山里から ・写真と短い文で綴る田舎の生活

山里の自然と生活の一端を、短文と写真で記録しています。健康に感謝しつつ、日々、世界の平和と安全を願っています。

福寿草が咲いた

2013年02月28日 | 山野草

 

 先般、暖かくなりかけた頃、顔を見せに訪れたポンタに、いとまごいのそぶりが見えていたが、この二・三日の暖かさに、今度こそ本格的な春の到来を感じたのだろう、昨夜“置き土産の御印”を置きに来た。早朝に、奥山へ帰ったようである。

 福寿草が咲いた。昨日まで、頭だけ見えていたのが、はじけたように咲いている。今年は、いくらか遅れるのではないかと思われたが、かろうじて例年通りの時節に間に合ったようである。

 


勢いを誇る、照葉樹と針葉樹

2013年02月27日 | 野・山・自然

 

 夕食後、カップ入りの寒天菓子がデザートとして出てくる機会が多くなった。春が近づくとともに、活発な活動を支えるためのエネルギー補給の機会が、神さんに増えているようである。安心してスイーツをいただく前提として、腸への配慮は欠かせない。ベテラン主婦としては、間違っても“順調でない”朝は迎えられないのである。

 陽光をうけて、照葉樹の葉が輝く。そのかたわらでは、杉の木も元気一杯の様子である。

 


晴れて満開、オオイヌノフグリ

2013年02月26日 | 山野草

 

 清流釣りとして知られるアマゴは、3月の声と同時に解禁が通例である。ここしばらく続いていた、厳しい寒の戻りの状態をみていると、いわゆる“キチ”以外は、とてもその気にはなれない状況と思われたが、天気担当の神様は、やさしさ第一に徹しておられるようだ。人を困らせることはしない主義のようである。ここにきて、一挙に水ぬるむ陽気になった。

 オオイヌノフグリが暖かい日差しを受け、満開である。やっと安心して花弁を開くことが出来、晴ればれとしているようである。いのちの輝きである。

 


春の装い、クモマグサ

2013年02月25日 | 

 

 朝方より夕方のほうが寒い。寒さが戻り、外気は朝のほうが冷えているに決まっているが、実感的には、布団の中で、芯まで温まっている身体の朝方より、何だかんだで動き回っている夕方が、寒く感じるのである。知覚神経が年とともに鈍くなっているのだろう。

 猫たちは、すでに春のバイオリズムになったようだ。食事量は冬の半量程度しか食べない。五匹それぞれが自分相手の遊び時間を確保したがる。春は猫といえども心はずむのであろう。

 


うぶ毛に包まれ

2013年02月24日 | 日記

 

 ブログのgoo事務局から、毎日“1年前の記事”を配信してくれる。写真を見ると、今の写真より良く見える。記事を読むと、ほんとに自分で書いたのかなと疑ってみたくなるようなものもある。健忘症の進み具合に関しては、太鼓判を押せる程度の自信はある。お陰で、改めて見、読み返してみる時、半ば他人事のような感覚を持つことが出来る。ただどこかで、あまりにも無責任な感覚でいてはいけないだろうという良心が働くのだろう。どんな気持でシャッターを押したかは、大抵思い浮かべることはできる。「捨てたものではない面」なきにしもあらず、なのである。