1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る伝説』17.菊池川流域の古代鉄器と鉄資源

2022-12-09 21:27:00 | 景行天皇の記録
【菊池川流域の古代鉄器と鉄資源】
一方、菊池川流域に目をむけると、特に茂賀の浦があった菊池平野(菊池・山鹿盆地)の周辺は全て鉄分を豊富に含む地質であることが分かります。
基盤岩の多くはマグマが地下でゆっくり冷えて固まった花崗岩です。花崗岩は平野の北東部の山地を形成しています。平野の西部や菊池川の中、下流域の小岱山をはじめとする山々も花崗岩です。平野の東部や西部の丘陵地は阿蘇火砕流堆積物が分布しています。また、北部には鉄分を多く含む変はんれい岩や外輪山を形成する火山岩類があります。そして南部の花房台地には、阿蘇火砕流堆積物や火山の侵食・運搬・堆積によって形成された砂鉄鉱床が存在します。この鉱床は昭和37年の国の調査で九州最大であることが明らかにされています。


阿蘇と菊池・山鹿の位置関係


地質図
菊池・山鹿盆地を取り巻く地質は鉄分が多い


このように菊池平野(菊池・山鹿盆地)を取り巻く地層には鉄分が多く含まれます。こういった地質の状況から、過去の茂賀の浦には阿蘇の褐鉄鉱床とは言わないまでも、人々が利用できる程度の水酸化鉄の沈澱が生じていた可能性は十分高いと考えられます。とすれば、茂賀の浦の水引きとともに水稲を行った弥生の人々が、阿蘇と同様に、鉄に対して親和性が高かったとしても不思議は無いように思います。そして、そこに舶載品の鉄原料が持ち込まれ鍛治・加工によって鉄製品が作られたのだと思います。

山鹿市の方保田(かとうだ)には方保田東原遺跡があります。弥生時代後期から古墳時代前期(今から約1700~1900年前)に繁栄した大集落遺跡です。現在のところ、発掘調査が行われた面積は、遺跡全体の5%にも達していないと言われますが、100を超える住居跡、土器や鉄器を製作したと考えられる遺構が見つかっています。また、全国で唯一の石包丁形鉄器や、特殊な祭器である巴形銅器など数多くの青銅製品や鉄製品の金属製品が350点以上も出土しています。


方保田東原遺跡から出土した青銅器と鉄器
山鹿市webサイトより

この遺跡からもわかるように、水稲に適した広範な湿地の出現とともに湿地に生成した鉄の原料となり得る水酸化鉄(褐鉄鉱)の利用、それが鉄器類の鍛治・加工の技術導入の土台となり、引いては菊池川流域の古代の繁栄に繋がったのではないでしょうか。そして、その背景となったのは稲作ができる平野を作り出した地質事象や大地を構成している鉄分を含んだ地質、岩石であったと考えられるのです。
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