ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

あべのハルカス美術館で「高野山の名宝展」を見てきました。

2015-03-05 | お出かけ

3/2(火)にKさんが「高野山開創1200年記念 高野山の名宝」のチケットを
手に入れてくれまして、二人で「あべのハルカス」美術館に行って来ました。

  左の写真は美術館の前で撮った2枚の写真から、
 一人を
切り抜いて 合成したものです。
 合成写真を作るのに慣れて、手早く出来るようになりま
 した。
「あべのハルカス」美術館は久しぶりで、
 平日なのでゆっくりと
鎌倉時代の彫刻などを見ることが
 できて良かったです。

  

 高野山は50年くらい前に家内と行った記憶があるだけ
 で、
今年のお出かけに行く候補にしてあるので勉強にな
 りました。
国宝の仏像が「金剛峰寺」にあるとみて、
 吉野の桜を見に行った
時の「吉野山の金峯山寺」と
 間違えているレベルの知識です。

高野山は、1,000m級の山々に囲まれた標高約800mのにあり、多くの寺院が密集する町で、
空海が作りました。
四国八十八箇所すべてを廻りきると「結願」、となり、
その後、高野山に詣でて「満願成就」となるとのことです。

右の画像はパンフレットに載っていたのをスキャナーで
取り込んだ「弘法大師坐像(萬日大師)」・室町から桃山時代のもので、金剛峰寺にあるものが見られます。

空海は、讃岐国屏風浦(香川県善通寺市)に生まれ、
故郷である四国において彼が山岳修行時代に遍歴した
霊跡は、
四国八十八箇所に代表されるような霊場として
残っています。

香川県は雨が少なくて、空海が作った満濃池は日本最大の
農業用ため池として有名です。

       

 左は「聾瞽指帰(ろうこしい
 き)」
『三教指帰』の初稿本に
 当る
もので、入唐前、24歳頃の
 書
といわれる。
 書はやや硬いが筆力があり、
 後の『風信帖』に見られる書風
 とは異なる。
 金剛峯寺蔵の国宝です。

  右の写真は国宝の諸尊仏 龕」です。

密教の第七祖である唐長安 清龍寺の恵果和尚密教の正統な継承者の証として賜ったもので金剛峯寺蔵です。

高野山は、真言密教の聖地として、今も人々の厚い信仰を集めていて、密教の教えを絵画や彫刻などを用いて理解を助けると言うことから仏像や仏画が盛んに制作されました。

今回の展示品の主役は、八軀が勢ぞろいする
鎌倉時代の大仏師・運慶による
八大童子像」です。

 

 

  

 当時 運慶と双璧の仏師は快慶です。
 その作品「四天王立像」も見事なもので
 す。

 広目天に快慶の銘があることから、
 快慶とその工房の作と考えられる。
 特に快慶の直接の手になる広目天は、
 険しい忿怒の表情を見事にあらわし、
 腰を左にひねって立つ体勢のバランスの
 良さや、衣文表現の巧みさはその中でも
 際立っている。
 



左の画像は国宝の「金剛吼菩薩像」で平安時代の作品です。
右は4つをPhotoscapeで編集しました。


快慶作の 「孔雀明王坐像」と「執金剛神立像」 、「大日如来像」 「不動明王坐像」です。