八月の台風シーズン幕開けを告げるかのような天気図になっているようである。ニュースは、11号、12号と、予想進路の説明に忙しそうである。降っても晴れても山里の夏は、荒れない程度の風があれば、快適な環境の保持に苦労はない。木陰に入らなくても緑の風の匂いが届きさえすればいいのである。
田んぼの空いた部分にイグサが茂っているところがあった。“とりあえず田んぼは緑に”、であろうか。
八月の台風シーズン幕開けを告げるかのような天気図になっているようである。ニュースは、11号、12号と、予想進路の説明に忙しそうである。降っても晴れても山里の夏は、荒れない程度の風があれば、快適な環境の保持に苦労はない。木陰に入らなくても緑の風の匂いが届きさえすればいいのである。
田んぼの空いた部分にイグサが茂っているところがあった。“とりあえず田んぼは緑に”、であろうか。
朝は爽やかだったものの、お昼を待たず、どんよりした空気が広がる天気となった。重苦しいような空である。脇道の路肩で、花に止まった蝶が休息を決め込んでいる。今日は花見としゃれたのであろう。今年はひときわ元気なヒメジョオンにあやかりたいようでもある。蝶はベニシジミのようだ。
片手に花が咲いたムクゲの小枝、もう一方の手に剪定バサミを持ち、嬉しそうに庭を歩いて帰ってくるご婦人の姿をよく目にした。何年前のことだろう。その昔の夏、当時頻繁に訪れていた神さんの実家でのことである。ご婦人とはおばあちゃんのことなのであるが、花を手にしているときはいつも遠い少女時代の心を取り戻しているかのような、“はにかみ”の表情がほの見えており、おばあちゃんを離れて、一人の個性がかがやいているかのように思えたものである。
当時のムクゲは人の背丈程度で芯止めしてあり、毎朝次々と新しい花を開いて止まる所を知らないかのように咲いていた。
今朝は20度行っていない。昨夜極端に涼しくなったから、窓はすべてきちんと閉めて休んだはずなのに、夜中に見張り番兼任チーフのテトリンが起こしに来た。冷たい風の流れがあるから確かめて欲しいと言う。居間に行くと、なるほどアレッと思うような空気の通り道があり、部屋全体がスーッとうすら寒い感じである。虚心に周囲を見回すと、原因は直ぐわかった。換気扇の切り忘れであった。このところを思い返してみれば、熱帯夜から日を置かず、涼しすぎて猫が安眠できないような夜の到来。誠に変調である。(人間どもはほとんど何の問題も覚えずにいた。)
タマアジサイがポッとはじけた
自然に囲まれた別荘地、高地型気候の山里も、このところ二日続けての熱帯夜となった。冬の間から使用している布団が、昨夜はさすがに使い勝手がよくなかったので、今朝一番に夏用に替えた。歩調を合わせるかのように、お天気の神様も、気分転換のようだ。今日はかなり涼しい。
秋がほの見え、紫式部の花