08年1月末、橋下徹という弁護士資格を持ったタレントが大阪府知事に当選した。芸もないくせに聞いた風なことをよくしゃべる男だとは思っていた。
大阪はどうなるのか。
タレント知事、故横山ノックよりましか、いずれにせよ大阪府民は何かを期待して選んだのだろう。
大阪というところは中央の権力に抗して、政治がなんぼのもんじゃい、わしらは金稼いでなんぼやと、独自の文化と価値観を築いてきた。
こんなとんでもない知事を選んだ大阪府民のみなさんにはまだそんな気風が残っているのだろう。
堺屋太一氏などは、「日本人の待望する蛮勇の挑戦者『進取の文化風土』は大阪の精神基盤」などといって持ち上げている。(『毎日新聞』5月30日付)
堺屋氏に聞きたいが、日本人が蛮勇をどこに期待しているというのか。
勝手なことをいって惑わしてもらっては困る。
権力の男妾たちの常套手段であるが、大阪府民が橋下を選んだからといって日本人が蛮勇をふるう人間を期待しているとすり替える。おおかたの日本人はそんな馬鹿ではない。
橋下がやろうとしている大阪維新たるものは何か。
大阪府の職員がラスパイレス指数が常にトップクラスであったことからみて賃金の引き下げは或程度やむを得まい。
しかし、ワッハ上方、大フィル、国際児童文学館、障害者施策の切り捨て、教職員の数へらしなど。
先日の発表では一応継続、切り捨て先送りとなったものもあるが蛮勇をふるおうとしている対象は弱いものばかり。
が、大型公共事業は堅持するというもの。
与党自民党、公明党がひたすらつくそうとしている大企業、大資本の言いなりの政治である。
文化施設やら、障害者施策を蛮勇をふるってバッタバッタと切り捨ててどないすんねん。
大阪の反骨精神、反中央はそんなもんと違うやろ。
「大阪府民にとって40人学級も各種の文化センターや文化団体の助成も大事だ。大きく開いた東京都の格差を埋めるためのイベントや人材育成も大切である。しかし、惰性に流れず非難を恐れず、新しい状況に挑戦する進取の気性こそ、最も重要な大阪文化の精神基盤だ。・・・」(同紙 堺屋太一氏)
と弱いものたたきを擁護する。
大阪府民はファシストの登場を望んでいるのではないと思う。
ここらのすり替え、堺屋太一の怖いところである。
同じところ(同紙の記事)で藤本義一氏はこういう。
「今ある文化資産の価値についての無知が暴力を生む。知事のいう文化は考えれば考えるほど、一つ口が多い。吝嗇(けち)によって、大阪の豊かな文化が、余計な口が付いた『吝化』になってしまわないよう願う。」
文化、弱者を切り捨てずに財政再建はほんとにできないのか。
大阪の驚くべき巨大な赤字の原因は何によってもたらされたものかに立ち返って考えればよいのだ。
大阪府民の庶民のぜいたくか、ええめをしたからなのか。だから我慢せえ、しんぼうせえ、痛みをこらえいうのか。
5兆円の負債残高。これほど借金が増えた原因は、決して福祉・や社会保障・教育・中小企業支援・文化施策にあるのではなく、バブル崩壊後国は景気対策と称して何次にもわたる公共事業を地方自治体に押しつけた。政府は単独建設事業などは後で地方交付税で財源は補填するといい、大阪府などはそれを当てにして借金をしてゼネコンを儲けさせる仕事を続けた。しかし結局は小泉内閣の「改革路線」はその約束を反故にする。残ったのは借金だけ。
失敗だらけの大型開発はよく知られるとおり。
嗚呼!
大阪はどうなるのか。
タレント知事、故横山ノックよりましか、いずれにせよ大阪府民は何かを期待して選んだのだろう。
大阪というところは中央の権力に抗して、政治がなんぼのもんじゃい、わしらは金稼いでなんぼやと、独自の文化と価値観を築いてきた。
こんなとんでもない知事を選んだ大阪府民のみなさんにはまだそんな気風が残っているのだろう。
堺屋太一氏などは、「日本人の待望する蛮勇の挑戦者『進取の文化風土』は大阪の精神基盤」などといって持ち上げている。(『毎日新聞』5月30日付)
堺屋氏に聞きたいが、日本人が蛮勇をどこに期待しているというのか。
勝手なことをいって惑わしてもらっては困る。
権力の男妾たちの常套手段であるが、大阪府民が橋下を選んだからといって日本人が蛮勇をふるう人間を期待しているとすり替える。おおかたの日本人はそんな馬鹿ではない。
橋下がやろうとしている大阪維新たるものは何か。
大阪府の職員がラスパイレス指数が常にトップクラスであったことからみて賃金の引き下げは或程度やむを得まい。
しかし、ワッハ上方、大フィル、国際児童文学館、障害者施策の切り捨て、教職員の数へらしなど。
先日の発表では一応継続、切り捨て先送りとなったものもあるが蛮勇をふるおうとしている対象は弱いものばかり。
が、大型公共事業は堅持するというもの。
与党自民党、公明党がひたすらつくそうとしている大企業、大資本の言いなりの政治である。
文化施設やら、障害者施策を蛮勇をふるってバッタバッタと切り捨ててどないすんねん。
大阪の反骨精神、反中央はそんなもんと違うやろ。
「大阪府民にとって40人学級も各種の文化センターや文化団体の助成も大事だ。大きく開いた東京都の格差を埋めるためのイベントや人材育成も大切である。しかし、惰性に流れず非難を恐れず、新しい状況に挑戦する進取の気性こそ、最も重要な大阪文化の精神基盤だ。・・・」(同紙 堺屋太一氏)
と弱いものたたきを擁護する。
大阪府民はファシストの登場を望んでいるのではないと思う。
ここらのすり替え、堺屋太一の怖いところである。
同じところ(同紙の記事)で藤本義一氏はこういう。
「今ある文化資産の価値についての無知が暴力を生む。知事のいう文化は考えれば考えるほど、一つ口が多い。吝嗇(けち)によって、大阪の豊かな文化が、余計な口が付いた『吝化』になってしまわないよう願う。」
文化、弱者を切り捨てずに財政再建はほんとにできないのか。
大阪の驚くべき巨大な赤字の原因は何によってもたらされたものかに立ち返って考えればよいのだ。
大阪府民の庶民のぜいたくか、ええめをしたからなのか。だから我慢せえ、しんぼうせえ、痛みをこらえいうのか。
5兆円の負債残高。これほど借金が増えた原因は、決して福祉・や社会保障・教育・中小企業支援・文化施策にあるのではなく、バブル崩壊後国は景気対策と称して何次にもわたる公共事業を地方自治体に押しつけた。政府は単独建設事業などは後で地方交付税で財源は補填するといい、大阪府などはそれを当てにして借金をしてゼネコンを儲けさせる仕事を続けた。しかし結局は小泉内閣の「改革路線」はその約束を反故にする。残ったのは借金だけ。
失敗だらけの大型開発はよく知られるとおり。
嗚呼!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます