホはあるが)のである。ただ、これだけ長く使っていたからこともあり、やや心配ではあるが。

亀戸やきそば〜亀戸ランチグルメ

2021-10-29 05:00:00 | グルメ
亀戸でランチと言えば亀戸餃子が有名だが、亀戸焼きそばがあることはあまり知られていない。結構個性的な焼きそばを食べに行くことにした。

亀戸駅南口に出て、国道14号の手前の横丁を左方向に歩く。この横丁には小さな居酒屋やラーメン屋などがぎっしりと並んでいる。まだ、昼だったが、既に飲める店もあるようだ。

この横丁を5分くらい歩くと右側に亀のマークがついた看板に『亀戸やきそば』とある。店に入る前に券売機で食券を買うシステム。特に悩まず、亀戸焼きそば(700円)を選択し、店の中に。

店は薄いピンクのカウンターのみのお店。1時を過ぎていたこともあり、私以外のお客さんはいない。奥のテレビに近い席に座り、食券を渡した。

中年女性が1人で店を切り盛りしているらしく、『無料でスープを付けるか、大盛にできますが。』と言われ、『スープは何ですか?』と聞くと『ビシソワーズです』と言われたのでスープにする。

すぐにビシソワーズの入ったカップが到着。少し行き泡立っていたが、よく冷えていて美味しい。

女性はすぐにフライパンに火を入れ、焼きそばを作り始める。ぼんやりテレビを見ていると焼きそば完成。なかなか個性的な焼きそばである。

楕円形のお皿に左からスクランブルエッグ、豚肉の炒めたもの、青海苔、揚げ玉、紅生姜と縦にトッピングが乗っている。黄色、茶色、緑色、ベージュ色、赤色と色とりどり。肉を少しどかして麺から頂くが、コシの強い麺をやや辛口のソースが引き締めている。

卵、肉と食べて行くがこちらは優しい味付け、特に肉は甘めの味付け。揚げ玉で食感を出し、紅生姜を食べて味変をする。このトッピングと合わせて食べるとバランスが良くなる。

焼きそば自体はキャベツのみと炒めてあり、それに加え食べてトッピングを好きなように合わせて味わう新しいタイプの焼きそば。青海苔や揚げ玉、マヨネーズは別のテーブルに追加が用意してあり、加えることも可能である。

食べ終わる直前に新たに女性が1人来店、夜は酒やつまみも用意されている。ご馳走さまでした。

亀戸やきそば
江東区亀戸6ー56ー3
0356092905


亀戸駅からぶらり散策①

2021-10-28 05:00:00 | 日記
JR総武線の亀戸線のホームから北側を見ると広い道が北に向かって通っている。しばらく歩き、蔵前橋通りを右に曲がると亀戸天神となるが、今回はそれ以外の亀戸を散歩することにした。



亀戸駅北口に出て信号を渡ると亀戸駅前公園がある。小さい公園ながらすぐのところに亀が3匹乗った像、上からは水が出ている。これは『玄武』の像。江東区には朱雀、青龍、玄武、白虎の4つの像が配されている。


(これが豊洲駅前の白虎です。)
そのまま明治通りを歩くが、最近めっきり数が減ってきたパチンコ屋や洋品店(ユニクロではありません)がまだまだ現在。蔵前橋通りとの交差点角には甘栗専門店や炒り豆の専門店が軒を並べている。



亀戸天神はこれを左に曲がるのだが、今日は少し歩くと出てくる亀戸香取神社商店街を歩く。この商店街はやや変わっているのである。

入口のところにある『山長』という明るいグリーンの壁の和菓子屋さんは近くに行くと看板造の商店に見えるが、通りの反対側から見るとビルの一部のみが、看板造風にしてある。



その先のすみれ緑化園やカトリ美容室も造りは少し違うが新しいものである。それもそのはず、本来の看板造は関東大震災後から昭和10年代に作られたものが多いはずなのだが、この辺りは東京大空襲で殆どの建物は焼失してしまったはずなのである。



さらに床屋さん、勝ち運広場、八百屋さんも全て後付けである。誠クリニックやスーパーチェーンのオリンピックまで頑張って看板造となっている。



これは商店街再興のために先程の山長のご主人が旗を振って実現したものである。古い看板造には敵わないが、なぜか懐かしい商店街実現により集客されることを心よりお祈りしたい。(以下、次回)

