山里から ・写真と短い文で綴る田舎の生活

山里の自然と生活の一端を、短文と写真で記録しています。健康に感謝しつつ、日々、世界の平和と安全を願っています。

ワイルドベリーの白い花・ギャング付き

2012年04月30日 | 山野草

 

 

 連休3日目、昨日、今日と、特に人の出が多い。道路は通常の3倍・5倍の込みようである。マス・メディアを通じて、無謀運転や交通事故の報を聞くにつけ、胸痛む思いがする。外猫たちにはくれぐれも道路で遊ばないように言ってあるのだが、必ずしも守られていない。自動車事故にあうことがないようにと、祈ることしきりである。

 居間から、ワイルドベリーの白い花が見えたので、喜んでカメラを持ち出したら、黒い虫に先を越された。飛んできたのか、跳ねてきたのかは判然としないが、何とも見慣れない虫である。ともあれ、良いにつけ、悪いにつけ、きれいなものに虫はつきものだ。ここは引き立て役をお願いすることとしよう。

 


チューリップ、まだ開店準備中

2012年04月29日 | 

 

 

 まだ肌寒さの残る頃、おそるおそる「ホォーーー、ホケキョ」と鳴き始めたウグイスのさえずりが、ミツバツツジのパープル・ピンクの花が咲き、ヤマブキの黄色が谷を彩り始めるこの時期になると、同じ鳥とは思えないほど上達して、達人の域に達していると言ってもいい位の練達ぶりに変わっている。

 「ホォー、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ」と、何回とは数え切れない「ケキョ、ケキョ、ケキョ」の澄んだ声を、渓谷いっぱいに響きわたらせながら、あちらで、またこちらでとさえずる。谷をわたるウグイスの声は、山に、谷にそしてまた人の心に、静かに深くしみわたっていく。「ホォー、ホケキョ」のホケは省略するのが上級のようである

 チューリップが、花びらを開く練習を始めたようである。


春の小川

2012年04月28日 | 野・山・自然

 

 

 道路は、人々の生活と共に発達してきた歴史を持っている。国道のみならず、県道・市道においても同様である。そんな道路を時々歩く。どうかすると、柄にもなくそこに悠久の時を感じることがある。

 谷川沿いの道路を歩いていると、谷が急に浅くなり、川が野に出てきている部分に出合うことがある。そこにはのどかな風景が広がり、いつの時代か判別しにくいけれども、人の営みがあったであろう匂いが残っていたりする。

 土手にはふきのとうに代わり、まもなくスカンポが伸びてくる。

 


そろそろ店じまい・ラッパ水仙

2012年04月27日 | 

 

 

 水仙は、八重からラッパそして口紅水仙の順に咲く。同じ水仙の名前を持つスノーフレークは、もっとも花期が永く、始めの頃から咲き始め、気温がかなり高くなるまで続く。

 水仙はどれも、子ども時代から、何故か密かにながめていたい誘惑にかられる花だった。これがどうも、この季節の男のはやり病みたいなもののようだ、と気が付いたのは、いい大人になってからである。


洗礼を受ける・アルメリア

2012年04月26日 | 

 

 

 つくしを卵とじにしていただく機会があった。山里では、つくしがまだ容易に手に入るのである。こういう、自然恵みを普段に享受できるのが、従来からのごく当たり前の生活なのだが、ともすれば忘れがちになりやすい。今年はまだタラの芽を食していない。コシアブラもまだである。

 アルメリアの赤いつぼみが立ち上がってきた。雨に降り込められて、いやがっているようであるが、時は絶好の洗礼日和ととらえたようである。サンサンと降りかかる。