1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』16.阿蘇の弥生鉄器と鉄資源

2022-12-07 21:54:00 | 景行天皇の記録
【阿蘇の弥生鉄器と鉄資源】
繰返しになりますが、弥生時代の鉄器類の出土数で熊本は全国1位を誇ります。阿蘇カルデラ内の北西部に位置する弥生時代後期の下扇原遺跡からは1522点の鉄製品の出土とともに8軒の鍛冶遺構が検出されました。1000度を超える高温で焼かれたと考えられる鉄滓(スラグ)も出土していますが、磁鉄鉱や褐鉄鉱を原料とした製鉄が行われたという証拠は今のところ見つかっていません。しかし、褐鉄鉱を原料とした赤色顔料となるベンガラ生産の痕跡は各所で確認されたと報告されています。

下扇原遺跡に近接したところに日本で唯一採掘(日本リモナイト(株)が採掘)が行われている褐鉄鉱の鉱床があります(日本リモナイト(株)が採掘)。この褐鉄鉱床は、鉄イオンを溶かし込んだ温泉水が地表付近で酸化されて水酸化鉄となって沈殿したもので、現在もその温泉水から沈殿が続いています。過去には製鉄の原料とされた時期もありますが、現在は吸着性や豊富なミネラルの特性から畜産飼料や脱硫剤、土壌改良剤、脱臭剤として使用されています。また、近隣の湧水からはオレンジ色の水酸化鉄が生成しているのが各所で観察されますが、これらが「赤水」という地名の由来になっています。

図1阿蘇カルデラと布田川断層帯と褐鉄鉱床


図2阿蘇谷における弥生時代の主要な遺跡
『下の原遺跡』2012阿蘇教育委員会より


褐鉄鉱産出地(日本リモナイト)周辺の弥生遺跡
『下の原遺跡』2012阿蘇教育委員会より

考古学では、弥生時代後期において阿蘇カルデラ内の北西地域で鍛冶工房を備えた集落がなぜ形成されたのかについては将来の課題としています。しかし、製鉄の原料になる褐鉄鉱が現在も採掘できるほどに多量に存在しているという事実を見逃すわけにはいきません。当時の鍛冶・加工の原料は大陸からの舶載品と考えられています。しかし、褐鉄鉱を原料としたベンガラの生産が行われていたことを考慮すると、この地域は古代の昔から鉄に対する親和性が極めて高かったと考えられます。こういった地域特性が、鍛治工房を備えた集落の形成の一因ではないのでしょうか。
また、下扇原遺跡からは鉄器類だけでなく、インド・パシフィックビーズと呼ばれる海外で作られたガラス玉も出土しています。当時のベンガラは、祭祀用の土器に塗布するなどの用途もあり、ベンガラそのものが交易品としての価値が高かった可能性が指摘されていて、このようなことも阿蘇地域に舶来品の出土が多い背景と考えられています。
ただ、いずれにしても、この地域から豊富に採れる褐鉄鉱を利用しようと試行錯誤した経験や知識が、後の鉄器の鍛治・加工に引き継がれのかもしれません。また、もともと褐鉄鉱を原料とした小規模な鉄生産があったところに、生産の効率性から舶来の鉄素材に置き換わったとする意見も出されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする