ひろきち劇場NEO

ソフトウェア開発から写真、旅行、ダイビングまで寄せ鍋風にお届けするブログ。ええダシが出てる・・・かな

台湾 台北 結婚披露宴その1

2009年11月30日 | ◆台湾
小さい子供を連れていると何事も遅れがちになるもので。。。

披露宴は12時から。11時30分には受け付けを済ませてくれとの事でした。第一大飯店から会場の典華信義までは約30分と聞いていたのですが、ホテルの部屋を出たのが11時10分頃。フロントでタクシーを呼んでくれと頼むと(例のひろきちの親戚にそっくりの日本語ペラペラのおねえちゃんはいませんでした)、そのまま外に連れて行かれたので「自分で捕まえた方が早い」ということと理解して流しのタクシーを捕まえる事にしました。

幸いすぐに捕まり、行き先を書いた紙を見せて出発。予想より早く、20分ほどで到着。



典華信義はNew York New Yorkビルの7階にあります。台北101のすぐ隣です。



これが台北101。高さ509.2m、地上101階、地下5階という巨大建造物。確かブルジュ・ドバイに次ぐ世界第2位(もしかしてアジア2位だったかも)の高さだと思います(ブルジュ・ドバイはぶっちぎり過ぎてあれですが)。

開始時刻の12時までは十分時間があるのですが、なにせ前日に11時30分までに来るように念を押されていたので急ぎます。調べによりますと台湾の披露宴は時間通りに始まらないとか、いつの間にか始まっていつの間にか終わってるとかいうことが多いらしいのですが、一方で最近は日本の披露宴を参考にしているので入場やケーキカット、退場、お見送りなどのイベントなども行われてきているという情報もありました。本当に12時に始める予定なら早めに受け付けを済ませて、定刻にはちゃんと席に着いておかないと迷惑をかけてしまう事になるわけです。

エレベーターに乗り7階で降りると、目の前がすぐ受け付けでした。すでに沢山の人が来ていて、入り口付近ではご両親や新郎の弟さんが来客にあいさつをしたり席に案内したりしていました。受け付けに行き、祝儀を渡すと「ここにサインして下さい」とペンを渡されました。日本のように行儀よく縦書きで書くのではなく、大きな白い紙の好きなところに好きな方向に書くようです。ちょうど日本で色紙にサインやメッセージを書く感じです。ひろきちは自分の名前に続き、ヨメと娘の名前も一気にタテに書きました。

ちなみに台湾では祝儀は赤包(ホンバオ)という赤いポチ袋にいれて、後ろに金額と自分の名前を書いて渡すらしいのですが、日本の豪華な祝儀袋はそれはそれで喜ばれるということだったので派手なやつを用意しました。なお赤包はコンビニでも売っています。

つづく

台湾 台北 セブンイレブン

2009年11月27日 | ◆台湾
台湾名物の夜市に行きたかったのですが、小雨が降り始めたし小さい子供連れなのでコンビニに寄ってビールなどを買ってホテルに帰りました。次の日、2次会の後で時間があれば行けるかもしれないし。

部屋に帰ってすぐにヨメさんは娘と風呂に入り、ひろきちはビールを飲み、ウィスキーを飲み、そのまま寝てしまいました。

翌朝、シャワーを浴びて朝食を食べに地下へ。レストランには前夜祭で同席したみなさんがいらっしゃいました。第一大飯店の朝食はすでに書いた通りですので詳細は書きませんが、まあ無感動に栄養摂取のみという感じ。披露宴でごちそう出るかもしれないのでここは抑えめに。

朝食の後はヨメさんの着付けタイム。着付け自体は自分でやるのでひろきちは特にお手伝いする事もないのですが、娘がチョロチョロするのは着付けの妨げになるので外に連れ出す事に。昨夜ホテルに帰る前に寄ったセブンイレブンにまた行ってみる。

すでに台湾ではかなり日本語が通じるという事は書いたと思いますが、日本文化がどれだけ台湾に浸透しているかというのをセブンイレブン内の光景で実感してもらいたいと思います。



倉木麻衣です。最近日本でもよく見る気がしますが台湾でも売り出し中なのでしょうか。そして右のTaipei Waker、よく見ると小さく「台北ウォーカー」と書いています。ここで注目してもらいたいのは、日本の雑誌をそのまま置いているのではなくて、台湾の雑誌にあえて日本語の文字が書かれているという事です。日本でも英語の文字を至る所で使っているのと同じ現象です。



娘が手に持っているのは、そう、クレヨンしんちゃんです。



カラムーチョ、ポテトチップスも日本の製品そのままではありません。商品名以外は中国語です。



いつものコーヒーも同じです。



これなんて、ここどこ?って感じじゃないでしょうか。

1945年まで日本の統治下にあったと言う事で、今の若い人たちのちょうど祖父母たちが日本語を話すという状態だと思います。友人S氏のおばあちゃんも普通に日本語でした。また、戦後になっても日本とは経済的に親密で、日本のTV番組が放送されていたりもして来たそうなので、そういった事すべてが影響してこのセブンイレブンなのでしょう。

ごく普通の一般の人たちが片言でも日本語を話せるというのは、ミステリーでもなんでもなくこういう背景があってのある意味自然な結果なのですね。


台湾 台北 海覇王にて前夜祭

2009年11月24日 | ◆台湾
前夜祭は18:30からなので故宮博物院から会場の海覇王("ハイパーワン"と発音、ぐるなびのページこちら)へ直行です。

ハイヤーは海覇王が終点です。たしか2700元くらい払ったので、1元=2.7円として7000円ちょいです。14:15から18:30まで、空港~ホテル~故宮博物院~海覇王でこの値段は安いね。セブ島の6時間5000円(シャングリラホテルのサービス)にはおよびませんが、都度タクシーを利用するよりも安いはずです。

あ、忘れてましたが故宮博物院の出口にはタクシーはいないのでここの記事の2枚目の写真に見えている門の外まで行かないとダメです。それでもつかまるかどうか分かりませんが。

さて、海覇王に入って友人の名前を告げたのですが、「何名様ですか?」「バイキングですか?」的な反応。

「No! I have a reservation under Mr. S!」

みたいなことを言って訴えたのですが、「そんな予約知らないなあ」みたいな反応。そこで第一大飯店のフロントでひろきちの親戚そっくりなおねえちゃんが渡してくれたメモを見せて

「ここはここに書いてある場所でしょ?」

と聞くと、そうだという風にうなずいてしばらくそのメモをじーっと見ていましたが、ひろきちが渡したメモを持ってどこかヘ行ってしまいました。

友人S氏に携帯で電話しても出ないしどうしようかと困っているとさっきメモを持って行ったにいちゃんが戻って来て「こっちへ」と案内してくれた。

(この辺は何語だったのかも覚えてませんが)

階段を上って別の階へ連れて行かれて「ここです」と言われても知ってる人は誰もいない。というか、本当にここなのか!?他にも宴会っぽいテーブルがたくさんあるけど、間違いじゃないのか!?こういう時アジア人って同じ顔してるから困る。

だれも反応しないので店員もひろきちも困っていると、

「ひろきちさん!」

と背後からS氏。

「おつかれさんっす!」

おつかれさんっすじゃないよー。

「携帯に電話したのに!」

と言うと、ポケットからケータイを出して、

「あ、ほんとだ」

だとさ。まいったまいった。

その後立て続けに家族に紹介され(S氏は確実に母親似です、弟さんはめっちゃいい奴です)、日本から来たメンバーのテーブルにJoinさせてもらいました。前の会社(今のひろきちの会社)の同期の人が一人いましたが、あとはみんな今の職場の人たちでした。S氏と今の会社の人たちとのやり取りを見ていると、S氏は転職してよかったなあと思います。前の職場ではいろいろうまくいってなかったので、今の会社でのびのびやれてよかったなあとしみじみ思いました。S氏の今の会社の同僚さん曰く

「彼、日系企業では無理でしょ」

はい、そう思います。うちは特に日系的、封建的な企業ですから。

S氏の親父さんは超パワフルで「徹夜でもいいですよー!」と日本語で盛り上げてましたが、子連れ家族はホテルへ、その他は夜市へとそれぞれ散って行きました。

追記:
なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんかなーと思いますが、日本語で「Sさんの前夜祭はここですかー!?」って大声え叫んだらよかったんですよね。そういうことが許される雰囲気の店だったし、そうするべきだったなあ。日本人が参加してるのは知ってたんだもんねえ。




台湾 台北 故宮博物院

2009年11月23日 | ◆台湾
さてさて、部屋に荷物を置いて再びハイヤーへ。故宮博物院へ向かいます。ハイヤーに乗って10分ほど行くと、さっき空港からホテルへ向かう途中に見えたどでかい台湾風建物が近くに見えました。「××飯店」という文字がちらっと見えましたのでやっぱりホテルだったようです。

そこからさらに10分ほどで故宮博物院の入り口に到着。ちょうど16:00ごろでした。運転手と18:00にここで落ち合う約束をして車を降り、建物の中に入ってキョロキョロとあたりを観察していました。すると、

「チケット、二階よ」

と見知らぬおじさんが通りすがりに声をかけてくれました。見た感じここのスタッフではなくどうも一般人っぽかった。なんでこんな普通のおじさんが日本語話せるのか不思議です。

二階に上がって、チケットを買う前にちょっと外に出てみる。



これが故宮博物院です。最上階のあの部分に喫茶店があるらしい。



故宮博物院を背にするとこういう風景が広がってます。建物の古びた感じ、ちょっと分かりますかね。

台湾は日本と1時間時差があるので、現地の16:00は日本では17:00。飛行機で少なめの機内食を食べただけなのでひろきちもヨメも小腹が空いていました。なので何はともあれ喫茶店ヘ行くことに。



北京の故宮博物院がイメージとしてあったので喫茶店も勝手に自分の中で(殺風景な)イメージを作ってたのですが、まったく想像していたものとは違ってシックでおしゃれな喫茶店でした。中国語と日本語で書かれたメニューを見て、甘いものとお茶を注文しました



ジャスミン茶です。フタの着いたきゅうすにお茶が入っていて、どうやら1分待ってフタのついてない方のきゅうすに移してそこからオチョコのような湯のみでいただくらしい。



マンゴーケーキと書いてありましたが、マンゴープリンという感じです。写真を撮る前につい2口ほど食べてしまいました。腹減ってたので。。。

ちなみに隣の席でひろきちと同じ年代くらいの男の人が二人シュウマイを食べながらお茶を飲んでいました。飲茶っていうけど、本当にお茶お飲みながら点心を食べるんですね。ひろきちの場合ビールか老酒が必要ですが。

一服した後、最上階から順番に見て行くことに。

会社の同僚からも親父からも「上の階から攻めよ」とのアドバイスがあったので従いましたが、3階(展示会場の最上階)で一番すごいやつを見てしまって、あとは次第に感動が弱くなって行った感じです。娘も次第に落ち着きがなくなり(子供にとっては非常に退屈だと思います)、走り回ったり大声ではしゃぐようになって来たのでそれをおさえるのに必死で最後の方はあまり記憶にありません。ここは大人だけでじっくり見るのがよいです。

ちなみに、館内は写真撮影禁止のようです。それを知らずにバシャバシャ写真を撮りまくっているとスタッフのおねえさんがダメダメ~という風に手を振りながら小走りでやって来て注意されちゃいました。

ひろきち「No picture?」
おねえさん「No, sorry.」

こっちが違反してるのに、なんと優しい。これが大陸だったらメモリーカード抜かれて、いやカメラごと没収だったかもしれません。台湾、いい国です。

というわけで写真は載せません。すごいお宝があるのでぜひ自分の目で見て下さい。



時間になったので待ち合わせの場所へ。入り口近くのホールでクラシックの演奏が行われていました。



台湾 台北 第一大飯店(補足)

2009年11月22日 | ◆台湾
出発までに第一大飯店について調べようとネットでいろいろ検索してみたのですが、かなり情報が少なかったのでちょっと補足しておきます。

写真と簡単なレビューは前回書きましたが、3日間滞在してみて特に嫌な事はなかったです。強いていえば上の部屋の人がトイレを流すとこっちトイレまで「ゴボゴボ」と反応するところくらいでしょうか。

ただ、食事は期待してはいけません。ルームサービスはサンドイッチなど本当の軽食しかないですし、朝食のバイキングもかなり質素です。どんなものがあるかと言うと、

・サラダ
・フルーツ
・コーンフレーク
・ミルク
・オレンジジュース
・グレープフルーツジュース
・コーヒー
・紅茶
・おかゆ(プレーン/あずき色)
・ソーセージ
・ハム
・フライドポテトorハッシュドポテト
・ゆで卵
・目玉焼き(半熟というかほとんど生)
・パン
・蒸しパン(プレーン/あん入り)

本当に軽い朝食です。でもどうせ昼と夜にごちそうを食べる事になるんだし、朝はおかゆでいいじゃないですか。おかゆ(プレーンな方)はおいしいです。ひろきちの場合は、

・まずジュースを飲んで
・おかゆと目玉焼きとポテトを食べて
・コーヒーを飲んで

終わり。お昼にはがっちり腹が減ります。

なお、ホテル内におみやげ屋さんは無いので(1階のロビー横にちょっとしたショップコーナーがありますがいわゆるおみやげ屋さんではありません)おみやげを買いたい人は別途スケジュールに追加しておいた方がいいですね。空港は高いのでスーパーを探すのが良いかと思います。


台湾 台北 第一大飯店

2009年11月22日 | ◆台湾
飛行機を降り、荷物を拾っていざ出口へ。フライトが少し遅れたのとチャーターしたハイヤーの運転手を見つけるのに少々手こずったため空港を出るのが14:10ごろになりました。ホテルは15:00チェックインなのでもし早く着いたらチェックインできないのでは?と少し心配してましたが、ちょうどいい時間に着きそうです。

運転手はオッサンが来るかと思ってましたが、20代くらいの若いにいちゃんでした。簡単な英語のやり取りは可能です。ホテルへ向けて走り始めると左手に大きな建物が見えて来ました。お城のような、神社のような、やけに台湾チックな建物なのですが、大きさから考えて歴史的建造物ではなさそうです。ホテルではないかと思ったのですが、運転手に尋ねるのも面倒なのでそのままやり過ごしました。

台北の町はひろきちの知っている北京や上海や西安などの中国の町とは全く雰囲気が違い、日本ともまた違っています。セブンイレブンやモスバーガー、ドトールコーヒー、スターバックスなど日本でもおなじみの店がたくさんありますが、どこかやっぱり日本とは違います。車が右側通行だからというわけでもなく、的確に説明できないのですが建物の古びた感じがなんとなく日本には無い雰囲気を醸し出しているように思います。

運転手は車を右側に寄せながら速度を落とし、ドトールを過ぎて停まりました。第一大飯店に到着です。空港から約50分。娘が車内でガサガサするのをいっしょうけんめい制止していたのでちょっと酔ってしまいました。荷物を下ろし終わると、運転手は「I'm waiting here.」と言いました。軽くうなずき、「OK」と言ってカウンターヘ向かいました。

カウンターの前に行くと、

「○○さんのお友達ですか?」

と、招待してくれた友人Sの名をいきなり言って来るではないですか。なぜ分かったんだ?いったいなぜそんなに日本語が流暢なんだ?というか、あんたひろきちの親戚にそっくりではないか!

ひろきちの親戚そっくりのそのおねえちゃんは朝食チケットを渡しながら「朝食は地下のレストランです」と説明した後、今日の前夜祭は何時からどこでという説明をして、「あの人がご案内します」と中年の男性スタッフを指差しました。住所も何にも書かなかったけどいいのだろうか。

9階の部屋までおじさんスタッフが荷物を運ぶのを手伝ってくれました。カードキーをドアノブの当たりにかざすと「ピッ」と音がして鍵が開きました。ICカードのようです。



こぢんまりした部屋には大きなキングサイズベッドが一つ。クローゼットと冷蔵庫、テレビなど一通りのものが備え付けてありました。



建物自体は古いのですが、2004年に改装されていてきれいです。バス・トイレも清潔です。ウォッシュレットじゃないのがちょっと残念ですが。なぜか体重計があります。



備え付けのドライヤーも十分パワーがあるので日本から持って行かなくてもいいでしょう。シャワーは一般的なホテル同様すこし勢いが足りません。これはもっと下の階だとマシなのかもしれませんが。



外観はこんな感じ。右隣のビルにHISの文字があるのでHISの支店が入ってるのかもしれません。



1階に日本風の定食屋があります。



たぬきの置物を背に対角方向を見るとこんな感じ。左手に吉野家とセブンイレブンが見えます。



ズーム。セブンイレブンにはお酒も置いてあるので便利です。レジ袋は有料らしく、支払いの時に「ふくろ?」と聞かれました(また日本語で)。


台湾 台北 キャセイにて桃園国際空港へ

2009年11月20日 | ◆台湾
キャセイパシフィックのサービスはまあまあ良い感じでした。幼児食は出来ないと聞いていたのですが、チェックインの時に「幼児食をお出ししますので」と嬉しい変更。無いと見せかけて有り!みたいな。サプライズ方式なんですかね、キャセイは。

幼児食だけでなくおもちゃもくれました。前にJALに乗ったときは飛行機のおもちゃ一つだったのですが、キャセイはリュックにクレヨンやらシールやらを詰め合わせたものをくれました。やるやないか、キャセイ。

機内食はビーフのパスタかチキン&ライスか。どっちも微妙だなあ、ということでヨメさんとひろきちで一つずつ頼むことにしました。ビーフパスタはビーフシチューの肉がリングイネにかけられている感じ。チキン&ライスは焼き鳥丼と表現するのが一番近いかと。例のケチャップライスwithチキンを想像していたのですが全然違いました。結局パスタはひろきちが、チキン丼はヨメがほとんど食べました。取り合いにならなくてよかったです。

ビールを飲んだ後に赤ワインをもらおうと思ったのですが、人件費削減なのかなかなかスタッフが来なくてちょいとイラッとしました。いままで乗った飛行機はだいたい手元のスタッフ呼び出しボタンを押すと「ポン」と呼び出し音がしたと記憶してるのですが、キャセイはライトが点灯するだけで呼び出し音がしないのです。「スタッフが気付くまでお待ちください」的なシステムに若干の不満が残ります。

と、格安チケットで乗ってるくせにいっちょまえに不平を言いながらビデオを見ているとあっという間に台北です。高度が下がるたびに耳をおさえて「痛い~!」と暴れる娘の気を紛らわせながらなんとか着陸。

いよいよ台北です。


台湾 台北 序

2009年11月19日 | ◆台湾
さて、今回の台湾行きは友人の結婚披露宴に出席するためでありました。連絡があったのが8月の最後の日。ヨメも行きたそうだし、そうなると3日間も娘を爺婆に預けるのもかわいそうなので家族3人で行くことにしました。

ホテルはその友人が出してくれるということだったのでとりあえず飛行機チケットをおさえることに。一番安くて3万円台前半のがあったのですが、夕方に出発して朝早くに帰るプランなのでこれでは披露宴以外何も出来ない。せっかく行くんだからと午前に出発して午後に帰るプランにしました。飛行機代だけなら11万程度(娘の分も含む)だったのですが、空港使用料やらサーチャージやらが加算されてあっという間に14万円台に。ま、仕方ないね。

