ひろきち劇場NEO

ソフトウェア開発から写真、旅行、ダイビングまで寄せ鍋風にお届けするブログ。ええダシが出てる・・・かな

米原の帰りは石山寺経由で

2009年01月31日 | ◆国内の旅
翌朝、チェックアウトしてホテルを出発。時間に余裕があったので、すぐに高速には乗らずにしばらく下道を京都へ向けて南下しました。

するとこんなレトロな駅が。近江鉄道本線の鳥居本駅です。思わず車を停めて何枚か撮影しようとした時に電車が行ってしまったので電車はチャンスを逃しました。



中に入ってみると、これまた風情のあることで。無人です、無人。



単線です。古き佳き日本の田舎の風景という感じです。むかしJR奈良線にも単線区間や無人駅がありましたが、今はどうなんでしょうかねえ。



娘にお昼を食べさせたり、ふらっと通りかかった神社で遊んだりしているうちにいい時間になってきたので、途中で高速道路に乗って一気に石山寺まで。久しぶりです。



仁王様。なかなか力強いですね。



12月に入っていたのですが今シーズンは紅葉が遅かったので、もしかしたら~と思ってたのですがさすがに見頃は過ぎてましたね。それでも見ないよりマシ。それなりに楽しめました。



石山寺は紫式部が源氏物語の着想を得た場所として有名です。確かここで書いた訳ではなかったと思いますけど。でも紫式部と源氏物語を売りにしてます。



ヨメさんと娘を車において一人でカメラ小僧やってたのですが、気がついたら1時間以上経ってて急いで車に戻りました。そこからまた高速道路に乗って、名神~京滋バイパス~大山崎で下りて帰りました。



去年は忙しくてチャンスを逃しましたが、今年は見頃の時期に紅葉狩りに行きたいです。



米原で結婚式

2009年01月31日 | ◆国内の旅
もう1ヶ月以上前の話ですが、ヨメさんの友達の結婚式に出席するために米原まで行って来ました。ひろきちは出席しないのですが、娘がじっとしてるはずがないのでそのお守りでついていきました。11時からの式だったのですが、着物を着たいとヨメが言うので金曜日に会社を休んで前日入りしました。

泊まったのはXIV琵琶湖。米原駅から車で5分くらいのところにある、琵琶湖のほとりに建つ結構いいホテルです。

部屋はダブルベッドが2つあり、4.5畳くらいの和室もついてました。かなり広いです。



中庭にはプールもついてます。一見道路に面しているように見えますが、5mほど高いところにあるので外からは見えません。



夕方にホテルにやって来た新婦に挨拶して、夜にはヨメさんの友達二人とその子供たちが部屋に遊びに来てくれました。久しぶりの再会にお互い「全然変わってないね~」とお世辞を言いあいながら喜んでましたが、ひろきちはその間娘に食事を与えておりました。

翌日はヨメさんは朝から着物の着付けやらでバタバタ。式が終わって落ち着く3時頃までひろきちと娘は二人でお留守番。ホテルの中をウロウロしたり、売店のおもちゃで遊んだり、車で外に出かけてコンビニに寄ったりと適当に時間をつぶしました。

ヨメさんの方は、おいしい食事をいただいて、お酒もちょっといただいて、友達といろいろお話できて満足そうでした。友達二人は式の後急いで帰って行きましたが、我々はもう1泊して次の日にゆっくり帰ることにしました。



ヨメさんカメラによる式の様子。チャペルはホテルと別棟になっていて、気温5度の極寒の中みんな歩いて行ったそうです。ノースリーブの人がかわいそうだったそうです。



ひろきちはいつも走る?

2009年01月31日 |  ◆アメリカ


アメリカ人の子供ってやっぱ大人っぽいですよね。この写真の女の子はシャーリーの孫のホーリーって言うんですが、13才には見えません。背も高いし、最初高校生くらいかと思いました。正直ど真ん中ではないですが、内角高めギリギリ・・・・って何の話ですか。

このホーリーにニヤニヤしながらこんなことを言われたことがあります。

「Hiroはいっつも走ってるね」(そして、どたどたと家の中を走り回る真似をする。)
「え、走ってないよ」
「走ってるよ」
「走ってないって!」
「走ってるってー!」

家の中で走ったりするか!と思っていたのですが、ある日学校に行こうと家から出た瞬間に忘れ物をしたのを思い出して、部屋まで取りに行ったことがありました。その時小走りになっている自分に気付いて、

「あ、これか」

と初めて自覚しました。だって、アメリカの家って広いんですよ。↑の写真はキッチンとカウンターですけど、日本の学生ってみんなこの写真に写ってる範囲くらいの部屋に住んでますよね。だからつい小走りになってしまうんです。

それでふと気付くと、アメリカ人ってあまり走らない。ジョギングなんかはみんなやってるけど、普段の生活で走っているところを見たことがない。早歩きが限度。

走らない=急がない

日本人ってやっぱせっかちなんかなあ、と思った出来事でした。

・・・まさかひろきちだけじゃないですよね?みんな普段から急いでる時は走りますよね?


