あおじそはいつになく大柄に育っているが、花を見る機会がなかなかなかった。しその花が咲くと、いつもだとニホンミツバチがやってきて飛び回っているので気が付くのだが、今年は未だその姿を見ていない。八月も終わりの日の今日、まだ咲いていないようなことはあるまいと覘いてみたら、やはりあった。
あおじそはいつになく大柄に育っているが、花を見る機会がなかなかなかった。しその花が咲くと、いつもだとニホンミツバチがやってきて飛び回っているので気が付くのだが、今年は未だその姿を見ていない。八月も終わりの日の今日、まだ咲いていないようなことはあるまいと覘いてみたら、やはりあった。
明日で八月が終わる。天気予報によると、東海地方の明日は晴れそうであるが、日本列島には南方から台風二個が近づいており、果たしておだやかな晴れの日で終わるかどうか疑問符付きである。
この八月は木々の枝が実によく伸びた。その代わりに陽光不足で草花の成長にかなり影響があった。この夏の気候の傾向に合っていたのは亜熱帯系の花木のようである。花や葉の形を愛でる従来からの草花はおおむね苦戦の季節であった。
ゲンノショウコは民間薬として知られているが、れっきとした日本薬局方収載薬品である。花は清楚そのものであるが、草姿がほとんど地面に張り付いたように広がる性質があり、よほど意識しない限りその中から個々の花を観察する機会を持つことはむつかしい。カメラに収めるのは、何かの拍子に「たまたま」の場合である。
信州根羽村へ行く途中の道路脇にセンノウを見つけた。曇り空でぼんやりした空気が漂っているような林地の縁に、オレンジ色を帯びた明るい朱色の花が人目を引くように咲いている。フシグロセンノウである。なでしこの仲間であることは一見すれば誰の目にも明らかであるが、この花の名は一般の人にはほとんど知られていない。目立つ色の割には、人の記憶に残りにくいような要素を持っているようである。
目指した根羽村の店は団体客で占められており、我々が割り込む余地はなかったものの、道中目の保養になったのは望外であった。
肌寒さを感じる場面多々の土曜日である。雄のテトリンとモンタが顔を見るたびに「膝」「膝」と催促するので、おちおちパソコンの前に座っていることが出来ない。雄は見かけ以上に皮下脂肪は少なく、気温低下に敏感なようである。
買い物に出かけようとしたら猛烈な雨が降ってきた。ハネが上がるほどの降り方はどこかリズミカルな部分があって、見ていて気持が良い。しばらく待ってからでかけたが、一山越えたらカラッとしていた。我が山里が狙い打ちされたらしい。