ひろきち劇場NEO

ソフトウェア開発から写真、旅行、ダイビングまで寄せ鍋風にお届けするブログ。ええダシが出てる・・・かな

カウタウン・コロシアム

2009年08月15日 |  ◆アメリカ
フォートワースの記事に質問があったので、コロシアムについて書いておきます。

ロデオが見れるのはフォートワースという町のカウタウン・コロシアムというところです。世界最初の室内ロデオ競技場なのだそうです。

詳しくはホームページを見て下さい。

カウボーイの町?フォートワース

2009年06月22日 |  ◆アメリカ
ダラスから1時間ほど西へ行ったところにフォートワースという町があり、そこでロデオが見れると旅行ガイドに書いてあった。安易な発想かもしれないが、テキサス=カウボーイというイメージがあったのでその本場でショーが見れるならこれはぜひとも見ておきたい、と思い行ってみることにした。

愛車「松風」を飛ばすこと1時間。とりあえずダウンタウンのステーキハウスでステーキを食べる。これまた安易なテキサス=牛(肉)という発想からだ。メニューを見ても何がよいのか見当がつかないが、とりあえずおすすめっぽいものを頼んでみる。ほどなく「これぞテキサス!」という分厚いステーキが出て来た。

テンションが上がる。

ナイフを入れると、軟らかい・・・というかグニョグニョしている。肉の繊維がばらけそうになるのを何とか一口大にカットすることに成功。はむ!っとかぶりつく。

・・・柔らか・・・過ぎる・・・

何なのだ、この密度の薄い肉は?ぐっと噛んだらジュワッと肉汁が出るんじゃないのか?まるで出汁をとった後みたいじゃないか。

ヒデキさん方はどうなのか?

「なんかすごい軟らかいんやけど、そっちはどう?」
「ん~なんか、ブニョブニョしてますねえ」
「やっぱ、そうか」

ステーキと言えばアメリカ、そしてその本場こそテキサスと(勝手に)思っていた分この結果には大きなショックを受けた。しかもカップ麺やレトルトカレーで済ませていいところを、わざわざ、本場のステーキを食べにきたのにだ!

オージービーフの方がずっと美味いと思った。

いや、何か間違えてバイソンの肉とかを頼んじゃったのかもしれない。テキサスにももっと美味いステーキハウスがあるはずだ。なので、これからテキサスでステーキを食おうって人はめげずにがんばって下さい!

さて。

ダウンタウンからさらに10分ほど行くと目的のロデオが見れる場所に着いたのだが、これがえらいお祭り騒ぎである。バンドが大音量で演奏してるし、人の数も半端じゃない。祭りでもあるかの盛り上がり方だ。

衝撃的だったのは、みんなカウボーイハットをかぶっているということだ。日本の夏祭りでみんな浴衣を着るようなものなのだろうか。



そしてさらに驚いたことに、警官までカウボーイハットをかぶっている。かっこいいのだが、何かちょっとふざけてる気もする。



祭りの風景を撮影している、ビール売り場のおねえさんが手を振ってくれた。



アメリカ人って本当に陽気でカメラ好きだ。当時シャープのビューカムは日本ではすでに発売されて数年が経っていたが、アメリカでは大きなカラー液晶がついてるタイプは珍しいらしく、

「おい見ろよ!カラーの画面がついてるぞ!」

とすれ違った何人にも言われた。そう言えばニューオーリンズで会ったマイコーも驚いていたな。


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ケネディ暗殺現場 The Sixth Floor

2009年06月21日 |  ◆アメリカ
ヒデキさんがThe Sixth Floorへ行きたいというので行ってみる。ここはケネディ元大統領の暗殺現場で有名な場所だ。



このビルの6階からオズワルトというやつがケネディを狙撃した、と言われているがそれも多くの矛盾が指摘されているそうだ。オズワルトも「あそこで待機しているよう言われていただけだ」などと言っている間に暗殺されてしまい、事件は迷宮入りとなってしまった。という話をヒデキさんが教えてくれた。



この通りがまさにその現場。「予定していた経路と違う道を走ったために暗殺されてしまったんです」とヒデキさん。それって運転手がグルなんじゃないの?