後は旅行の準備なのですが、もう仕事が忙しくてろくに準備もできずに毎日が過ぎて行きました。まあ台湾なんて沖縄のちょっと向こうだし、知り合いもいるし、なんとかなるさ!と勢いで乗り切るつもりにしていました。しかしここでひろきちの親父が大活躍しました。台湾に友達の結婚式に行く、と言うと祝儀の相場やら服装やらを会社にメールして来て、ハイヤーの手配から現地の携帯電話の手配まで頼んでもいないのに勝手にいろいろやってくれたのでした。昔の部下や今の会社の支店が台湾にあるので、そのコネをフル活用してのバックアップでした。この人のおせっかいは普段はうっとうしいこともあるのですが(いや、本当に)今回ばかりはひろきちも忙しくて手が回らなかったので助かりました。

おまけに出発当日は関空まで車で送ってくれるというではありませんか。2歳の孫がかわいいんでしょうなあ。やり過ぎです。いや、助かりましたが。

そんな訳で、前日2時まで準備してましたがなんとか6時半に起きて車で関空へ出発しました。9時20分頃関空に着いてすぐにチェックイン。新郎の家族へのおみやげを買って、定刻より少し遅れて台北への飛行機は飛び立ったのでした。




台湾 台北 スケジュール

2009年11月18日 | ◆台湾
久々の旅行ネタです。

2009年11月14日~16日の三日間、台湾は台北ヘ行って来ました。友人の結構披露宴に出席するためです。この時期は仕事も忙しく休みを取るのも大変なのですが、せっかく高い飛行機代払って行くんだから観光もしたいし、2歳の娘を伴っての旅なので余裕のあるスケジュールを立てました。

まずは事前に立てたスケジュールを紹介しておきます。

1日目
7:30わが家を出発
9:15関西国際空港チェックイン(新郎の家族へのおみやげ購入)
11:05出発
13:15台湾桃園国際空港到着 ホテル(第一大飯店)へ出発
14:30ホテルチェックイン(したいが、チェックイン開始は15時から)
15:00ホテル出発
15:30故宮博物院着
18:30故宮博物院発
19:00海覇王(レストラン)着
結婚披露宴前夜祭
21:00海覇王発
21:30ホテル着 風呂に入って寝る
2日目
ヨメさん着物の着付けタイム
11:00ホテル発
11:30New York New York(結婚披露宴会場) 着
結婚披露宴
??:??New York New York 発
??:??第一大飯店着
??:??第一大飯店発
披露宴の二次会@新郎家??
21:00第一大飯店着
3日目
9:30ホテルチェックアウト
9:45中正記念堂着
5分間だけ 写真撮影など
9:50中正記念堂発
10:00龍山寺着
龍山寺観光
10:20龍山寺発
10:50忠烈詞着
忠烈詞観光
11:20忠烈詞発
11:30圓山飯店着
圓山飯店のレストランにて飲茶ランチ
13:00圓山飯店発
14:00台湾桃園国際空港着 チェックイン
15:55出発
19:20関西国際空港到着 リムジンバスへ
19:55出発
20:15到着


1日目の台湾桃園国際空港~海覇王と3日目の第一大飯店~台湾桃園国際空港はハイヤーをチャーターしました。それ以外は基本的に流しのタクシーです。

前夜祭は19時開始だったはずが出発当日の朝18:30に変わってました。披露宴の後の2次会に関しては新郎の実家でやるかも!?という話以外に情報無し。

そんな感じで、「まあ、なるようになるわ」とはじまった台湾旅行でした。



台湾

2009年11月13日 | ◆日記とか
会社から帰って今やっと飯食ってるところですが、明日から台湾ヘ行きます。友人の結婚式ね。まだまあ~んも準備してないので大変です。詳しくは帰ってきてから


