山里から ・写真と短い文で綴る田舎の生活

山里の自然と生活の一端を、短文と写真で記録しています。健康に感謝しつつ、日々、世界の平和と安全を願っています。

山と雲と稲田と空と

2016年05月31日 | 野・山・自然

 

 一年前の記事で昨年はクモキリソウを取り上げていた。昨日の雨のあと、今日は朝から気温が上がって、梅雨時のような自然環境になって来たので、クモキリソウの仲間たちには絶好の生育条件がそろっている。時間を取って、一寸覗きたいところであるが、生憎“おいそれ”を阻むものがある。怠け者にはすぐツケが貯まるのが世の習いである。明日以降に譲らざるを得ない。

 

 

 ヒペリカム

 

 

 

 

 山と雲と稲田と空と

 

 

 

 

 アザミのてっぺん

 


嫌になること 

2016年05月30日 | 近辺の風景

 

 何かにつけ、特定の人の目の敵にされるということがある。長旅の費用ぐらいに考えておけばいいのだろうが、どうかした拍子に、それが気になり、重荷になることがある。今日はそのどうかした拍子の日である。あーあ、やんなっちゃったー。

 一日雨。しかも、低温の下、シトシト泣くように降る。

 

 

 雨の水玉

 

 

 

 

 置かれた場所で咲き続ける。ボケも愛嬌さ。

 

 

 

 

 じわじわ迫るもののあり

 


野山澄み渡り、夏は来ぬ

2016年05月29日 | 近辺の風景

 

 昨夜はぐっすり寝た。就寝時22℃、起床時21℃。夜中の気温に変動がほとんどなく、環境監視役猫テトリンの“ご注進”も、美人猫ツリリンのお肩ツンツンもなかった。30分以上早く寝た神さんは、寝てから起きるまで、静かに動かずに寝ていたかのようである。

 そんな朝が一転。日中は盛夏の様相になった。人々の表情が、どことなく上気しているようなのだ。素朴な人たちほど環境の影響を受けやすい。こんな日は、当たらぬように、触らぬようにが肝要なのだが、あまりうまく行っていない。近未来に心配の種を蒔いたようである。

 

 

 ダイアンサス

 

 

 

 

 夏は来ぬセール、店頭に夏物が並ぶ

 

 

 

 

 

 谷川の流れ涼やか、今年はイワタバコの育ちが大変いいようである

 


黄色い花の溢れるとき

2016年05月28日 | 野・山・自然

 

 従来、“爽やかな”と冠をつけられることの多い五月であるが、今年はなかなかそのようなひとくくりに出来ない日々の連続のままで終わりそうである。季節のメリハリがはっきりしない状態は、いかにも寂しい。

 月末まで、三日を残す街中は、どこも閑散。庶民は調子を上げるヒントがないものかと、探しているはいるのだろうが、いかんせん、上の様子をうかがう“平目使い”が横行している社会の状態では、本来ならつかめるものも、中々つかみにくい。

 

 野には黄色い花が溢れるている

 キショウブ

 

 

 

 

 ヒメヘビイチゴ

 

 

 

 

 キチョウのステージ姿

 


傘のマークでも降らずじまい

2016年05月27日 | 山野草

 

 「予報は傘マークだったから今日は降るかと思ったけど、また蒸し暑いだけね。」「何だか良いよ良いよと言われ続けた景気みたいね。」「 ったくだ。空約束みたいな軽い流行りってのは社会現象だけに止まらないんだね。天気まで真似するんだね。」朝から空を仰いで、せめてもの憂さ晴らし談義である。来週から治療のため短期の一時入院を予定している近所の方には、今日、明日、明後日と、一日一日が大事な時間である。子供時代並みに、日々、時間割を作っておきたいくらいなのだ。

 

 

 タツナミソウ

 

 

 

 

 アリとクワガタソウ

 

 

 

 

 道路下の陽だまりにコアジサイが咲いている