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リムジンに乗る

2009年06月20日 |  ◆アメリカ
ダラスに着いた時はもう夜中だったのでさっさと寝た。次の日はダラス観光。さあ、どうやって行こうか。あても無くホテルの外に出ると、そこに真っ白なリムジンが停まっていた。



珍しそうに見ていると運転手らしき男が近づいて来て、

「街まで6ドルで行くよ」

と言う。6ドル。タクシーに比べるとずいぶん高い。しかし目の前のリムジンに惹き付けられていた。ヒデキさんの意見を聞いてみる。

「6ドルやて、どうする?」
「6ドルかー、でもなかなか乗れないすもんね」
「せやろ、リムジンやで、やっぱここはいっとかなあかんのちゃうか?」
「じゃー、いっときますかー?」
「いっときますかー!」

ということで乗ることにした。

車内はまるで応接室である。

「これ何?」
「灰皿すかね?」
「いや、もしかしてフルーツの種入れとかとちゃうか?」
「あーやっぱリムジンですからねー、そんなのありますよねー」

完全に浮かれる二人。始めは最後部に二人並んで座っていたのだが、この広い車内に何もわざわざ窮屈に座らなくてもいいと気がつき、ひろきちは前へ移動し運転席に背を向けてヒデキさんと向かい合うようにして座った。

すると運ちゃんが「見てみ」、と言って「ウィーン」と運転席の後ろの窓を閉め始め、そして完全に個室になった。

町までのほんの15分ほどの出来事だったが、アメリカ横断旅行の中でも5本の指に入る思い出の出来事になった。


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ハッシュって何だ!?

2009年06月20日 |  ◆アメリカ
ニューオーリンズについた夜のこと。バーボンストリートを徘徊してホテルに戻るとエントランスの前にチョイ小汚いやつらがたむろしていた。アメリカでは小汚い奴は大きな顔をしてそこらじゅうにいる。気にせず無視してホテルに入ろうとすると、一人の黒人が「ライターある?」と話しかけて来た。

アメリカでは「Got a light?」はよくあることだ。タバコ一本ちょうだい、ってのもよくあるし、先日の「マイコー」の記事でも書いたとおりストレートに「金くれ」ってのもある。

まあ火くらい、あとで何かねだられたらNoって言えばいいし、と思いタバコに火をつけてやると、「ふー」と一息ついてから

「ハッシュいらないかい?」

と話しかけて来た。ハッシュというのが何か分からなかったので「ハッシュって何だよ」と聞くとちょっと考えてから「タバコみたいなもんだ」と言った。

(あやしいやつだな)「いや、いらない」

フロントへ鍵を取りに行き、ついでにフロントの男に聞いてみた。

「いま表の黒人にいらないかって聞かれたんだけどさ、ハッシュって何?」

「ああ、ドラッグだよ」

・・・

日常的にホテルの前でドラッグ売ってんのか?普通はもうちょっと暗い脇道とか、人気の少なそうなところでこそっとやるもんなんじゃないのか?

そんでフロントのオヤジも「ああ、ドラッグだよ」って、玄関前にたむろする犯罪者に退去命令とか出さないのか?警察が来てしょっぴいたりしないのか?そもそもあんたのリアクションおかしくないか?

ちなみに、ちゃんとしたガイドブックに載っているホテルです。高級ではないですが、ちゃんとしたホテルです。ここではこれが普通なんだろうな、と「普通」ということの不確かさを噛みしめたニューオーリンズでした。

---

ニューオーリンズで2泊した後、ヒューストン経由でダラスへ向かった。ヒューストンのハードロックカフェでのんびり昼飯食ってたらダラスに着いたときにはすっかり夜になってしまっていた。フロリダなんかと違って、夜のイルミネーションがきれいだなあ、とちょっと感動してみたりして。




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巨匠の記念公園・・・

2009年06月19日 |  ◆アメリカ
地球の歩き方を見ると、ルイ・アームストロング公園があると書いてあった。ジャズでとっても有名なあのルイ・アームストロングを記念する公園だ。街角のサックス奏者が演奏していた「What a Wonderful World」のあの人である。これは行かねばなるまい。と、地図を頼りに行ってみる。迷いながらも市中心から歩いて15分ほどで着いたのだが・・・



