山里から ・写真と短い文で綴る田舎の生活

山里の自然と生活の一端を、短文と写真で記録しています。健康に感謝しつつ、日々、世界の平和と安全を願っています。

ガラス戸の向こう

2013年01月31日 | 静物 器物 日用品

 

 寒いといっても、立春の声が聞こえる頃ともなれば、どこかに春の花の気配がし始めていてもおかしくない。時期的には、今までとはいくらかなりとも違いが感じられる彩のある場所が見られるのが通例であるが、この冬はどこも一様に枯れ葉色一色である。緑の薫りが待ちどおしい一月晦日である。

 

 


ササの葉

2013年01月30日 | 野・山・自然

 

 いつの頃からかは定かではないが、笹の葉は食物の包装材として利用されてきている。これは、自然素材の外見的やさしさとともに、その殺菌作用が期待されているためである。

 厳寒の今、笹原も雌伏の時である。細い小さい枝の内、比較的太いもののみが、あたかも軍団の存在を示すための旗を掲げるかのように、見栄えの良い葉を見せて、ポツッ、ポツッと立っている。来るべき春の到来まで、じっと耐える構えは筋金入りである。

 


ノキシノブ

2013年01月29日 | 山野草

 

 ジェット機が上空を飛ぶと、飛行機雲が見られる。この時期の空は、晴れると、抜けるような空色になる。今日は、そこに航跡として残された飛行機雲を立て続けに確認した。普段は、機体の通過からかなり遅れて聞こえてくるジェット音で、気がつくのだが、この日は偶然、空を見上げたら、一機、そしてまた一機と、次々と通り過ぎて行った。間歇的だし、高度と方向が少しずつ違うので、お連れとも思えないのだが、“集団でお出かけ”の姿に見えないこともない。めったにないことなので、一瞬だが、年甲斐もなく気持がハイになった。残念なことに、記憶には残せたが、記録にする方法は思いつかなかった。

 乾燥する季節である冬は、ノキシノブもチリチリになっていることが多い。伸びのび育っているのは、まれである。

 


わいわいのランチ

2013年01月28日 | 近辺の風景

 

 民家の一部を利用して、営業している、ランチ屋さんを見つけた。外装からして、素人営業のにおいがしている。この手の店には、一も二もなく飛びついていく神さんが、放っておく理由がない。まずは、一回目の試食と相成った。思いっきり家庭的な味の中華飯セットである。それは、すぐにも固定客が出来そうなメニューであった。

 外気温は相変わらず低いものの、朝から、晴れた空が見られた。おかげで、久しぶりに、解放されたような気分を味わうことが出来た一日であった。

 

 


雪山遥か

2013年01月27日 | 野・山・自然

 

 山里では、古くから御岳山信仰の流れがある。何か事があると、神社まで出かけて行って、お参りしてくるのである。高齢化率が高くなった最近は、迷う機会が少なくなったのだろうか、出かける体力・気力が弱くなったのだろうか、あまりお参りに行った話しは聞かない。

 旧市街へ出ると、一寸した高台からは、木曽の雪山が見える場所が多い。冬のこの時期は空気がきれいになり、遠くの山々も、いつもよりクリアな姿として見える。御嶽山は、木曽の連山とは少し離れた所に位置している。少しばかりではあるが、位が違うような気がしないでもない。昔から聞きなれた名称のゴロのせいかもしれない。