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1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

年賀ハガキに思うこと

2011-12-07 22:47:54 | 雑談の記録
この時期になると、気がかりになってしまうのが年賀状。
ボクはそれほどたくさん年賀状を出すほうじゃないけど、カミさんと兼用で出している家族写真入りの年賀状を毎年作っている。そして、カミさんにせっつかれながら年末ギリギリに作っているというアンバイで、基本的にいつもとてもメンドーなことだと思っている。

だけど今年は、カミさんの実家に不幸があり、せっつかれることはなさそう。
おまけに、今年は、すでに喪中ハガキがたくさん届いているし、さて、どうしたものかと思っている。

不届き者と思われるかもしれないけど、実のところ、今まで、身近な親族に不幸があってもボクはかなり平気で年賀状を出していた(カミさんにせっつかれて作っていたというのもあるけど・・・)。だけど、それは、年が明けることに、ホントにお目出たいと心の底から感じたことが極めて少ないという経験が根底にあるからのような気がする。
「あけましておめでとうございます」と口にした後に、「これは、これでおめでたいことなのかもしないな」と自分に言い聞かせる程度のオメデタさなのである。
年賀状に「あけましておめでとう」とか「謹賀新年」とか「HAPPY NEW YAER」とか決まり文句のように書いてはいるものの、ホントーは、年にたった1度だけの「近況報告」のようなモノとして受け止めている。
侘び寂びを知る日本人ならば、そんな風に思ってはダメなのかもしれないけど、「近況報告」程度と割り切っているから、親族に不幸があっても平気で「年賀状」が出せていたと、そういうことなのかもしれない。
だからといって、年賀ハガキを使って今年から「近況報告(年1回発行)」なんてタイトルで出して、シャバを舐めているというふうに思われちゃぁかなわんし。まぁ、スルドイ友人なら洒落で済ませることもできるんだろうけど、「お世話になった人」にはゼッタイ通じないよなぁ~。
とか言いながらね、「お世話になった人」たちには、ボクの「年賀状」って評判がイイみたくって、だから、毎年毎年、「年賀状」を考えるのが億劫になるのですヨ。マッタク。

そう、「年賀状」が無ければ年末も幾分気持ちが楽になれるような気がするってぇのに。
ひょっとして、「喪中ハガキ」の真意って、そんなトコロにあるのかもしれないって思ってしまう。

全く歪んだ42歳だ。
コメント
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