あさだ〜浅草橋ランチグルメ

2021-10-27 05:00:00 | グルメ
浅草橋駅を降りて5分ほど歩くと『あさだ』というお蕎麦屋さんに到着する。周辺にはおもちゃ問屋や小売店が多く、店頭を歩くだけでも楽しい。途中、『水新菜館』という中華屋さんがあるが、今日も列ができていた。いつも行こうとするが、なかなか実現しない。

HPにあるあさだの歴史によると中野で穀物商をやっていた浅田甚右衛門がこの地で蕎麦屋を始めて150年となる老舗である。蕎麦はもちろんその前の酒のあても充実している。

到着したのは12時10分前、戸を開けると一階の席は殆ど埋まっていて一番奥の4人席に通される。店の中は中高年のグループが多く、ようやく解禁された酒を楽しんでいる。

メニューを見ると天ぷらが充実していて蕎麦茶を持って来てくれた店の人に『穴子天せいろをお願いします』と頼むと『今は混んでますから天ぷらや鴨は最低20分はかかりますが宜しいでしょうか?』と聞かれる。蕎麦屋で最低20分待つと言われたこともなく、時間もないのでやむなくこの言に従い、『大もり』(1000円)にする。因みにこの店にはざるそば(海苔かけ)はない。

待つこと5分ほど、店の人がいう通りもりそばは早い。向かいの席の女性も、その隣の4人席の2人もまだ注文品は来ていない。蕎麦の量はそれほど多くない。



蕎麦つゆを猪口に注いで薬味とワサビを入れる。まずは一箸、コシがあるしっかりした蕎麦。十割だけあって蕎麦の香りがする。たぶん新蕎麦だろう。

蕎麦つゆはどちらかと言うと辛め。この辺りの蕎麦屋は江戸前を気取っているようで駅前の満留賀ほどではないが。



喉越しよくツルツルと食べてしまう。タイミングを見て蕎麦湯登場。注ぐと白濁はしているものの、ドロドロまでは行かずちょうど良い。ゆったり蕎麦湯は頂くが、次々と客がやってくるのでそれほど長居もできない。



コロナもあるのか、相席はなかった。流石に老舗だけあって美味い蕎麦を頂くことができた。ただ、好きなものを注文できず、何となく満足とはいかなかったが、ご馳走さまでした。次は名物の天ぷらか、とろろ蕎麦でも頂きたいものである。

あさだ
台東区浅草橋2ー29ー11
0338515412

『お払い箱』『とどのつまり』『挙げ句の果て』を考える

2021-10-26 05:00:00 | 日記
『改めて日本語を考える』その34。今回はプロ野球のペナントレースと同じように最終盤によく使われる表現を調べてみた。

まずは『お払い箱』、ドラフト会議も終わり、各球団が選手の入れ替えを図るこの時期によく『数年前は主力だったが、けががたたりお払い箱になる』などとスポーツ紙には出てくるが、どんな箱のことをいうのであろうか。これは伊勢神宮のお祓(はらい)いの札を入れておく箱が由来となっていて毎年新しいお札が来て、古いお札を新しいのと取り替えたことから『お払い箱』となった。実は『お祓い箱』なのだが、音が同じことから『おはらい』が掛け言葉のようになっている。

続いて『お払い箱になった選手が寝耳に水と地団駄を踏んで悔しがった』などという時の『地団駄』である。

『地団駄』の由来は刀鍛冶などが製鉄をする際に火力を上げるため空気を送り込む蹈鞴(たたら)を踏むがこの動きと駄々をこねて足をジタバタさせる動きが似ていることから『地蹈鞴』を踏むと言った。これが転じて『地団駄』となったようである。蛇足ながら『駄々をこねる』『蹈鞴を踏む』など製鉄の際の言い回しが使われているものは多い。

『とどのつまり』も最後のことを表すが、これは出世魚であるボラ(鰡)の呼び名から来ている。ボラは小さい時から『オボコ』『イナッコ』『スバシリ』『イナ』『ボラ』『トド』となる。イナで18〜30cm、ボラは50cmほど、それを上回るとトドとなる。そしてこれ以上は名前は変わらない、そのため、これ以上ない表現として『トドのつまり』というのである。もちろん、水族館にいる哺乳類のトド(海馬)のことではない。