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(ひろきちなりの)宗教観国際比較

2009年01月30日 |  ◆アメリカ
アメリカに行ってからいろんなカルチャーショックを受けたのですが、宗教観に関してはいまだにすっかり理解できていないことの一つです。サウジアラビア出身のヤジードが帰国した後、同じサウジアラビア出身のワヒーブがホームステイしていたので、ひろきちは二人のサウジアラビア人といろいろと話す機会がありましたが、彼らとの話で一番驚いたのは彼らの宗教観です。

サウジアラビアの人はみんなイスラム教(英語では"モズリム"のように発音します)です。イスラム教というのは酒、豚肉、セックスを禁止しているのですが、面白いのがそれらを破ったらどうなるかという話。イスラム教の教えでは、これらの戒律を破ると心臓が4分の1ずつ死んでいくと言われているそうです。なので、4回破ると死んでしまうと言うのです。ヤジードは「おれ、これ信じてるんだ」とすごく怯えた顔で言っていました。

これが理解できない。4分の1ずつ死ぬってどういうことなのか。4分割した心臓の1パートずつ順番に死ぬという意味なのか、あるいはレベルが4分の1 ずつ減っていくという意味なのか分からないが、こういった考えをなぜ信じられるのかが理解できない。セックスだけでも100回くらい死んでいるはずの男を目の前にして、なぜそれを疑わずにいられるのかまったく理解不能(注:回数は何回も死んでいるという意味のメタファーなので計算しないように)。「じゃあ俺は100回は死んでるな」って言ってみたのですが、微動だにしませんでした。

ワヒーブもそこまでは言わなかったのですが、戒律に関してはかなり神経質でした。ワヒーブという男はかなりお調子者で、どっちかと言えばへらへらちゃらちゃらしたタイプなのです。なのに食べ物の中に怪しげなものを見つけると「これ何だ!?豚肉じゃないだろうな!?」とすごい剣幕。昔好奇心でアルコールを飲んだことがあるが、もう二度とやらない、恐ろしいから、と。後悔してるとまで言ってました。その時の顔は本当に何かに怯えているようで、ちゃらちゃらキャラとのギャップが印象的でした。

宗教色の薄い日本人にとって非常に理解に苦しむところではありますが、ボブが言った言葉がその謎を解くヒントになるかもしれない。ひろきちが「おれはAthiest(無神論者)だ」と言うと、

「Hiro、俺もな、神様なんていないんじゃないかとも思うんだよ、理屈ではな。でもな、それを口に出して言うのはすごく怖いんだよ。「神様なんていない」なんて声に出して言うと、罰が当たるんじゃないかと怖くなるんだ。だって、子供の頃から「神は存在する~、神は存在する~」って言われて育ったんだ。「信じないと罰が当たるぞ~」って。だから大人になってからいくら理屈で考えても、そんな風に思うこと自体がとっても恐ろしいんだ。」

つまり、洗脳することによって人は論理的に考えることが出来なくなるということだと理解しました。宗教は理論を越えるんだから、価値観である宗教観がぶつかったら絶対に譲らないのは当たり前。これで宗教のために人を殺すという理解不能な行動がちょっと理解できたのでした。

ちなみにひろきちはシャーリーから、「日本人はシントウを信じてるんでしょ」と言われるまでシントウとは何か知りませんでした。

「シントウ?新党?政治の話?」
「違うわよ、神道、宗教の話」

で、shintoで逆引きしたのですが、何のことかさっぱり。日本に帰ってから調べてやっと分かったのでした。ひろきちが物を知らなさ過ぎというのもあるのですが、アメリカで「キリスト教って何?」なんて言う大人はたぶんいないでしょう。ひろきちみたいなのがいるだけでも日本の宗教色の薄さを表しているのではないでしょうか、と国のせいにしてみる。

---
ある日、郊外のショッピングモールに行ったときのこと。車椅子の女性がドアの前まで来た時、ドアの向こう側からきた別の女性が車椅子の女性がいるのに気づいて、ドアを開けてあげるのかと思いきや別のドアへさっと移動して自分だけ出て行くのを見ました。クリスチャンであろうとモズリムであろうと、こういうやつにこそ罰が当たればいいと思いました。

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その後の学校生活(ELS)

2009年01月29日 |  ◆アメリカ
クラス分けテストに失敗して106から始める羽目になったELSですが、実は"飛び級"という裏技があることを知りました。履修中のクラスである一定以上の成績を収めた場合、飛び級テストを受けることが出来、このテストに合格すればクラスを一つスキップできるのです。クラス分けテストでの敗因はリスニングがついていかなかったことだったのですが、1ヶ月もアメリカで英語漬けになっているとこの問題は解消されます。さらに日本人はペーパーテストに強い。後はインタビューでどれだけ"話せる"かがネックになりますが、ここは起死回生のチャンスにかけるしかありません。

106の成績は良く、Skipping Testを受けることになりました。ペーパーテストもインタビューも上々で、難なく合格しました。これで107をスキップして、108へ進めることになりました。

何とか元の予定に戻った訳ですが、この頃には別の"想定外"が起こっていました。まず、クラスメイトとの会話力に差があるということです。日本人はペーパーテストに強く会話に弱い。その他の国の人は会話に強くペーパーテストに弱い。インタビューとペーパーテストで総合的にレベル分けをした場合、同じクラスになるわけですが、ここまで会話力の差が目立つとは思っていませんでした。秋からカレッジに行くとなると一定以上の会話力が必要なわけで、それまでにこの弱点を克服しておかなければいけない。そのためには習うより慣れよでたくさん会話しないといけないのですが、ここで別の"想定外"が。どの国の留学生も、同じ言葉を話す連中といつも一緒にいるのです。アラビア語、スペイン語、ポルトガル語、そして日本語。日本語を話さず、日本人ともつるまないひろきちはどんどん孤独になっていくのでした。唯一フランス人のクリストフとは仲良くさせてもらってたのですが、2ヶ月目にはフィアンセがフランスからやってきてべったり。

こ・ど・く・・・

ある時、一人でピザ・ハットに行った時にスペイン語組とばったり出会いました。その集団の姉貴分であるマリローラが「一緒に食べない?」と誘ってくれました。「私たちももっと英語を話さないと」と言うので、これは願ってもないことだと同席したのですが、すぐにみんなスペイン語になってしまうのです。マリローラが「Hiroがいるんだからみんな英語でしゃべりなさい」と言うと、しばらくは英語なのですが、すぐまたスペイン語になる。しまいには、

