ブラシ形でしかも色は白。イヌショウマは、いわゆる花の一般的な定義からは、はみだしそうな位置にあり、見る人が無意識のうちに“きれいかどうか”決める前に、対象から除いてしまいかねない特徴を与えられている。人に例えると、このような立ち位置を選択した人は決して多数派にはならないが、ごくごく少数ということにもならない。イヌショウマはごくごく少数といってよい。
ブラシ形でしかも色は白。イヌショウマは、いわゆる花の一般的な定義からは、はみだしそうな位置にあり、見る人が無意識のうちに“きれいかどうか”決める前に、対象から除いてしまいかねない特徴を与えられている。人に例えると、このような立ち位置を選択した人は決して多数派にはならないが、ごくごく少数ということにもならない。イヌショウマはごくごく少数といってよい。
ブルッと震えるような秋の様相と、強い直射日光に加え、蒸し暑さを感じるような空気が、数時間単位で入れ替わるという、体調管理の難しい天候である。油断をしなくても、風邪の一つや二つは引きそうである。
今だに、心のどこかで頼ろうとする、体力をひけらかさなくても、病気の方が逃げて行った、屈強な時代は、とうの昔のことであることを、心しなければなるまい。
夏の薫り
秋の様相
何事かを行う前に考えることは、多くの場合、しなくてはならないこととされている。これが、こと写真に関しては、対象を前に考えていると、ロクなことはない。考えることをしなければならないのは、対象が目の前にない時である。もって回った言い方になってしまったが、要は練習と本番は違うと言うことである。いつまで経っても、のほほんと過す時間が多い日常である。「のほほん」には、天才的な山の神様の見本が手元にあり、恒常的に強い影響を受けている。意志薄弱なのである。
アケボノソウを撮っていたらミツバチがやって来た。急なことに慌てて、追っかけ、追っかけになってしまった。
最低気温が下がり、キノコの発生に適した環境になって来た。マツタケのシロを持っている人は、一日一日が楽しみであろう。木や草は、急な対応は出来ない。したがって、山里の表面上の景色の現状は、残暑まじりの初秋の眺めである。
未だ秋を思わせる色彩に乏しい中でも、ヤマノイモの葉は、最も早く鮮やかな黄色を呈する種類であり、そろそろ出番ではないかと、機会を伺い始めたようである。ムカゴは、地面に落ちればそのまま発芽に繋がる種子であるから、早期に播種する工夫になっているのかも知れない。
病院で検査を受けて来た。CTと血液検査である。私にとって、病院は、普段の健康を確認する場所である。「変わりないですね」と言ってもらうのが一番嬉しい。
ハゼランは、線香花火のような花である。初夏から咲き始め、霜で枯れるまで咲き続ける。「丈夫」という表現はこのようなものたちのためにあるのであろう。脇役として、あちらこちらに顔をみせている。時には、ハナアブが訪問しているのを見かける事もある。「蓼食う虫も好き好き」ともいう。世の中決して見捨てたものではないのを確認する一瞬である。