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三流読書人

毎日の新聞 書物 など主に活字メディアを読んだ感想意見など書いておきたい

ドングリ小屋住人 

アンコールワットの朝日

2010年01月17日 17時37分50秒 | Photo


 アンコールワットである。
 画家平山郁夫氏は朝日の中のこの光景を『朝陽』というタイトルで描いている。
  
 短い旅行であったが、素晴らしい に尽きる体験であった。
 ポルボトの破壊と殺戮によって遺跡自体がなくなってしまわないかと世界中が心配をし  た。
 内戦以前の状態を知らないのでどれほどの傷がついたのかわからない。
 それでも凄い。圧倒的である。
 人々のまなざしは穏やかでやさしい。
 あまり急激でなくやっくりと発展してほしいと思った。



 

蔦 紅葉

2009年11月08日 16時11分48秒 | Photo


甲子園ではないけれど、蔦の紅葉も見事である。
我が家のよう壁の夏の暑さよけに配偶者が植えたもの。
しかし、やはり空の青さが主役のような気がする。

    「・・・蔦一字を秋の季語とするのは、結局その見事な紅葉が蔦を蔦たらしめるものとして、秋のものとされている。・・・
      蔦植えて竹四五本のあらしかな   芭蕉 」
     (『新撰俳句歳時記』明治書院)

蔦の紅葉を詠んだものは多くない。この写真とは関係ないか。




ホトトギス 咲く

2009年10月14日 08時39分05秒 | Photo


ホトトギスが咲きはじめた。
ユリ科の花。
不如帰の胸毛に似たまだらの模様からホトトギスというのだそうだ。(「新撰俳句歳時記」明治書院)
空を飛ぶ不如帰はもう鳴き声は聞こえない。これは夏の季語。
南へ帰ったのだろう。
けたたましい不如帰の鳴き声にくらべ、この花は地味である。


紫の斑の賑しや杜鵑草          轡田 進

ほととぎす咲かせかたぶく齢かな     岩城のり子
 
ほととぎす草今日のむなしき手を伸べぬ  八木林の助

などがある。(「新撰俳句歳時記」明治書院)

秋 青空 運動会 

2009年09月28日 17時25分08秒 | Photo


運動会 開会式入場行進 1年生
60年前と中身はあまり変わっていないような気がする。
子どもたちの体力低下が言われて久しい。
しかし、乳幼児死亡率や幼少年期の疾病への罹患率など総合的に考えなければ。
単純に鍛え方が足りないなどと言わないことだ。
責任は親でも子どもでもない。
子どもを大事に育てるということはどういうことか、考え直すことだ。
今まで政府は子どもの教育には金は出さないが口は出す、責任はとらない。歴史教育などでは嘘を教えることをむしろ奨励するという政策を取ってきた。
文部省・文部科学省、その下にある地方教育委員会は30年後、50年後の日本を担う人間を育てるという明確なヴィジョンはなくその時々の政治権力に唯々として迎合する政策を現場に押し付けてきた。
一方で、給食費を払わない、授業料を支払わない、奨学金を返還しない、その他いろいろと難癖をつけるモンスターペアレントというものたちの存在など取りざたされる。
しかし、基本的にはこれらはいずれも公費負担というのが先進諸外国の制度。
OECD加盟国の中で教育への公費負担が最低であることをそのままにしておいて良いかどうか。