「おいHiro、日本語で○○○って何て言うんだ」

とシモネタをはじめ、しぶしぶ「△△△だよ」答えると

「△△△!△△△!おい、マリローラ、△△△って言ってみろ」

と大興奮。とうとうマリローラも呆れ顔になってしまいました。そしてスペイン語が飛び交う中、一人黙ってピザを食べるのでした。

こ・ど・く・・・

マリローラは「ごめんね」と言ってくれたけど、これはどうしようもないことなのかもしれない。ひろきちも3ヶ月間は一言も(1回親父から電話がかかってきたとき以外)日本語を話さなかったけど、4ヶ月目からは放課後は日本語を話してもいい事にした。だって、あまりにも孤独だから・・・。

日本にいる頃は「アメリカに行けば環境も変わって英語も上達するはず」と期待してたけど、語学学校っていうのは環境としては不完全で、カレッジに行って本当にアメリカ人に混ざらないとダメだということが分かったのでした。そしてそのためにはなるべく早くここを卒業してカレッジに行くべし!という事なのでした。

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ホームステイの実情(ひろきちの場合)

2009年01月27日 |  ◆アメリカ
ホームステイと一口に言ってもホストファミリーによるので百人百様だと思うのですが、一例としてひろきちのケースを紹介しておきます。

謎だった家族構成はと言うと、実はシャーリーは一人暮らしで、彼氏のドウェインが転がり込んでいるという状況なのでした(彼氏と言ってもシャーリーはおそらく50代、ドウェインも40代です)。シャーリーには娘が二人と息子が二人いるのですが、すでに独立していました。夫とはずっと昔に離婚したそうで、家はその前からずっと住んでるとのこと。このあたりちょっとデリケートな話題なのであまり追求しませんでしたが、本人はまったく平気という感じでした。

シャーリーは基本的にいい人なのですが、ホストマザーとしてはいろいろ問題がありました。例えばご飯は毎日作らないし、ひろきちたちのために大量に作ってはドウェインと外食に行ってしまう。作り置きが無くなったらお金を渡して「これで何か食べといて」。


Pizza Hutもしょっちゅう


洗濯も雑なので服がボロボロになることがありました(これは機械のせいかもしれませんが)。洗濯後の服はソファーの上に広げたままで、その上を猫(キャティという名前)がうろちょろするのですぐ毛だらけに。「自分の服は自分でたたんでよ」と言うのは分かるけど、ホームステイの料金として7万円も払ってるのでそこがちょっと気になる・・・。


キャティと洗濯物


シャーリー本人以外にも問題あり。息子の一人のボブはしょっちゅうシャーリーの家に出入りしていて、ひろきちも話し相手になってもらったり、どこかに行くのに車で連れて行ってもらったりとお世話にはなったのですが、これが勝手にひろきちのブランデーとかを飲んだりするのだ。ある時は「ちょっと小銭がいるんだけど貸してくれない?すぐ返すから」というので20ドル貸してやった。それ以来姿を見せないので、ドウェインに「ボブって仕事してるのか?」と聞くと「よく分からないけど何でだ?」と言うので「いや、金貸してくれって言うから」と言うと、ドウェインの目が厳しくなって、

「で、貸したのか?」
「うん、貸した」
「いくら?」
「20ドル」
「なに!?で返ってきたのか?」
「いや・・・」
「何で金なんか貸すんだ!」
「いや、困ってそうだったから、20ドルくらいならと」

と言うと、パッと笑顔を作って、

「じゃ、俺にも貸せ」

と冗談を言って手を差し出した。でもまたすぐにまじめな顔になって、「もう貸すんじゃない。返ってこないから」と言いました。そういえば以前ボブに「おまえの親は金持ちか」って聞かれたことがあって、その時は単なる興味で聞いているのだと思ってたけど、実は前から狙われてたのね。

突然「ちょっとついてきてよ」と言われて車でボブの知り合いのところへ連れて行かれたこともありました。小さくてボロボロの暗い家の中にはガリガリで生気の無い顔をした男が座っていて、ボブはその男と少しの間話をしていましたが、すぐにその家を出ました。帰りの車の中で、「あいつドラッグ中毒なんだよ。やめろって言ってるんだけどな。」と言ってました。

そういうボブもある日シャーリーの家のガレージで変わった香りのするタバコを吸ってたことがありました。和歌山にいるひろきちのおばあさんがよく地元のお茶の葉を炒っていましたが、その時のにおいに似ていました。たまたまガレージに入ったひろきちに気づいてあわてて消したタバコは、普通の紙タバコではなく葉っぱをただ巻いたようなものでした。

「シャーリーには言わないでくれよ、大丈夫、ちょっと試しただけだから」

といって真剣な顔をしたり笑顔を作ったりしていたけど、その目は今まで見たことのないような種類の目つきをしていました。ウルウルしていて、妙に光った目は焦点が合っていなかったし、すこし充血しているようにも見えました。

翌朝、シャーリーが

「昨日ボブがガレージでマリファナを吸ってたのよ」

と言っていました。

「変なにおいがしたでしょ」

と顔をゆがめて、それ以上は何も言わなかった。はじめて見たジャンキーの目は今でもはっきりと頭に残ってます。

他にも黒人の友達のところへひろきちを連れて行ったりもしました。「Hey buddy!!」と陽気にハイタッチを求めるボブに対して、その黒人は片手を上げて応じましたが、無表情であまり仲がいいようには感じませんでした。もしかしたらボブは友達に「俺はこうやって一緒につるむ友達がいるんだ」ということを見せるためにひろきちを連れ出していたのかもしれないなあ、と今は思います。

ボブに最後に会ったのは「ちょっと遠いけど、いい仕事が見つかったから」と荷物をまとめて出て行く時でした。「これでお前に借りた金を返せるよ」と行って出て行きましたが、それっきりでした。数ヵ月後、シアトルからフロリダに遊びに来たついでにシャーリーの家を訪ねた時には、「このまえボブに会ったけど、ガリガリにやせて、にごった目をしていたわ・・・。薬をやってるのよ、きっと。」と行ってました。「「おれ大丈夫だよ、ママ」って言ってたけど・・・」とため息をついていました。

こんな風に、渡米前には想像もしていなかったヘビーな家にホームステイしたのも何かのご縁でしょうか。シアトルに移ってからはいわゆるアメリカ的な家庭に招かれたこともありましたし、それはそれで正統派アメリカ文化を体験できてよかったのですが、フロリダでのこの体験もある意味貴重だと思います。

ただ、7万円に見合う対応を受けてないと思い、2ヶ月でこの家は出ました。

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初登校(ELS - St. Petersburg)

2009年01月27日 |  ◆アメリカ


3月25日月曜日、ELSの初日。はりきって早めに行きました。

早く来すぎてまだ誰も来てないし!

とても寂しい・・・。まあこんなに早くに来るのなんて日本人くらいか~、と一人ボーっとタバコを吸っているともう一人日本人が現れました。インターナショナルな交流が欲しいんだけどなあ、と思いつつ彼と英語でちょこちょこっと話す(日本人同士わざわざ英語で話すのも気持ち悪いのですが、この時ひろきちは日本語はしゃべらないことにしていたので彼にも付き合ってもらいました)。

集合時間の10分前くらいからポツポツと人が集まり始め、集合時間になると30人ほどが集まっていました。肌の色の濃い人が多く、話している言葉から推測して南米やサウジアラビアの人がほとんどのようでした。ヨーロッパ系の人はほんの少数で、アジア系もそれほど多くはありませんでした。南米やサウジなどの人が多いのはフロリダの温暖な気候と関係があるように思います。9月以降通ったシアトルの学校は逆に北欧の人が多かったので、たぶん出身国の気候に似た地域を選ぶ傾向があるのでしょう。

しばらくするとオフィスから女性が出てきて、中庭に面した教室に入って行きました。そしてもう一度出てくると、笑顔で手を大きく振りながら

「Hi guys! Come in here!」

と叫びました。えらい軽いノリだなーと最初は驚きましたが、先生もスタッフもみんなこんな感じでした。語学学校なんだし、肩肘張らずに楽しく英語を学びましょう、ということなんでしょう。

オリエンテーションの後、クラス分けのための簡単な面談が行われました。ELSでは 101から109まで9つのレベルに分かれていて、109を終了すると卒業ということになります。1つのクラスは4週間で終了するので、最低でも107から始めて3ヶ月で卒業しないとその後のスケジュールが狂ってしまいます。がんばらねば!

そして面接


・・・


結果


・・・


106


げー!やってもうたー!!いきなり予定狂ってるしー!!!

お金も余分にかかるし、後半のカレッジへの入学手続きも遅れる~

落 胆 ・・・。

べっこり凹みながら売店へ行き、ノートやら筆記用具やらを買い足して家に帰りました。

カリフォルニアにいるH田に電話するとやつは107に入ったらしい。それを聞いて再びべっこり。

出だしから不調な学校生活の始まりです。


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素顔(の一部)晒しました

2009年01月27日 | ◆日記とか
最近リアルで知ってる人からの書き込みが何度かあり、オレってオレですよって言いたいのですが分からないだろうな、と思いプロフィールの写真を顔面ドアップに変えました。これで「あ、こいつはあいつやん」と気付いてもらえる確率アップかも。

一部とは言え顔を晒した以上は発言に責任を持たないとリアル世界に支障をきたしますので、今後は慎重に行きたいと思います。

ひろきち=×××だと気付いた方へ
一応まだ匿名なので「あ、こいつはあいつだ」と気付かれてもご自分の心にしまっておいてください。コメントなどでうっかり暴露しないようお願いします。あ、でもコメントは下さいね。

フロリダ上陸

2009年01月25日 |  ◆アメリカ
翌朝、H田と別れてフロリダへ飛びました。さすがに10年以上も経つとこのあたりは全然記憶になく、H田とどこで別れたのか、何で空港へ行ったのかまったく覚えてません。次に覚えているのはタンパ空港からです。

タンパ国際空港でスーツケースを拾ってロビーへ出ると、すぐに「ELS Language Centers」と書かれた紙を持った、背の高い白人のにいさんを見つけました。さすが時間通り、H田とは全然違う。にいさんはひろきちのスーツケースをゴロゴロ引いて自分の車まで案内してくれました。ピカピカに磨かれた紺色のセダンに乗って、学校とホームステイ先のあるSt.Petersburgへと向かいました。

「フロリダは初めて?」
「はい。アメリカ自体はじめて来ました。」
「そう。」

にいさんとの会話はこれだけで、そのあとはずっと窓の外を眺めていました。ホストファミリーがどんな家族かとても気になります。そんなに金持ちじゃなくていいけど、広くてきれいな家がいいな。ママは料理がうまくて、絶対美人がいいぞ。娘が美人でもいいけどww

約1時間後、車は高速を降り、割と大きな家の立ち並ぶ住宅街へ入っていきました。大きなカーポートのある白い平屋建ての家の前で止まり、にいさんとひろきちは車を降りました。


Photo by Google Map(ちゃんと覚えてたひろきちエラい!)

