2015年も、終わってみれば、特別な事と言えば、嬉しい出来事のみのように思える。ある程度の年数、人並みの経験を積んできたお蔭であろう。好もしくない出来事は即座に忘れるのである。今更、“経験を糧に”などする必要がないのである。勿論、どんどん嵩じて来ている《健忘症》も大いに寄与してくれている。だだ今現在健康。これにつきる。
雲のある青空
光る穂先
宝物入れ
2015年も、終わってみれば、特別な事と言えば、嬉しい出来事のみのように思える。ある程度の年数、人並みの経験を積んできたお蔭であろう。好もしくない出来事は即座に忘れるのである。今更、“経験を糧に”などする必要がないのである。勿論、どんどん嵩じて来ている《健忘症》も大いに寄与してくれている。だだ今現在健康。これにつきる。
雲のある青空
光る穂先
宝物入れ
最近漬物を食べるようになった。漬物だろうが何だろうが、ご飯のおかずと言えば、何でもモリモリ食べるのをモットーとしていた時代はいざ知らず、近年は野菜の漬物類は、“素材の味から遠ざかっている”として、最大限避けるようにしてきた。それが心境の変化のなせる業である。“何でもまんべんなく食べる”気になったのである。ほんの一切れか二切れなのだが、しっかり味をかみしめて頂く。大人になったのである。
赤い木瓜が咲いている
今朝はハートが凍るような朝であった
庭の隅で南天が幼い芽を伸ばし始めている
しなければならない切羽詰まった用事がある訳ではないが、大晦日の前の12月30日は、落ち着かない日である。そして、いよいよ大晦日となると、朝起きた時から浮き足立っている。これは物心ついたころからの習性である。何があってそのような習い性が身についたか、今となってはとんと見当もつかない。
その前段の流れとして、12月29日はいつの年もほっと一息つく小休止の日になっている。思いっきり、こころと身体の力を抜いて、明日・明後日に備える。
マクロでプリムラ
マクロでシクラメン
明後日に大事な人と会う約束があるのに、先般来のノド風の咳が納まらない。本気で咳を止めないと一大事である。ウラジロよろしく年に一度の大役のつもりぐらいの覚悟をしないといけないのかもしれない。年々基礎体力が落ちているであろうとは思っていたものの、実際は想像以上に下がっているようだ。自分の事とは言え、自覚がないのは困ったものである。やれやれ。
出番です、ウラジロ
カラタチのトゲ
路傍の天然物マット
夏の終わり頃、見苦しく伸び放題だったアザレアの枝を、長い枝を中心に、選抜的に剪定した。切り取った枝をそのまま赤玉土に挿しておいたら、うまい具合に活着したようである。一寸伸びたり、先端に蕾を付けたり、小さいながらも存在をアピールしている。条件がよさそうな日が続きそうな頃合いを見計らって植え替えてやらずばなるまい。
アザレアの花
白実の南天、
石垣に垂れて来ているウメモドキ