ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

わくわくお出かけの2月は大阪市中央卸売市場の見学でした。

2014-07-17 | お出かけ

大阪市中央卸売市場にはわくわくお出かけでH20年の4月に10名で行ったことがあり、
2013-2-21のブログ:わくわくお出かけの2月は大阪卸売市場の見学でした。
で2回目に行ったことを書いています。
東佐井寺地区公民館の講座としても見学に行っていますので、今回で4回目です。
JR吹田に7:30集合で17名の参加で、JR野田駅から歩いて9時からの見学ですが、
早く着きました。


下記がGoogleマップでJR野田駅から中央卸売市場までの道順を調べたものと、ストリートビューで
見た画像をSnipping Toolで切り取ってPhotoscapeで編集したものです。

JR野田駅から国道沿いに西に向かって、最初の曲がり角にあった店がこれでしたでしょう。Googleの撮影は2013年の9月です。
まっすぐ歩いていくと古びた家が並んでいて、病院の表示も醫院です。

   

途中には金光教の教会があり、次の曲がり角には家の前にゴミが積まれている家がありました。
少し行くとホーロー製の看板(浪花千栄子のオロナイン軟膏)があり、50年以上経っていると思います。(画像は貼りつけです。)

   

もう少し行くと中央卸売市場の高いビルが見えて来て、ストリートビューはここまでです。
途中にあった「ざこば鮨本店」との看板があった店がありましたが、市場の東側に「ざこば鮨本店」の画像がありました。

   


大阪市中央卸売市場は広い敷地の中に多くの売り場と管理棟や飲食店などがあります。
最初にビデオでの場内の紹介があり、9時からの果物のセリを見学をしてから水産売場や関連商品売り場などで次々にいろんな買い物をして すいぶん重い荷物になってしまいました。

     

          

     


前回とは違った担当の人が、果物のセリを行っている隣でセリの話しや流通の話を熱心に説明してくれました。幟にはメロン・ぶどう・もも・リンゴ・スイカなど時期のものが 地方の名前で書かれていて華やかな感じです。

果物売り場ではサクランボを買い、魚売り場ではアナゴを買い、他にも塩サケ・ちりめん・明太子などを買いました。野菜売り場では何も買わなかったのですが、畑をやっているといろいろな産地の野菜が目について写真を撮りました。

  

  


市場を見学して、いろいろと買い物をした後に管理棟に戻り解散です。
見学の担当をしてくれた人が親切にシャッターを押してくれまして 恒例の記念写真が撮れました。

   

             


お昼は予約してくれていた管理棟の14Fにある「たちばな」でゆっくりと昼食を摂り 話も弾んで良かったです。私たちは海鮮丼を頼んで 美味しかったです。ビールも飲んでとても楽しい昼食です。

      


いつもの様に 長谷川さんが当日のことをまとめてくれました。
Word → PDF → JPGで編集した分です。

   

廣瀬さんが当日の写真ををまとめてくれました。
それをWord → PDF → JPGで編集した分です。

   


吉田さんのブログ : 大阪市中央卸売市場
 小椎尾さんのブログ : 大阪中央卸売市場の見学です。   
青色の下線の付いたところを クリックしてブログをご覧ください。
高瀬さんがFaceBookに載せています。 : https://www.facebook.com/keiko.takase.33
稲垣さんがブログに書いてくれています。 : 大阪 中央市場 見学会!!
マグロ グラム ¥400!!  大阪 中央市場 マグロ~!!
中央市場 レストラン たちばなさん ランチ!!


わくわくお出かけの4回目(H20年の4月)で 大阪市中央卸売市場に行った時に、
同行してくれた同じマンションの人から 「吉野の桜 野田の藤」という言葉を聞いたことを覚えていました。
インターネットで調べてみると 秀吉が吉野の桜と野田の藤を見ての茶会によることのようです。
豊臣秀吉が 野田の地に藤の花見にきて茶会を催したと、「藤伝記」に伝えられているのは
文禄3(1594)年、58歳の時であり、この年、伏見城を築き、吉野で花見をしたと伝えられる。 
明治時代に、 高名な植物学者の牧野富太郎博士が野田の地を訪れ、この藤を研究した結果、
藤の新種であると認められ、 「ノダフジ」と命名されました。今も「牧野日本植物図鑑」では「ヤマフジ」とは区別されています。
しかし野田藤発祥の地にあり、牧野富太郎博士が研究した由緒ある野田藤の原木は、
明治以降の都市化の流れで徐々に衰退していきました。
さらに第二次大戦中の昭和20年6月1日の空襲と、昭和25年に大阪市を襲ったジェーン台風による高潮、
そして公害などの影響で、 ますます樹勢が衰え、ついには完全に枯れてしまいました。
その後、大阪福島ライオンズクラブは野田藤の復興運動を本格的に開始し、 
区内の公共施設に寄贈し、「ノダフジ」の普及に多大な努力を払ってきました。
これらの地道な努力が実って、平成7年には、「ノダフジ」は福島区の「区の花」に指定されました。