大相撲の八百長騒動を機会に再読。本自体は4年前に出たんだけれども、執筆のきっかけは、貴乃花親方の“相撲道改革”を雑誌のインタヴューで披露し、当時の北の湖理事長から、厳重注意を受けたことであるという。
内容そのものは、既得権の象徴とも言える相撲茶屋問題に踏み込んだ以外は、それほど過激なものとは言えない。それでさえ、相撲協会から、親方は袋叩きにされ、発言を封印された。
同書によれば、相撲茶屋改革、力士の収入増などを協会に要求した昭和7年の春秋園事件以来、協会に楯ついた例はないゆえに、強い反発を招いた・・・とある。
その春秋園事件を扱った本書は、その改革を牽引した関脇天竜(1903~89)を主人公に、なぜ、そのような改革が当時求められたのか、事件はいかなるものであったのか、多くの力士が脱退し、5年間に渡って別団体を結成して協会に対峙した一部始終を詳細に書いている。
天龍は、協会の会計制度の確立、相撲茶屋の撤廃、養老金制度の確立、力士の待遇改善など十カ条を正面に掲げ、十両以上の力士32人で料亭・春秋園に立て篭もって、相撲協会に対峙。それが受け入れられないとなると、新団体の設立に動く。
当時の世論は、天領の設立した新興力士団に好意的で、順調にことは進んだかに見えた。が、ABC3クラスに分けての総当たり戦、選手権争奪戦などあまりに斬新的な取り組みは、最初は喝采を浴びたものの、次第に保守的な相撲ファンに飽きられていく。
さらに協会に帰参する力士が相次ぎ、双葉山など新興勢力の台頭で相撲協会は息を吹き返し、地方巡業でも苦境に立った新興力士団は、最後には大陸へと新天地を求める。
結局、5年後の昭和12年、新興力士団は解散。満州で倒れた片腕・大関:大の里は大連で客死する。一時は、調停役の国粋会の切り込みを覚悟し、日本刀を携え、斬り死にさえ覚悟した天龍の“改革”はとん挫した。
その改革は不十分ながら、歴代の理事長によるトップダウンによって進められていく。
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その担い手が、双葉山こと時津風理事長であり、数々の改革が時津風によって、そして、その急逝後は、後継の理事長が、より穏健的な形で進めていくことになる。
以降、協会トップによる改革以外は行われることなく、相撲茶屋と八百長は温存されることになり今に至っている。
天龍は、従来の「情実相撲」を否定し、スポーツとしての相撲を確立しようとして、それを新興力士団の場で実現してきた。それは、あまりに性急な取り組みだったかもしれない。
ただ、天龍の胆力、先進性を見るにつけ、今の時代ほど彼を必要としている時代はないように思える。間違いなく、天龍は、同時代だけでなく、今でも傑物として評価される存在であることは間違いない。
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