自分は年老いたな、と感じることの一つにマンガを見なくなったことがある。60歳前後まで見ていたか。
『毎日新聞』コラム「発信箱」6月26日号は、玉木研二(論説室)氏が書いている。
「麻生太郎外相が新書『とてつもない日本』(新潮新書)で日本の底力に漫画文化を挙げている。世界の若者を とらえたコミック、アニメ映画、ゲームキャラクター。外相は中世絵巻物語以来の伝統といい、日本のロボット開発 の動機には「鉄腕アトム」があると説く。
私は90年の日本映画「櫻の園」を見た後、原作(吉田秋生)が漫画だと教えられて読み、感嘆した。女子高生た ちの日常と内面の機微を描く。私は漫画がこのように豊かな表現世界を日あいているとは知らなかった。
日本漫画の物語性と作画表現の多様さは類例を見ないという。米国では、日本の技法を学ぶ若者が増えている。
振り返れば、その発展の原点は少年誌や貸本漫画が最盛期を迎えた昭和30年代だろう。小学生だった私には「ビ リーパック」が忘れ難い。
ビリーの父は米国人で母は日本人。戦争で父は憲兵に連れ去られ、母も殺される。戦後ビリーは米国で探偵術を学 んで帰国し、ダブルのトレンチコートにハンチングという姿で次々に大事件を解決する。作者河島光広は私が小4の 春、30歳の若さで病死した。
先夜古書店のショーウインドーに偶然ビリーを見た。拳銃を上向きに構え、視線はウインドー越しに今の東京の華 やいだ街に向けている。その間に私は割り込んで四〇数年ぶりに再会した。
この時期の漫画作品群の多くは散逸している。こうした「文化遺産」を散じるままにして、世界に発信する日本の 底力でもあるまい。それらの作品収集や保存、体系的な研究をする国立センター創設を願う。」
麻生太郎、品のない嫌な男である。彼がどんな本を書こうと知ったことではない。もとより漫画は優れた文化であ る。玉木氏には共感するが、どういう人々が文化として漫画に市民権を認め、支えたか、忘れてはならない。。