冬の間も、雪の下からロゼット状の赤い葉を見せて、私たちの目を楽しませてくれ、一年中色んな形で身近にあるスイバであるが、草刈戦闘隊が最も活躍する、夏の盛りのこの時期は、受難の時である。
多くは、田畑や野を離れ、山沿いに数歩足を踏み入れたところに、避難している姿を見せている。
冬の間も、雪の下からロゼット状の赤い葉を見せて、私たちの目を楽しませてくれ、一年中色んな形で身近にあるスイバであるが、草刈戦闘隊が最も活躍する、夏の盛りのこの時期は、受難の時である。
多くは、田畑や野を離れ、山沿いに数歩足を踏み入れたところに、避難している姿を見せている。
地味な花三題
一歩野山へ足を踏み入れると、りっぱな頭巾姿のファラオが、必ず顔を出す。多くは、こちら側を向いていて、出会う瞬間に、まずは襟を正すべし、と柔らかくうながす。暗い印象第一位。
カンスゲは、前面に立つことを避ける名人である。常に、他の草花の陰に隠れている。
朴の花はデカ過ぎる。図体がデカいので、人の目につくことが大嫌いになられたようである。お高くとまっておられる。
ラショウモンカズラが咲ていた。かなり早めに咲いた場所もあるようだが、残念ながらまだ目にする機会は作れずにいた。
今年は根気がなくなってきたせいか、キクザキイチゲ、イカリソウと、かなり希少な種類を見たのは、どちらもたった一株という、ていたらくである。こころを入れ替える必要があるのかもしれない。
梅雨の初日は、ほんの形だけのおしめりであった。
少しずつ人口が減って行き、少しずつ高齢化が進んできた山里では、住人の第一の仕事は、自分たちの健康を守ることである。ここで育った者にとって、それは従来からの生活パターンを維持し続けることを意味する。生活リズムを保つ効果抜群の威力を持つ草刈は、男にとって、貴重な一人仕事の時間であり、女にとっては、あらゆる束縛から解き放たれる束の間の休息時間である。一仕事の終了を見ると、男は意気が上がり、女はやさしくなれる。
東海地方も梅雨入りである。例年よりかなり早い。仕事可能な晴れ間の多からんことを祈りたい。
“私の心は燃えている”、ヒメレンゲの花言葉である。沢沿いなど、乾燥しにくい場所を好む植物であるから、どちらかと言えば日陰に生育している場合が多い。日陰にあって、キンキラキンの黄色の花である。密かな情熱の持続を感じるのは、人みな同じだったらしい。
我が家の玄関脇にある、ヒメレンゲの仲間、万年草は、今年は晴天続きのため、乾燥しすぎの環境で頑張っている。まだ花を見ないなーと思っていたのであったが、よく見ると少ないながらも咲いている。天気予報によると、明日から梅雨入りの可能性もあるらしい。充分な水分補給の予感を受けて、今は喜んでいるだろう。