山里から ・写真と短い文で綴る田舎の生活

山里の自然と生活の一端を、短文と写真で記録しています。健康に感謝しつつ、日々、世界の平和と安全を願っています。

ツルリンドウ

2012年08月31日 | 山野草

 

 

 昨日から、午後になると、天気が崩れて雨が降るようになった。サッと夕立モードに切り替わり、一雨来ると言った盛夏の頃のパターンとは違って、グヂュグヂュッと、なし崩し的に天候が変化したあとに、思いのほか強い雨が降る。近辺では、大雨洪水警報が出ていることもあるほどの雨である。鉢物の潅水を省けることのほかに、ありがたいこともある。猫たちが嫌いな、雷神様のご出陣を仰がなくて済むことである。

 ツルリンドウは、花の時期に出会うことが結構難しい。地味な花であり、心待ちにするほどの要素を持ち合わせているわけではない。したがって、通常はほとんど念頭にないのである。たまたま目をやった、そこにあったのである。目を引いたのは、萩の花であった。


ひまわり、背比べをする

2012年08月30日 | 野・山・自然

 

 

 子ども時代、夏休みが後何日と、片手で数えられるようになると、大事なものが減ってしまって、残りが少なくなったような、寂しい気持になったものである。そんなわびしく寂しい気持の中にあっても、やらなければならない宿題を前にすると、8月29日は、まだあと三日もあると大きく構えていた。三日間の余裕は、まだ手をつけない理由になったのである。

 30日になって、いよいよ手をつけることになると、大きく悩ましい課題は“夏休み絵日記”の製造である。今となっては、毎年どのように間に合わせたのかは、さっぱり忘れ去っており、まるで思い浮かばない。そんな中で、はっきり覚えているのは、ひまわりの花と、朝顔の花が必ず登場していたことである。何とかの“二つ覚え”であった。


ヤブミョウガの花

2012年08月29日 | 山野草

 

 

 並べて比べて見れば、明瞭に違いが分かるのだが、個別に見ただけでは、さっぱり分からないものは多い。そこには、花が咲くまでは、道路脇に野生化したミョウガが生えているなと思っていた。花が咲いてみれば、この花である。勘違いに気が付いたときは、その花の咲き方の、余りの違いに、体の力が抜ける気がした。

 このヤブミョウガは、花が、身体を冷やす食材として、冷ややっことともに供されることもある、ミョウガとは全く別物である。ミョウガの花は、食べ過ぎると物忘れをする、との言い伝えのある、あれである。


花守り中、青蛙

2012年08月28日 | 野・山・自然

 

 

 タマアジサイの花が咲き終わり、まわりの装飾花がきれいに残っていた。近づいてみると、花の下の葉の上に青蛙が乗っている。風でかなり激しく揺れるが、移動するそぶりは見えない。よく見ると、風圧をまともに受けないように、身を低くして身構えている。どうやら、この枝葉は、この蛙にとって、大事な場所のようである。

 午後になると、雲が広がり、幾分過しやすくなるものの、相変わらず、降水はなく、土の表面がさらさらである。

 


秋めくと出番です、ツルボの花

2012年08月27日 | 山野草

 

 

 路傍の草叢で、ツルボが元気である。この夏、少ない種類の筆頭はゲンノショウコのようだが、ツユクサも少なかった。代わりに、やたら目に付いたのは、クサノオウであり、ハキダメギクであった。本来の出番はこれからであるが、ツルボも今年は当たり年になりそうである。淡い紫色を帯びた花穂の立ち姿に、勢いが感じられる。

 今シーズンは、田畑の作物の出来も良いようで、きゅうり、トマトをはじめ、新鮮な野菜がひっきりなしに届く。出来るだけ野菜を食べるべく、食生活の方向を切り替えているところである。嬉しい限りである。