へえ、ここかあ。1階建てなのか。

家の正面には小さな玄関があり、その左側には大きなガレージが全開に開いていました。にいさんはガレージへとずけずけと入っていき、さらに家の中まで入っていきました。

「玄関から行かないのか?」

と思いつつ、ひろきちも慌てて後をついていきました。家の中に入ると、口ひげを生やした茶色い肌の男がキッチンカウンターに座ってコーラを飲んでいて、ひろきちに向かって「Hello」と言いました。奥の方ではジーンズにTシャツ姿の40歳代くらいの男の人が壁にペンキを塗っていて、ひろきちに気づくと

「今家の人は今いないから。すぐ戻ってくるよ。」

というようなことを言いました(実は鼻にかかった声が聞き取りにくくて、もしかしたら違うことを言ったのかもしれないのですが)。振り返るとお迎えのにいさんの姿はすでに無く、窓の外を見るとさっき乗ってきた紺色のセダンが動き出していました。

(一言もかけずに、えらいあっさりしてるな)

と思いましたが、あのにいさんはELSの職員じゃなくてただのハイヤーの運転手だったのか、と分かりました。

コーラを飲んでいた口ひげの男はヤジードという名前のサウジアラビアからの留学生で、1ヶ月前からここにホームステイしていると言っていました。つまりこれからルームメイトにになるという訳です。しばらくヤジードと片言で他愛もない話をしていると、家の人が帰ってきました。

「ごめんなさい!ちょっと出てて」

その姿はTシャツに短パンにサングラスにビーサン。ラフだなー、こんな格好で出かけるのか!?

「私はシャーリーよ。彼はヤジード、サウジアラビアからの留学生。そして彼は」

と奥でペンキ塗りをしている男を指して、

「ドウェインよ。」

なんだ、家の人だったのか。ペンキ職人かと思った。ドウェインはニッと笑って軽く手を振りました。

部屋に案内され、とりあえず荷物を運びました。大きなキングサイズベッドに十分な大きさの洋服ダンス。机はありませんでした。天井には大きなシーリングファンがついていて、スイッチを入れるとちゃんと動きました。大きな窓もあって快適そうでした。ベッドに横になると意外にも寝心地も悪くなく、とりあえず部屋に関しては安心。

着るものと勉強道具をとりあえずスーツケースから出して、適当なところに片付けました。その後、家の中をもう少し見てみようと思って部屋を出ました。

家の裏手には何と、プールがありました。

「プ、プール付きか!」

部屋はシャーリーのメインベッドルームの他に3つ。50インチのリアプロジェクションテレビにシャンデリア。高級そうな食器棚に並べられた、これまた高級そうな食器たち。そしてダインングテーブル。表にはシャーリーが乗って帰って来た真っ赤なキャデラックが止まっていました。

で、家の主人は短パンにTシャツ・・・。なんか庶民なのか金持ちなのか分かりかねる状況なのでした。

家族構成なども含めて謎が残りましたが、夜はシャーリーが中華料理を食べに連れて行ってくれたりして、まずはいい感じでホームステイ生活が始まりました。


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XP祭り関西2009 もうちょっとだけ報告

2009年01月25日 | ◆仕事
さて、XP祭り関西2009についてもう少しだけ感想を書いておこうと思います。

今回の感想を一言でいうと、「視覚効果」。視覚情報が人間の認知に与える効果を上手く利用しているなと思った。いくつか例を挙げてみます。

●スライド
 普段会社なんかで目にするようなグラフや文字だらけの、パッと見て何が書いてあるか分からないようなものではなく、大きな文字とイメージ、写真などをふんだんに用いて楽しくかつ分かりやすいスライドが多かった。例えば文字の場合は5~15文字程度がスライドいっぱいに書かれています。それより多くの文字情報をスライドに出したい場合は、例えば30文字を15秒間表示するのではなく、10文字ずつ3枚のスライドに分けてそれらを5秒ずつ表示する、というような感じ。非常に理解しやすい。グラフはあまり出て来ませんでしたが、出る時は大きくて分かりやすいものがドンと。これぞマルチモーダル・コミュニケーションの好例です。いいものを見せてもらいました。

追記 木下さんのスライドを発見。
追記2 木下さんその2
追記3 平鍋さんのスライドゲット!

●絵はがきをアイコンに
 平鍋さんの講演の中で紹介されていたのですが、Agile 2008の確かUser Experience Stageの案内板だったと思うのですが、プログラムの各セッションのところに絵はがきが貼ってあったそうです。User Experience Stageのセッションに参加する人は受け付けで自分が参加するセッションの絵はがきが渡されて、会場に行くと案内板に同じ絵はがきが貼ってあるので「あ、ここだ」と分かるというもの。つまり絵はがきをアイコンに使って、参加者に「ここですよ」と知らせる仕組みなのです。ん~これはナイスだ。UX(ユーザ・エクスペリエンス)の分野で最近Agileが認知されていて(Water Fall開発ではいいUXは提供できない!と言われている)、UXに携わる人の参加が増えているためだとのこと。

●小道具
 タスクかんばん、マインドマップなどがソフト開発では有用だというのは以前から認識していたのですが、今回初めてバグレゴという言葉を聞いて、何じゃそれはと帰って来てから調べました。要するにLEGOを使ってバグを管理するという試みだそうですが、こちらにスライドがありました。必ずしも成功という訳でもなかったようですが、今後につながる意義のある取り組みなのではないでしょうか?これをヒントにまた新しいツールが登場するかもしれません。あと、べつやくメソッドTRICHORDという新しいツールにも出会いました。TRICHORDはまさにひろきちが求めていたツール。ここ最近の情報セキュリティの厳しさから、タスクかんばんが職場で禁止されてしまい、プロジェクト管理をどうやっていこうか悩んでいたところでした。明日さっそく試用してみようと思います。

●視覚情報による思わぬ副作用
 クリエイトシステムの太田さんがLT(ライトニングトーク)で紹介したToDo管理ツールですが、プレゼンがおもしろ過ぎて何の話だったか忘れてしまいそうになりました。5分の発表なのですが、その約7割はドッカンドッカンにウケてて、ひろきちも「この人相変わらずおもしろいなー」と笑いながら見ていたのですが、えーと、何の話だっけ、と本題を忘れそうになりました。たぶん混乱したのは、某有名テレビCMのおっさんのアップが何度も出て来たことで、あまりのインパクトの強さにビジュアルイメージの方が先行してしまい、言語情報の方が吹っ飛んでしまったのだと思います。よくテレビCM自体はよく覚えているのに何のCMか思い出せないことがあるという、あれと同じだと思います。マルチモーダル・インタフェースの記事で「人同士のコミュニケーションにおけるノンバーバルな要素が占める割合は90%以上」と書きましたが、バランスがとても重要だということですね。いや、でもおっさんの顔を除けば、かなり秀逸なプレゼンだったと思います。第一、あのプレゼンを見た人は絶対太田さんのことは忘れないと思います。

