三流読書人

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ドングリ小屋住人 

家畜に喜び、奴隷天国

2014年07月19日 09時06分11秒 | 
家畜か奴隷か
とりあえず次の文章を読んでみてほしい。毎日新聞の記事からです。
少し長いのですが我慢して読んでください。きっと共感するとともに、何をしなければならないか改めて実感すると思うのです。

 この「民主主義」を標榜する日本の社会で腑に落ちないことはいろいろあるのだが、二つほどあげてみよう。
 まず東京電力という会社が今も存在している事。あれだけの惨事を引き起こしながら、同社の誰も刑事罰を受けていない一方、福島県からの自主避難者に対しては雀の涙程度のカネしか払わないと堂々と宣言し、かつ原発も再稼働させたいという。たとえて言えば、1945年の敗戦後にも大日本帝国の陸海軍が「私らはちっとも悪くありません」とばかりに存在し続けているようなものだろう。
 安倍晋三内閣の支持率が依然として5割近くもあるという事実。これも腑に落ちない。集団的自衛権の行使容認(その本質は、「売られてもいないけんかを買いに行くことになることだ」、とある元自衛官が適切に指摘している)をめぐる政府の説明態度は、」全体として不誠実極まるものだ。7月1日の総理記者会見で、首相は「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。」と述べた。言い換えればほとんど何も変わっていない、と。ところが1週間後、訪問中のオーストラリアで「なるべくたくさんのことを諸外国と共同してできるように、日本は安全保障の法的基盤を一新しようとしている」と宣言。きれいは汚い、汚いはきれい、変わるは変わらない、変わらないは変わる。
 こうした言動は、知性の著しい混乱ないし良心の崩壊の兆しだろう。いずれにせよ壊れている。このような破綻者を、各界のエリートたちは(尊敬もしないが)ワッショイワッショイ担いでいる。「みこしは軽くてパーがいい」とは小沢一郎氏の名言だが、さしもの小沢氏も、「壊れているくらいがいい」とまでは言わなかった。
 この国の政治・経済の支配層が、ここまでナメ腐った振る舞いをできるのは、国民が怒らないからであろう。もちろん怒る人もまれにいる。だが、この国の国民の最大の娯楽の一つは、こうした正当にも腹を立てる人、侮辱を許さない誇り高き自由人を、からかい嘲ることだ。「あいつバカだねー、怒ったって何も変わんないのにさ、意味ないよねー」と言ってうなずき合うとき、私たちは「バカ」に対する自らの優位を確認して優越感に浸れるのである。なるほど、奴隷のなけなしの楽しみとは、主人に反抗して痛い目に遭うほかの奴隷を辱めることであるに違いない。民主主義の主人は、本当は、当事者自身のはずだが、どうも国民は自分たち以外に主人がいると信じているようだ。
こう考えてくると、「腑に落ちない」ことがどんどん「腑に落ちて」くる。別に今の政府や電力会社は、間違ったことをやっているわけではない。この国民にふさわしい仕方でやっているだけのことだ。奴隷は奴隷らしく扱うのが正しい。
 「奴ら」が私たちを辱める以前に私たち自身が私たち自身で私たち自身を辱めている。16世紀フランスの思想家、ラ・ポエシは、こうした状態を「自発的隷従」と呼び、家畜にも劣る状態であると述べた。誰が私たちをここから救い出してくれるのか、問うのは愚問だ。
そう、私たちの同時代人、中島みゆきの歌にもあるじゃないか。闘わない奴らは闘う奴を笑う。けれど、冷たい水の中を懸命に泳ぐ小魚たちは、「諦めという名の鎖」から自らを解き放つのだ、と(「ファイト!」)「小魚」になれるのは、私たち自身しかない。


これは7月17日付、毎日新聞(大阪)夕刊に掲載された白井聡氏の意見です。
 「自発的隷従」をかなぐり捨て、自らを解き放つために生きる。に、共感する。
 

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