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山里から ・写真と短い文で綴る田舎の生活

山里の自然と生活の一端を、短文と写真で記録しています。健康に感謝しつつ、日々、世界の平和と安全を願っています。

炎天に寛がず

2016年07月31日 | 近辺の風景

 

 ≪ 山里はこの夏一番の猛暑を記録したようである。≫ 昨年の7月31日のブログにそう書いてある。まさかそれをそっくり繰り返すことになるとは、思いもよらぬことであった。今日はそこにオマケとして、午後には雷雨が付いた。こんな日の休日は、もうハナから “休養日” と決めてある、食事に出かける以外は、部屋でゴロゴロ。たまのことであるから、幸い、お相撲さんみたいに体重が増える心配をしなくても良い。普段の心がけがいいお陰である。いつも、やらなければならないことは、ちゃんとやってるもんネー。

 

 

 いつか子供たちと・・遊びたいなー(過疎の村の公園で)

 

 

 

 

 ニセアカシアの葉が光に輝く

 

 

 

 

 葉陰

 

 

 

 

 トケイソウの繁る家

 


いつもの夏に

2016年07月30日 | 野・山・自然

 

 真夏日だ、猛暑日だという、いつもの夏になって来た。これが当たり前だと思いながらも、まだどこかに巣くっていた ≪冷夏になるんじゃなかったの、そうなってほしかったのに≫ という淡い期待のこころが、未練を持っている感触も伝わってくる。ともあれ、行事が並んで待ち構えている八月は目の前だ。気合を入れ直して乗り切ろう。

 

 

 オニユリの咲くところ

 

 

 

 

 カヤツリグサ

 

 

 

 

 ニシキソウ

 

 

 

 

 

 久方ぶりのヤマトシジミ

 


時は流れる

2016年07月29日 | 野・山・自然

 

 仕事上の懸案が片付いたと神さんニッコニコである。

 明日の朝、明後日の朝の予定はとうに確定している。

 これ以上テンションが上がってはコトである。

 もう今日は出来るだけそっとしておこう。

 広がる、乗っける、加わる、増加するなど、時と場合を選びたいのである。

 

 

 リコリス

           

 

 

 

 

 ヒオオギ

 

 

 

 

 まだ青二才・アカツメの蕾

 

 

 

 

 用心棒

 


それぞれの主張

2016年07月28日 | 

 

 しゃがんで草花の写真を撮っていたら、その近くの家に住む高齢のご婦人が買い物から帰っておいでになった。にこやかな顔をして、「あちこち傷んでいるから、変な所は撮らないでね」との厳命である。一人住まいもベテランになると、一寸したことにも的を外さない注意力が発揮されるもののようである。行く道を見据えて、まだまだ学ぶこと限りがない。

 

 

 カサブランカは控えめに

 

 

 

 

 慌ただしそうに咲く、キクイモの花

 

 

 

 

 キンキラが目立つ定めよオトギリソウ

 

 

 

 

 時来ると、宗旦ムクゲ晴れやかに

 


山がある

2016年07月27日 | 山野草

 

 昔聞いた歌に、“ 私の国には山がある、おいで一緒に・・・ ”と続く≪ふるさと賛歌≫があった。人皆共に、山々を愛で、自然を愛で、人間を愛しながら、のびのび生きよう、と語りかけ続けた笠木透さんの歌である。(タイトル:おいで一緒に 原詩:ネルーダ 訳詞:笠木透。笠木さんは「我夢土下座」等で活躍していた。)

 テレビで、津久井の事件の報道を見ていて、ふいにその歌の一節が口をついて出た。「私の国には山がある・・・。」知らない間に(知らないふりをしている間に)、私たち一人ひとりの心の中に、他人と決定的に違うとアピールするに足る、大きな山が築かれてしまっているのではないか。そんな気がして来た。ああ、どうしよう。

 

 

 オモダカ

 

 

 

 

 お高く止ったキチョウ

 

 

 

 

 ただいま同化中

 

 

 

 

 タマアジサイはまだ準備中