・・・

すっごく汚い。まったく手入れされている気配がない。見物人もわれわれだけ。



これを見ても分かるとおり、記念碑の前にも草が茂っていてかき分けないと読めない。

町の英雄をもっと大切にしたらどうなんだろうか。


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フレンチクオーター

2009年06月19日 |  ◆アメリカ
しつこいマイコーを振り切り、気を取り直して観光を続けるヒデキ&ひろきち。

ニュー・オーリンズに行けばフレンチ・クオーターを訪れてみよう。このあたりはアメリカ合衆国になる前はフランスの植民地だったためフレンチク・オーターと呼ばれている。そしてその中心にあるのがジャクソンスクエアという公園だ。



上の写真は公園の真ん中にあるジャクソンさんの銅像。ジャクソンが誰なのか分からないが、銅像の向こう側には教会があって、自由に中に入れる。



↑教会の外と↓内



中に入ると特にお祈りしている人もおらず、周りにはひろきちたちみたいに「見物」に来ているような人たちばかりが物珍しそうに写真やビデオの撮影にいそしんでいる。少し不謹慎な気がしたが、赤信号みんなで渡れば怖くないの精神でひろきちもビデオを回す。



教会を出てバーボン・ストリートの方へ少し歩くと、さすがジャズ発祥の地、街角にサックス奏者が。この黒人男性が演奏するのは「What a wonderful world」 by ルイ・アームストロング だった。本場で聞くと格別である。



前の日の夜はビデオカメラを持ってうろつくのが恐くて撮影していなかったのだが、やっぱり撮っておけばよかったと少し後悔。昼間のバーボンストリートは薄汚い感じだが、夜は雰囲気あっていい感じなのである。ああ失敗した。



おまけ。↑はフレンチ・クオーターの近くにあるハードロックカフェ。このあたりは「フレンチ・クオーター」とは言っても、フランスの後に統治していたスペインの建物も多く残っているので、その町並みに合わせてちょっとスペイン風にしてあるんだろう。

ただ部分的に真似ているので全体的におかしいことになっている。たとえば、窓の形はコルドバのメスキータにあるような馬蹄型だし、柱はグラナダのアルハンブラ宮殿にあるような細長い円柱だけど、全体的に見るとどう見ても「アメリカ」である。アメリカ映画に出てくる日本の屋敷が変なのによく似た現象だ。


(コルドバのメスキータ)


(グラナダのアルハンブラ宮殿、ライオンの間)

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New Orleans と マイコー

2009年06月17日 |  ◆アメリカ
New Orleansの宿に落ち着き、とりあえず軽く食事して夜はバーボンストリートを徘徊することにした。ホテルのフロントで道順を聞くと「この道以外は通るな」と念を押される。うっかり脇道に入ってしまうと危険な目に遭うというのはアメリカではどこも同じだが、ここニューオーリンズはまさにそういう怪しげな雰囲気が漂っていた。

さすがはジャズ発祥の街だけあって、バーボンストリート沿いにある店の中からはジャズの生演奏の音が外まで流れて来る。ビール片手に通りを行ったりきたりするだけで本場のジャズをタダ聞きできるというのは貧乏旅行にはありがたい。そういう客も少なくないのか、生ビールを売るスタンドがいくつかある。

ちょっと悪い気もするがビール一杯でたっぷりと楽しませてもらい、この日は長旅の疲れもあったので早々に宿の戻って寝ることにした。

---

次の日、ヒデキさんと街を散策する。ミシシッピ川沿いをぶらぶら歩いていると変なオブジェを見つけた。



これは何だ?と二人で見ていたらひとりの男が近づいてきた。名前はMichaelというらしい。



Michael曰く、これはサメのひれなんだそうで、ここにコインを投げ入れながら願い事を言うと願いが叶うのだそうだ。

へえ、そうなんだ。じゃ、おれたち行くわー。

と立ち去ろうとすると、「ちょっと待って!」と引き止めるMichael。

「今週末大きなお祭りがあるんだよー。楽しいよー。行かなきゃ損だよー。」

いや、おれたちこれからロスまで行かなきゃなんないんだよ。だから明日の朝にはここを出るの。残念だけど、今回はいけないの。じゃ、いろいろありがとうね。

と去ろうとすると、「ちょっと待って!」とまたもや引き止められる。少々いらつく。

「1ドル貸してもらえないかな・・・、必ず返すから、そうだ、郵送するから住所教えて!」

あーそうでしたか、そういう目的でしたか・・・。
NO、それはできません!サヨウナラ!

とその場を立ち去ったのでした。

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アメリカにいると物や金を要求されることはよくある。例えばタバコ。例えば小銭。
タバコ一本くらいついあげてしまいそうになるが、そこは冷たく拒否するのが賢明だろう。

しかし一度こんなことがあった。休憩のために高速のパーキングに入って行ったところ、若い男がこっちをじーっと見ている。そしてボンネットをじーっと見つめ、こっちに近づいて来た。車を降りると、そのあんちゃんは言った。

「オイル、切れてるんじゃないか?」

エンジンオイルは定期的に交換しているし、交換のタイミングが無い時は少なくとも新しいオイルを足すようにしていた。とにかくマメにチェックはしていたつもりだった。

「いや、少し前にもチェックしたし、まだ大丈夫だと思うけど」

その男が念のために確認した方がいい、というのでボンネットを開けてオイルの残量と汚れ具合を確認してみた。すると確かに汚れがひどく、量もかなり減っていた。あれホントだ、と思った時にはその若いあんちゃんは他の車のところへ行って何か交渉し始めていた。

話がついたのか、こっちに戻って来て、

「あの人、オイル余分に持ってるから1缶分けてやってもいいと言ってる」

ここはとりあえずオイルを足しておいた方がいいと思ったので1缶買い取って足すことにした。若者はその作業も手伝ってくれた。

「いやあ助かったよ。でもなんで分かったんだ?」

と聞くと、

「ん~なんか変な音がしたんでね」

という答えだった。「じゃ、ありがとう」と行こうとした時、

「実は、ガソリンが切れてしまって家に帰るまで持ちそうにないんだ。ここから一番近くのスタンドまでは何とか持ちそうなんだけど、・・・ちょっとガソリン代を助けてもらえないかな?」

なるほど。これまでの親切はこういう目的があったのか。長いマエフリだなあとは思ったが、実際助かったし彼もちゃんと仕事をした。彼はひろきちに"駄賃をやるための理由"を提供したのだ。

「いくらいる?」と聞くと、「いくらでもいい」というので、たしか5ドルくらいを彼に渡した。

小銭とはいえ、タダでくれてやるわけにはいかない"5ドル"にちゃんと理由をつけたところがこのわかいあんちゃんのナイスなところだ。どうしても金が必要になったとき、Michaelのようにではなく、この若いあんちゃんのようなやり方でやろうと思う。


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アラバマ、ミシシッピ、そしてルイジアナへ

2009年06月16日 |  ◆アメリカ
フロリダを抜けるまでは遠かったが、アラバマに入ってからミシシッピに入るまでは結構すぐだった。ミシシッピとの州境にあるレストエリアでヒデキさんとビデオを撮り合いしていると、通りすがりのアメリカ人のおばちゃんが寄って来て「撮ってあげる」と。

どこの誰かもわからないオバハンにビデオを預けるのはどうかとも思ったが、まあ逃げやがってもオバハンにダッシュで負けまい。というわけで撮ってもらうことにした。



オバハン「はーい、カメラ回ってるわよー」

(カメラの前でレポートを始める二人)

ひろきち「いやあ、ミシシッピ着いたねー」
ヒデキさん「ええー、着きましたねーーー」
オバハン「はーい、撮影終ったわよーー」

早っ!!!

まだ何にもレポートできてないって・・・
あんた、いったい何なんだ。もしかしてビデオカメラを触りたかっただけなのか?

そんなフェイント攻撃を受けつつも気を取り直して再出発。ニューオーリンズのあるルイジアナへ向けInterstate 10を西へ向かうぞニンニキニキニキニン(ドリフ西遊記より)。



日が傾いてきた頃にルイジアナに突入。



そして、日が暮れる前にゴール。ぜんぜん余裕であった。



そして予約してあるホテルへと向かったのだった。


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アラバマ!