灯台下暗し

2009年11月12日 | ◆エンターテイメント
先日、久しぶりに中学の同級生T氏に会いました。他の何人かの友達と例の奥様が読書家の友達のところへまたまたお邪魔してピッツアやらケンタやらをむさぼりつつビールを飲んでた訳ですが、何の拍子かプラモデルの話になった。それでふとN氏がプラモデルが得意だったことを思い出して、ガンプラ作ってオークションで10万円とかで売ってる奴がおるらしいなと振ってみた。すると、

「ああ、おれこの前もっと安く売ってもうた、価格破壊や」

とちょっと予想外の発言。よくよく聞いてみると実はコンテストで賞をとるほどの腕前だとか。タミヤ(玩具メーカー)が発行する雑誌に記事なんかも書いてるとのこと。ただのプラモ好きじゃなかったのね。

で、これが彼の最近の作品。



どうやら元は↓のようなものらしい。



詳しいことはよく分からんけど、ようこんなの自分でアレンジして作るわ、とただただ関心。だいたい売れるってのがすごいね。ひろきちなんて趣味でピアノ弾いてるけど、何曲弾いてもお金払ってくれる人いないだろうし、それは同じく趣味の写真でも同じ。1枚100円でも売れないだろうね。だから自分の作品を結構な額で売ってる友人T氏はすごいのお、と思うのです。

今週末には大阪でコンテストがあるそうです。

入賞作品も含めた彼の作品を堪能したい人はここへ。


奇跡のリンゴ

2009年11月10日 | ◆書籍の紹介
オンリー・ミーの記事でも少し触れましたが、親父のすすめで奇跡のリンゴを読みました。NHKの「プロフェッショナル」で紹介されていたのを見た人もいるかもしれませんが、この本にはテレビで紹介されていたのよりずっと多くのことが書かれています。

一言で言ってしまえば、主人公である木村さんが不可能と言われていた無農薬リンゴの栽培を可能にするまでの物語なのですが、全貌はもっともっとドラマチックです。もちろん無農薬リンゴの栽培の話はまさに「事実は小説より奇なり」とも言うべきミステリーなのですが、それに付随するサイドストーリーがまたいい。なぜ木村さんにはほとんど歯が無いのか、なぜ生活が安定した今でも障子がボロボロなのか、なぜ木村さんの畑と隣の畑の間にリンゴの木がないのか。テレビ放送の時間内では収まらなかった多くの物語が書かれています。

凄まじい苦労の連続なのですが、決して暗くならないのはハッピーエンドだけが理由ではないでしょう。木村さんの人柄がにじみ出てるからであり、木村さんが支え、木村さんを支えた多くの人たちの人情がにじみ出ているからだと思います。「ノルウェイの森」とは違って、人に活力を与える物語です。ぜひ読んでみて下さい。



ノルウェイの森

2009年11月09日 | ◆書籍の紹介
先日かいた通りオンリー・ミーは電車では読めないので別の本を買う事にした。近所のTSUTAYAヘ行って普段自分では選ばなさそうなのを探してみたが、そんなの山ほどあって困ってしまった。普段読まなさそうな本ならこの際何でもいいのだけど、それでも一応は悩む。

ふと目に留まったのが村上春樹の「ノルウェイの森」。とても有名な本だ。ひろきちが高校生の頃に付き合っていた女の子と何度か行った喫茶店に置いてあったのでその頃から知っていたし、その後何度かこの本に出会うことがあって魅力は感じていたのにこれまで一度も読もうと思ったことは無かった。ひろきちは基本的に小説というものをあまり読まない。嫌いなんじゃなくて、他にやりたい事がたくさんあったのであまり読書に時間を割いて来なかったし、本を読むときは読まないといけない本(仕事上必要な本とか)が優先されるからだ。でも今回は普段読まない本を読もうと決めていたので、この機会に読んでみることにした。

「ノルウェイの森」はなんとも切ない物語だった。読み終わった後で上巻の冒頭部分を読み直すとさらに切ない。今は切ない以外の感想が浮かばない。物語の途中でいろんな登場人物がいろんな事を言うのでその時はその時で感想が浮かぶのだが、読み終わった時の感想は「ただただ切ない」。たちの悪い事に余韻に残る切なさだ。