このように、視覚効果について深く考えさせられる今回の祭りでした。この他、韓国のLG電子ではアジャイルが浸透していてSONYはまだまだ(Agile 2008でのSONY社員とLG社員の情報から)という話は「やはりそうか」という感じでした。最近韓国勢がんばってるんですよね。ヨーロッパなんかでは日本メーカーはまったく韓国メーカーには歯が立たない状況らしいです。色んなところで少しずつ韓国が先行しつつあるのでしょう。日本メーカーもがんばらねば。

他にも初めて聞いたツールや概念など多数あったので、少しずつ調べて、また面白いのがあれば紹介したいと思います。




XP祭り関西2009に行って来ました

2009年01月24日 | ◆仕事
今日はXP祭り関西2009に行って来ました。伊丹市のラスタホールというところまではるばる行って、塚口の「居酒屋万」で懇親会。さっき帰って来て一杯やり直してるところです。

(注)XPというのはExtreme Programmingのことでソフトウェア開発手法の一つです。特に要件が途中で何度も変わるような不安定なプロジェクトにおいて有効と言われ、注目されています。今日は祭りということで、この分野で活躍されている方々の講演やワークショップが行われたのでした。

平鍋健児さんの基調講演では昨年8月にカナダのトロントで開かれたAgile 2008について、日本勢の活躍ぶりを中心に報告がありました。日本は欧米人にとって今でも東洋の離れ小島で、遠い存在らしい。しかし科学技術やトヨタのカンバン方式などのマネージメント手法に関しては注目度が高く、それらをソフトウェアにおけるAgile開発にどう活かしていくかというネタはかなりウケるんだそうです。平鍋さんの次に登場した永和システムマネジメント木下さんも同じくAgile2008のついて話されてました。

午後は講演と同時開催のワークショップが2つあり、そのうちのひとつの「ファシリテーション入門」に参加して来ました。ファシリテーションはPFPのワークショップなどには何度か参加してるのですが、今回もいつくかネタを仕入れたのでまた職場で活用したいと思います。

今日はひろきちの高校時代の同級生も一緒に行くはずだったのですが、急遽出張でフィリピンまで行くことになってしまい不参加。「またレポートするわ」とは言ったものの、こういうのはやっぱり参加してナンボですわ。言葉では説明できかねます。

また後日メモを見ながらちょいちょいアップしますが、とりあえず今日はこの辺で。

2009/1/25
 祭りの記事追加しました


オバマ大統領就任

2009年01月21日 | ◆日記とか
オバマ大統領が就任しました。で、さっそくその就任演説をチェック。

Transcriptはこちら。日本語訳はこちら



今回はアメリカの現状をふまえた厳し目の内容で、これまでのスピーチのような楽観的な(と言うと軽い感じがしますが、希望に重点を置いているという意味で超前向きな)内容ではありませんでした。むしろ問題を先送りし続けて来たことへの反省、すぐにでも取りかからなければならない課題、そして今後アメリカが果たすべき責任などあまり楽しくない内容について語られ、これらを片付けるための決意を促すような内容になっています。売り込みモードから実務モードに入りましたよ、ということでしょう。

このあたりのシビアな話をしている時は歓声も上がりませんでしたが、それでも大統領の演説を聞くうちに"Yes we can"と思うような、そんなスピーチだったと思います。おそらく大統領は今のアメリカに必要なのは「自信」と「希望」だと認識しているのでしょう。話す内容は変わっても、国民に自信と希望を与えようという姿勢はこれまでもそして今回も変わりないと感じました。「アメリカはいまだ若い国だが」と言いつつ、その伝統と実績、そして国家としての信念を強調することで十分成熟した国家を感じさせるところはなかなか上手い。厳しいことを言いながらも、ちゃんと国民に自信と希望を与えているのですな。

日本も長らく自信と希望を失っておりますのでそろそろ何とかしないと本当に落ちぶれてしまいますぞ。

ちなみに上のYouTubeの動画では途中でモンキー前大統領やクリントン夫妻の姿がちらっと見えますが、彼らの退屈そうな顔もまた別の意味でおもしろいです。

先日、中国がドイツを抜いてGDP世界3位になったというニュースがありました。日本も、そしてきっとアメリカも近い将来抜かれることになるでしょう。そのとき、世界のリーダーもアメリカから中国に変わるのでしょうか?この演説を聞いているとアメリカはそうはならないように思います。日本はかなり危ういですが。

とにかく、オバマ大統領のアメリカがこれからどうなっていくか非常に楽しみなのでした。


ちなみに前にも紹介しましたが、↓はおすすめですのでぜひ。

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝
バラク・オバマ
ダイヤモンド社

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サンフランシスコの夜

2009年01月18日 |  ◆アメリカ
ホテルに戻った後、ベッドに横になりながら二人はあることについて相談していました。

「やっぱ気になるよな」
「うーん、でも$20やろ、安すぎる気がしてちょっと心配やな」
「でも危ないところじゃなかったら行ってみてもよくないか?」
「そうやな、なかなか経験できることじゃないしな」

実はホテルの目の前にある小さなストリップのこと。入場料が$20でビールが$7。知らない土地でこういった娯楽の店に入るのはいささか危険な気がするのですが(昼間もぼったくられそうになったし)、とはいえいい年の男二人がこのままおとなしくミルクを飲んで寝るわけにもいかない。

