1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

リトルリーガー -愛する人のために- 8

2008-05-13 07:53:15 | 雑談の記録
きらびやかなホテルのパーティー会場。
「SASEBO」リトルリーグの全国大会優勝祝賀会兼リトルリーグワールドシリーズ出場の激励会が開かれている。
来賓席には市長のほか地元有力者たちや米海軍のお偉方がズラリと円卓を囲んでいる。

「ここまでやる必要があるんか、・・・ッタク、ナニ考えてんだこのリーグは、・・・」
抑えきれない苛立ちの言葉だった。それを言ったのタカシの父タナカだった。
義母の看護費に加えタカシの遠征費。このところ運悪く不漁も続きタナカ家の家計は逼迫していた。借りたくない金も嫌な親戚から借りている始末だった。
タナカはパーティー会場の片隅で一張羅のスーツに身を包んでいたが白髪交じりの日焼け顔には不似合いだった。

ユニホーム姿のタカシがマイクの父を連れてタナカの前にやってきた。
「はじめまして、スミスです。」
スミスは右手にビール瓶を持っており、ぎこちないやり方ではあったが日本式で誠意を表そうとした。
しかし、タナカはそれを無視したのだった。


つづく
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失点Oの理由

2008-05-13 00:11:02 | リトルリーガーの記録
土日は福岡県宗像市で行われたマイナー大会に行ってきた。

土曜日は雨。
体育館でドッジボール大会だった。
2敗だった。

晴れた翌日はドッジボール大会の結果で割り振られたトーナメント戦だった。
初戦敗退だった。
相手は広島佐伯リーグ。
6-0で完封されちゃった。
ウチは負けて当然なんだけど、広島佐伯のマイナー選手たちの気持ちの強さと集中力といったら凄まじかった。
広島佐伯は2回戦でSSBリーグと対戦して、そのときボクは3塁審をやってたんだけど、ミスジャッジは絶対許されないっていう雰囲気の試合だったんだ。感動して泣きそうになっちゃったプレーもあった。

話しは変わるけど、リョー坊の成績は2の0。満塁の好機に凡打。ぶっ殺したくなった。逆にいい部分もあった。
1時間制の試合で4回の最終回に敗戦処理投手としてマウンドに立ったんだけど、なんと、失点0、デッドボールでランナーを背負っていたにもかかわらず。最後は4番バッターをサードゴロに仕留めた。
う~ん、マグレかもしれないけど、親バカかもしれないけど・・・・、理由があるということにしときたい。

試合があった日、ボクは家に向かう車の中でしかリョー坊と言葉を交わさない。
試合中や試合会場で、ボクは応援はするけど、プレーについて本人にアレコレ言うことは避けている。自分で考え、自分で試し、自分で修正し、自分で責任をとり、自分で反省してもらいたいからだ。

グランドからの帰り道、リョー坊に聞いてみた(標準語で)。
「今日、ピッチャーだったけど、本気で投げてないだろ、速い球は一球も投げてないだろ。」
「ウン、打たせてるよ」
これ以上、聞く必要はなかったから聞かなかったけど、ボクはヤツが微妙に急速を変えて投げていることに気づいていた。


そういうことが出来るようになったのは、そういうピッチングの練習をやっているからではないということを力説しておきたい。
じゃぁ、どんなことをやっているかというと、ハネ打ちだ。

ハネ打ちのトレーニング?は、ほぼ毎日のようにやっている。ボクの帰りが遅いときや出張のときはカミさんに投げさせているけど・・・・。
そのハネ打ちトレーニングなんだけど、我が家にはハネが50個くらいある。
メチャクチャボロになったハネから新品に近い状態のハネまでイロイロある。
ここまで言えば、読者のみんなは分かると思う。
そうなのだ。同じように投げても、同じようなハネ筋(球筋)にはならないということなのだ。
そこでリョー坊は学んだのだと思う。
オマケにボクは、最近、いろんなハネの投げ方を習得していて、リョー坊から空振りを取ることを楽しんでいる。そんなことをしたらバッティングフォームが崩れるだけだっていう指摘の声があると思う。確かに、以前、そんなことをして何度もリョー坊を泣かせたことがあるけど、今では、二人で駆け引きをやりながらそのトレーニング?(遊び)を楽しんでいる。

ちなみに、広島佐伯戦が終わった後、マイナーの保護者代表として監督さんに挨拶にいったんだけど、そこでリョー坊のことをベタ褒めされて、つい息子ですと言ってしまった。
親バカ丸出しだった。
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