2009年06月15日 |  ◆アメリカ
ヒデキさんと相談した結果、初日は何とかがんばってNewOrleansまで行こうということになった。St. PetersburgからNew Orleansまでは600km以上あるので、90km/hで行ったとしても7時間ほどかかる。東京~大阪間が約400kmなので、東京から西に行けば岡山を超える勢いだし、大阪から東へ行けば福島に着いてもまだ先にいける。かなりの距離があるが、なんとか行ってみようと。

まずは出だしが肝心!と勢い勇んで出発したものの、すぐに腹が痛くなってトイレ休憩に入るひろきち。「いきなりっすかー」と爆笑のヒデキさん。まあこんな感じで始まった旅でありました。

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アメリカには無謀なやつがいるもので、こんなふうに高速道路でヒッチハイクする兄さんをよく見かける。



運よくひろってもらえたら↓のようにらくらく目的地まで行けるのだが、



もしひろってもらえなかったらいつまで待つのか。夏のアメリカ南部地域はスコールが発生することをお忘れなく。頼んでもないのに無料シャーワーのプレゼントとなります。



このスコールというのは本当に冗談かってくらいに急に降り出す。車を走らせていて、目の前がなんか暗いなと思ったらある線を境にどしゃ降りエリアに突入ということだってある。トンネルを抜けたら大雨というのはよく経験するが、トンネルも無いのに急にどしゃ降りになるのだ。

ヒッチハイカーからすれば、雨が怖くて旅が出来るかという感じなのだろうか。タフでないと無理だなと思う。

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出だし若干しくじったがその後は割とスムーズに進み、とりあえずはアラバマ州へ突入。



この時点ですでに500km近くは走ってるはずである。アメリカの高速道路だからこそ可能な、非常にスムーズな旅であった。アラバマに入った瞬間流れていたのは、LynyrdSkynyrdの「Sweet Home Alabama」。なんといういいタイミング。

◆◆◆◆◆◆

今日もダジャレシリーズいってみようか。

トマトの親子

Papa tomato, Mama tomato, and baby tomato, walking down the street.
(パパトマトとママトマトとベイビートマトが歩いていました)
Baby tomato starts lagging behind.
(ベイビートマトがノロノロと遅れはじめました)
Papa tomato goes back, squishes him, and says...

"Catch up !!"

ん~これはかなりむずかしい!!相当なオヤジギャクですから。これ、映画「パルプ・フィクション」でユマ・サーマンがジョン・トラボルタに話すギャグです。トラボルタはこれを聞いて「ふっ」と鼻で笑います。Squishは「ぐちゃぐちゃにする」という意味。分かりますか?


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アメリカ大陸横断&縦断の旅シリーズ

2009年06月14日 |  ◆アメリカ


さて、今日から「アメリカ大陸横断&縦断の旅シリーズ」の更新に入ります。上の地図の赤い線が我々の足跡です。

ワシントン州アーバーンのグリーンリバーコミュニティカレッジへ通うことになり、1996年8月某日愛車「松風」とともにはるかフロリダからアメリカ大陸の対角の町へと移動を開始しました。この旅には九州男児ヒデキさんが同行。旅に先立って決めていたことは、

・安全かつなるべく質素な旅にする。
・ヒデキさんの旅はロスまで。飛行機でフロリダへ戻る。
・それ以外はその場の雰囲気。

という感じで最初の2泊の宿(@ニューオーリンズ)だけ予約して、あとはレトルト食品などを買い込んで出発したのでした。

つづく

◆◆◆◆◆◆
今日は小咄をひとつ挟んでみます。アメリカにもダジャレを用いた小咄があって、それをご紹介してみたいと思います。

ぶどうの親子パパグレープとママグレープとベイビーグレープが3人でお散歩していました。そこへ突然車が飛び出し、ベイビーグレープをふみつぶして行ってしまいました。それを見たパパグレープはこう言いました。Oh, he gave out a little whine.

whineとは「ウェーン」のような泣き声のこと。・・・分かりますか?