同じような言葉に『挙句の果て』『揚げ句の果て』という使い方があるが、これは連歌や俳諧の五・七・五に続く七・七を『揚げ句』と読んだ。ここから『揚げ句』は物事の終わりを意味することになり、そこから転じて終わりを意味するようになったのである。
色々なところに由来を持つ言葉をじっくり調べみると意外な事実がわかって面白い。



伊勢小伝馬町店でトロトロの親子丼を頂く

2021-10-25 05:00:00 | グルメ
『昼飯に食べるとしたら何の丼がいい』と聞かれて悩んだことがある。『どの丼が好き』という質問ならば間違いなく1位はカツ丼、2位は鰻丼、3位は天丼、4位は鉄火丼と並ぶのだが、昼食べるにはカロリーが高すぎるとか、値段が高すぎるとか、まで考えると手頃で腹持ちが良く、いつ食べても美味いとなると私は『親子丼』を選択することが多いような気がする。



事務所からゆっくり歩いて7、8分で東京メトロ日比谷線小伝馬町駅がある。出口のほぼ向かいにある『伊勢』という本店は神田駅前にある店の支店に時折お邪魔する。

ランチメニューは定番親子丼(740円)、そぼろ親子丼(850円)、鳥もつ煮親子丼(850円)の3種類だが、この店でオーダーを聞いたのは定番親子丼のみ。今は券売機で食券を買うシステムだが、それ以前はオーダーを聞いていたが、店員さんは厨房に『一丁』としか言わないのである。


オーダーを聞いてから卵を割り、すぐに出来上がり、席に持ってきてくれる。他に鳥スープ、きゅうりの漬物が付いてくる。



箸もあるが、やはりトロトロの親子丼は木さじがいい。机の上の薬研堀を掛けていただくが、出来立てのため、かなり熱い。鳥の肉は全部で6切れ、味は想定通り甘辛いが、意外にさっぱり。フーフーと吹きながら食べすすむ。

鳥スープは流石に美味い。この手のスープは熱いことが多く、何度も口の中を火傷しているのでゆっくり味わう。



お客さんは女性の1人客が断然に多く、店内は静かなもの。ゆったりランチを頂きました。神田駅前の本店は男性客ばかりだったので対照的。トロトロの親子丼、美味しく頂きました、ご馳走様。

伊勢 小伝馬町店
中央区日本橋小伝馬町3ー9
05055717766

電車の座席の上にある飲みかけのペットボトルの話

2021-10-24 05:00:00 | 日記
いつもとほぼ同じ時間に事務所を出て、いつもと同じ経路で帰宅した時のことである。帰宅時間の京王井の頭線は急行と普通が交互に出発する。私の下車する駅は急行停車駅のため、渋谷駅1番線に並ぶ。乗る車両もほぼ同じ、この日は2人ずつ並ぶ2番目で次に来る電車を待っていた。

一つのドアに並ぶところが2列ずつ2つあり、私の列は進行方向前の方である。折り返しの1830発の吉祥寺行急行はドアが開くと乗客が降り、乗る人は一斉に座席に座ろうとする。私は進行方向左側に座るが、斜め前にあたる右端の座席に飲みかけの蓋のしまった『いろはす』285ml入りの小さなペットボトルがあることを発見した。まるで梶井基次郎の『檸檬』のようにである。

斜め前のため、そのペットボトルを繁々と見ていたが誰も退ける人はおらず、他の座席は全て埋まる。しかし、ペットボトルがちょこんと席の中央に置かれたまま。これをどけて座る人はいない。そのうち前に立つ人が増えてきたため、視界から離れたが、チラッと見てもその席にはやはり誰も座っていないのである。
電車は定刻1830に発車、下北沢駅でもかなりの乗降はあるが、相変わらずペットボトルはちょこんと座っている。
ところが次の明大前駅に到着直前に学生がペットボトルを床に置いたのである。しかし、学生は座るわけではなく、明大前駅で降りていった。

席を注意深く観察していると頭が薄いおじさんが空いている端の席を見つけて座った。経緯を知っている隣の人は怪訝な顔をしている。もちろん、おじさんはそんなことは知る由もない。