この子たちは国の宝ではないのか。





鬼灯 ほおずき

2009年09月18日 19時36分12秒 | Photo


鬼灯は実も葉もからも紅葉哉     芭蕉
鬼灯を鳴らして妻の何思ふ      佐野良太
幾つかはつぶす鬼灯鳴らすまで    橋谷田愛子

鬼灯の実が赤くなると中のたねなどをきれいに出して口に含み、
キュツ、キュツと鳴らすのは女の子の遊び。

下の2首はそういう意味だろう。
この鬼灯の色は日本の赤だ。

外側の袋のやわらかい部分が次第にとれて網目状の葉脈だけが残る。
なかには丸い実が透けて見える。
不思議な魅力の植物である。

吉野山 紫式部

2009年09月17日 20時08分23秒 | Photo
 

 吉野山 金峯山寺へ行った。久しぶりである。
 やや秋の気配、蔵王堂の下、ムラサキシキブの実が薄紫に色づいている。
 これから次第に濃くなる。

    むらさきは中年の色式部の実       勝又一透

    むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり  草間時彦






芙蓉の雪の精をとり

2009年09月14日 20時41分26秒 | Photo
 

良い花だと思う。好きだ。

芙蓉の雪の精をとり
芳野の花の華を奪い
清き心の益良雄が
剣と筆をとり持ちて
一たび起たば何事か
人世の偉業成らざらん

芙蓉である。
一高の寮歌「ああ玉杯に花うけて」の2番の歌詞。
こういう日本語嫌いではない。
剣を持たせてはいけないが、なんとなく解かるような気がする。
エリート意識ふんぷんの中にも、未来への展望がうかがえる。
良くも悪くも一高・東大というコースを歩んだ連中が日本を牛耳ってきた。
しかし、その時代はもう終わった。

 携帯電話の写真である。結構撮れていると思いますが。





夕顔

2009年09月05日 21時12分05秒 | Photo
夕顔



9月に入って夕顔が咲き始めた。
うちのはなにもかも遅い。
しかし、季節は今だろう。
少しでも早く咲かせたり季節はずれを珍重するのはおかしい。

   秋立つ日、よめる     藤原敏行

   秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今169)

秋立つ日というんだから立秋のことだろうけど、ずいぶん前のことだ。
暦と季節感のずれはどうしようもないが、そこになんとはなしのそこはかとなくというか秋を感じる。
日本人の感性だろう。
いまは、もう本格的な秋といってもよいか。
政治のことなどはしばらくほっとこう。




大暑 百日草

2009年07月23日 14時00分35秒 | Photo



今日は大暑。
昨日は皆既日食ということであったが厚い雲で見えず、残念。
京都の祇園会が終り、大阪の天神祭がはじまる時期である。

我が家の花では百日草が目立つ。
色鮮やかであるが甘くない。
硬質のというか、潔さのようなものを感じる。
 
  百日草百日の花怠らず     遠藤悟逸

  心濁りて何もせぬ日の百日草  草間時彦

  蝶歩く百日草の花の上     高野素十

などがある。

これからいよいよ暑くなる。

糸とんぼ

2009年07月12日 10時38分10秒 | Photo


キイトトンボ

全長で3cmぐらい。よく見ないとわからない。
蜻蛉目イトトンボ科キイトトンボ。
黄色いのでキイトトンボという。
ずいぶん昔に見たことがあるような気がする。
まだいたのか。

   水の湧く音かすかなる糸とんぼ    大場美夜子

   しなやかなものにつかまり糸とんぼ  吉原一曉



PHOTO さくらんぼ 桜桃忌に

2009年06月19日 08時28分43秒 | Photo


  「 私は断言する。真の芸術家は醜いものだ。喫茶店のあの気取った色男は、 に せものだ。アンデルセンの「あひるのこ」という話を知っているだろう。小さな可愛いあひるの雛の中に一匹、ひどくぶざまで醜い雛がまじっていて、皆の虐待と嘲笑の的になる。意外にもそれはスワンの雛であった。巨匠の青年時代は例外なく醜い。それは決してサロン向きの可愛げのあるものでは無かった。 」


太宰治の、芸術に関する文章のひとつである。
おそらくは自分を意識している。

今日は桜桃忌。
太宰のものはほとんど読んだと思う。が、彼の世界につい引き込まれていく自分がいやだ。
いつもこんなものに近づくまいと思う。
内容の問題ではないんだけど。


photo ほたるぶくろ

2009年06月12日 09時15分47秒 | Photo

  ホタルブクロ



地味な色であるがこの形は好きだ。
この中に蛍を入れて遊ぶというようなこともあったのかどうか知らないが、
ほたるがほんとにいなくなった。
数年前まだいたのだが。
農薬を川に流すと確実にいなくなる。
カワニナが死ぬからだろう。

梅雨に入るころこの花が咲く、ちょうど草刈の真っ最中。
注意をして見ていないとすぐ刈り取られる。

   雨雲やほたるぶくろは刈り残す    新井英子

という句もあるが。


ユキノシタ

2009年05月21日 13時11分44秒 | Photo
ユキノシタである。
葉脈が白い葉っぱのと赤っぽい葉っぱのものがあるが、別種でもなさそうだ。
てんぷらにして食べると美味しいのは白い葉のほうだ。
なんでもすぐ食べてみる癖がある。

この花の可憐さはどうです。
好きな花だ。



白い葉脈のと赤い葉脈のユキノシタ、花も少し違うような気がする。