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2009年06月10日 |  ◆アメリカ
留学体験記(1996~1997)へのリンクです。

留学体験記への加筆修正について

■留学前
 1.親父と交渉 
 2.留学の準備
 3.学校決定、そして出発
■フロリダ時代
 4.アメリカ上陸
 5.サンフランシスコの夜
 6.フロリダ上陸
 7.初登校(ELS - St. Petersburg)
 8.ホームステイの実情(ひろきちの場合)
 9.その後の学校生活(ELS)
 10.(ひろきちなりの)宗教観国際比較
   ---補足-宗教観国際比較
 11.ひろきちはいつも走る?
 12.卒業そしてカレッジ選び
 13.愛想の無いマクドナルド
 14.H田がフロリダにやって来た
 15.フロリダのアパート事情
   ---補足-Unfurnished apartment(H田くんの場合)
 16.Drive Thru ATM
 17.Where is "FUTON"?
 18.ジャリ銭がたまるのよね
 19.フロリダの中古車事情
 20.車を修理するには?
■大陸横断/縦断の旅
 21.アメリカ大陸横断&縦断の旅シリーズ
 22.アラバマ!
 23.アラバマ、ミシシッピ、そしてルイジアナへ
 24.New Orleans と マイコー
 25.フレンチ・クオーター
 26.巨匠の記念公園・・・
 27.ハッシュって何だ!?
 28.リムジンに乗る
 29.ケネディ暗殺現場 The Sixth Floor
 30.カウボーイの町?フォートワース

車を修理するには?

2009年02月26日 |  ◆アメリカ


ひろきちの愛車「松風」。MITSUBISHIのECLIPSE('86)という車ですが、漫画「花の慶次」に出てくる馬の名前をつけて喜んでました。しかし間抜けなことに「松風」を購入した数日後の雨の日、いきなりスリップしてオカマしちゃいました。だってこの時はまだアメリカでは中古車はスベスベのタイヤだって知らなかったから。

相手の車は$300程度ですんだんですが、「松風」は前がかなりやられてしまい結構不細工な状態。いや、アメリカってみんなボロボロの車を平気で乗り回してるんでいいっちゃあいいんですけどね。でもいい値段で売って帰りたかったので。

いろんな修理工場で見積もり出してもらったのですが、どこも直すのに$2500~$3000かかるとのこと。購入価格と同じではあまりにあほらしい。なので、さらに根気よく探すと・・・ありました。かーなり怪しげな修理工場が。



ひろきちが住んでいたSt.Petersburg界隈は黒人居住地域と白人居住地域が割とはっきりと分かれています。分けられているわけじゃなく、自然とそうなっているのです。その黒人居住エリアにある、他の修理工場に比べてかなり怪しそうな雰囲気をかもし出すこの工場(BODY SHOPという)、絶対安いに違いないと確信して突入したのでした。

この店のオーナーのビリーに見積もってもらうと、なんと$1000でやるという。ビリーいわく「中古部品を探してきて修理するから安くできるのさ。最後に全体を塗装し直すからピッカピカの新品みたいになるぜ」(アメリカ映画の日本語吹き替え風)。金のないひろきちは迷わず決めました。パーツを手に入れるのにちょっと時間がかかるから、1週間後にもってきてくれとのこと。この時、ビリーが最後に言った一言を聞かなかったばっかりに、さらにひどい目に会うことになったのでした。

**********

数日後、日本に一時帰国する友人の送別会が開催されました。朝方5時ごろまで酒を飲み、そのままみんなでタンパ国際空港までお見送り。「松風」ともう一人のワゴンに分かれて出発しました。タンパ空港までハイウェイで1時間弱。軽快に飛ばしていたはずが気が付けばワゴンにかなり引き離されてしまっていました。「よーし、追いつくぞー、ちょっと飛ばすからなー」ちょうど速度メーターが70Miles/hあたりまで来たときです。

バンッ!

という音とともに目の前が真っ暗に。助手席にいたTくんは叫ぶ。

「ま、前が見えねー!!」

ボンネットが跳ね上がって、フロントガラスにへばりついたのです。しかし、時速120kmで走行中に目隠しをされたにもかかわらず、超冷静なひろきち(酒のおかげで恐怖心がなくなっていただけですが)。サイドミラーで後続車を確認しながら左端に寄せ停車。フロントガラスから天井にかけてへばりついているボンネット(英語ではHood)をひっぺ返し、ズボンのベルトで金具と固定して再出発。フロントガラスは割れ、天井はへこんでいました。

その日の午後、再びビリーのBODY SHOPへ「松風」を持っていくと、変わり果てた姿を見て、ビリーは明らかに動揺していました。

ビリー:「ホワッツ!!なんだ!?一体何があったんだ!? 」
ひろきち:「いやぁ、あの~、走ってたらHoodがね・・・  」
ビリー:「だから言ったろ!何かでくくっておけって!!」