村上春樹氏いわく、「私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換える」のだそうだが(エルサレム賞スピーチより)、真実がこんなに切ないんだったらむしろ隠れた場所にそのままそっとしておいた方が良いんじゃないかと思ってしまう。人によって感想はさまざまだろうけど、少なくともひろきちにとっては今がんばっているあんな事やこんな事がばかばかしく思えてしまうような、現代生活における活力を奪うような物語だ。

でも不思議なことに、不快感は無い。この切なさをもう少し自分の中であたためておきたい気持ちになる。そんなことして何の得になるのか分からないけど、とにかくもう少しこの切ない物語のことを考えていたい気がしている。

という訳で「普段読まない本」の次の作品が控えているのだが、まだ「ノルウェイの森」の余韻から抜け出せずにいるのでした。

ちなみに、小説を読むときはどういう書き出しなのかがすごく気になる。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という「雪国」の書き出しは有名だが、長い長い物語をどういう文章で始めるかはとても大きな問題だと思う。そういう訳で特に小説の場合はその書き出しに注目する。だから「ノルウェイの森」の「僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた」という出だしにはびっくりした。自分が今三十七歳だからだ。18歳の時に初めてこの本を目にして、それから何度も何度もこの本に触れる機会があったのに一度も読もうとはせずに、何となく気が向いて読んだ時に主人公の「僕」と自分が同じ年齢だったということにちょっとした運命を感じてみたりする。





Yes-Butの法則

2009年11月04日 | ◆仕事
法則なんて書くとタイソウだが、今日はコミュニケーションについて書いてみようと思う。

先週から今週にかけてある品質問題に対する再発防止策検討会なるものが数回行われている。それに向けてわがソフト開発部署内においても事前検討会が何度か実施された。基本的にはひろきちを含めた3人のソフト技術者があーだこーだと議論する訳だが、ある程度まとまったところで上司へ報告する事になる。そしてその上司への報告の場でA氏と上司がバトルを始めたのだ。

バトルと言っても当然殴り合いを始める訳ではなくちょっとはげしい言い合い程度のものなのだが、これがディベートとかディスカッションの類いではなく単なる自己主張の応酬なのだ。お互い相手の言った事に対して「そうじゃなくて」と自分の意見でもって反論するのである。その言葉の裏には「こいつ、わかってないな」という意識がある。お互いがお互いの事を否定しながら自分の意見を言い合っているだけなので、ボルテージはどんどん上がって行くのに一向に話は収束方向に向かわない。

ひろきちは不毛な時間を過ごすのが嫌なので、しばらくこの自己主張の嵐に巻き込まれているだけですっかり気持ちが沈んでしまった。なので、上司が興奮して言い放った後にこう言ってみた。

「いや、全くその通りです」

すると何が起こったか。

「そうやろ」

と言って、すっかり静かになったのだ。上司が落ち着きを取り戻したところで、

「で、われわれの考えとしましては、こういった事も原因の一つであり(以下省略)」

とA氏の反論(=われわれの意見)を説明した。すると、

「ま、確かにそれもあるな」

と一定の理解を示したのだ。

この後も何度かバトルに発展しそうになったが、その度に

「分かります、そうだと思います」

と言うと沸騰した鍋に水を差した時のようにスーッと穏やかになるのだ。

Yes-Butの法則。

それは相手の意見を認めた上で自分の良い分を言うという、一見ごく当たり前の事を言っているに過ぎない。しかし相手の意見を受け入れずに自分の意見を投げ返すシーンに何度出会った事か。言うは易し行うは難し、である。

とそんな訳で、議論が一向に前に進まないとき、自分の意見が全く理解されていないと感じたときはYes-Butの法則を実践してみる事をおすすめする。

「そうですね」



「私たちの考えは・・・」

を繋ぐ接続詞。

では、ごきげんよう。