話はこれだけのものだが、これがコロナの感染が始まる前であれば、誰でも席に置いてあるペットボトルを床に置き、詰めて座るであろう。しかし、僅かな間に誰が触れたものかわからない物には手を触れないというのが日本人の常識になってしまったようである。もちろん、私も触ることなく、久我山駅で1847に下車した。

ちなみに椅子の下に置かれたペットボトルは私が久我山駅で下車するときも同じ場所にやはり置かれていた。
こんな風景がふと気になったので駄文をしたためたが、世の中変わったなあ、と実感した。

ハルヲ〜日本橋ランチグルメ

2021-10-23 05:00:00 | グルメ
昭和通り沿いにあるちゃんぽんと皿うどんの店『ばってん亭』の横の路地にランチタイムにカレーライスを出す店が2軒並んでいる。うち手前側の店は以前昭和通りの反対側に『ポラーノ広場』という名前でカレーショップを出していた方で最近『ハルヲ』という店をやっていた方で9月にオープンしたばかり。

まだ、開店祝いの蘭の花が飾られているお店に入る。壁に向いたテーブルと向かい合わせのテーブル合計で10人程度の狭いお店。メニューもカレーのみ。

ご飯の量で値段が異なり、250gの小盛500円、350gの中盛600円、450gの大盛700円の3種類、トッピングはコロッケ100円、ロースカツ300円、目玉焼き150円など。私は中盛+コロッケ計700円をお願いする。

しばらくして、銀皿に乗ったカレーライスの上に大きなコロッケ。サービスと書いてあったが確かにそうだろう。たっぷりのご飯にルーを絡めてまず一口、最初は甘味、次にスパイス、最後に辛味が追っかけてくる。ルーはドロっとしたタイプだが、色は焦げ茶に近い。ちゃんと牛肉も塊が2つ入っている。


次にコロッケを割って一口、揚げたての香ばしい香り、中身はいわゆるマッシュポテトである。周りはカリッとしていて中身はしっとり、これにカレールーとご飯、さらに福神漬と共に頂く。大阪風のなかなか奥行きのある旨さである。

贅沢を言わせていただくとコロッケに掛けるウスターソースがあればいうことない。完食はしたが、350gはおじさんにはやや多かった。ご馳走さまでした。


ハルヲ
中央区日本橋本町1ー6ー3
09041275317

東京都港湾局専用線の旧晴海橋梁を見に行く

2021-10-22 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その306。東京都港湾局専用線の遺構である晴海橋梁を見に行くことにした。



ゆりかもめの豊洲駅を降りてららぽーとの前を真っ直ぐ歩き、晴海通りを左に曲がると『春海橋』という4車線の広い橋が登場する。



橋の手前に小さな園地があるが、春海橋に並行する鉄道橋が現れる。これが豊洲〜晴海を結んでいた貨物線用線の橋梁跡になる。廃止になったのは1989年でかれこれ30年以上も経過し、真っ赤に錆びている。



都会の真ん中に取り残された鉄道であるが、戦前に亀戸〜小名木川貨物駅まで伸びた貨物線を1945年3月に越中島まで延伸させた。しかし、戦後の混乱の中、1953年に石炭埠頭のあった豊洲を目指し、越中島〜豊洲が延伸、石炭輸送を担った。さらに1957年に晴海が占領状態から解放されると直ちに晴海に至る専用線が建設され、1957年12月に完成した。



晴海は日本を代表する物流拠点となり、石炭のみならず塩、パルプ、穀物などを扱い、取扱貨物量は170万トンまで増加した。

しかし、高速道路網の発達とともにトラック輸送に比重が移り、1985年から路線の縮小が始まり、1989年2月に廃止された。
その後の湾岸地区は目覚ましい発展を遂げた中でこの橋梁はボツンととり残されてしまったのである。



春海橋と並行しているため様子はよく見えるが、現在は産業遺構として遊歩道に整備中であり、晴海側の半分はかなり作業が進んでいる。その横には高層マンションが建設され、なかなかのコントラストとなっている。

ただ、一鉄道マニアとしては鉄道として整備され、豊洲から晴海まで鉄道の旅ができる夢が実現する日を楽しみにすることと致したい。