そう、ひろきちはこの忠告をす~っかり忘れていたのです。これさえちゃんとやっとけばこんな目に会わずにすんだのに。

ひろきち:「・・・・で、いくらで直せるかな?」
ビリー:「・・・これは$2000もらわないと」

えらい出費になってしまいました。

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フロリダの中古車事情

2009年02月17日 |  ◆アメリカ
アメリカってのは(特にフロリダみたいな田舎は)車がないと恐ろしく不便なので、どうしても車が欲しくなります。なので中古車を探すことにしたのですが、これがまた$1000以下のジャンクからいろいろある訳です。日本ではありえないようなボロがふつうに売られてたりします。

アメリカで車を手に入れる方法としては、日本と同じようにディーラーや中古車販売店へ行って買うという方法のほかに、フリーペーパーに載っている個人の「売ります!」物件をあたってみるという方法もあります。スーパーやコンビニに行くとフリーペーパーが置いてあるので("FREE"と書いてある)その中から中古車のペーパーをゲットすれば、そこに売りたい車の写真とその車に関する情報、売主への連絡先などが書いてあります。車のガラスに「FOR SALE」とか「4 SALE」と書かれた紙を貼り付けて走り回っている車なんかも結構目にしますが、こういう個人同士の売買のほうが中間マージンが発生しないので格安で車が入手できるわけです。でも何の保障もないのでよーく調べて買わないと逆に大損してしまうというリスクもあります。

ひろきちは小さな中古車販売店でMITSUBISHIのECLIPSE('86式)という赤いスポーツタイプの車を$2900で購入したのですが、これを購入するまでかなり探しました。きれいに乗って帰国前に売って帰る作戦だったので、$2500~$3000で探していたのですが、このあたりのクラスは誰もが探している価格帯で、しかもモノがよかったりすると一瞬で売れてしまいます。フリーペーパーでいいのを見つけて電話をかけても「もう売れちゃったよ」の返事がほとんど。最新号が出てすぐに電話かけてるのに、ほんと一瞬で売れちゃうんですよね。でも根気強く探したおかげで、いい車にめぐり合えました。



ちなみに、上の写真はH田くんが購入したRX-7です。もう少し探そうや、と言ったんですけどね・・・。いつまでもひろきちを運転手にさせるのも悪いという想いがあったのでしょうが、もう少しがんばって探すべきでした。この車を購入した1時間後、エンジンがオーバーヒートし、しかも雨でスリップしてガードレールに激突。一瞬でお釈迦になりました。購入後1時間で廃車ですよ、どんだけボロいねん・・・。写真のRX-7がウィンクしているのはそういうことです(見た目割りときれいですが、もう動かないんです・・・)。

アメリカという国では、こういうひどいものを平気で売ります。どちらかと言うと、だまされるほうが悪い、といった感覚でしょうか。タイヤだってたいていボロボロのものがはかされています。ひろきちのECLIPSEも「スベスベ」のタイヤが履かされていましたから。そのせいで・・・。その話はまた。

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ジャリ銭がたまるのよね

2009年02月16日 |  ◆アメリカ
お店のレジでお金払うとき、たとえば支払い金額が1073円だったら1123円出して50円玉もらったりします?そこまで細かくしなくても、1103円出して、30円もらったりしませんか?アメリカでこんなことすると、まず間違いなく小銭を返されます。「何やってんの?」って感じで。アメリカにこういう習慣は無く、単にコインの見分けがつかない人だと思われるだけなので気をつけましょう。

そういうわけなので、どんどん小銭がたまっていくのです。小銭でちょうど払えるようになる頃にはジャリジャリになってしまうので、その前にうっとおしくなって小銭を全部車のポケットにためこんでしまうのです。



でもクオーターと言われる25セントコインは結構使い道があって、こいつはすぐになくなります。コインランドリーのマシンや洗剤の自販機なんかは25セント専用だったり、ビーチへの有料道路なんかも25セントオンリーだったりします。むしろ25セントをたくさん持ってないと不安なくらい。だからクオーターコインを稼ごうと同じように半端なコインを出すと・・・やっぱ拒絶されます。どうしたらいいのだ・・・?


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