六月晦日である。今年の前半は、例年にない出来事があったりなどして、ほとんど“ボーッ”としている時間が取れず、“アッという間だった”という訳には行かなかった。勿論、過ぎ去った過去を振り返れば、早くなかった訳ではないが、その時々は結構待たされたような場面も多かったのである。自分の意識が、生活スタンスから形作られて行くのは、いくつになっても変わらないようである。
イワベンケイとカマキリの子供
ドクダミの花と青カエル
六月晦日である。今年の前半は、例年にない出来事があったりなどして、ほとんど“ボーッ”としている時間が取れず、“アッという間だった”という訳には行かなかった。勿論、過ぎ去った過去を振り返れば、早くなかった訳ではないが、その時々は結構待たされたような場面も多かったのである。自分の意識が、生活スタンスから形作られて行くのは、いくつになっても変わらないようである。
イワベンケイとカマキリの子供
ドクダミの花と青カエル
このところ行くたびに“休業”の看板が出ていたパン屋さんが、今日は珍しく営業していた。その時、格別、幸運が舞い込みそうな予感はなかったが、その後、行くところ行くところ、雨上がりのタイミングとなり、降られるということはなかった。最も、車から降りる時間は、どこもごく短時間に限られていたので、“恩恵”があったのか、なかったのか、判然としない。
深山の草花が出揃うには、まだかなり時間が必要なようである。
① アザミ
② ヤワタソウ
③ その後のヒメフウロ
近くで瓦の葺き替えをしている。大きな屋根も、小さな屋根も、その光景はずっと昔からほぼ同じである。簡単な動力で、屋根の上まで材料を運び、一枚一枚手作業で並べて行く。大きければ作業員がそれなりに増え、小さければ二人での作業となる。見かけると、何故かほっとする、労働現場である。
林道へ歩を進めると、サワギクとボロギクの同居している姿がある。
各地で、ゲリラ的な降り方を見せてきた今年の梅雨も、明日あたりからいよいよ本番の気配濃厚である。庭の土がかなり乾燥気味になっている。田畑もおそらく同じような状態だろう。適度な深さまで、しっかり湿らせて、かんかん照りの夏本番に耐えうる自然環境を整えてほしいものである。
オカトラノオが顔を見せている。ホタルブクロもそうであるが、今のところ、花は大きいものの、草丈の伸びが今一つである。いわゆる“ずんぐり”でスマートさに欠けている。愛嬌があるといったら良いのであろうか。
路傍に、土手に、畦道に、人々の傍らに顔を見せている、山里の花たち。
ムカゴと同居、野蒜の花
どこに在っても絵画的、ニガナ
ずっと昔からいるような帰化植物、キキョウソウ