ハルコガネバナと言われるサンシュの花が咲いている。裸木に、光りを吸収するかのような黄金色がパッと咲いている様は、まさに早春である。お昼に、木のそばで弁当をいただいた。
ハルコガネバナと言われるサンシュの花が咲いている。裸木に、光りを吸収するかのような黄金色がパッと咲いている様は、まさに早春である。お昼に、木のそばで弁当をいただいた。
古い城下町は、雨の日にも関わらず、この日も人の姿が町中にある。時期を問わず、観光に訪れる人は確実に増えているようである。そぼ降る雨の風景は、落ち着いた町と言うか、淋しい通りと言うか、見方によっていかようにも取れる情景である。
かっては、この町の通りにも、歴史のある町の例にもれず、空中に電線や電話線が張り巡らされていた。生活感を善しとするか、景観上の統一的スッキリ感を是とするか、見る人次第のようである。ともあれ、ゆっくり歩く場所の提供は、人の心を豊にさせることだけは間違いないようだ。
こころ忙しく、多忙である。胃の調子が落ちてきた。休息が必要なようである。
カタクリの様子を見て来た。咲いてはいるが、まだチラホラ。もう一週間か十日後が見頃であろうか。
白壁の白さと光りの強さのバランスが取れてきた。
花芽の準備時と大雪が重なったのであろうか、梅の花の姿がいつもと比べると見劣りするようだ。あちこちから桜の花の便りが届いている。果たして桜はどうであろう。期待半分、心配半分である。
一方、土中で準備していた福寿草は、花が咲き始めてみると、思いの外勢いが良い。そろそろカタクリの花も咲き始める。こちらは大いに希望が持てそうである。
地面すれすれに花芽を育てていたヒマラヤユキノシタの花は、元気一杯、早く咲きたいようとでも言っているようである。
お食事に余念のないシャクトリムシを見つけた。蝶のキタテハがすでに空中を舞い始めている。虫の世界からも目が離せなくなってきた。
山里の住人のあの顔もこの顔も、昨日今日の様子を見て、寒暖定まらなかったこの春の歩みからようやく脱出出来たことを確信している。暖かい春がやって来た。「もう寒は戻らない」。会う人ごとに、自然とニコニコ顔になる。そこここに平和が溢れている。人間は単純なのである。
小さな小さなハーモニー
用水路の石組みの間がらフキノトウが顔を出している