念のためホテルのフロントの人に「あそこ大丈夫か?」と聞いてみた。フロントの人はこっちも見ずに「大丈夫だ」(愛想ないやつだな)。H田は「うん、大丈夫そうだな」とすっかり行く気満々。ひろきちは「本当に大丈夫かな」と少し警戒したのですが、余分な現金は持たずにクレジットカードも置いて行けば大丈夫だろう、と二人で乗り込むことにしました。

店の中は結構広くて、だいたい想像してた通りでした。ところどころにピンクやブルーやグリーンの派手な照明があり、全体的に薄暗くいかにもという感じ。ステージの中央にはポールが立っていて、客席は丸テーブルが10席ほどありました。まだ7時過ぎでしたがすでに客がたくさん入っていて、みんな楽しそうに連れと酒を飲んでました。ちょうど一つのショーが終わった後なのか、ステージには誰もいませんでした。席に案内され、ビールを注文。運ばれて来たビールをお互いのグラスに注ぎ合って、「じゃ、カンパーイ」と一口飲みました。

二人は完全に落ち着きを失っていました。キョロキョロしたり、「このビールで$7は高くないか?」などとどうでもいいことを言いながら、早く始まらないかな、とそわそわしていました。ようやくステージの照明が明るくなり、テンポのいい音楽が流れ始めました。椅子に座り直してステージの方を見ると、ステージの脇から下着1枚だけのトップレスの小柄な白人のダンサーが現れました。この瞬間、それまで持っていたストリップのイメージが完全に間違いだったということが分かりました。ストリップといえば、加藤茶の「ちょっとだけよ~」が定番だし、大学の先輩から聞いた日本の温泉街のストリップ劇場の話はまさに加藤茶の世界そのものだったのですが、今ここで見ているのはまったく別物。プロのクオリティのダンスにダンサーの美しいヌードが加わった、それはそれは立派なショーでした。代わる代わる現れるダンサーはみんな美人でスタイルがよく、そしてダンスがうまい。二人ともステージに釘付けになっていましたが、たまに顔を見合わせては「すごいなー」と言い合いました。

ショーが終わり、二人は完全に圧倒されていました。「凄かったなー」とショーの余韻に浸っている時、ダンサー達が今度はガウンかなにかを羽織って客席にやって来ました。彼女たちは各テーブルに行ってなにか言っているようでした。

「あれ何言ってるんやろ?」
「さあ・・・」

そうこうしているうちに、自分たちのテーブルにも一人のダンサーがやって来て、H田に何か言いました。

「何て?」
「いや・・・$20でプライベートダンスを見るかって・・・」
「え?プライベートダンス?」
「うん、なんかあっちに個室があるらしい」
「・・・」

どうするんだろうと思っていると、H田は「No thank you.」と言ってプライベートダンスを断ってしまいました。その後ひろきちにも聞きに来たのですが、同じく「No thank you.」と断ると、ダンサーはおもいっきり不満そうな顔をして去ってしまいました。

「なんやねんH田、行けばよかったのに」

とからかうと、

「いやあ、さすがにちょっと怖かったわ」

と言うので二人で笑いました。

「しかしあんなに露骨に嫌な顔せんでもなあ・・・」

と言いつつ、プライベートダンスを断ったのがちょっと気まずくなって、早々に店を出てホテルに戻りました。シャワーを浴び、これからのアメリカでの予定などについていろいろと話しをしていると喉が乾いたので、深夜まで開いている近くのドラッグストアまで飲み物を買いに出かけました。当時日本ではドラッグストアなるものはなかったので、薬局とスーパーがくっついているのには妙に違和感を感じたのを覚えています。

プラスチックバッグをぶら下げてホテルの近くまで帰って来たとき、背の低い痩せた黒人の男が後をつけてくるのに気付きました。その黒人はひろきちたちが気付いたのを見て、何か話しかけて来ました。

「おい、急げ」
「おう、もうすぐホテルや、さっさと中へ入ろう」

早足でホテルに入って振り返ると、さっきの黒人がガラス越しにこっちに手を合わせて何か必死に話しかけていました。彼は肩からぶら下げたカバンから新聞を取り出して、そしてまた手を合わせました。新聞を買ってくれと言ってるのか。手を合わせて何度も何度もお願いするような仕草をするのを見てかわいそうにはなりましたが、やっぱり怖かったので結局買わずに部屋に戻りました。それまで必死になって物を買ってくれなんて言われたこと無かったのでちょっとして衝撃でした。彼にとってはあれが生活のための唯一の手段で、飯を食うために必死になって新聞を売っているんだろうな。もしかしたら家族もいるかもしれない。そう考えるとなんか切なくなって、それからしばらくは彼が手を合わせる仕草が頭に残りました。

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アメリカ上陸

2009年01月17日 |  ◆アメリカ
飛行機は予定通り11:30にサンフランシスコ空港に到着しました。一足先にアメリカ入りしているH田に会って1泊してからフロリダへ飛ぶことにしていたのですが、空港まで迎えに来てくれているはずのH田の姿ありません。渋滞にでも巻き込まれたか?いや、あいつのことだから忘れてるんじゃ・・・。うーむ、ありえる。奴ならありえる。H田のホームステイ先の住所と電話番号は事前に聞いていたので、もう少し待って来なかったら連絡することにしよう。

ベンチに座ってボーっと辺りを眺めていると、当たり前だけど外国人ばっかり。というかここではおれが外国人か。周りの人が話している言葉も空港内のアナウンスも全部英語。とうとうアメリカにやって来たんだなあ、と一人で浸っていました。

10分ほどたったころ、H田がのこのこと現れました。

「おい、H田!」
「え?おおー、早かったな」
「早かったなって、時間通りや」
「いやあ、飛行機って普通遅れるやん?へへへ」
「おまえなあ・・・」
「まあまあ、メシ食いに行こうや」

相変わらずノリがラテンだ・・・。よくこれで100人も部員のいるESSの部長をやれたもんだよ。副部長のひろきちが苦労してまとめたからだぞ。

空港からシャトルバスに乗ってH田が予約してくれていた安宿へ向かい、そこに荷物を置いてから観光がてら昼飯を食いに出かけました。

昼飯はピザスタンドでピザを立ち食い。ビールを頼むとビンのまま出てきたのですが、栓抜きがどこにも見当たらない。店員に栓抜きを借りようとカウンターへ向かったとき、近くにいた男がおもむろに栓を手でひねって「プシュッ」と開けるのを見ました。アメリカのビンビールは栓を手で開けるのか!思い返せばこれが最初のカルチャーショックだったかもしれません。

ピザを食べた後はフィッシャーマンズワーフへ行きました。ここが一体何の施設かよく分からなかったのですが、やたらと家族連れが多かったです。太ったひげの中年の男の人がくしゃみをすると、彼に抱かれた小さな女の子が何か合いの手を入れました。

「あの子、何て言うたんや?」
「あーあれな、ぶれっしゅ、って言うたんや」
「なんやそれ?」
「God bless you.のブレッシューや。小さい子供は結構言うで。おれもホストファミリーのチビに言われたことある。」
「へえ」
「そんでな、ぶれっしゅー、言われたらサンキューって言うねん。」
「へええ」

変わった習慣やなあ、とその親子を見ながら思いました。

その辺をあても無くブラブラしていると、背の高い店員が寄ってきてサングラスを勧めてきました。アメリカに来たらひとつ買おうと思っていたので店に入って見てみると、ちょうど気に入ったのがありました。しかし少し高いので、これを20ドルディスカウントしてくれたら買う、と言ってみた。店員は20ドルは無理だと言いましたが、それなら買わないと店を出ようとするとしぶしぶ了承しました。

クレジットカードで払い、サインをしようとしたとき請求額が値引かれていないのに気づきました。店員を睨みつけて、おいディスカウントになってないぞ、もういい、キャンセルしろ、と言いうと店員はあわててインスタントカメラを持ってきて、これをつけるから勘弁してくれと言ってきました。20ドル以上するから、結局はあんたの得だ、と言うのです。このやろう、やりやがったなと頭に来ましたが、ここで品物を返して結局請求が来るようなことになるともっと面倒なので仕方なく取引に応じることにしました。

店員は「アリガトー」と日本語で礼を言いましたが、無視して店を出ました。ちくしょう、アメリカってのはなんて国だ。初日から痛い経験をしたわけですが、アメリカでは日本にいると信じられないようないい加減なサービスや今回のような詐欺まがいな行為にあったりします。この時はたいした損害ではなかったのですが、この事件で「この国のやつらは信用できん!」と思うようになりました。


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「雅楽型」のプロジェクト

2009年01月15日 | ◆仕事
「PMのためのヒューマンスキル」研修のレポートが滞っているのですが、テキストを友達に貸してしまったのでもうしばらく更新できません。代わりと言っては何ですが、その時の講師がPM学会のカンファレンスで発表すると言っていた論文からちょっとネタを拝借して書いてみます。

論文のタイトルは"Gagaku (Japanese traditional court music) type Project team building vs Orchestra type Project team building"。日本の雅楽とオーケストラを比較しながら「雅楽型」プロジェクトの有効性について考察していくというものです。

雅楽ではオーケストラにおける指揮者のようなリーダーがいなくてもそれぞれの奏者はちゃんと他の奏者と調和しながら演奏することができます。ここからヒントを得て、一人のマネージャが強力にメンバーを引っ張って行く「オーケストラ型」ではなく、一人一人りが全体における自分の役割を常に理解しながら進める「雅楽型」のプロジェクトチームというのが、今後のプロジェクト管理手法として有効なのではないか、という提案をしているわけです。「雅楽型」ではそれぞれの役割の隙間に生じる「グレーゾーン」を適切な人が埋めるという協力体制を築くことが可能になるので、問題を現場レベルで解決することができる。そしてリーダーは「指揮者」ではなく、あくまでチームの一員として役割を果たす、とこういう訳です。

この論文の中にひとつ面白いトリビアがありました。それは「打ち合わせ」という言葉についてなのですが、もともと雅楽の言葉でリズム合わせのことだったそうです。インターネットで調べてみると、雅楽では管楽器、弦楽器、打楽器などの楽器が使われるのですが、それらのリズムを合わせるために「打ち合わせ」を行っていたということでした。これが転じて「物事が上手く合うようにする」という意味になり、さらに転じて現在使われているような意味になったということです。へえ~。どうやら現在の日本の組織はそもそも「雅楽型」がそのベースになっているようですね。

ソフトウェア業界ではすでに一人のリーダーが開発全体を引っ張っていくスタイルは破綻をきたしているので、「雅楽型」を新しいプロジェクトマネジメント手法として導入していくのは意義ある取り組みかもしれません。でも外国人にも同じことが出来るかと言うとかなり疑問ですね。「雅楽型」で重要になるのはあくまでも「全体の中の個人」であり、いってみれば「頑丈な歯車」です。個人の能力はあくまでも組織のために発揮されるべきで、各メンバーの調和が大事なのです。日本人は幼稚園児の頃からこういった組織内でどう振舞うべきかを叩き込まれているので、組織の一構成員として振舞うのは割りと得意です。でも個人が尊重され、「規律」や「協調性」、「調和」といったことを徹底的に叩き込まれていない外国人はどうでしょうねえ。ふだん外国人と一緒に仕事をしていて、やつらに出来るとはちょっと思えませんねえ。

逆に日本の組織では個人を殺し過ぎることで弊害も発生していると思います。付き合い残業とか、もたれあいとかもそうですが、これからの「雅楽型」においてはそういった非合理な習慣を改善していくことも重要だと思います。